井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

トン・ラ峠

2006-08-31 20:18:30 | カイラス巡礼・旅行記
 休憩地点からさらに高度を上げていく。
石ばかりの荒涼とした荒れ地の中をモウモウと土煙を
上げながら走っていく。
車内にはどこからともなくこの土煙が進入してくる。
運転手のウェイさん以外は全員が前日渡されている
マスクをつけて乗っている。

 しばらく走ると前方に無数のタルチョンが束ねられて
道路の上をトンネルの入り口のように覆っている。
ここがトン・ラ峠だ。標高5,120Mほどある。
ここで車が停車する。

後を振り返ると白銀がまぶしい山が見える。
皆一斉に車を降りてこの景観を楽しむ。
ウェイさんの話だと、右手に見える一番高い山がシシャ・パマ
(標高8,012M)だという。
シシャ・パマはゆったりとした山容を見せて青空の中に
真っ白に輝いている。
私が8千メートル級の山を目にしたのは初めてだ。



風にはためくタルチョンとシシャ・パマです。
昔のタルチョンは絹製だったと聞いています。
そのため古いものは自然に風に吹かれて飛んでいったようです。
今のタルチョンは化繊で出来ているので風に強く腐りもしないので
古いタルチョンが汚れてゴミのようになって溜まっています。

左手の方にある山の名前を聞くと「ハマラヤ・モンテ」と教えてくれる。

どのピークがハマラヤ・モンテなのか、私の語学力では
確認できませんでした。
写真の中のどれかのピークであることは間違いがないのですが・・・


☆☆ 検問所 ☆☆

 トン・ラ峠からは本格的なダート走行に移る。
草木のほとんどない荒涼とした平原を土煙を上げながら
緩やかな丘陵を登ったり下ったりを繰り返しながら走る。
地図を持っていない私には幾ら走っても風景が変わらないので
どこを走っているか分からない。

 そんなとき前の方に瓦屋根を持った白くて大きな建物が見えてきた。
先行するランクルが止まっている。
どうやら検問所のようだ。道理で立派な建物だと思った。
中国政府関係の建物はチベットの人達の物より数段立派に建てられている。
この検問所も周りに何もないところにポツンと建てられている。


でも、北の方を見ると集落があるようだ。
真っ白い建物が岩山の土色の中に輝いている。
ウェイさんに聞くと「ポルン」だと教えてくれる。


こんな場所に検問所があるのは何のためか分からないが、
チベットの交通が要所要所で中国政府の管理下にあることがよく分かる。
そういえば、ニャラムの町はずれにも検問所があった。


ニャラムを出発

2006-08-30 22:37:10 | カイラス巡礼・旅行記
6月8日
今日は朝食も取らずにサガへ向かって出発します。
チャー(ミルクティー)を1杯飲んだだけです。
昨夜の軽い頭痛も治っています。
ダイアモックスが効いているのでしょうか。


ニャラムの朝です。肩がオレンジ色のジャケットを着ている人
はエコトレックのツァー参加者です。

出発準備をしているとこの坂道を上の方から牛の一団が降りてきます。
ガラン!ガラン!と鈴を鳴らしながら放牧地へ向かうのでしょうか。
のんびりと追われながら歩いていきました。

しばらくすると、かけ声を掛けながら2列になって走ってくる一団があります。
解放軍の兵士でしょうか?
顔を見るとまだ20代と思われる若い兵隊さんばかりです。
毎日走っているのでしょうか。
私達に目もくれずに走り抜けていきます。

さて、さて、なかなか出発しないと思っていたら
私達のランクルの調子が悪いようです。
トランスミッションの調子が悪いので代わりの車に乗り換えると行っています。
その車がザングムからこちらへ向かって走っているといってますが
なかなかその車が来ません。
1時間は待ったでしょうか。
他のグループは全部出発してしまいました。
私達のグループだけが残っています。

どうするのかと思って待っていると、
結局、ウェイさんの車で行くことになりました。
車は大丈夫なのでしょうか?


途中で休憩したときの写真です。
やっとチベットらしい風景となってきました。

2時間ほど走ったところで休憩です。
後を振り返ると白銀に輝く山並みが見えています。


右手を見ると桃源郷のような光景が目の前にあります。
荒涼たる岩山に囲まれた沢に広がる緑の段畑です。
「水がある所に緑あり」
水がなければ人も動物も植物も生きていけません。
そのことをこの風景が示しています。
日本のように水が溢れている国では感じることの出来ないことです。

遠くの山に光る万年雪、赤茶けた岩肌、その中の緑の段々畑、
朝食の用意をしている竈から上がる煙、幸せな光景です。
そう思うのは、見知らぬ国から来た外国人の感傷なのでしょうか?


