薬屋のおやじのボヤキ

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9.10 今日からめでたく後期高齢者の仲間入り、赤秋時代を坦々と生きていこう

2023年09月11日 | 薬屋のおやじの一日一楽日記

(別立てブログ“一日一楽日記”で投稿した記事をこのブログに再掲しました。)
(前日の一楽日記は、表題の「9.10 今日からめでたく後期高齢者の仲間入り、赤秋時代を坦々と生きていこう」と関連しますので、まず、それを再掲します。)

9.9 まだ若い!青春気分でいかねばならぬ「前期」高齢者、その最後の日

 60歳は還暦であり、年寄りの仲間入りと言っていい年であろう。そして、65歳ともなると高齢者と言われ、完全にそうなり、老人とも言われるようになる。それから10年経って75歳ともなると、後期高齢者と呼ばれ、はよう姨捨山へ行け!と、請われているような気分になる。
 ちょうど1か月前に、役場吏員が「敬老祝い金制度があるから、この申請書を役場に出してください」と言ってきた。どうやら敬老の日に該当者(75歳、80歳、90歳)になにがしかの金子(きんす)がいただけるようだ。小生は明日75歳になるから、これに該当する。
 もらえるものなら何でもいただこうと、早速に申請したのだが、なんでわざわざ申請せねばならぬのか。これにカチンときた。これについては、別立てブログ「薬屋のおやじの“腹たち日記”」の「マイナカードに公金受取口座を紐付けしたのに、振込口座を書かせるし、通帳のコピーまで附けさせる。なんで?!」で記事にしたのだが、それはそれとして、祝い金は複雑な気分にさせられる。
 この祝い金、姨捨山入場の特待券のような気がしてくるのである。
 「老」の本来の意味に「物事に通じている」とか「長い経験を積んでいる」という意味もあり、中国で「老師」とは日本の「先生」を言い、敬称でもあるのだが、今のご時世、年寄りの行いがよほど悪いのであろう、良い意味で使われることはなく、ほとんど悪い意味で使われる。
 かように、ひがみ根性丸出しの小生であるが、これは、いい年こいても、常日頃の行いが悪いと自覚しているから、ということになろうか。
 もう完全に後期高齢者になりきってしまっている小生。
 これではいかん。今日まで、まだ「前期」高齢者であるのだから、今日一日ぐらいは「前期」の気分で行かねばならぬ。「前期」と「後期」を対比すれば、「前期」は上り調子であり、それは「青春」だ。今日一日、「青春」気分で過ごそうじゃないか。
 ということで、今日は手がすいたら小論文執筆のために文献あさりに勤しんだ。一度読んだものだが、半分忘れていたものの、けっこういい題材が見つかった。

 

9.10 今日からめでたく後期高齢者の仲間入り、赤秋時代を坦々と生きていこう

 今日は小生の誕生日である。この世におぎゃあと産まれ出て、丸75年が経過した意義深い日である。75歳を過ぎれば男はバタバタと死んでいく時期に当たり、後期高齢者と言われるのもうなずける。つまり、早い話が棺桶に片足突っ込んだのである。
 75歳ともなると、雇ってくれる所も少なくなり、隠居する者が多くなるが、我が団塊世代は人数が多い分、まだまだ働かねばならぬ。そうしないことには人手不足になり、若者や働き盛りの人たちに負担がかかり過ぎてしまう。彼らが生活に少しでも余裕が持てるよう、我々がカバーし、サポートせねばいかんだろう。
 そうしたことは何十年も前から分かっていたことであり、50歳過ぎから、小生は「生涯現役」をモットーにして今まで生きてきたし、これからもそれを貫徹する所存だ。なんせ稼業が薬屋だし、二足のわらじで百姓もやっている。どちらも定年制はなく、健康管理に最適な職業であり、小生は非常に恵まれた境遇にある。これは、好き好んで選んだ道ではなく、45歳のときにやむに已まれず選ばされた道ではあるも、これを感謝せずに何と言うか、である。今では、実に有り難い職業二つである、と、しみじみ感じている。
 さて、今日、後期高齢者となって、人生の一つの区切りとなった。これから死ぬまで、どういう心持で生きていくか。これについては、2016年の秋に知った「赤秋(せきしゅう)」、若者の「青春」に相対する言葉であるが、「赤秋時代を坦々と生きていこう」と心に決めていて、今日からそれの実行だ。
 「赤秋」という日本語があることを教えてくださったのは、韓国在住の日本人、木口正樹さん(著書に「おしょうしな韓国 ほのぼの韓流100話」が有名)である。彼のブログ「天安からアンニョン」に、次の記事がある。→「赤秋
 そして「赤秋」を知って1か月経ったときに、仏教3分法話「「老い」で見える世界(佐賀枝夏文:大谷大学名誉教授)」を読み、これに感銘したところである。
 そうしたことから、後期高齢者となったら「赤秋時代を坦々と生きていこう」と心に決めていたところである。
 なお、「坦々と生きる」ことに関しては、これは、不治の病の病床に就いた正岡子規が見つけた武士道の解釈として「生への執着もなく、諦めもなく、生かされている今という一瞬一瞬を、平気で生きること」というものがあり、子規は残り少ない命をそうした心構えで日々過ごしたという。これに感銘を受けた小生は、まだまだ元気いっぱいであるが、うんとゆったりした時間感覚を持ち出し、言葉を変えて、人生は「今、ここを生きる」「一日一日を坦々と生きる」、その繰り返しでいく、そう観念したところである。
 よって、今日から(もうずっと前からとも言えるが)「赤秋時代を坦々と生きていこう」とした次第である。
 これから「老い」の時代にますます入るのであり、小生、まだまだ未完熟だが、だんだんと心身ともに熟していくのは間違いない。そして、完熟したときに、この世とおさらばするのだが、次代、次々代の人たちに、樹木が枯れて大地へ還ることによって若木を肥やす滋養となるのと同じように、小生が残したなにがしかのものどもが、少しは彼らの滋養になってくれればと願っているところである。
 「赤秋時代を坦々と生き」ていけば、それが実現も、ごくごく小さなものではあろうが、叶うのではなかろうか。
 それと、もう一つあった。「立つ鳥跡を濁さず」。これも忘れてはならないことで、そのためには決してボケてはならぬ。頭を毎日使い、脳トレも欠かさないことだ。この日記を書き続けることも、少しはボケ防止に効果があろうというもの。
 ついでながら、小生の<座右の銘>は、次のガンジーの言葉である。
 「明日死ぬと思って生きなさい。永遠に生きると思って学びなさい。」
 

(備考)一日一楽日記に関して
2012.9.2別立てブログ記事で書きましたが、毎日何か楽しい出来事が少なくとも1つはあったはずであり、それを書き綴っていけば落ち込みから脱却できるとのことで、小生も“一日一楽”日記を付け始めました。
 また、このブログの2015.3.3の記事で紹介しました、ひすいこたろう著「ものの見方検定」に書かれている「小さな幸せに気づくレッスン」で次のように述べられています。
 「わたしは今日幸せでした。なぜならば…」、これの続きを3つ考えてから寝てください。寝る前に幸せを味わって眠ると、不思議と、朝起きたときの表情が違うんです。これも続けるとよくわかるのでぜひお試しくださいね。
 小生も早速これを始め、うち1つを記事にしたところです。

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