(別立てブログ“一日一楽日記”で2回に分けて投稿した記事をこのブログでまとめて再掲しました。)
1.28 スケベ爺であれば医者に見放された末期のがんが治ってしまう
日本講演新聞(旧:みやざき中央新聞)の記事をときおり紹介しているが、今回は、彦根市立病院緩和ケア科部長・黒丸尊治氏の講演録の一部を紹介しよう。(「とにかく元気が出る講演会 がん体験者が伝える命のメッセージ in 奈良」より)
なお、最初にお断りしておくが、この日記の表題の中にある「スケベ爺」なる言葉は講演には一切出てこないので、誤解されないように。(小生が誤解しているだけ)
(以下部分引用)
がんが骨転移した80代のおじいちゃん「Bさん」のお話です。
「いよいよ末期らしい」ということで、Bさんが緩和ケア病棟にやってきました。うちの病棟には、…ボランティアの方がたくさん来てくれていました。…その中の一つで、カラーセラピーの方が来てくださっていました。いわゆる大人の塗り絵で、下絵があって、それを色鉛筆かクレヨンで塗るのです。セラピストの女性が二人で来て、患者さんと他愛ないお喋りをしながら色を塗るという時間でした。
Bさんは、2週間に1回のカラーセラピーの時間がことの外お気に入りのようでした。
そうして半年が経ちました。
Bさんの検査をしてみると、なんと腫瘍マーカーの数値が10分の1くらいに下がっていました。同じカラーセラピーを受けていた他の患者さんも調べてみました。みんな大なり小なり数値が下がっていました。「これは不思議だ。面白いな」と思ってセラピストさんにそのことを伝えると、彼女たちも喜んでくれました。
「カラーセラピーで色を塗ることに対する充実感や達成感が免疫力を高め、がんを抑えたんでしょうね」と、彼女たちは言いました。
でも僕は「たぶんそうじゃない」と思いました。なぜかというと、これは僕の推測なのですが、カラーセラピーに来るその二人のセラピストさんはとても美人だったのです。塗り絵自体は5分もあれば終わるものでした。でもその後、セラピストさんたちは、毎回2時間くらい喋ったり患者さんたちの話を聴いてくれたりしたのです。
だからBさんをはじめ、カラーセラピーを受けていたおじいちゃんたちはみんな、セラピストさんに会えることが喜びだったのです。そんな楽しみに思う気持ちが、心の治癒力を高めたのだろうと僕は思いました。
(中略 別の末期がんの方の例の話の後で)
それから僕は、「何がどう心の治癒力のスイッチを入れるかは分からない」と思うようになりました。それはつまり、ある日何かにキュンとときめくことで、いきなりスイッチが入って状況が好転する可能性は誰にもあるということです。そのためにも、あまり焦らず、自分なりの喜びや楽しさを感じながら過ごしていけるよう心がけてください。
(以上で講演終了)
いかがであろうか。
小生思うに、このBさんというおじいちゃんは、正真正銘の「スケベ爺」ではなかろうか。「俺が若けりゃ、この子たちに誘いをかけたものを。今はもう不可能だが、でき得るものならば若返ってそうしたい」という思いがことのほか強かったのではなかろうか。
他の患者さん(全員オジイだろう)もみんな腫瘍マーカーの数値が大なり小なり下がったとのことだから、男は年老いてもナンパ願望が強いと思われる。つまりみんなスケベ爺であろう。その願望が強ければ強いほど腫瘍マーカーの数値が大きく下がるのではないか。
小生の前にも、こうした美人のセラピストさんたちが登場するのを心待ちにしたいところであるが、そうそう前立腺がんは進行しないから末期がんになる可能性は限りなく低く、残念ながら緩和ケア病棟へ入れるのは望み薄。
まあしかし、ある日「キュンとときめく」ことに遭遇して「心の治癒力のスイッチ」が入ってくれれば、がんのみならず、くたばりかけた体の各種臓器が若返ってくれるであろう。じっとしていては、そうした機会に巡り合えるのは、宝くじが当たるに等しい確率しかなさそうだが、積極的に探し求めればその確率はう~と上がるのではなかろうか。
さあ、小生も「キュンとときめく」探しをしよう!
