井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

トレッキング・19日目・ビレタンティ(1,050m)→ナヤプル→ポカラ

2010-01-27 20:36:00 | アンナプルナ・サーキット
そろそろ起きようかと思っていたらドアをノックされる。
ドアを開けるとネトラさんが朝食を食べたら出発すると言っている。
時計を見たら7時前だ。
30分で準備するといってドアを閉める。

隣のベットに広げている荷物をまとめ、慌ただしく準備をする。
食堂へ行ってパンケーキとミルクティーを頼む。
食堂はまだ早い時間なのか誰もいない。
パンケーキが出てくるまで、ボンヤリと宿の前にある露店を見ていた。

露店の方も開店に準備か商品を店先に並べ出すが、その動きが緩慢だ。
朝早くはみなさんノンビリとしている。

パンケーキが出てきたので慌ただしく朝食を取る。
朝食の飲み物代を払い、いよいよビレタンティーともお別れだ。
露店が続く道を歩いていくと、15分ほどで急な坂道を登る。
5分ほど登ると舗装された道があり、片側に露店が軒を並べている。
その露店の前にはビッシリとタクシーが止まっている。
ここがナヤプルだ。

10分ほど待っているとバスが走ってくる。
このバスに乗ってポカラへ向かう。
バスはほぼ満席!

このバスがポカラへ着くと私のトレッキングが終わる。
つづら折りの道をガタガタと走るバスに揺られ、眠い目をこすりながら上の方を見て山陰を探すが何も見えない。

2時間ほど走ると湖が見えてくる。
何と青い色をしてるのだろう。
バスには通学中の学生が沢山乗り込んでくる。
みなポケットから携帯を出して話し出す。
その姿を見ていると急に現実の世界へ引き戻されたような気がしてオロオロしてしまった。
私のトレッキングがこれで終わるのだ。
急に寂しい気持ちになり、頭の中が熱くなってしまった。

ポカラの町に近づくにしたがって町のざわめきが大きくなってくる。
オートバイや車のクラックション、否が応でも町のざわめきに目を覚ませられる。
現実を受け入れなければいけない。
自然が一杯だったトレッキングが終わり、これからは都会の生活をしなければならない。

ポカラのホテルはなかなか立派なホテルだった。
レイクサイトにあり、5分も歩けば湖に出られる。
ホテルの名前はフイッシュテイル、魚のシッポという意味か?
      

ネトラさんに誘われてちょっと早い時間だけれど町のレストランで昼食を食べる
   
  このレストランはなかなか美味しいものを出してくれる。

このレストランの食事を持ってネトラさんともお別れする。
気持ちばかりのチップを渡し、握手をしてバイバイだ。

日本語が話せないガイドだったが、ネトラさんともいい思いでが沢山出来た。
感謝、感謝です!

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    今日の行動
     7:45分 ビレタンティーを出発
     8:00分 ナヤプル着
     8:10分 バスに乗る
    10:00分 ポカラの宿に着く

トレッキング・18日目・ガンドルク(1,940m)→ビレタンティ(1,050m)

2010-01-20 21:50:12 | アンナプルナ・サーキット
朝、目を覚まして外を見るマチャプチャレが朝日に輝いている。
南西の方角から見ているので、岩峰が朝日に赤く輝いている。
    

昨夜、アマルさんといろいろな話をしている中でアマルさんは膝を痛めて関節に水が溜まるといっていた。
私は、捻挫したときのために湿布薬を持ってきているのを思い出したのでアマルさんに渡そうと思い部屋を尋ねた。

アマルさんに湿布薬を手渡すと、丁度、自分が用意してきたのがなくなってきていたのだと感謝される。
私は、この先、湿布薬はなくても大丈夫だと思ったので、アマルさんの役に立てばいいかと思っただけだ。

アマルさんは、明日ガンドルクを離れるという。
カトマンズで時間があれば連絡してくださいといわれ、携帯の番号をメモしてくれる。

8:20分、晴天の中、マチャプチャレに見送られながらまた石段を下る。
延々と続く段々畑の遙か下の方にアンナプルナベースキャンプを上流とするモティ・コーラが流れている。
今日の目的地ビレタンティは、このモディ・コーラの河畔にある町なのでどれだけ下ればいいかが一目で分かる。

9:10分、キムチェの町で一休み。
次々とトレッカーが石段を登ってくる。
私が歩いてきた道を逆に辿ってゴレパニを指す人達なのだろう。
私のトレッキングはもうすぐ終わる。
今歩き始めたばかりトレッカーは歩く姿も溌剌としている。

キムチェを過ぎてしばらく歩いていると前方の道端に薄紅色の花をつけている木がある。
よく見るとサクラのようだ。
    
    こんなところに櫻が咲いているのか?
と思って花だけでなく木肌をよく見たが、サクラに間違いがないと思う。
こんなところで満開のサクラを見るとは思わなかった。
そのサクラの木の向こうにマチャプチャレが悠然と聳えている。
    
    マチャプチャレと右側に少し見えるサクラの木

    
    延々と続く石畳の道

シャウリバザールまで来るとモディ・コーラは直ぐ下に見える。
河まで降りて行く道があるのでそれを降りようとすると、ネトラさんが右手に続く車道を指さす。
どうやら、ここからは昔の道ではなく新しい車道を歩くようだ。

この道を下っていると前方に若者が7~8人歩いている。
20代の男女なのだが、どうやら中国人のようだ。
ペチャペチャと話をしながら賑やかに歩いている。
この世代の若者が海外旅行で見聞を広めるのは良いことだと思う。
私のような年代になって海外旅行をするより、もっと、目の前に広がるいろいろなことを新鮮な目と感性で感じることが出来るのではないかと思う。
羨ましい限りだ。

11:25分、前方に吊り橋が見えてくる。
どうやらビレタンティーの町のようだ。
ここまで歩いてくると、私のトレッキングもゴールに着いたようなものだ。

本来だと、この時間にビレタンティーに着いたなら20分ほどでいけるナヤプルからポカラ行きのバスに乗ることが出来る。
そして、2時間ほどバスに揺られればポカラの町に着く。
なぜそうしないかというのは、単なる日程調整のためです。

