徒然なるままに・・アメリカ、そして日本

二度のアメリカ生活。
ボストン・オハイオ州・フィラデルフィア郊外に住み、
2010年夏、日本に帰国しました。

振り返って、そして。

2007年01月09日 | 思った事
今年の目標や抱負など、あちらこちらで見かけるこの頃。あえて公表するまでも無いか・・・と思っていましたが、ここ数年を振り返ってみる事にしました。

1999年8月、アメリカから日本に帰国してからは、上二人の子供達の勉強の遅れを取り戻す事と、3歳で帰国した下の子の社会性を養う事に必死だった。 「帰国子女」それががどうした!?と思っていた私。
そろそろ働き始めようかと思った矢先に、渡米。
2004年、再びアメリカに来て、アメリカの小さな日本人社会に染まりたいような、染まりたくないような・・・ちょっと葛藤しつつ、「染まりたくても染まれない自分」を発見。

2005年は英会話や学校のボランティア、一日一日をこなすのに必死。月・水・金と英会話教室に通い、火曜日は現地校のボランティア、木曜日はBible Studyと多忙な日々。ついついホントに必要な事がおろそかになって行った。

2006年、年始めに「いつも笑顔で福を呼ぶ、粋な年にしたい」とブログに書いていた。ま、いつもげらげら笑っていたし、色んな意味でHappyにもなれたかな。
"物"と言う意味でのがラクダは捨てられない物も多いけれど、時間を整理して自分のやりたい事をやって来た様に思う。週三回の英会話をやめたり、末娘の朝勉強を始めたり、時間を上手に使う努力をした1年のような気がする。
時間を整理して出来た時間には、自分が本当にやりたい事、やるべき事が入ってきた。それが、これからの自分に役に立つような予感すらする。

ある程度周りの目も気にならなくなった。「自分は自分、それでいい」と思えるようになった。そもそも、自分が考えているほど、周りは自分の事は気にしていないのだ。
人に自分がどう思われているか気にすると言う事は、同時に人の事をいつも私自身も気にしていると言う事なのではないか。

あれこれ人を見て羨む前に、自分自身では何か努力したのかな? いつも、何かしたいけど出来なかったりした時に、「子供が居るから」「英語が出来ないから」と自分以外の「何か」のせいにはしていなかったか、と思い始めた。
今まで「子供が居るから」出来なかったわけではなく、"子供"を選んだのは「私自身」だった。「英語が出来なくて」何か出来なかったのではなく、私自身が英語が出来ない自分に自信がなくて踏ん切れなかっただけではないか?
「そうなりたい」と言う理想があるなら、単純に「そうすればいい」。それが出来ないのは、単に自分が「そうしない」ことを選んだだけなのだ。
だから、今年は「なりたい自分になる」年にしようかな。周りのせいにしないで、自分が選んだと思える自分に。
コメント (9)
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