砂煙を防ぐためにマスクを付けて車に乗り込みます。
本格的なキャラバンは始まったばかりです。


ダイアモックス

2006-08-30 18:58:06 | カイラス巡礼・もろもろの準備
 高山病の予防・治療薬としてダイアモックスという薬が
使われています。
この薬は、エコトレックでも用意していました。

 私は、日本山岳会のHPからこの情報を知りました。
この情報によれば、ダイアモックスは腎臓から重炭酸塩の排泄を
促し、体液を酸性にするので、過換気(低酸素環境において
より多くの酸素を取り込もうとする努力)の結果たる
呼吸性アルカローシス(体液のアルカリ化)を是正し、
呼吸を促進させる作用があり、それによって、
高所に普通に見られる睡眠中の簡潔呼吸を緩和する
作用があるというものです。

さらに、脳髄液を酸性側に保ち脳浮腫を軽減する働きも
あるようです。

 使用法は、予防的措置では125mgを就寝1時間前に服用し、
高山病の症状出現高度以下に降りるまで服用を続けるものと
されています。

また、治療的措置としては250mgを1日2回、12時間ごとに服用を
続け、症状が緩和すれば中止しても良いとされています。

このリポートを基に、125mgを14日分処方してもらって
持って行きました。
実際には1個の錠剤が250mgでしたので、
錠剤を半分にしてもらいました。

 この他にEDの治療薬として有名になったバイアグラが
高山病に起因する高地肺浮腫に効くというリポートもありますが、
科学的な証明には到っていないようです。

 ダイアモックスについて詳しく知りたい方は、
次のリポートを読んでください。

  「アセタゾ-ルアミド(ダイアモックス)についての理解」
                     中島 道郎 著

http://jacclimbingmed.hp.infoseek.co.jp/page-03-016.html



ニャラム

2006-08-29 21:54:35 | カイラス巡礼・旅行記
 ニャラムには商店や食堂もあり街の中の道路が舗装されている。
旅館は表に食堂があり、裏手に2階建ての部屋数にすると20室ほどある。
その中の2階にある4人部屋に落ち着く。
部屋の中は4つのベットとテーブルが1台置かれ小さな窓が一つあるだけの
簡素な部屋だ。

これが今晩の宿です。
裏に回るとこんな風になっています。

私達の部屋は、2階の奥から3つ目の部屋です。
一番奥にトイレと洗面所があります。

部屋の中はこんな感じになっています。
天井が低く狭いのですが、誰も文句を言う人はいません。
そういう点では扱いやすい客だと思います。

は~い!すっかりくつろぎモードの3人です。

 荷物も落ち着いたので高度順応を早めるために街を散歩します。
 この富士山の山頂に匹敵する高度は初めてなので、出来るだけゆっくりと歩く。
ニャラムは弓状に大きくカーブする5~6百メートルほどの通りを中心に開けた街だ。
通りには旅館や食堂があるほかには登山用の防寒着などを売っているお店もある。

そのなかにシャワーと書かれた店がある。
シャワーには気を惹かれたが、それほど汗もかいていないので入らないことにした。

食堂にはテレビがあるが画面写りはひどく、砂嵐のようになっている。
そんなテレビをお客が熱心に見ている。
画面を見るとどうやら卓球を放送している。

通りを一通り歩いてみたが息切れがするわけでもなく
高山病の症状は特に現れていない。
昨晩よく寝られなかったこともあり宿に戻り、少し仮眠することにする。

 仮眠から目を覚ますとゲリー達が散歩に行くという。
一緒に行かないかといわれたので起きていくことにする。
外は冷たい風が吹いて寒いのでジャケットを着ていく。
4人で街の両側にあるお店を見ながらブラブラと歩いていると
すぐに街はずれまで来てしまう。

街はずれで辺りを見ると、所々に低灌木が地面に張り付くように
生えているだけで砂と岩石が入り交じった地面がほとんどだ。
目を上の方に転じると岩山が覆い被さるように連なっている。
小さな川に架かった橋があるのでここで記念写真を撮り合う。