タトパニからこのビレタンティまでは普通に歩けば2日で着くことが出来る。
それをグダグダと遠回りして歩いているのは、全て余裕のある日程のせいなのです。
でも、そのお陰でネトラさんの家に民泊したりアマルさんとの出会いがあったり、いろいろ思い出を作ることが出来ました。

     
     ビレタンティの宿
     

     
     宿の前に露店が軒を並べている。

ビレタンティの町は、私が歩いてきたガンドルクへ行く道と直接ゴラパニへ行く道の分岐点となっている。
さらに、20分ほど歩くとポカラまでバスが出るナヤプルとも近い交通上の要所となっている。
そのため、ホテルや露店なども沢山ある、規模の大きな町です。

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     今日の行動
      8:20分 ガンドルクの宿を出発する
      9:10分 キムチェで休憩
     11:25分 ビレタンティ着

トレッキング・17日目・メルチェ(2,300m)→ガンドルク(1,940m)

2010-01-14 21:28:39 | アンナプルナ・サーキット
昨夜は毛布を借りて掛けて寝たので暖かく、ぐっすり寝ることが出来た。

朝食は、ネトラさんの妹さんが作ってくれたパンケーキにミルクティー、パンケーキには自家製のハチミツをつけて食べる。
大きくなパンケーキだったので食べ切れなかと思ったが、せっかく作ってくれたのだから頑張って食べる。美味しかった。

さて、一宿一飯のお礼をしなければと考えて、結局、お世話になった妹さんにはレーズンとチューブ入りのコンデンスミルク、お父さんにはフリースのベストを置いていくことにする。
手持品の物からなので大した物はない。
でも、これも気持ちだからと思い、差し上げることとした。
妹さんは喜んでくれた。

8:30分、ネトラさんの実家を出発する。
ここからは山肌をトラバースする道を歩いてガンドルクへ向かう。
30分ほどでコムロンダンダへ着く。
ここは、タダパニから歩いてくる道との合流点となっている。
目の前にマチャプチャレが姿を見せている。
    
    独特の形の岩峰で、ほれぼれする姿だ。

コムロンダンダは宿が2軒、道を挟んで両側にある。
ネトラさんはここでも挨拶に忙しい。
私は、目の前に見えるマチュプチャレの姿に見ほれ、ベンチに座ってただただ見つめていた。

ここからガンドルクの町が見えている。
今日もほんの散歩ぐらいの行程しか歩かない。
時間はタップリある。

それでも風がでてくると肌寒くなってきたので出発することにした。
目の前に見えるガンドルクに向かって石畳の道をゆっくりと下っていく。
途中で、ガンドルクから登ってくるトレッカーがいるので挨拶しながら歩いていく。

10:05分、ガンドルクの町を通り抜けホテルサクラに到着。
今日はここが宿となる。
     
      ホテルサクラの全景

今日は早く宿に着いたし、天気もいいので洗濯をする。
洗濯物をテラスの物干しに掛けて部屋のドアを開けてゆっくりしていると、部屋の外を通る男性から「日本の方ですか?」と声がかかる。
「そうですが」と返事をすると、アマルさんというネパール人の方だった。

日本語が上手だと思い話をしていると、日本に10数年住んでいて、最近ネパールへ帰ってきたと話してくれる。
どうりで日本語が上手なのだ。

     
 
アマルさんとは、夕食の時にいろいろな話をしました。
アマルさんはこのガンドルクの出身、この地方はグルン族の人達が住んでいる。
この地で学校の先生を20年以上やっていた。
その後、香港に行ったが生活費を稼ぐために来日、最初は焼肉店に勤め、それからお菓子の工場に勤めたなどと話してくれる。

香港と中国に住んでいる子供さんを育て上げ、奥さんはイギリスに家を買ったので、今度はイギリスで一緒に暮らすとのこと。
日本での苦労話などいろいろな思いを話してくれた。
私はアマルさんの話を聞くだけになってしまったが、お互いに子供を育てた苦労など国は違っても共有する感情があり、だまって相づちを打ちながら聞いていた。

風邪を引いて声が出なくなり苦しいといっていたので、私が持っている風邪薬をあげることにする。
この薬で、少しでも症状が軽くなればいいのだが・・・

アマルさんの日本での話を幾ら聞いても、アマルさんが苦労した本当の部分は頭で理解しても、それは言葉の上だけになりそうで、ただただ聞くだけ。
下手に口を挟めば、それは、アマルさんの感情をいたずらに傷つけてしまいそうな気がして出来なかった。

でも、アマルさんを見ていると私に日本での出来事や子供達のことなどを話すことで、何か自分自身の心の重荷が融けていくようで、表情がドンドン明るくなっていく。

私も、ネパールのこんな場所で、お互いに感情のやりとりが出来る人と話すことが出来るとは思わなかった。
私にとっても、「一期一会」という言葉がよぎるような時間を過ごす事が出来た。

アマルさん、私こそ感謝、感謝です。

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    今日の行動
     8:30分 メラチェにあるネトラさんの実家を出発
     9:00分 コットダンダ着
    10:05分 ガンドルクの宿に到着 

トレッキング・16日目・メルチェ(2,300m)・民泊を体験する

2010-01-11 19:20:51 | アンナプルナ・サーキット
思いがけず新しいガイドネトラさんの実家に泊まることになってしまった。
ネトラさんの実家は典型的な農家だ。
家に入っていくと若い女性がいる。ネトラさんの妹だという。
英語で挨拶すると「有り難う。こんにちは!」など知っている日本語をいってくれる。
お母さんも顔を見せてくれたので挨拶したが、直ぐに家の奥へ入ってしまう。

