6月17日 城北公園の菖蒲園 まだやっていると思い 確認しないまま 出かけたが
残念ながら 閉園だったぁ webで確認すればいいのに 手抜きはいけませんねぇ
公園の横切る 菅原城北大橋(平成元年完成)に改めて驚いてきたところです。
旭区と 東淀川区を結ぶ橋、当初は 100円の有料道路
別名:100円橋でしたが
平成26年6月9日をもって料金徴収期間が満了となり、翌日の平成26年6月10日以降は無料となってました。
菅原城北大橋
城北公園内から見上げると 公園利用者の憩いの場となってます。
この橋の下流側には 名柄橋約4km先 上流側 約3kmくらいかな がありますが 交通渋滞の解消の一環として
大阪市が建設してました。 何度か利用しましたが、幹線道路とのアクセスが もう一つでは・・・と思ってます。
行先によっては便利なんですが
橋の横の通路から公園を眺めると 彫刻が・・・・ 題名?
存在感がありました。
池のほとりでは 絵画を楽しんでいる人も
堤防へ上がってみると 丸い石の向こうに 社が 千人つか が
昭和20年の大阪大空襲時に 多くの方がなくなってます。
昭和20年6月7日の空襲後の模様について「旭区地域の今昔」生江編より コピーさせていただきました。/感謝
昭和20年(1945)6月7日(11時9分~12時28分(約1時間半))の大空襲の淀川河川 敷の阿鼻叫換(あびきょうかん )地獄図を
思わせる様相のあと、この世 の末と思わせる絵である。
(河川敷に避難している民間人に対しP51による機銃掃射によりさらに死者が増えているそうです
飛来したB29は 409機だとか)
この日は朝から抜けるような青空であった。夏の 空は一転暗黒の雲が垂れこみ、まわりは得も言われ ない静寂がつつんだ。
その後、土地の篤志家東浦栄二郎氏による遺体の 処置(あちこちに散乱している死体を何カ所かに集 めてガソリンをまき遺体を焼却)、
その霊をなぐさ めるため千人塚が建立され、毎年慰霊法要が連綿とつづいている。
この絵を見て思う。 「我々がしてきた戦争とは何か?」 人間が人間ではなくなるこの狂気。しかもこの絵 は
遠い戦場ではなく、つい身辺近くの場所であった のである。しかし、まぎれもないこの現実を記憶に とどめている人が
一体どれだけいるのだろうか。
【付記】当時は戦争に関しての報道は、写真はおろか空襲 に関しての現状の様子等はきびしく管制されてお り、
只人々の個々の記憶によるものだけである。
淀川の河川敷には 今も1トン爆弾で できた大きな穴を見ることができます。
千人つかを後にして上流へ向かっていくと
1970年に開催された 大阪万博会場跡地の大観覧車が見えました たぶん10kmほど先でしょうね
某通信会社の無線タワー 今ではパラボラアンテナに変わり 簡易無線用のアンテナがおかれてますね
マイクロウェーブは 光ケーブルに置き換わり このタワーもぼちぼちなくなるのでは
背景に山は モミジで有名な箕面公園方面になります。
ワンドで釣りを楽しむ人たち
河川敷は いろんな形で有効活用されてます。
常翔学園のラクビー場
隣には サッカー場
さらに隣には、一般用のラクビー場 野球場として 背景は 豊里大橋(守口市と東淀川区を結んでます)
橋の下付近には地下鉄が開通してます。
堤防の内側を眺めてみると 大阪工業大学が 何やら大きなエンジン音が 眺めていると
手造りのレーシングカー? かっこいいなぁ
狭いコースに安全監視員を配置し 慎重に走らせてました。
晴天の中 ちょっと暑かったぁ~ 熱中症にもならず無事生還? そのあと いつもの公園でウロウロしてました。
6月17日は ほんとによく歩いたなぁ・・・自画自賛(-_-;)
最後までご覧いただきありがとうございます。
ワンドには 釣り場所も設けられてました、
利用したことがないのですが たぶん、鮒が釣れるのでは
上手くいくと うぐい が釣れるかも
釣り人 センター配置もいいかも( ^)o(^ )
ワンドで釣りを楽しむ人たち
イイ雰囲気ですね〜水面のさざ波も美しいですね。静かに時が流れて行く感じが素敵です。
人物が中央部だとどんな感じなったのでしょう〜
この日は大失敗 菖蒲園はすでに閉園でした。(笑い・・・しょぼん)
広い河川敷は もっと上流ではゴルフ場も
3~4か所あるんですよ
得意ではなかったところですが、昔は 通ってました。( ^)o(^ )
見ていて清々しい気分になれました。
ありがとうございました。