第二部ではルックスが変わったディランの、結構いっちゃってる様子で言葉遊び?しているみたいなシーンで始まります。ヘアースタイルはもじゃもじゃ伸び伸びの鳥の巣状態。ぽっちゃりベビー・フェイスも何処へやら、顔も身体もすっかり細くなってしまっていて、神経質そうで、いわゆるボブ・ディランのイメージ。
明らかに「何か」が変わってしまっている。
65年のニュー・ポート・フォーク・フェスティバル。
前にも書いた様に、ここで演奏される問題のエレクトリック・ブルーズ・ロック大爆発の “Maggie's Farm“ は事前に見ていたのだけれど、この映画で見るとやはりグングン身に迫ってきます。大音量で聴く、見る、マイク・ブルームフィールドのギターが死ぬ程カッコイイ!!ディランがギターは彼しかいないと思った、という発言をしていてグッときました。マイク・ブルームフィールド、ちゃんと聴かなきゃ!
反対に、ブーイングの嵐の中「ボブ、出て来てくれよぉ」と額に汗しながら弱りきって懇願するピーター・ヤーロウはかわいそうだけど、でも、めちゃめちゃカッコワルかったな!
それから映画は、今や音楽界の新たなアイコンとなったディランが受けていくこととなる、バカな記者会見の様子をコレでもかと言う位、映し出す。
マトモな神経の持ち主なら、何らかの答えを期待されている、あるいは用意されている、誘導尋問の様な質問には、はぐらかして答えるしかないんだなと、見ててつくづく思った。あんなのインチキ極まりないじゃん!少なくともディランは誠実であろうとしていたと思う。
以下詳細はうる覚えなので、記憶間違いがあるかもしれないけど、こんなシーンがありました。
インタビューしに来ているいかにも鈍感そうな男がこう訪ねる。
「あなたの音楽はフォーク・ロックですか」
「どう答えて欲しいの?君はどう思うの?」とディラン。
まごつく記者は結局ディランの音楽を聴いたことがないと白状する。
「え、じゃあ何しに来たの?」とごもっともなディランの問いかけの後、ビックリすることが起きるんだけど、なんとその男は「コレが私の仕事ですから」と何ら恥ずかしげも無く言い放つ。いくら住む世界が違うからといってもインタビューする対象の仕事も事前に確認することすらせずに、これが自分の仕事だと言い切る男。
ある男は『Highway 61 Revisited』のジャケットで着ていたTーシャツのトライアンフのバイクの意味を執拗に問いただす。彼はディランが自分の思い通りの答えを答えてくれるまでディランを離さない。
ある記者は辟易しているディランに「レッテルを貼られることが嫌いですね」と質問を投げかける。けれどもうその質問に答えることは不可能にすら思えてくる。世の中の誰であっても。
同じ様な光景はジョン・レノンとオノ・ヨーコのベッド・インの時のフィルムで見た気がする。けれどジョンは一人じゃなかった。隣にヨーコがいたから。ビートルズ時代にはモチロン、仲間がそばにいたわけで。
ディランは一人だし、相当キツかったと思う。いくら頭の回転が早くたって、あんなの全部ユーモアで返すのにも限界があるし、いくらキメていたところで、ホント、ウンザリだったろう。
インタビューでは「気難しい」とか「人をバカにした態度」とかよく言われていたみたいだけど、ただの誤解じゃん。
この記者会見のシーンは、ディランのみならず、あらゆる時代のアーティストを結果的に擁護することになる重要なシーンだと思う。アーティストたちが一般大衆の、凡庸で下世話でたちの悪い部分を集約したかの様な「業界」の攻撃にさらされて、疲れてダメになってしまう、または間違って伝えられてしまう危険性。
そしてライブをすれば、会場はブーイングの嵐で、エレクトリック・セットになると出て行く観客たち。
世間はボブ・ディランに一体何を求めていたのだろう?