妹さんが台所の火のそばへ入れという。
そこでミルクティーをご馳走してくれる。

どうやら、この家に住んでいるのはネトラさんの両親と兄さん夫婦、それに妹さんの5人のようだ。
そして、家の直ぐ下にある段々畑がネトラ家の畑のようだ。

   
   空が曇ってきて霧雨が降りだす。
対岸には遙か下の方にある川から延々と段々畑が山の上へと延びている。
これだけの段々畑をいったい何年かって作り上げたのだろうか?
気の遠くなるほどの時間がかかっているに違いない。
この段々畑の中を左から右に向かってアンナプルナ内院へ行く道が続いている。

ネトラさんは、霧雨が降る前に干してあったトウモロコシをまとめ、袋に入れていた。そして、私に1時間ほど留守にするけれど大丈夫かと聞く。
大丈夫だと答えると、そのトウモロコシ袋を額で担ぎ、谷の下へ向かって下っていった。

一人残された私は、何もすることがないので付近を散歩する。
直ぐ下に水汲場があり、その前を横断するような道が続いている。
どうやらこの道がガンドルクへ続く道のようだ。

戻ってくると、忙しそうにしている妹さんが手招きする。
外は寒いから火に当たれという。
    
     ネトラさんの妹さんです。お世話になりました!

この場所が台所です。
広さは2メートル×3メートルほどの小さな部屋です。
床は土間なのですが、水フキされて表面はきめ細かくなめらかです。

この台所の手前にある土間のテラスも同じように水ぶきしているようで表面は綺麗に手入れされ、雨が降ったときなどは作業場となるようです。
このテラスに私がトレッキングシュ-ズのまま上がり込んだため表面の土が割れてしまいました。
すると妹さんが直ぐにホウキで掃いて細かな土を取り除きぞうきんで水フキします。
乾くとまた綺麗になるようです。

お兄さんのお嫁さんが外で仕事を始めました。
見ると大きなザルで穀物の選別をしているようです。
その手際に良いこと、ザルの中の穀物を振り上げ実の入っているものと殻のものをより分けているようです。
こんな光景は、昔、子供の頃に見たものです。
    

女性はよく働くし、きれい好きです。

家の前に積み上げられているマキの中に写真が1枚投げ捨てられていました。
その写真を拾って見ていると、ネトラさんがリラさんの奥さんだという。

リラさんというのは、私が今回のトレッキングのコーディネイトを頼んでいたガイドさんです。
カトマンズに住んでおり、トレッキングに来る前にリラさんのお宅で夕食をご馳走になりました。
その時に奥さんとも会っています。

リラさんの話だと、奥さんとはトレッキングガイドをしているときに見初めて結婚したといっていました。
今回のトレッキングでは妻の家の近くを通りますよ。
などといわれていたのですが、まさか、リラさんの奥さんの実家へ泊まることになるとは思いもしませんでした。

ネトラさんとリラさんの奥さんが兄弟だということは、ネトラさんの一番上の兄さんがバンタンティーで宿をやっているので、そこで手伝っていた奥さんをリラさんが見初めたということらしい。

ビビさんのおばさんが亡くならなければ、ネトラさんが私をガイドすることもなかっただろうし、この家に泊まることもなかった。
これが縁というものなのだろうか。
リラさんと私には不思議な縁があるのかも知れない。

さて、この民泊も善意で行われたわけではないようだ。
というのは、翌日の朝、ネトラさんがお人さんにお金を払っているようだった。
私の宿泊費はトレッキング費用として前払いしている。
宿へ泊まっても民泊しても私が支払うものではない。
ネトラさんが宿へ泊まったことにしてお兄さんへ私の宿代としてなにがしかのお金を支払うのは問題がない。

私が泊まったことでネトラさんの実家にとって貴重な現金収入をもたらしたならそれはそれでいいことだ。

夕食は、ダルバードをいただく。
妹さんが作ってくれたもので美味しかった。

夕食後はネトラさんがインド映画のビデオを写してくれたが、テレビの写りが悪く久しぶりに走査線が乱れた画像を見た。

電気は貴重なので、早々に寝ることにする。

トレッキング・16日目・ゴラパニ(2,860m)→メルチェ(2,300m)

2010-01-10 21:46:02 | アンナプルナ・サーキット
朝5時頃からガタガタと回りがうるさくなってきて目が覚めた。
私の部屋は玄関の上にあるから特にうるさいのかも知れない。
まだ暗いうちからガタガタしているのは、プーンヒルへ登る人達が出発の準備をしているからです。

私もプーンヒルへ行くつもりでしたが、宿からの眺めが素晴らしいので辞めることにしました。
というよりも、昨日の登りで足が動かないと行った方がいいですね。
それに、今日の行程でプーンヒルと同じくらいの高度へ登らなければいけません。
それなら同じかということで、プーンヒルはやめました。

7時頃になってダウラギルとアンナプルナⅠの山頂に陽が差してきます。
    
    西側には、朝日に染まるダウラギリ、カリ・ガンダキの谷は雲海です。
 
     
    北東の方角にアンナプルナⅠが見えています。でも、山の大きさではサウスプルナの方が大きく、アンナプルナⅠは雪に抱かれて小さく見えています。
左がアンナプルナ、右がサウスプルナです。

    これを望遠で見ると次のようになります。
    

    
    アンナプルナⅠは8千メートルを越えている山なのですが、ここまで歩いてⅠ峰がよく見えたのはカラパニの辺りからだけでした。
アンナプルナの全貌を見るためにはアンナプルナ内院へ行かなければ無理なのでしょうか。

 朝食を済ませて出発の準備をしているとプーンヒルへ登ってきた人達が下山してきます。
日本人2人組も降りてきます。
ここで、お二人との写真を写していないことに気がつきガイドに写真を写してもらいます。

8:00分、ゴレパニの宿を出発します。
宿から一旦、町へ下り、再度宿と反対側にある尾根を登ります。
40分ほど登るとやっと峠に着きました。
ここから、反対側の尾根の上にプーンヒルの展望台が見えます。
     
