わたしの好きな本「一日一生」内村鑑三 教文館を、何ページか読みました。
何回読んでもいいんですが、その日、そのときの、自分の気分とかによっても、
感動するページが違ったりしますね。
落ち込んでるとき、結構、読んだりします。
そしたら元気出たりします(o^^o)
抜粋『4月21日 実に欲しいものはこの信仰である。
キリストと彼の十字架のほかに信仰の理由を求めない信仰である。
その証明をこの世の事業の成功において求めない信仰である。
これを自己の聖成(きよめ)において求めない信仰である。
単純な信仰である。大胆な信仰である。
イエス・キリストと彼の十字架のほかに、社会事業もわが道徳もいらないという信仰である。
あたかもコロンブスが天の星に頼るほか、陸上に何物をも標的(めじるし)としてもつことなく、
大洋に乗り出した時のような信仰である。
そしてこの信仰があってこそ、私たちは大宇宙を逍遙し、人を恐れず罪を恐れず大声疾呼して、
新大陸でない新エルサレムへと私たちの船を乗り出すことができるのである。(研二)』
信仰の証しを自分の道徳的成長やこの世での成功に求めてはいけないですね。
ただイエスさまの十字架を信じることができる信仰が与えられますように。
アーメン
何回読んでもいいんですが、その日、そのときの、自分の気分とかによっても、
感動するページが違ったりしますね。
落ち込んでるとき、結構、読んだりします。
そしたら元気出たりします(o^^o)
抜粋『4月21日 実に欲しいものはこの信仰である。
キリストと彼の十字架のほかに信仰の理由を求めない信仰である。
その証明をこの世の事業の成功において求めない信仰である。
これを自己の聖成(きよめ)において求めない信仰である。
単純な信仰である。大胆な信仰である。
イエス・キリストと彼の十字架のほかに、社会事業もわが道徳もいらないという信仰である。
あたかもコロンブスが天の星に頼るほか、陸上に何物をも標的(めじるし)としてもつことなく、
大洋に乗り出した時のような信仰である。
そしてこの信仰があってこそ、私たちは大宇宙を逍遙し、人を恐れず罪を恐れず大声疾呼して、
新大陸でない新エルサレムへと私たちの船を乗り出すことができるのである。(研二)』
信仰の証しを自分の道徳的成長やこの世での成功に求めてはいけないですね。
ただイエスさまの十字架を信じることができる信仰が与えられますように。
アーメン