一燈照隅

日本が好きな日本人です

「宣誓供述書」Ⅲ徳富蘇峰(東京裁判7)

2006年06月22日 | 東京裁判
六 日本の自存、自衛、及自尊

予は歴史家の立場から、且又半世紀以上に亙る新聞記者の立場から観察して、日本は侵略国でなく、日本国民は侵略国民でなく、寧ろ其の反対で、平和国であり、同時に世界列国の中で最も平和を愛好する国民である事を、断言する者である。且つ決して自ら優越感を以て世界国民に対するどころではなく、表面は兎も角も、内心は国は小、物資は貧、文化は低いと云ふ、寧ろ我れ自ら、我が他に対して大なる欠陥ある事を自覚し、其の自覚心から、或は模倣となり、追随(ついずい)となり、反抗となり、強ひて自ら特別の位地を作つて、僅かに其の劣等感を慰むるに至つたものである事を、断言するに憚(はばか)らない。

凡そ世界に、日本人ほど、自国中心的国民は無い。日本人は自国を開いて、凡有(あらゆ)る世界の物を吸収する事を、一の国民性としてゐるが、自ら世界に向つて推し出し行くと云ふやうな事は、其の本性ではない。日本の古き文献である祝詞、即ち神様の前に告げる祈祷の文句を読めば、何も彼も日本に引寄せると云ふ事を宣言してゐるが、日本より推し出すと云ふ事は一も語つてゐない。世界が日本に向つて、日本は世界より受けるものが甚だ多くて、世界に与ふるものは甚だ少ないと言つてゐるが、其実は、それが国民性と言つてもよからう。之は恐らくは当初から、日本人は受くる事の資格は十二分に持つてゐるが、与ふる事の資格は、持つてゐなかつたと云ふ事を、証拠立つる一端であらう。それで日本人には、内に引寄せる力は十であつて、外に延長する力は零であると迄は言へぬが、殆どそれにちかかつた。彼等は故郷に恋着して、偶々(たまたま)異郷に赴(おもむ)くも、常に故郷の空を眺めてゐた事は、唐時代に日本の留学生として支那に赴き、支那では成功して大官となつたる阿倍仲麿さへも、尚ほ「三笠の山に出でし月かも」と云うて、奈良に於ける日本の光景を思慕してゐた。斯かる求心力多くして遠心力乏しき国民が、世界を征服するとか、隣国を侵略するとかと云う考のあるべき筈はない。然に其の国民が、維新以後諸方に出かけたのは何であるか。生活難である。衣食の欠乏が、彼等を駆りて、其の国民性に反して迄も外に向はしめたものである。

維新以後の、日本政府と云はず、国民と云はず、寧ろ日本国の運動は、第一は自存の為めである。即ち日本国民が、生活する為めに、衣食を求むる為めに、外に向つて動き出した事。第二は自衛の為めである。日本国が、完全の独立国となる事を努むるばかりでなく、完全の独立国として、永久に其の位地を保つべく、国家の完全なる独立を、外来の勢力より防禦する為めに運動したるものにして、明治より現代に至りたる日本国民が、余儀なく戦争に従事したるのも、畢寛(ひっきょう)多くは皆な如上(じょじょう)の理由に基づくものである。即ち自存自衛の為めである。