ヴィジュヌーと記念写真


 宿に帰ってくるとどこからかお祈りの声が聞こえてくる。
それも沢山の人達がお祈りをしているようだ。
私達の部屋の少し手前にある中位の部屋に沢山の人が集まっている。
お祈りの声は約2時間ほど続いていた。
 宿の1階からも同じようなお祈りをする声が聞こえている。
この声の人達は違うグループのようだ。
どちらもヒンドゥー教の人達のようだ。

 夕方17時頃に雨が降ってくる。
この場所で雨が降るとは思わなかったが、ニャラムはチベットとはいっても
高度も低くネパール寄りなので降るのではないかと思う。
1時間ほどで止む。その後はまた青空が顔を出している。 

 チベット時間で夜になるのは21時近くなってからだ。
20時では空を見るとまだ青空が広がっている。
したがって、夕食の時間は21:30分頃になる。

今晩の夕食は、カレーが2種類にカリフラワーの炒め物、
デザートにマンゴーが付いている。

夕食の前にスープが運ばれてくるが、今日はトマト味のスープで
ちょっと酸味があり美味しかった。

 この食事時間は私の習慣とは違いすぎるので少し参りましたが、
それでもきちんと毎日便通があるので、身体の方は適応しているようです。。
今日一日を見ても朝食は8:00分、昼食が17:00分、夕食が21:30分、
どう考えても食事時間に間が開きすぎていると思うが、
これは日本人の感覚なのでしょうか?

 シェルパが食事を運びに来てくれるときなどに日本語で話しかけてくれる。
「大丈夫ですか?」とか、「元気ですか?」などの短いことがですが、
それだけでも嬉しくなるのは、彼らの心遣いだと思うからです。
こんな風に一日が過ぎていくと、日本語で話が出来なくても、
英語で話すことが出来なくでも孤独感がないので、
気持ちの上では普段通りの生活が出来ている。

 横になるって静かにしていると軽い頭痛を感じるので、
今晩から高山病の予防薬ダイアモックスを飲んで寝ることにします。

 明日の朝は8時に出発するといっているが、果たしてどうなることやら?

大渓谷

2006-08-28 21:02:06 | カイラス巡礼・旅行記
朝食後、やっとこの街を離れる。

10時30分出発予定がインド時間で30分遅れる。
街の中に狭く急な坂道が九十九折りとなって上へ上へと続いています。
この坂道をぐんぐんと登っていくが道が狭いので降りてくる車との交差が
大変でなかなか前へ進まない。

途中、集荷場だと思われる場所がありトラックがたくさん止まっている。
トラックが崖から落ちそうなくらいギリギリまで崖から車体を出して止まっている。

 今日は、本来、昨日着いているべき街「ニャラム」まで走る。

 やっと街を抜けると大きな渓谷をドンドン登っていくが
道の傾斜が変わると下っているような錯覚に陥る。

このようにドンドン深くなっていく谷に沿って登っていきます。

途中、所々に人がいる。
どうやらこの急斜面に生えている細い竹を刈り取っているようだ。
刈り取った竹が一抱えほどにまとめられて所々に立てかけられている。

ここで私といつも一緒に行動している人達を紹介します。
写真の左側から、グレゴリー、ゲリー、ヴィジュヌーです。
そして後にある車が私達が乗っているランクルです。
左側に積んであるのが竹です。このように所々に積み上げられています。

ザングムから2時間近くはこの渓谷を川上に向かって登っただろうか。
さすがにこの渓谷も終わりが見えてきた。
結局、この谷は崖崩れのあった場所から登り続けて、正味でも5時間ほど
登り続けたことになります。
そしてこの谷を登ることでいっきに高度を上げて、
緑多い気候から乾燥地帯へとその景観まで変わってきます。

谷から離れ少し走ると正面は低い灌木だけの荒れ地が見えてくる。
この低灌木地帯を少し下っていくと街が見えてきた。
この街がニャラムだ。ニャラムの標高は3,750メートル。
富士山の高さと同じくらいある。
13:00分、ニャラムのゲストハウスに着く。
今日はここで、高度順応を図る。


 

国境の町・ザングム

2006-08-27 19:54:47 | カイラス巡礼・旅行記
6月7日
 一夜明けて、ザングムの街が朝日の光でその姿を現す。
この町は急な渓谷の斜面にへばり付くように建物が建っている。
宿にある食堂の窓からは昨日通ってきた友誼橋がはるか目の下に見える。