知りたいし、もっと考えていきたいと思うのは、当時の観客たちが何故あれほどにまでディランのエレキ化に怒り心頭したのかということ。あのニューポートの観客はともかく、あのイギリスの観客たち全員が音楽的にフォーク信望者だったとはとても思えない。途中で出て来て文句を言っていた観客は若者が多かったと思う。きっとディランを拒絶するのが「カッコイイ」とされていたところがあるかもしれない。彼らは一様に「ディランは商業主義に走った。だからサイアク」と言っていた。
それほどまでに、プロテスト・ソングが有効な時代だったんだろうし、ディランはそんな新しい時代を夢見る若者たちの希望の星だったんだろうし、ジョーン・バエズが政治的な運動に参加しようとしないディランに「ガッカリした」と今でも証言する様に、ホントはきっともっと時代のリーダーになり得たのだろう。例えば暗殺の標的にされてしまうような、政治的かつ狂信的なシンパを持つリーダーに。
でもディランは、時代のリーダーになることを選ばなかった。一時代で消えてしまう様な、誰か大勢の期待に沿うような、そんな人物になるのはまっぴらゴメンだったのかもしれない。たんに興味がなかったのかもしれない。
当時の彼の苦悩はどういうものだっただろう。そして彼の音楽にこれらのストレスが与えた影響は。そういった興味も尽きない。
なーやんじゃうよナァ~
で、バイク事故。
これが真実であるかなんてどうでもよくて、人前から姿を消し、休むことによって、ディランはホントに命拾いしたんだなぁ。
そしていよいよクライマックス。映画の始まった瞬間から何度も挿入されていた、伝説の66年のライブに戻る。そのライブ映像の数々は、もう最初っから身震いする程カッコ良かった。鬼気迫る、でもないし、なんて言うんだろう。そこにいるべき人が、そこで歌われるべき歌を、奏でられるべき演奏で、一分の狂いもなく歌う、そこにあるべき姿。そんなカンジだったのだろうか。ただただ圧倒されて壮快だった。
有名な「ユダ!」のやりとりの後、これまた有名な “Play It Fuckin' Loud !!“ の掛け声と共に始まる「Like A Rolling Stone」のピアノの調べ。
なんなんだろう、この気持ち。なんなんだろう、この止まらない涙のわけ。
それに名前もつけたくないし、正体も知りたくない。
with The Hawks!!
映画を通して伝わってきたのは、自分の身を切りながら、血を流しながらでも、自分自身であろうとした一人の若者の強い気持ち。負けん気。プライド。夢を見ること、実現に向けて歩き続けること、気がついたら戻るところはもうなくて。
創造することの喜び、カッコ良さ、大変さ。
“なにものか“ になりたい、一度でもそう思ったことのある人なら、見ておくべき映画だと思う。
ボブ・ディランを崇めることなく、一人の人間として、もっともっと好きになることが出来た。
ふー。3時間半という長時間も何のその、グングン引き込まれて行っちゃいました。
DVD出たら、家宝にしようと思います。
何回も何回も、何回でも見たい。きっといつ見ても見終わった後は心に熱いものが残るんだと思います。
映画を観終わった後、足はごくごく自然にタワレコへ。。
自伝の訳書版とブートレッグ・シリーズのvol.4とvol.7(この映画のサントラ)を手に入れました♪♪♪
「音楽の求道者には必要だったんだ」
今、猛烈に聴きまくっています。
(おわり!)
明らかに「何か」が変わってしまっている。
65年のニュー・ポート・フォーク・フェスティバル。
前にも書いた様に、ここで演奏される問題のエレクトリック・ブルーズ・ロック大爆発の “Maggie's Farm“ は事前に見ていたのだけれど、この映画で見るとやはりグングン身に迫ってきます。大音量で聴く、見る、マイク・ブルームフィールドのギターが死ぬ程カッコイイ!!ディランがギターは彼しかいないと思った、という発言をしていてグッときました。マイク・ブルームフィールド、ちゃんと聴かなきゃ!
反対に、ブーイングの嵐の中「ボブ、出て来てくれよぉ」と額に汗しながら弱りきって懇願するピーター・ヤーロウはかわいそうだけど、でも、めちゃめちゃカッコワルかったな!
それから映画は、今や音楽界の新たなアイコンとなったディランが受けていくこととなる、バカな記者会見の様子をコレでもかと言う位、映し出す。
マトモな神経の持ち主なら、何らかの答えを期待されている、あるいは用意されている、誘導尋問の様な質問には、はぐらかして答えるしかないんだなと、見ててつくづく思った。あんなのインチキ極まりないじゃん!少なくともディランは誠実であろうとしていたと思う。
以下詳細はうる覚えなので、記憶間違いがあるかもしれないけど、こんなシーンがありました。
インタビューしに来ているいかにも鈍感そうな男がこう訪ねる。
「あなたの音楽はフォーク・ロックですか」
「どう答えて欲しいの?君はどう思うの?」とディラン。
まごつく記者は結局ディランの音楽を聴いたことがないと白状する。
「え、じゃあ何しに来たの?」とごもっともなディランの問いかけの後、ビックリすることが起きるんだけど、なんとその男は「コレが私の仕事ですから」と何ら恥ずかしげも無く言い放つ。いくら住む世界が違うからといってもインタビューする対象の仕事も事前に確認することすらせずに、これが自分の仕事だと言い切る男。
ある男は『Highway 61 Revisited』のジャケットで着ていたTーシャツのトライアンフのバイクの意味を執拗に問いただす。彼はディランが自分の思い通りの答えを答えてくれるまでディランを離さない。
ある記者は辟易しているディランに「レッテルを貼られることが嫌いですね」と質問を投げかける。けれどもうその質問に答えることは不可能にすら思えてくる。世の中の誰であっても。
同じ様な光景はジョン・レノンとオノ・ヨーコのベッド・インの時のフィルムで見た気がする。けれどジョンは一人じゃなかった。隣にヨーコがいたから。ビートルズ時代にはモチロン、仲間がそばにいたわけで。
ディランは一人だし、相当キツかったと思う。いくら頭の回転が早くたって、あんなの全部ユーモアで返すのにも限界があるし、いくらキメていたところで、ホント、ウンザリだったろう。
インタビューでは「気難しい」とか「人をバカにした態度」とかよく言われていたみたいだけど、ただの誤解じゃん。
この記者会見のシーンは、ディランのみならず、あらゆる時代のアーティストを結果的に擁護することになる重要なシーンだと思う。アーティストたちが一般大衆の、凡庸で下世話でたちの悪い部分を集約したかの様な「業界」の攻撃にさらされて、疲れてダメになってしまう、または間違って伝えられてしまう危険性。
そしてライブをすれば、会場はブーイングの嵐で、エレクトリック・セットになると出て行く観客たち。
世間はボブ・ディランに一体何を求めていたのだろう?