     ゴレパニの町が小さく見えます。

ここから林の中を歩き9:20分、デウラリに着く。
宿が2軒ほどある小さな村、宿の前にお土産物を売っています。
仏具に首飾りなどいろいろなものを売っています。
         
この宿の1軒にネトラさんが入っていってなにやら荷物を預かってくる。
さすがに地元だけあって、ほとんどの宿から声がかかる。

さてここからは道が下っている。
ドンドン下っていくので心配になってきた。
というのは、地図を見ると次の町バンタンティの標高は3,480mとなっているからです。
これだけ下ると、いったいどこで登りになっているのかとそれが心配でした。
しかし、下っていると10:20分、バンタンティに着いてしまいました。
どうやら地図の標高が間違っているようです。

バンタンティにある最初の宿はネトラさんの妹がやっているといいます。
気軽に台所へ入り込みなにやら話をしています。
そして、先ほど預かってきた荷物を渡しています。
この妹さんは、結婚式の写真を見せてもらった妹さんのようです。

お茶を飲んで休憩しますが、宿は谷間にあってあまり陽が射さず寒いです。
身体が冷えるので15分くらい休憩してさらに下ります。
20分ほど下る間に数軒の宿があるのですがそのほとんどから声がかかります。

最後の宿でネトラさんが5分ほど休んで良いかと聞いてきます。
この宿は兄さんがやっているといいます。
ちょっと早いのですが、ここで昼食を取ることにします。
そうすれば、ネトラさんも兄さんとゆっくり話が出来るでしょう。

この宿は日当たりがよく気持ちがいいです。
次々とトレッキングの人達がやってきます。
その中に白人の男性と娘らしい女性を連れた2人組が来て昼食を取ります。
ポーターだけを連れてトレッキングしているようです。
父親は50代、娘は20代前半といったところでしょうか。
娘さんの腕に汗がキラキラ光っています。
産毛がキラキラと輝いています。
その産毛を見て、なぜか、若さが羨ましくなってしまいました。

11:30分、ここからさらに下ります。
小さな沢を渡ると今度は一転して急な登りが続きます。
この登りはきつかった。
足が全然上がらないのです。
それでも、ゆっくりゆっくり1歩1歩歩くことで何とかタダパニに着くことが出来ました。

12:43分、タダパニに着きました。
ここでも、10分くらい待ってもらえるかと言い残してネトラさんが消えます。
20分以上待っていたでしょうか。
それでも帰ってきません。
空模様が悪くなり風もでてきて寒くなってきます。

フリースを来て、風が当たらない建物の陰で待っていると、30分ほどたってからやっとネトラさんが帰ってきます。
ガイドがお客をほっぽりだして自分の用事に走るなどとは言語道断ですね。

さて、身体が冷えてきたので先を急ぐことにします。
こちらだといわれた道は細い道で落ち葉で隠れているような道です。
それが、ドンドン下っていきます。
30分たってもまだまだ下るようです。
山の中で集落は見えません。

いったいどこへ連れて行かれるのかと不安になってきます。
40分は下ったでしょうか、ようやく農家らしい建物が見えてきました。
ホッとしたのですが、それでもまだ下ります。
前方には深い谷があり対岸には延々と続く段々畑が見えています。

やっと、そこですと指さされた家がネトラさんの家でした。
なかなか大きな家です。
14:00分、やっとねとラさんの家に着きました。
     
     手前に石畳の作業場があります。

    
    

トレッキング・15日目・タトパニ(1,190m)→ゴラパニ(2,860m)

2010-01-09 20:36:03 | アンナプルナ・サーキット
タトパニは交通の分岐点になっています。
カリ・ガンダキに沿って下るとベニへ行けます。
ベニからは立派な道が通っており、ポカラへ通じています。
もう一つの道が山を越える道でゴレパニを経由してナヤプル、または、アンナプルナ内院へ通ずるガンドルク方面へ行く道です。

さて、朝食も食べ、休養十分で出発です。
今日の目的地は、ゴラパニの手前にあるシーカです。
シーカは標高1,935m、タトパニから約750mを登ります。

ビビさんと日程の調整を考えたときに、ゴラパニまで一気に登るのではなくて中間点となるシーカで1泊することにしました。
新しいガイドのネトラさんは、ゴレパニまで行けるからそこからガンドルクへ行こうと誘っていたわけです。

7:50分 いつもの時間にタトパニを出発します。
カリ・ガンダキに沿って下ります。
町外れに立派な橋がありそれを渡ってから左岸の尾根に取り付きます。
ここから延々と登りが続きます。

尾根に取り付いたところにゴンパがあります。
     
     このゴンパには変わったものがありました。
右手のあるのがそれです。
みなさんはなんだと思いますか?
私もよく見たのですが、何を現した像なのか良く分かりませんでした。
いろいろなゴンパを見てきましたが、こんな像をおいているのは見たことがありません。
不思議な像でしたね。

1時間ほど峠道を登ると茶屋があります。
8:55分、ここで休憩することにします。
     
     次から次にトレッカーが登ってきます。
その中に日本人の2人組の顔が見えました。
マナン以来の再会です。
O氏もN氏も元気です。
二人は一応ゴレパニまで歩くといっています。
でも、体調次第とのこと、私はシーカまでですといって、先に歩き出します。

高度が上がってくると再びダウラギルの姿を見ることが出来ました。
     
     この姿に勇気をもらいドンドン登っていきます。
8:55分、ガーラの手前で休憩します。
上を見るとズーッと先に建物が見えています。
まだまだ先は長いです。
   
     
     ダウラギリがドンドン大きく見えてきます。

10:20分、ガーラの手前で休憩します。
カリ・ガンダキの流れがドンドン遠くなり、タトパニのある谷が山陰に沈んでいきます。
     
     ニルギリも見えています。
随分小さくなってしまいました。
この辺りから道は石段が続きます。
綺麗に作られた石段なのです。

その石段は、膝に対する負担が大きいので、歩調を合わせるように石段を斜めに右左を選んで登ります。

10:55分、シーカに到着です。
今日はここで泊まる予定なのですが、この時間ではあまりに早すぎます。
体調も良いので後羅派のまで行くことにして、シーカでは昼食を取ることにします。
ネトラさんにゴレパニまで行くことを伝えるととても喜んでくれました。