ちょっと分かりづらいのですが、谷の中央にある白い場所がコダリです。
左下にある白い筒状のものはビニールハウスです。

 上を見るとまるで高層建築のように建物が見えるが、
それはつづら折りの細い道の両側にぎっしりと建てられている建物が
上の道路際に建てられた建物に軒を接するように建てられているため
そういう風に見える。

食堂から見たザングムの景色です。
上の方にお寺があるのかタルチョンがたなびいています。

しかし、この街の道路は狭いがしっかりと舗装されています。
ザングムの街にもたくさんの商店や旅館、食堂やお土産物店があり
種々雑多なものが売られています。
コダリに比べると、とても大きな町です。
そしていろいろなものが売られているだけでなくて、
食堂で朝食を食べている人達を見ても東ヨーロッパ系の人達だと思われる
人が沢山います。

中央のテーブルに座っている白人は、私達のグループのオーストラリア人でジョーです。
背中を向けている女性はフランス人のミッシェルです。


そして、街を歩いていると目につくのが両替をしないかと
次から次に声を掛けてくる女性だ。
小さな鞄を肩から提げて手には円の札束を持っているのですぐに分かる。
「エクスチェンジ!」と言いながら寄ってくる。
「ノゥ!」と言うとすぐに離れていく。


ここが私達が泊まった宿です。
宿の前にあるランクルは私達のグループが乗っているものです。


また、また、入管・・・

2006-08-25 19:14:02 | カイラス巡礼・旅行記
 ここからはランクルに乗り換えてカイラス山を目指す。

 友誼橋から九十九折りの路沿いにランクルがたくさん駐車している。
このランクルに乗り換えてカイラス山を目指す。
私達のランクルはすぐに見つかり運転手さんを紹介される。
運転手さんはチベット人で「ウェイ」さん、小柄な人だ。
年齢は40代後半か?

 私達のランクルは、ゲリー、グレゴリー、ヴィジュヌーに私、そ
れにエコトレックのポーター役の若い子が乗る。
ランクルに乗り込んだもののなかなか出発する気配がない。
どうやら配車に手間取っているようだ。
この街を出発するときには辺りが暗くなってきた。

 川沿いの狭くつづら折りの道路をドンドン登っていく。
私は、先ほどの入管での騒ぎで疲れたのでウトウトと寝ていた。
しばらく走ると車が止まる。
何かと思ってみると目の前に立派な建物がある。
ランクルを降りるように促されたので、荷物を持って降りる。
外は小雨が降っている。

雨具は大きな荷物の中にあるので雨具なしでみんなについて行く。
大きな建物があり、その前には人があふれている。
どうやら、ここがザングムという街にある本当の入管事務所のようだ。

真っ暗で街頭もなく事務所から漏れてくる明かりの中で入管事務がはじまる。
先に着いているグループと後に着いたグループが、雨を避けるため
屋根の庇の中へ入ろうとしてゴチャゴチャになっている。

雨がどんどん強くなってくる。
街灯もなく事務所からもれる光しかないのであたりは暗い。
この状態で、またしてもグループごとに入管するようだ。

グループの列を作ろうとするが誰がどんな順番に並べばいいのか
指示する者もなく混乱の中に一グループずつ終えてザングムの街へ消えてゆく。

ツァー会社のしっかりしているところは列を作り何とか入管を終えているが、
我がエコトレックグループは声を掛けてまとめる人が不在の状況なので
一番最後のグループとなってしまう。

「エコトレックNO4」の私は、前の人に続いてパスポートを中国の係員に渡す。
係員は私のパスポートから名前などをパソコンに入力しているようだ。
そして、パスポートの顔と私を見比べてパスポートを返してくれる。

私は特に質問もなく淡々と終えたが、向こう側にいる白人女性はパ
スポートの写真と本人を見比べながら顔が違うとでもいわれているのか
笑顔を作り髪を上げたり精一杯の愛想笑いをしている。
その頑張りでやっとOKとなったようだ。

 ゲリー達も無事に入管を終えて合流する。
ここの入管を終えるのに2時間はかかっただろうか?