日本講演新聞を読んで、そう思ったところです。
1.30 がんで余命宣告されても余生を満喫すれば、がんはおとなしくなるも、生きる望みを失うとがんは一気に悪化する
先日の「1.28 スケベ爺であれば医者に見放された末期のがんが治ってしまう」に引き続き、日本講演新聞(旧:みやざき中央新聞)の記事、彦根市立病院緩和ケア科部長・黒丸尊治氏の講演録の一部を紹介しよう。(「とにかく元気が出る講演会 がん体験者が伝える命のメッセージ in 奈良」より)
(以下部分引用)
…肝臓がんになった70代のおじいちゃん「Aさん」です。がんが見つかったとき、Aさんは、当時の主治医から「手術をすれば問題なく良くなる」と言われました。
Aさんは、「手術をしなかったらどれくらい生きられますか?」とたずねました。主治医が「3年くらいでしょうか」と答えると、Aさんは「3年生きられたら私は充分ですわ。ですから治療は受けません」と言って、その後は検査のみを受けられました。
3年後、Aさんは私の緩和ケア外来を受診されました。そして、「私『3年の命』と言われ、もう3年過ぎました。ですから後は楽に逝かせてください」と言いました。
とりあえずCTを撮ってみると、3年前からがんは全然大きくなっていませんでした。「ごくごく初期」と言っていいくらいのがんの状態でした。「腫瘍マーカーの数値が下がっていて、しかも全然大きくなっていません。もしかしたらあなたはこのまま良くなるまもしれませんね」と、僕はAさんに伝えました。「Aさんはきっと喜ぶだろうな」と思っていました。
ところがAさんは、腕組みをして「そりゃ困った」と言うのです。「私はあと3年の命だと言われていたから、この3年間で世界20数か国を回ってみたり、充分すぎるほど人生を満喫してきた。もうやり切ったから、あとはスーッと逝かせてほしい。なのにここに来て、そんなに良くなってもらっちゃ困る」
僕は、「とりあえずしばらく様子を見ましょう」とその場を収めました。でもそれから1年も経たないうちに、Aさんから、「先生、もうあかんかもしれん。診てもらえんか」と電話がかかってきたのです。
「そんなわけないだろう」と思いながら検査をすると、確かに驚くほどがんが進行し、状態も悪くなっていました。結局、Aさんはそのまま緩和ケア病棟に入院し、1か月後に亡くなられました。
Aさんのその不思議な状況について、僕はこう考えています。
Aさんは、3年という期限を付けて、その中で充分に楽しもうとされ、実際に世界旅行をしたりして満喫されました。その喜びや充実感によって、きっと「心の治癒力」が高まったのです。だからAさんのがんの進行は抑えられたのだと思います。
ところが、「これで全部やり切った、心残りなく逝ける」と思っていたのに、がんが良くなって、「このまま生き続けないといけない」ということになってしまった。Aさんにとって、今度はこの「生き続けること」がストレスになってしまったのです。だから急に状態が悪くなったのだと思うのです。
Aさんのケースには、心の治癒力以外の要素が全くといっていいほど介在していませんでした。「心の状態で劇的に良くなったり悪くなったりした」という例でした。僕はAさんを通して、心の治癒力の影響力というものをさまざまと実感させられたわけです。
(以上、引用ここまで)
いかがであろうか。
小生思うに、このAさんというおじいちゃんは、珍しくしっかりとした死生観を持っておられた方であったのだろう。「死は怖くない、余命がはっきりすれば計画的に余生を過ごせ、実にありがたい。」と。まあ、しかし、がんの余命告知というものは、その後の「心の治癒力」でもって、いかようにも変わってしまう。先日紹介したBさんもそうだが。
かように、がんであっても「心の治癒力」により余命宣告が外れることがけっこうありそうだし、また、例えがんであっても小生の場合のような進行が遅い前立腺がんともなると余命は全然定まらない。余命は交通事故に遭って1日かもしれないし、血管系疾患で10年、いや20年かもしれない。どうやら小生の場合、すこぶる五体満足がゆえに、いつまでたってもなかなかお迎えが来そうになく、終活の計画もうまく立てられそうにない。弱ったもんだ。
しかし別に「スケベ爺」じゃなくても、感じのいい女性から親切にされれば誰でもうれしいもので、私だったら有頂天になりそうです。(笑)
ただし、入院中は美人の若い看護師さんは駄目ですね。気を使ってしまうので、何か用事を頼むのも躊躇してしまいます。気安いおばさんのほうがいいです。
以前、読んだ本では、がんを打ち負かそうと思うのではなく、がん細胞の一つ一つにに対して今までの命を感謝する気持ちを表すのがいいと書かれてありましたが、がんに感謝する気持ちというのが心の底からは思いにくいのが問題です。
なので、がんは心の持ちようで治るのだという意識を持ち、自分に何度も言い聞かせ、そのようにして信じる気持ち―――"信仰心を高めるのがいいのでしょうか。
人生をやり切ったと思うと良くないことも分かりました。私は、やり切ったと思うことはまったくないので、いまのままでいいのかなと思いますが、しかしまた、やりたいことも特にないので、困ったものです。
まあ、あるとすれば、春になったら今度は二泊か三泊の旅行をしてみようかと思っている程度です。冬はトイレが近いので駄目ですので。(笑)
小生は、やっぱ「スケベ爺」なんでしょうねえ。前立腺がんの生検で付き添ってくれた看護婦さんがまあまあ美人でして、彼女の気を引こうと、鼻の下を長くしてあれこれ話しかけちゃいました。
入院なんてこりごりですが、万一入院したらチョウ美人の看護婦さんが担当についてくれるのを願ってやまない、といったところです。
「がんに感謝する気持ちというのが心の底からは思いにくい」のは、小生もその通りなんですが、店を週休3日にしたところ、少しだけ「がんに感謝する気持ち」が湧いてきました。
「がんは心の持ちようで治るのだという意識を持つ」例えば「信仰心を高める」というのもけっこういいようです。
幾つかの本にそうしたことも書いてありましたが、その著者(医師)がそれに深入りすると“信仰宗教の神様”ではないかと疑われるからでしょう、さらりと書くにとどめておられます。
「人生をやり切ったと思うと良くない」、これはこの講演録で初めて聞いたことなのですが、小生が前立腺がんを無治療で行きたいと医師に告げたとき、その理由として「今年、後期高齢者となり、これまでに人生をやり切っていますから、いつ死んでもいいです」と言いました。
半分は本音でしたが、これがまるまる本音だと、Aさんと同様にがんが大きく進行しそう。
「まだまだやりたいこと」というと、探すのに苦労しますが、「毎月夫婦で1泊2日の湯治に出かけよう、どこへ行こうか」と、夫婦で、ああでもない、こうでもない、と話をするのが、今、楽しみとなっています。