凡凡「趣味の玉手箱」

キーワードは中国です。中国以外のテーマは”趣味の玉手箱にようこそ”で扱っております。

日本の「世界遺産登録運動」

2005-07-18 22:19:49 | 旅行知っ得情報
日本経済新聞7月18日から
日本各地で世界遺産をキーワードとした町づくりが進んでいる。下記の37カ所で登録運動が行われているという。恥ずかしながら初めて知った地名は8箇所もあった。

1 摩周湖(北海道)2 大雪山国立公園(北海道)3 北海道・北東北の縄文遺跡群(北海道・青森・秋田・岩手)4 出羽三山(山形)5 南会津のブナ原生林(福島)6 日光杉並木(栃木)7 尾瀬(福島・新潟・群馬)8 旧官営富岡製糸場(群馬)9 皇居と隣接公園群(東京)10 玉川上水(東京)11 小笠原国立公園12 佐渡金山遺跡(新潟)13 湯之奥金山遺跡(山梨)14 富士山(山梨・静岡)15 奥大井・南アルプス(静岡)16 善光寺17 松本城18 立山・黒部(富山)19 兼六園(石川)20 白山国立公園(石川)21 仁徳天皇陵(大阪)22 明日香村(奈良)23 三徳山三仏寺の国宝「投入堂」(鳥取)24 閑谷学校(岡山)25 瀬戸内海国立公園(岡山など)26 尾道(広島)27 靹の浦(広島)28 四国霊場八十八カ所と遍路路(愛媛・香川・高知・徳島)29 沖の島(福岡)30 長崎のキリスト教関連遺産群(長崎)31 軍艦島 端島(長崎)32 熊本の石橋群(熊本)33 別府の温泉地獄群(大分)34 綾の照葉樹林帯35 稲尾岳(鹿児島)36 奄美群島国定公園(鹿児島)37 西表国立公園(沖縄)

春秋の覇者 晋 文公 亡命19年

2005-07-18 19:55:32 | 十八史略を読む
十八史略を読む-15 春秋の覇者 晋 文公 亡命19年
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

後世、晋は文公の時代になって、諸侯に覇をとなえた。

文公は献公の次男で、名を重耳(ちょうじ)という。献公は異民族の驪姫(りき)を寵愛して、太子の申生(しんせい)を殺し、重耳のいる蒲邑(ほゆう)にも兵をさし向けた。

重耳は出奔し、19年後に国に帰るまで苦しい亡命生活を送った。

春秋の覇者 晋 天子に戯言(けごん)なし

2005-07-18 19:43:54 | 十八史略を読む
十八史略を読む-14 春秋の覇者 晋 天子に戯言(けごん)なし
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

晋は姫性の国で、周の成王の弟の唐叔虞(とうしゅくぐ)が封ぜられ創建された。成王が若いころ、弟の唐叔虞と遊んでいた。成王は桐の葉を圭の形(短冊形)に切って、弟に渡し「これを証としておまえを諸侯に封ぜよう」といった。

これを聞いた史官が「ではいつにいたしましょうか」

成王「いや今のはままごと遊び、戯れに言ったまでだ」

だが史官は記録に厳格で「天子の発言に戯れなどありません」と成王に言った。

このため、成王は唐叔虞を唐に封じた。唐叔虞の子は都を唐から晋に遷し国号も晋とした。

春秋の覇者 老子

2005-07-18 19:01:57 | 十八史略を読む

十八史略を読む-13 春秋の覇者 老子
「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

老子は楚の人で,姓は李、名は耳(じ)、字は伯陽(はくよう)と言われる。周の宮室図書室に勤めていたが、ある時孔子の来訪を受けた。老子は孔子に意見を求められて、こう言っている。

「優れた商人は、品物を奥深くしまい込んで、まるでなにもないかのように見せるもの。君子も同じであって、立派な徳を備えていようと、それは表面には出さない。見かけは愚か者のようである」

孔子は老子のもとを辞すと、門人にこういった。「鳥は空を飛ぶ。魚は水を泳ぐ。そして獣は野を走る。飛ぶ鳥は“いぐるみ”で捕らえられるし、泳ぐ魚は釣り糸で捕らえられる。そして走る獣は網で捕らえられる。しかし竜に至っては捕らえようがない。竜は風雲に乗って天に昇るからだ。老子はたとえて言えばこの竜だ。その人物をはかり知ることは難しい」

老子は周が衰えつつあるのを見て職を辞し、隠遁の地を求めて関所にきた。関所の役人が隠遁される前に書物を残していただけないかと頼んだ。老子はこれに応えて、5千余字の「道徳教」を著しいずこともなく立ち去った。その後、老子がどのように生涯を終えたかは誰も知らない。

注)広辞苑によれば関所というのは函谷関(写真:2004年10月12日撮影)または散関のいずれかとのこと。

春秋の覇者 孟子と母

2005-07-18 17:11:24 | 十八史略を読む
十八史略を読む-12 春秋の覇者 孟子と母 

「十八史略:徳間書店発行、丸山松幸、西野広祥編訳、1987年7月九刷」から

孟子は魯の孟孫氏の子孫である。鄒(すう)の国に生まれた。幼少の時、賢母で知られる母親から「三遷の教え」を受け、成長して子思の門下である学業を修めた。

孔子の道を修得した彼は、斉、梁を歴訪して、遊説につとめたが、その意見を採用されることはなかった。やむなく故郷に退き、門人の万章(ばんしょう)などとあらゆる問題について議論、問答して「孟子」七編を残した。

*三遷の教え:孟子は生まれてすぐ父と死に別れ、母の手によって育てられた。はじめ家が墓地の近くにあったので孟子は葬式のまねごとばかりして遊んでいた。これを見た母は市場近くに居を遷した。すると今度は証人のまねごとをして遊んだ。これも好ましくないとして今度は学校近くに家を遷した。すると孟子は学校で教えることをまねして遊ぶようになった。孟子の母はこれに満足し、住居を定めた。

中国主導で大メコン圏流域経済一つに結ぶ

2005-07-18 07:35:08 | 中国知っ得情報
7月18日読売新聞朝刊から
中国、ミャンマー、ラオス、タイ、カンボジア、ベトナムの6カ国がインドシナ半島を南北に流れるメコン川を動脈とした経済圏を作ろうと「大メコン(GMS)圏経済協力計画を進めている。これは、戦乱などで開発が遅れたインドシナ半島内陸部で、産業基盤の開発を進め、経済格差の縮小をはかろうと、アジア開発銀行(ADB、本部・マニラ)が提唱、1992年に発足した。

南北経済回廊の整備のほか通信安定化、地域間の電力融通、貿易・投資の促進など、11の主要プロジェクトを掲げ2012年の完了を目指す。主導的な役割を果たす中国には、流域各国の経済を一つに結ぶ回廊にしようという思惑がある。

中国にとっての南進政策の最前線はシーサンパンナ・タイ族自治州の最南端モンラー県、開累である。ここは州都景洪の港から川を約3時間(84キロ)下ったところにあり、港にはタイ産の果物、タマリンなどを積んだ貨物船が多数接岸している。

水路の動脈メコン川に対し、陸路は07年の全線開通を目指し、雲南省都・昆明とタイ・バンコク間1855キロで建設が進む幹線道路「南北経済回廊」,南北経済回廊が完成すれば、マレーシアやシンガポールにもつながるアジアの大動脈ができる。

一方、日本も、将来、一つの自由経済圏を作る「東アジア共同体」を提唱し、メコン流域各国との経済関係を重視しており、今後、メコン圏を舞台にした日中両国の支援合戦が激しくなりそうだ。