安岡正篤先生生誕百十年、 関西師友協会創立五十周年記念大会の記事に書きました神渡良平さんが紹介されていました、ニューヨーク州立大学病院リハビリセンターの壁に書き残された詩を書きます。
大きな事を成し遂げるために力を与えてほしいと神に求めたのに
謙虚を学ぶようにと弱さを授かった
より偉大なことができるようにと健康を求めたのに
より良きことができるようにと病弱をあたえられた
幸せになろうとして富を求めたのに
賢明であるようにと貧困を授かった
世の人の称賛を得ようとして成功を求めたのに
得意にならないようにと失敗を授かった
求めた物は一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた
神の意に添わぬ物であるにかかわらず
心の中で言い表せないものは全て叶えられた
私はあらゆる人の中で
最も豊かに祝福されていたのだ
高いのですが、私には何故かインシュアラー(回教で
いう「神の思し召すままに」の意)に見えてなりませんでした。
また、表現こそ全く違いますが、私の道標
「面白き 事もなき世を面白く」(高杉晋作)
に近しいものも感じました。
神に全てを委ねるという考え方は大嫌いですが、
良い事は「神のおかげ」、悪い事は「神が与えた試練」と
謙虚に物事を受け止めるための効果があるのではないかと
最近になって思えるようになりました。
失意の時にどのように捉えることが出来るか、それと順風満帆の時に驕りはないか、それによって失意もチャンスにかえることが出来る前向きな詩だと思います。
松下幸之助も「私は病弱だったから、人に任せることが出来た」「学歴がなかったから(小学校卒)人に教えを請うことが出来た」と同じようなことを言われています。