第三に数ふべきは、自尊心である。即ち一面に於ては、完全なる独立国として、世界列強並に待遇せられざる不平、不満の爆発したる抗議である。又た世界列強が為す所を見て、舜(しゅん)も人なり我れも人なりと云ふやうな気分になり、英米露独其他の列国が為す所を、日本一人指を啣(くわ)へて、之を見物してゐるは、余りにも不見識であり、余りにも腑甲斐(ふがい)なくあると云ふ事を考へ、所謂る国民的アスピレーシヨンとして、それが原動力となつて働き出した事も、亦た此中に加へねばならぬ。之は要するに、日本人の最も多量に持つてゐる模倣性の発露したるものであつて、我等は決して此事を包み隠す事が出来ぬ。例へば、一滴の酒を飲まぬ者でも、其の傍に杯盤狼籍(はいばんろうぜき)、絃歌(げんか)四方に湧き、素人も玄人も踊り出すが如き場合には、仮令(たとい)禁酒会の幹事でも、教会の牧師でも、其心は浮かれて踊り出す事は当然である。況(いわ)んや普通の人間に於てをやだ。若し日本の運動が、万一其中に帝国主義的の不純の分子がありとすれば、日本人民にそれをコーチした者は、誰れであるか。それは世界列強が皆なそれである、と断言するを揮らない。十九世紀の下半より、二十世紀の上半に於ける日本の歴史は、決して日本だけの歴史でなく、世界共通の歴史であつて、唯だ日本人が、其の役目を果す事に於て列国人ほど巧みでなかつたと云ふ事は、或は言ひ得るかも知れぬが、日本人はあとから後から、皆な先進国の真似をして来たものであつて、日本で言ふ「鴉(からす)の鵜(う)の真似」と云ふやうな事は、言ひ得るかも知れぬが、其の手本は、鴉が発明したのではなくして、鵜が発明したものである。列国は皆な水中に潜ぐつて大小の魚を獲たが、日本だけはそれを真似して、魚を得ないばかりでなく、己れ自ら水に溺れたのである。日本人の愚は及ぶべからずであるが、此の如き模範を示した先進諸国は、日本人の伎倆(ぎりょう)の拙(つた)なきを嘲(あざけ)り、若くは笑ふ事は勝手であるが、之を責め、之を咎(とが)め、之を以て日本を罪せんとするが如きは、神の眼から見れば、決して公平の措置ではあるまい。

今日に於て日本人を咎むれば、支那を見誤り、米英諸国を見誤り、ソ聯を見誤り、独逸伊太利亜を見誤り、殊に最も多く日本を見誤り、孫子の所謂る彼を知らず己を知らずして今日の状態に立ち到つた一事であつて、日本人としては自業自得、誰れを咎むべくもなく、若し咎むべき者があれば、我れ自らである。日本人の中には、之を軍閥とか、唯だ其の責任を、一局部に推�(すいい)して、涼しき顔をしてゐる者もあるが、総ての行動は、予の見る所に依れぼ、日本国民全部が負ふべきものである。其の中に濃淡軽重の差別はあるが、今更ら今日となつて、知らぬ存ぜぬなどと言つて、己れ一人いい子とならんとするが如きは、全く日本精神の何物たるを、忘却したるものと云はねばならぬ。

予は今日に於ても、日本国民の一として、昭和十六年十二月八日、宣戦の大詔を、其の文字通りに信奉したる者である事を、確言するに憚(はば)からぬ。固(もと)より至尊が、昭和二十年八月十五日、親しく御放送あらせられたる後は、最早や此の詔勅に就て、彼是(かれこれ)申すべき筋合でないが、詔勅中にのべさせられたる、此の戦争は、日本人に取ては、好ましくないが、強ひて相手方より押し付けられたる戦争、即ち受け身の戦争である。日本は所謂るA・B・C・Dの包囲に陥り、立つに立たれず、座るに座られず、此上は死中活路を見出し、暗中の飛躍をなすの外はなしと決心するに至りたる其の意味合は、予は今日に於ても、尚ほ其の通りに確信してゐる者である。今日では、此の問題を論ずるには、余りに時間が接近し、且つ予の如きは、日本の一新聞記者として、其の立場が極めて不利なるが為めに、或は予の言説は、予が自ら信ずる如くに他の信用を得る事が出来ぬかも知れぬが、百年の後公平なる歴史家が出で来ったならば、必ず予の言を諒(りょう)とするであらうと信ずる。