この町には街灯がない。
両側にある商店や飲食店から漏れてくる明かりを頼りに私達のランクルを探すが、
どこにあるか分からない。
暗い夜道を登ったり降りたりしなが探すが、ナンバーもよく覚えていないので
結局、探し出すことが出来なかった。

 雨はドンドン強く降ってくる。
お腹がすいたので入管事務所のすぐそばのテラスのあるお店で
飲み物や食べ物を買って一休みする。
 この先どうすればいいのか分からずに4人で顔を見合わせていると
エコトレックのシェルパがやってくる。

「これからニャラムまで行くのか?」と聞くと、「ニャラムまでは道路が
雨で崖が崩れたところがあり危険なので、こんばんはこの街に泊まる。」という。
「荷物は?」と聞くと、「先にニャラムまで行ってしまった。」という。

しかし、何とかこの先にある宿を確保したようだ。
着の身着のままだけれど、この季節は気温もそれほど下がらないので
何とかなるだろう。それよりお腹がすいた。

シェルパに宿まで案内され、3階にある食堂でカレーを食べる。
食堂でお茶を飲みながら一息ついてるとカレーが用意される。
このカレーも急遽作られたもののようだ。

腕時計を見ると10時になっている。
しかし、食堂の時計は11時30分を指している。
これが中国時間のようなので時計の針を直しておく。

 さて寝場所はどうなるのだろうと思っていると、この食堂に寝るようだ。
テーブルを片付けて絨毯を敷く。
その上に布団が用意されて我々4人ともう一人の白人男性がここに寝る。
奥にあるカウンターの中に中年の白人女性が寝る。

この狭い場所に男5人で雑魚寝する。写真に写っている男性がゲリー君です。

 布団に入って一段落!
思い切り背伸びをしながら、大きなため息をつく!
今日は本当に長い一日だった!



国境通過と思いきや・・・?

2006-08-24 19:52:59 | カイラス巡礼・旅行記
 橋の向こう側に行くと右手に入管の窓口があり
その前で待っているとどんどん人が集まって来る。

どうやら入管の手続きは各グループごとに行うようだが、
橋の上には3~4グループの人達がグチャグチャになって並ぶどころではない。 
いったいどうなるかと思って並んでいるがさっぱり進んでいかない。

そのうちに小雨が降ってくる。
雨の中を並んで待っていると白い紙が配られる。
その紙をあちらこちらのグループが我先に奪うようにして取るので、
本来配られるグループに人に渡らない。
もらえなかった人は配った人に詰め寄って文句を言うし
責任者が中国側の手配者にもっともらってくるように言っているが
どうにもこうにもならない状況が続く。

我が団長さんも中国側のエージェントにもらっていない人がいるから
もっと手に入れるように詰め寄っている。
しかし、中国側のエージェントも必要な数は渡したと言っているようだ。
険悪なムードでやり合っている。
団長さんは怒ったりお願い調になったりエージェントと懸命に交渉している。

しばらくすると、手に白いものを持ってエージェントが橋の上にやってくる。
その紙を私もやっと手にいた。
手に入れた紙を見るとどうやら防疫関係の申告書のようだ。
表は英語で書かれているが裏を見ると漢字で書かれている。
そこには発熱とか下痢とかいくつかの項目があり、
チェックするようになっている。

時折降ってくる小雨に濡れながら同じグループのインド人の手招きで
入管の窓口へ行く。
窓口で、パスポートに書かれているナンバーを「エコトレック、ナンバー4」
と読み上げる。
係官が防疫申告書を見て隣の窓口を指さす。
この申告書を隣に提出するように言っているようだ。

窓口に群がる人をかき分けて隣の窓口に防疫申告書を出すと
内容をチェックしてから変な器具で私の目に赤い光を当てて数値を確認する。
その後にOKのサインをくれたので、再度、入管の係員にパスポートを出す。

入管の係員が私のパスポートとリストを照合している。
パスポートと私の顔を数回見比べてパスポートを返してくれる。
そして、中国側の出口を指さしながら「OK!」という。
どうやらこれで入管はOKのようなので橋から中国側へはいる。

そぼ降る雨の中で中国側にある商店の軒先を借りて雨宿りをしながら
他のメンバーの到着を待つ。

 入管での混乱はすざましいものでした。
何でこんなに混乱するか考えると、エコトレックのシェルパも
巡礼団の団長も誰一人としてどういう状況になっているのか説明をしてくれない。
だからみんな勝手に動いてしまう。
それがさらに混乱を招く。
混乱のうちめいめいが自分勝手に動いて何とか入国を果たしたといった有様だった。
この中国側の入管を通るだけで1時間半はかかっただろうか。
この騒ぎですっかり疲れてしまった。

 中国側にもお土産物を売る店や食堂が数軒軒を並べています。
そして若い女性が両替をしないかと呼びかけてきます。
私が「ジャパニーズ円,OK?」と聞くと、
首を傾げケイタイを取りだし、どこかへ電話をする。
そして、両替をしてくれる。
ここの交換レートは1元が20円だった。
両替も終わり、あとは車を乗り換えてニューラムへ向かうだけだと思っていた。

ところがこの考えは甘かった!