シーカにはチェックポイントがあります。
その建物の前に人だかりがしています。
塀の外にも町の人が数人中を覗いています。
いったい何なのかと思って話を聞いているとしきりに「スタンプ、スタンプ」といっています。

    
    左側に座っているブルーの上着を着ている人が問題の人です。
話している言葉はフランス語のようです。
このチェックポイントで入域証を持っていないことが分かったようです。

チエックポイントでは、入域証にスタンプを押してサインをするようになっています。
それで、入域証を持っていなければスタンプを押せないということを理解させようとしているようです。
この男性はガイドを連れずに一人で歩いているようです。

それにしても、どんなガイドブックにもアンナプルナ周辺に入域するのは、許可が必要であり入域料を払わなければいけないことが書かれてあります。
この男性は、それを知らなかったのでしょうか?

警察官も来て、この騒ぎは続きます。
それを見ながら、食堂で昼食を取ります。
なかなか結論がでないようです。

11:50分、シーカを出発します。
ここからが、きつかったです。
ゴレパニまではまだ標高差約千メートルを登らなければならないのです。

段々畑もなくなり、道は深い森となります。
陽が当たらなくなると寒くなってきます。
空に雲が広がり標高も上がっているせいかドンドン寒くなってきます。

途中で2度ほど休み、ようやくゴレパニに着きました。

14:25分、ゴレパニの宿に着きます。
ゴレパニの町は両側が急な尾根になっており、その尾根の一方に少し登ったところが宿です。
私の部屋は2階で玄関の上です。
玄関を出入りする人がドアを開け閉めする度にガタガタとうるさいのですが、窓からの眺望はいいようです。

寒いので1階の食堂にあるストーブに当たりに行きます。
食堂にドヤドヤと大勢の人が入ってきます。
日本人20人くらいの団体です。
見るとほとんどが中年以降の女性です。

静かだった食堂が騒がしくなり、ストーブの回りで本などを読んでいる外人が眉をひそめます。

この団体が簡単なミーティングを済ませると町へ買い物に出掛けるといって、また、ドヤドヤといなくなってしまいます。
静かになったストーブの回りで「あの人達はどこの国の人?」といっているのが聞こえたので、「ジャパーニーズ」といってから、「私も!」と付け加えると、それは失礼といった表情を浮かべます。

今日はシーカに泊まる予定をゴラパニまで来てしまったのでこれからの予定をどうするか地図を見て考えます。
最初の予定では、ここで2泊して下り、さらに途中のヒレで泊まってからナヤプルまで下りポカラへ行く予定でした。

地図を見て出した結論は、明日はタダパニへ行って1泊、その次はガンドルク、さらにトルカに泊まって、ダンプスからポカラへ向かうことにしました。
それをネトラさんに伝えると、明日はタダパニの近くにある自分の家に泊まってくれという。次の日はガンドルクへ直ぐいけるという。
そして、次の日にビレタンタンティへ降りると、ポカラへ直ぐいけるという。

結局、明日はタダパニの近くにあるネトラさんの家に1泊、次の日はガンドルクに1泊、さらにビレタンティに1泊、翌日ナヤプルからポカラへ向かうということにした。

ネトラさんは自分の家に泊まれることが嬉しいようだ。
私に酒を飲むかと聞いてくる。
少しくらいならというと町へ飲みに行こうと誘われる。
何度も誘ってくれるのでついていくことにした。

宿から階段を下ってメインストリートにでる。
少し下ってから左手にはいると普通の民家らしい建物がある。
ドアを開けてはいると中は薄暗く、裸電球が1個天井からぶら下がっているだけだ。
中にいる人が一斉に私を見る。
外国人が飲みに来るような場所ではないのだろう。

ガタガタの椅子に座り、ロキシーを注文する。
薬缶からコップにつがれたロキシーを飲む。
お湯割りされているロキシーは甲類の焼酎と同じ酒でした。
お湯割りですので体が温まります。
しかし、このゴレパニは標高2、860mです。
お酒の酔い方も違うのでいい気になって飲むとひどい目に遭います。

干し肉を炒めたものをおつまみにしてロキシーを2杯飲んで宿へ帰ります。
宿への階段を登りだすと心臓の鼓動が早くなります。
深呼吸をしながらやっと宿へ着きました。

食堂にあるストーブ前の椅子に座って一息つきます。


夕食は、日本人2人組の人達と一緒に食べました。
O氏も、N氏も元気にトロン・パスを越えたようです。
トロンパスの手前で先行していたのがタトパニで2泊したからまた一緒になれたのです。
3人で、山のことなどいろいろな話をして盛り上がりました。
トレッキングも何回も来ているお二人から参考になる話しが沢山聞けました。
とても良い時間を過ごすことが出来ました。


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      今日の行動
        7:50分 タトパニの宿を出発
        8:55分 タトパニの峠
       10:20分 ガーラで休憩
       10:55分 シーカで昼食(1時間ほど休憩)
       12:45分 2,260mで休憩
       14:00分 2,665mで休憩
       14:25分 ゴラパニ着 
     
  

トレッキング・14日目・タトパニ(1,190m)・休養日

2010-01-08 22:29:06 | アンナプルナ・サーキット
タトパニは、とても暖かい土地です。
もちろん標高が低いので暖かいのです。

タトパニからカリ・ガンダキの上流を見ると鋭い形をした岩峰が見下ろしています。
     
     昨夜は不思議な光景を見ました。
この雪で輝いている岩峰が、すっかり暗くなった空にボーッと明るく輝いたのです。
それは、谷に雲がかかり暗くなっているところへ標高の高い山に雲の合間から夕日が射したというだけのことなのかも知れませんが、私の目にはその光かたが幻想的であり、赤く輝く色に目を引き寄せられたからかも知れません。
時間にすると5分ほどの短い時間でしたが、不思議な体験でした。

