聖書通読日記 2

2001年ペンテコステに受洗、プロテスタントのキリスト者

「一日一生」を読んで

2005年03月22日 | 本の感想
わたしの好きな本「一日一生」内村鑑三 教文館を、何ページか読みました。
何回読んでもいいんですが、その日、そのときの、自分の気分とかによっても、
感動するページが違ったりしますね。
落ち込んでるとき、結構、読んだりします。
そしたら元気出たりします(o^^o)

抜粋『4月21日 実に欲しいものはこの信仰である。
キリストと彼の十字架のほかに信仰の理由を求めない信仰である。
その証明をこの世の事業の成功において求めない信仰である。
これを自己の聖成(きよめ)において求めない信仰である。
単純な信仰である。大胆な信仰である。
イエス・キリストと彼の十字架のほかに、社会事業もわが道徳もいらないという信仰である。
あたかもコロンブスが天の星に頼るほか、陸上に何物をも標的(めじるし)としてもつことなく、
大洋に乗り出した時のような信仰である。
そしてこの信仰があってこそ、私たちは大宇宙を逍遙し、人を恐れず罪を恐れず大声疾呼して、
新大陸でない新エルサレムへと私たちの船を乗り出すことができるのである。(研二)』


信仰の証しを自分の道徳的成長やこの世での成功に求めてはいけないですね。
ただイエスさまの十字架を信じることができる信仰が与えられますように。
アーメン

マタイ福音書 ピラトから尋問される

2005年03月22日 | 新約聖書日記
『27:11 さて、イエスは総督の前に立たれた。
総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。
27:12 祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。
27:13 するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。
27:14 それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。』

新約聖書略解をまとめて
『ピラトは過越の祭りの期間中、首都の治安を守るため、駐在地カイサリアから軍隊を引き連れてエルサレムに来ていた。
ちょうどそこへユダヤ教指導層の告発によって「ユダヤ人の王」という嫌疑をかけられた男が連れてこられたので、
彼は直ちに尋問に着手せざるを得ない。
この期間、宗教的情熱に燃えてローマ帝国の支配体制に反抗する民衆運動は少なくなく、
総督としてピラトはそれをいち早く鎮圧せねばならなかった。
ピラトの質問「ユダヤ人の王なのか」は、処刑の理由として十字架の罪状書きに書かれたことと共通するので、
彼はまずイエスを政治的反乱を企てる者として取り調べたわけである。
これに対するイエスの返答は、婉曲な否定を意味する。
イエスが自ら王だと肯定したのであれば、裁判の続行はあり得ず、直ちに判決となったであろう。』

恵み深い天のお父さま
イエスさまは、不利な証言をしている祭司長や長老たちの訴えにも、何も答えられませんでした。
イエスさまは、十字架への道を自ら選ばれ、歩まれます。
わたしたちの罪のすべてを担って、十字架で、わたしたちの罪の代わりになってくださいました。
イエスさまの愛と神の大きな赦しを思います。
受難週である今日、あらためて、イエスさまの愛の大きさを思います。
主イエス・キリストの御名によってお祈りします。
アーメン