国境の町・コダリ

2006-08-23 19:24:18 | カイラス巡礼・旅行記
ネパール側の国境にはコダリという町があります。
 崖崩れがあった場所から2時間ほどは谷に沿って登ってきただろうか。
コダリは町というには寂しすぎる町です。
左側には崖があるので川岸沿いの狭い土地にお店と食堂が数軒並んでいます。
そして、一番奥には入国管理事務所と国境であることを示す通行止めの
標識があります。

バスはこの町までのようで荷物を下ろすとUターンして谷を下る準備をしている。
荷物をバスから降ろすと、ポーター役の女性や子供が細いひもを使って荷物を
背中に背負い、額でそのひもを受け止めて運んでいきます。
子供も年老いて自分の荷物を運べない女性などの荷物を運んでいきます。
自分の体と同じぐらいの荷物を一生懸命に運ぶ姿は真剣です。
子供でもしっかり働くのが当たり前の世界なのです。
日本では考えられないですね。
 
 国境という場所には初めて来たが、通行止めの開閉機があり、
車の出入りはこの開閉機を開けて行うようですが、人は、横の方に針金で
作られた狭い通路を出入りする。
 
 開閉機のすぐ手前にあるレストランで昼食のカレーを食べる。
このレストランもエコトレックが契約しているレストランなので
カレーの料金も支払う必要がない。

レストランで両替が出来るようなので日本円を中国円に両替できないか
聞いたところ出来ないといわれる。
日本円は見たことがないという。USドルかネパールルピーしか
両替が出来ないようだ。
仕方がないので手持ちのネパールルピーを中国円に両替する。

エコトレックのシェルパがパスポートをそれぞれの人に返している。
私のパスポートを見ると「4」と書かれたシールが貼られている。
そして、ネパールからの出国許可は出ているといわれる。
パスポートのビザのページにはネパールからの出国を証明する
スタンプが押してある。

ネパール側の入出国用の出入り口を通る。
この出入り口には土嚢を積んだ監視所がありそこに銃を構えている
兵隊が数人いる。

銃を構えている人を間近に見たのは初めてなのでちょっと緊張する。
別にパスポートを見せることもなく、みんなと一緒に針金で造られている
狭い通路を抜けて橋の上にでる。
この橋が「友誼橋」だ。

正面の橋がネパールと中国の国境に架かる橋です。
橋の右側にある建物が中国側の国境事務所です。
そして、下に見えるトラックはネパール側の駐車場です。



この橋の上から上流を見ると、低い雲の下に町らしい建物が見えている。
この町が中国側の国境の町ザングムです。
う~ん!この写真ではちょっと分かりずらいですね。

谷はどんどん深くなっているようです。



退屈な時間に・・・

2006-08-22 21:15:11 | カイラス巡礼・旅行記
崖崩れで待っている時間にいろいろな人がバスの横を通っていきます。

写真のような家族連れだったり、大きな荷物を背負って通っていきます。
ほとんどに人が川下にある町に向かって坂を下りてくる人達です。



 こうして坂道を下って来る人の中に松葉杖を突いている女性がいました。
歳はまだ20歳前後かと思う女性は木の枝を利用した手作りの松葉杖を突いています。
よく見ると、左足が太股から先がありません。
右足を見ると足の先端部が半分ほどありません。
足の指が一本もないのです。
この状態で右手で松葉杖を突きながら歩いてくるのです。

この女性は地雷か何かを踏んで片足ともう片足の指先を失ったのだと思います。
歩いてくる表情にはみじんの暗さも感じられません。
ふとした光景でしたが、マオイストとの内戦の影響だと思うと
いつの世にも戦争で一番の影響を受けるのは一般市民だということです。
平和な日本にいるとこういう光景を目にすることはありませんが、
こういった現実を目の前にすると、平和のありがたさをひしひしと
感じました。

 私達のバスの中に一人だけ僧侶の服装をしたインド人の男性がいます。
まだ若い男性ですが、黄色の僧衣を身にまとい木製のスリッパを履いています。
この男性の存在が、この旅行の性格を現していると思いました。