朝食をテラスで食べて1階に下りていくとビビさんが背の高い男性を紹介してくれます。
この人が新しいガイドさんです。
名前はネトラ・ポーエィアルさん、28歳、2人の子持ち、ポカラに住んでいるようです。
急な呼び出しでしたので、日本語は話せません。
まあ、何とかなるでしょう。

ネトラさんはしきりにトレッキングコースを変えようといってくれます。
私とビビさんが考えたコースでは、物足りないといっているのです。
私は、タトパニからゴレパニへは2日を掛けて歩くつもりでしたが、1日で十分いけるので、その1日を使ってタダパニを回ろうといってくれます。

でも、私はタトパニからゴレパニへは標高差千メートルを登らなければならないので、この標高差を2日掛けて登るつもりでいました。
随分しつこく誘われたので、面倒くさくなって、私はつかれているから2日でゴレパニへ行くのだといって、このコース変更の申し出を断りました。

ビビさんは、バスでカトマンズへ戻る予定でしたが、宿にご主人の紹介で電源開発関係の会社の車がカトマンズへ戻るのでその車に便乗させてもらうことになりました。
それでも、郷里へ帰るにはカトマンズから半日はかかるようです。

ビビさんにはお世話になったので、チップの他に私が使っていたパーカーをプレゼントすることにしました。
赤いパーカーを着て車に乗り込むビビさん。
これでお別れです。

ビビさんを見送ってからテラスでお茶を飲んでいると、日本人の団体客20人ほどがやってきて、宿に下で記念写真を写してます。
このやどの前は、上流に雪を被った山が見えるのでいい撮影ポイントになるのです。

高齢者の男女20人ほどに日本人の添乗員もついています。
どうやら朝のバスでベニ経由でポカラへ帰るようです。
「おはようございます」と声を掛けると、おやっ?というような顔をして「現地の人ですか?」と聞かれたので「日本人ですよ」というと、昨日も日本人に会ったという。
どうやらその日本人は、Oくんのようです。
それにしても、「現地の人」とは、何でしょうか?
無精ヒゲを生やした顔は、日本人には見えないようですね。


宿の中庭には、バナナやオレンジがなっています。
     
この庭も十分な手入れがなされています。
毎朝、植物には十分な水やりがなされ、掃除も丁寧にされています。
    
    バナナが路地で実を付けているのは、タトパニで初めて見ました。
そして、。バナナの花を初めて見ました。
         
    小さな黄色いものがバナナの花だと思います。
     
    その他にオレンジもなっています。
     
     夏みかんほどの大きさがあります。


露天風呂に行ってみることにしました。
宿から歩いて5分ほどの川原にあります。
     
温泉は5メートル四方ほどの浴槽が2カ所あります。
川面に向かった2カ所ほど脱衣所があるだけで、浴槽に目隠しなどはありません。
この温泉は裸で入ることは出来ません。
男性はパンツ着用、女性は水着着用です。
土地の女性はムウムウのような薄い生地で出来た身体をスッポリと覆うことが出来たものを着て入ります。
子供は裸でした。
       
観光客が数人とネパリーの家族が入っているだけなので、ノンビリとお湯につかることが出来ました。
温度は41度ほどでしょうか。暑くもなく温くもなくちょうど良い湯加減です。

浴室の横に洗い場が設けられています。
そこには浴槽に2カ所穴が開けられており、そこから浴室のお湯が流れています。
それで頭や身体を洗います。

石けんで頭と身体を洗い、目を瞑ってノンビリとお湯につかり、カリ・ガンダキの川の流れる音を聞いていると、日本の温泉に浸かっているような気がしてきます。
すっかりリラックスしてしまいました。

宿の食事も美味しいので、本当に良い休養が出来ました。


トレッキング・13日目・カラパニ(2,530m)→タトパニ(1,190m)

2010-01-06 21:04:07 | アンナプルナ・サーキット
昨夜は寒いと思い寝袋の上に毛布を掛けて寝た。
しかし、思いの外暖かく寝袋の中でゴソゴソとフリースとズボンも脱いでしまい下着だけになる。
いつも感じることだけど、私は肌にピッタリしているものを着て寝ると窮屈で熟睡できないようだ。

朝、目を覚ますとアンナプルナの向こうから陽が差してきた。
アンナプルナは逆光の中、黒々と光っている。
反対側を見るとツクチェピークに朝日が当たり頂の雪がまぶしく輝いている。
      
      いつ見てもこの白さにはいう言葉がない。

朝食を食べてトレッキングの準備をして宿の前へでると向かいの宿からゾロゾロと17~18人のグループが宿からでてくる。
見た顔がいると思ったら例の新婚さんグループだった。

一番前の方を颯爽と歩く新婦の顔が見える。
新郎はどこかな?と思ってよく見ると後ろの方からまだ目が覚めてないような顔つきで宿からでてくる。
よく見てみると新婦によく似た女性もいる。
たぶんこの人が母親だろう。

ここで会うということは、カグベニの宿から私達と同じようにトレッキングをしながら結婚式後の新婚旅行を両親や友達と楽しんでいるということでしょうか。

     
     ドンドン日が高くなり、山裾まで光が当たり出す。

8:00分、カロパニの宿を出発する。
今日はルクセ・シャハラに泊まる予定だったが、温泉のあるタトパニまで5時間ほどだというのでそこまで足を伸ばすことにする。
ここ数日は、暖かい日差しの中を歩いたこと、歩く時間も短かったのでトロン・パスまでの疲労がかなり改善してきた。
そこで、タトパニには温泉があると聞いたので、ゆっくりお湯の中で体を温め様と思い足を伸ばすことにした。