最後に、新聞記者として予自身に就て述べたい。予は大正の初期から、日本の二大脅威は、ソ聯と米国である事を確信し、此点に就て、我が国民に屡々(しばしば)警告した。殊に予は、予の幼年以来アングロ・サクソンの文化に負ふ所多大であつて、予の新聞記者たる初歩も、今尚ほ其の名だけは継続して、ニユーヨークで出版しつゝある雑誌“The Nation”に依て啓発せられ、其の為めに予の発刊したる新聞も、「ネーシヨン」と同一の名目である「国民新聞」と名付けたる程である。米国と戦争などと云ふ事は、夢にも希望してゐなかつた。然し米国の我れに対する態度が、太平洋岸に於ける移民問題、学童問題などを始め、ワシントン会議に於て、我れに一大打撃を加へたる以来は、国民的自衛の上からも、国民的自尊の上からも甚だ危険を感じて、其の為めに日本人に警告するばかりでなく米国人にも警告し、現に其の一小部分とも云ふべき一は、英文に翻訳せられ、ニユーヨークに於て出版せられてゐる。
(“Japanese-American Relations ”By the Hon.Iichiro Tokutomi. Pub.
The Macmillan Co. N. Y. 1922)予の言論の中には、頗(すこぶ)る露骨率直のものがあつたが、之は予が米国のCandid friend たる所以にして、衷心(ちゅうしん)より、米人が日本に対する態度を改善せん事を希望したるに外ならない。其他日米の関係を改善する為めに著述したる文章は、新聞雑誌は勿論、箸作の上にも頗(すこぶ)る多く散見してゐる。然し時局が愈々(いよいよ)進むに連れて、日本は米国の為めに、自衛自尊を危ふくするばかりでなく、日本の生活の上に迄危殆(きたい)を及ぼし、所謂る自存の点をも危ふからしめんとするが如き、通商条約廃止、資金凍結、日本に必須なる貿易品の輸入禁止などが行はれ、所謂る日本に於ける維新以来の三大条件が、米国及び其の与国の為めに、悉(ことごと)く侵害せらるゝを見て、此上は是非なしと考へしむるに至つたものであつて、予の多くの苦辛も、著作も、之が無効に帰したるばかりでなく、日本をして今日の状態に至らしめたる事を、衷心より深く痛嘆する所である。而して予の横井小楠の遺志を継げる眇(びょう)たる門弟の一人として、事志と違ふたるを痛嘆し、新聞記者として、一生の労苦も、殆ど水泡に帰したるを見、自らの微力なるを、今更の如く慙悔(ざんげ)する者である。


この文章には強調したい部分が何カ所が有りましたが、あえてしませんでした。
徳富蘇峰はこの時病身でありながら、勝者が敗者を裁く、しかもこれまでの日本を否定するような事に、またその事に同調する日本国民に怒りを感じてこの宣誓供述書を書いたのでしょう。

「宣誓供述書」Ⅰ徳富蘇峰 

「宣誓供述書」Ⅱ徳富蘇峰



最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本人の矜持 (鯉国)
2006-06-23 22:31:23
徳富蘇峰の宣誓供述書、全て読みました。

最初に自分の親戚でもある横井小楠を持ち上げるくだりはご愛嬌として、聖徳太子から始まる日本の解析は、下関戦争の講和に赴いた高杉晋作を彷彿とさせますね。

しかし、この供述書のエッセンスとしては、確かに日本のやり方に稚拙な面はあったが、帝国主義の時代に欧米列強のやったことと何が違うのか、という真実をぶつけたことでしょう。

ただ戦争に負けたという一事を持って、欧米列強のやったことは無実で日本のやったことは有罪だという傲慢なダブルスタンダードを振りかざした東京裁判の欺瞞を見事についています。

病床の身を押して、やむにやまれぬ気持ちで供述書を提出する蘇峰の姿は、誇りまでは捨てていないという日本人の矜持を示したものといえますね。

今、垂れ流され続けられている特亜の戯言に対して、蘇峰ならなんと答えるのか聞いてみたいです。
Unknown (まさ)
2006-06-24 17:28:02
鯉国さん、

欧米列強の「自分達がルールだ」との考えと、敗戦によって180度転換してしまった日本人に怒りを覚えたのだと思います。

支那・韓国の言うことを聞けば、怒り心頭に発するでしょう。

コメントを投稿