去年から お正月は地元にいるので、地元の初詣が新鮮。
この地方ではどこでも車で移動が当たり前なのですが、天邪鬼な我々は 歩いて初詣に行きます。
去年は 家から歩いていって帰れる神社をはしご。
そして、ただ歩くだけではないです。
江戸時代からある道を選んで歩くのです。
まだ残っている道もあれば、もう消えてしまった道もあったり、昔の道はお地蔵さんあり、神社あり、寺あり。とにかく楽しい。消えてしまった道にはしょんぼりしたり、多分江戸時代と変わらない風景に出会えばテンションあがり、気分は江戸時代にタイムスリップです。
東海道とか、中山道とか有名な街道でなくても、名もない街道も。
今年はちょっと遠い猿投神社へ行きました。
家からは片道10キロくらい。なにせ体調不良でほとんど歩いていないので、10キロは無理かも。
そこで、近くの飯田街道という昔の街道までは、娘に車で送ってもらい、そこから8キロほどのウオーキング。
途中にある神社には鳥居のところで参拝。
家からたった2キロくらいのところに こんな歴史を感じさせる道があったとは。このあたりは 縄文時代から人が住んでいたので、小さな集落があり、それを結ぶ道がある。一体どのくらい前から この道を人が歩いたのだろう。
丘を二つほど越えて、川のある平野へ
猿投山見えてきました。
しかし、まだ遠いなぁ。川沿いの昔の道を山へ向かって歩いていきます。
全然トレーニングしてないから 足がやばい。
脚の付け根が痛くなってきて、若干不安。
しかし、なんとか到着!
こんな山奥の神社なのに結構な賑わいです。かと言って動けないほどでもなく、屋台は沢山出ていて、本当に平和な日本のお正月の風景。
猿投神社は古社です。
創建は不明。たぶん、猿投山を御神体とする山の神だったと思う。 そして 近世なって日本武尊の双子の兄の大碓命を祀ることになった理由は日本書紀に大碓命が猿投山で毒蛇にかまれて死んだという記述があるかららしい。
独特なのは 双子の兄なので、左利きで左鎌を絵馬として奉納する。
こちらの茶屋は30年前に参拝したときにおでんを食べた記憶が、いい雰囲気の茶屋だけど、もう営業してないようですね。時代の流れです。
本当ならば、また歩いて帰るところですが、バスで家の近くまで移動して、また車で迎えにきてもらうことに。
ところが、公共のコミュニティバスがなんと神社の大渋滞にはまり、100分遅れ! で その100分遅れが私たちが乗ろうと思っていた時刻。
100分に1本のバス!田舎おそるべし。まだ公共交通機関があるだけマシか。
1時間半ほど歩いたところをわずか10分で移動。
現代の高速籠。
でも、歩かないと発見できないものがある。
丘を越えてからの山の景色。澄んだ川の流れ。こんなところに集落があったんだとか。昔ながらのりっぱな家も。
そして、猿投山の名前の由来は諸説あるらしいけど、 私の推測では その山のかたちがサナギに似ているからだと思う。 不思議なことに どの方角から見ても、サナギの形見える。
この地方ではどこでも車で移動が当たり前なのですが、天邪鬼な我々は 歩いて初詣に行きます。
去年は 家から歩いていって帰れる神社をはしご。
そして、ただ歩くだけではないです。
江戸時代からある道を選んで歩くのです。
まだ残っている道もあれば、もう消えてしまった道もあったり、昔の道はお地蔵さんあり、神社あり、寺あり。とにかく楽しい。消えてしまった道にはしょんぼりしたり、多分江戸時代と変わらない風景に出会えばテンションあがり、気分は江戸時代にタイムスリップです。
東海道とか、中山道とか有名な街道でなくても、名もない街道も。
今年はちょっと遠い猿投神社へ行きました。
家からは片道10キロくらい。なにせ体調不良でほとんど歩いていないので、10キロは無理かも。
そこで、近くの飯田街道という昔の街道までは、娘に車で送ってもらい、そこから8キロほどのウオーキング。
途中にある神社には鳥居のところで参拝。
家からたった2キロくらいのところに こんな歴史を感じさせる道があったとは。このあたりは 縄文時代から人が住んでいたので、小さな集落があり、それを結ぶ道がある。一体どのくらい前から この道を人が歩いたのだろう。
丘を二つほど越えて、川のある平野へ
猿投山見えてきました。
しかし、まだ遠いなぁ。川沿いの昔の道を山へ向かって歩いていきます。
全然トレーニングしてないから 足がやばい。
脚の付け根が痛くなってきて、若干不安。
しかし、なんとか到着!
こんな山奥の神社なのに結構な賑わいです。かと言って動けないほどでもなく、屋台は沢山出ていて、本当に平和な日本のお正月の風景。
猿投神社は古社です。
創建は不明。たぶん、猿投山を御神体とする山の神だったと思う。 そして 近世なって日本武尊の双子の兄の大碓命を祀ることになった理由は日本書紀に大碓命が猿投山で毒蛇にかまれて死んだという記述があるかららしい。
独特なのは 双子の兄なので、左利きで左鎌を絵馬として奉納する。
こちらの茶屋は30年前に参拝したときにおでんを食べた記憶が、いい雰囲気の茶屋だけど、もう営業してないようですね。時代の流れです。
本当ならば、また歩いて帰るところですが、バスで家の近くまで移動して、また車で迎えにきてもらうことに。
ところが、公共のコミュニティバスがなんと神社の大渋滞にはまり、100分遅れ! で その100分遅れが私たちが乗ろうと思っていた時刻。
100分に1本のバス!田舎おそるべし。まだ公共交通機関があるだけマシか。
1時間半ほど歩いたところをわずか10分で移動。
現代の高速籠。
でも、歩かないと発見できないものがある。
丘を越えてからの山の景色。澄んだ川の流れ。こんなところに集落があったんだとか。昔ながらのりっぱな家も。
そして、猿投山の名前の由来は諸説あるらしいけど、 私の推測では その山のかたちがサナギに似ているからだと思う。 不思議なことに どの方角から見ても、サナギの形見える。