ここまで毎日歩いていたので休養を兼ねてタトパニで2泊しても良いかと思っていた。

カロパニからは、カリ・ガンダキの川幅が狭まってくる。
カロパニまであれほど広かった川幅がここからは急に狭まり流れも速くなってくる。

 しばらく歩くとあの白人老女に追いついた。
ここで一緒に写真を撮ってもらうことにした。
      

 ビビさんが彼女に聞いた話では、一人で歩いているのはポカラでポーターを雇おうと思ったら1000ドルならポーターをするといわれ仕方がないので一人で荷物を持つことにしたといっています。
年齢は73歳でした。
     
73歳という年齢は私の姉と同じ年なのです。
ますます、この女性のことが身近に感じられます。
それにしても、この出で立ちとこの歳でよく一人で歩くと思います。
単なるトレッキングを楽しむといった事情ではない、何か特別な事情があるのではないかと思います。

9:30分、ガサの町で休憩します。
今日は歩き出しの朝から陽が当たって暖かいので快調に飛ばします。

この辺りでは、アンナプルナの姿は見えなくなってしまいました。
対岸の山陰となって見えないのです。
このままだと、ゴレパニへ登らないと見えないのかも知れません。

ダナの手前に大きな滝があります。
            
 この滝は、ネパール第2の規模の滝だそうです。

向こう岸から吊り橋を渡って羊がこちらへ来ます。
吊り橋を渡るのにおっかビックル渡るもの、吊り橋の手前で戻ってしまうもの、てんやわんやの有様で見ている私達はおもしろいのですが、この羊の群を歩かせている人達は真剣そのものです。
     
これらの羊は、山で大きく育てたので町へ持っていって肉用として売られるようです。

11:45分、ダナの町(1,440m)に着きました。
ダナとは、ネパールでは「オレンジ」という意味だそうです。
この町のそこかしこにオレンジがなっています。
そして、蝉が鳴いているのです。
昼食を食べた宿の庭にも亜熱帯の植物が生い茂っています。
カロパニとはもう世界が違って見えます。
      
タトパニまでは、ここから1時間ほどだというのでノンビリと日光浴を楽しみます。
Tシャツ1枚でも寒くないのです。
日陰でそよ吹く風を楽しむのは久しぶりです。
何と1時間15分もここで休んでしまいました。

ビビさんが深刻な顔をして電話をしています。
何と、ビビさんのおばさんが亡くなったしまったとのことです。
ビビさんのおばさんは、お父さんのお姉さんで、すでに、ご主人を戦争でなくしており子供もいないので1人暮らしをしているようです。

そして、このおばさんのお葬式はビビさんがお父さんに変わって務めなければいけないようです。

私は、ビビさんにお葬式は大事なことだから、郷里へ帰ってお葬式を出すようにいいます。
ビビさんは、代わりのガイドのこともあり会社に相談して決めたいといいます。

幸いに今晩と明日の晩はタトパニへ2泊する予定です。
その間に代わりのガイドが来れば私の日程には何の影響もありません。

あちらこちらへ電話して忙しいビビさん。
そうこうしているうちに14:05分、タトパニへ着きました。

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   今日の行動
     8:00分 カロパニの宿を出発
     9:30分 ガサで休憩
    11:45分 ダナで昼食(1時間15分の休憩)
    14:05分 タトパニ着     

トレッキング・12日目・マルハ(2,670m)→カラパニ(2,530m)

2010-01-05 19:45:10 | アンナプルナ・サーキット
昨夜は寒いと思いズボン下を穿いて寝た。
そのお陰で寝袋の中は暖かく気持ちよく寝られた。
カグベニから暖かい日が続いているのでお腹の調子も良くなってきた。

8:00分、いつものように歩き出すが、朝はカリ・ガンダキの警告には陽が差さないので寒い。
パーカーを着ていても汗をかくことはない。
この谷に陽が差してくるのは1時間後くらいだろう。

カリ・ガンダキの渓谷はマルハから一旦両側が狭まり、トレッキングルートも右岸に造られている車道を歩くことになる。
この道は車が通るたびに巻き上げられる土煙で息が出来なくなるくらい。
顔を背けて息を止めて土煙が薄くなるのを待つ。

1時間ほど歩きツクチェの辺りまで来るとまた川幅が広くなってくる。
9:20分、ツクチェで一休みする。
    

    ようやく陽が差してくる。
するとたちまち暖かくなり、パーカーを脱いでシャツだけで歩く。
日差しが強いのでサングラスが欠かせない。

ツクチェを過ぎると右側に大きな山が見えてくる。
ツクチェピーク(6,920m)です。
     
     ツクチェピークはダウラギリヒマールの一翼を担う山で、今までよく見えていたダウラギリは、ツクチェピークの陰に隠れてしまった。
大きな氷河が流れ出しておりなかなかいい形をしている。

ラルジュンの町が見えてくる。
ここまで来るとツクチェピークが一層大きく見えてくる。
     
     ラルジュンの標高が2,550m、ツクチェピークまで水平距離約10キロ、この距離で標高差4,500mもあります。
この時期でも花が咲く温暖な場所から氷河と万年雪の場所を一望してます。
まさに、植物の垂直分布を目の当たりにしているわけです。
それにしても中央に流れている氷河は迫力があります。 

10:30分、ラルジュンに着く。
ちょっと早いけれどここで昼食を食べることにする。
この時間ではあまりお腹がすいていないので、メニューからアップルパイとブラックティーを頼む。
どんなアップルパイが出てくるか楽しみにしていると、何と、細かく刻んだリンゴを煮たものを餃子の皮で包んで油で揚げたようなものが出てくる。

パリッとした皮の中から熱々のリンゴが出てくる。
ちょっと奇妙な感じだが、これはこれでそこそこ食べられる。
いつも思うが、メニューを見て食べ物を注文する度にどんなものが出てくるかドキドキする。
これも楽しみの一つではある。

    ラルジュンの町の上にある丘に日本人の経営しているホテルがある。
街に入る手前でそのホテルが丘の林の中にチラリと見えた。
ビビさんが、行ってみますかと言ってくれたが、ただホテルを見に行くことはないと思い断った。