知りたいし、もっと考えていきたいと思うのは、当時の観客たちが何故あれほどにまでディランのエレキ化に怒り心頭したのかということ。あのニューポートの観客はともかく、あのイギリスの観客たち全員が音楽的にフォーク信望者だったとはとても思えない。途中で出て来て文句を言っていた観客は若者が多かったと思う。きっとディランを拒絶するのが「カッコイイ」とされていたところがあるかもしれない。彼らは一様に「ディランは商業主義に走った。だからサイアク」と言っていた。
それほどまでに、プロテスト・ソングが有効な時代だったんだろうし、ディランはそんな新しい時代を夢見る若者たちの希望の星だったんだろうし、ジョーン・バエズが政治的な運動に参加しようとしないディランに「ガッカリした」と今でも証言する様に、ホントはきっともっと時代のリーダーになり得たのだろう。例えば暗殺の標的にされてしまうような、政治的かつ狂信的なシンパを持つリーダーに。
でもディランは、時代のリーダーになることを選ばなかった。一時代で消えてしまう様な、誰か大勢の期待に沿うような、そんな人物になるのはまっぴらゴメンだったのかもしれない。たんに興味がなかったのかもしれない。
当時の彼の苦悩はどういうものだっただろう。そして彼の音楽にこれらのストレスが与えた影響は。そういった興味も尽きない。
なーやんじゃうよナァ~
で、バイク事故。
これが真実であるかなんてどうでもよくて、人前から姿を消し、休むことによって、ディランはホントに命拾いしたんだなぁ。
そしていよいよクライマックス。映画の始まった瞬間から何度も挿入されていた、伝説の66年のライブに戻る。そのライブ映像の数々は、もう最初っから身震いする程カッコ良かった。鬼気迫る、でもないし、なんて言うんだろう。そこにいるべき人が、そこで歌われるべき歌を、奏でられるべき演奏で、一分の狂いもなく歌う、そこにあるべき姿。そんなカンジだったのだろうか。ただただ圧倒されて壮快だった。
有名な「ユダ!」のやりとりの後、これまた有名な “Play It Fuckin' Loud !!“ の掛け声と共に始まる「Like A Rolling Stone」のピアノの調べ。
なんなんだろう、この気持ち。なんなんだろう、この止まらない涙のわけ。
それに名前もつけたくないし、正体も知りたくない。
with The Hawks!!
映画を通して伝わってきたのは、自分の身を切りながら、血を流しながらでも、自分自身であろうとした一人の若者の強い気持ち。負けん気。プライド。夢を見ること、実現に向けて歩き続けること、気がついたら戻るところはもうなくて。
創造することの喜び、カッコ良さ、大変さ。
“なにものか“ になりたい、一度でもそう思ったことのある人なら、見ておくべき映画だと思う。
ボブ・ディランを崇めることなく、一人の人間として、もっともっと好きになることが出来た。
ふー。3時間半という長時間も何のその、グングン引き込まれて行っちゃいました。
DVD出たら、家宝にしようと思います。
何回も何回も、何回でも見たい。きっといつ見ても見終わった後は心に熱いものが残るんだと思います。
映画を観終わった後、足はごくごく自然にタワレコへ。。
自伝の訳書版とブートレッグ・シリーズのvol.4とvol.7(この映画のサントラ)を手に入れました♪♪♪
「音楽の求道者には必要だったんだ」
今、猛烈に聴きまくっています。
(おわり!)