 昼食を終えたのでここから自宅へ電話することにした。
食堂の女主人に頼んでダイヤルしてもらい札幌に自宅へ電話する。
1週間振りの電話で時差(3時間15分)を考えるとちょうど3時頃で妻は自宅にいるはずだ。

呼び出し音の後、「もし、もし、」と聞き慣れた妻の声が聞こえてくる。
かいつまんでこちらの様子を伝え、自宅の様子などを聞く。
娘達が結婚式の日取りと会場を決めたようだ。
私がいなくても、自分達でドンドンいろいろなことを決めていくは良いことだ。

     
     屈託なく過ごしている宿の子供達。

1時間ほど休んでカラパニ目指して歩く。
カリ・ガンダキを吊り橋で渡り左岸を歩く。
もうすぐカラパニかなと思った辺りで前方に見える集落の中から鉦、太鼓などが聞こえてくる。
そのリズムが日本のお祭りに聞こえてくるお囃子とよく似ている。
ビビさんに聞くとお祭りだろうという。
日本と離れているこんな場所で日本と同じようなお囃子を聴くとは思わなかった。
でも、よく考えると、この辺りの人達もモンゴリアンなのだから、日本人と同じ人種の根を持っている。
だからかもしれない。

13:13分、カラパニの宿に着く。
カラパニに来て最初に感じたのは、屋根の形が今まで歩いてきた集落とはまったく違っている。
今まで歩いてきた集落は、ほとんどが平らな屋根だったが、このカラパニでは日本と同じような入母屋造りの屋根がほとんどだ。

カラパニに来ると、やっと、アンナプルナⅠ峰が顔を見せてくれた。
宿の2階から夕日が当たるアンナプルナⅠを写す。
     
     一番左のピークがアンナプルナⅠ(8,091m)だ。
     アンナプルナヒマールで唯一8千メートルを越える山であり、フランス隊が人類初の8千メートル峰に到達した山でもあります。

      

 宿の裏手からボールを蹴る音や掛け声が聞こえてくる。
何かと思ってよく見るとどうも学校のようだ。
サッカーのゲームをしているようで塀越しに若い男の子が走り回っていうのが見える。
地図を見ると、テクニカルスクールと書いてある。
運動競技を学ぶための学校なのだろうか?
それにしても、こんなところにテクニカルスクールとは?もっと大きな町に作ればいいのになどと思ってしまった。


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      今日の行動
       8:00分 マルハの宿を出発
       9:20分 ツクチェ着
      10:30分 ラルジュンで昼食(1時間の休憩)
      13:15分 カラパニ着

トレッキング・11日目・カグベニ(2,800m)→マルハ(2,670m)

2010-01-04 20:23:55 | アンナプルナ・サーキット
昨夜は暖かいのでよく寝られた。
暖かいので下着姿で寝袋を毛布のように開いて掛けていた。

窓からニルギリ(7,061m)が見えており朝日が当たり出す。
        
      広く広がるカリ・ガンダキの流れを見下ろすように左岸に輝いている。この辺りは本当に川原が広い。雨期にはこの幅一杯に流れるということなのか?
      

 そして右岸にはすっかり見慣れたダウラギリが白く輝いている。
      
     ダウラギリは幾ら見ていても見あきない山です。
     

 7:40分、カグベニを出発する。
ビビさんが、カリ・ガンダキは昼から強い風が吹くので早く出発した方がいいというので、いつものように8時を目処に準備していた。

道は、カリ・ガンダキの左岸にあり、まったく陽が当たらない。
車道となっているので時折車が走ってくる。
そうするとモウモウと土煙が上がり息が出来ないほどだ。
こんな道がトレッキングルートならば歩く人がドンドンいなくなってしまうのではないかと思う。

前方に一人で歩いている人がいる。
追い抜くときに挨拶をして顔を見るとあの白人の老女だった。
右手に長い竹を杖として持ち大きなザックを担いでいる。
ガイドも連れずに一人で歩いている。

30分ほどでエクレバッテイの町を過ぎ、ほとんど傾斜のない道をドンドン歩いていく。
左岸に大きな谷が見えてくる。
ルプラという町のある谷のようだ。

1時間ほど歩くと前方に大きな建物がある町が見えてくる。
ジョムソンの町だ。
ジョムソンはムスタンの首都として栄えた町だという。
この周辺では一番大きな町で飛行場や大学もある。

町の中に入ってくると確かに大きな町で建物の数が違う。
大学だといわれた建物は大きく、でも、小学生らしい子供達が大勢敷地の中で遊んでいる。大学の敷地に小学校も併設されているらしい。

ジョムソンの町の中をカリ・ガンダキが流れている。
     
    橋を渡り、今度はカリ・ガンダキの右岸を歩く。

向こうから小学校へ通学してくる沢山の子供達が歩いてくる。
ナマステ~、と挨拶すると元気な声でナマステ!と返ってくる。

9:50分、ジョムソンにあるチェックポイントに着く。
この辺りは宿が数軒あり、その中の1軒にビビさんが入っていく。
宿の奥にあるソファーに座り、休憩する。

ジョムソンからは、やっと、陽が当たりだし歩いていても暖かくなる。
川原が広いので右岸の山の下に付けられた車道ではなくて川原にある細い道を歩いていく。
直ぐ横に川の流れを見ながら歩くので、なかなか気持ちよく歩ける。

1時間ほど歩いていくと右岸の山際にゴンパが見えてくる。
マルハの町のようだ。
マルハの町を通らずに川岸を歩いていくと果樹園が見えてくる。
リンゴの木なのだろう。
このマルハがリンゴ栽培の中心地だという。

マルハの町外れにある宿についた。
何でこんな町外れの宿をと不思議に思ったが、きっと、ビビさん行きつけの宿なのだろう。
しかし、宿の入り口に鍵がかかって誰もいない。
仕方がないので町の中へ戻る。

11:45分、町の中にある宿に着く。
この宿は中庭があり、色とりどりの花が咲いて綺麗だった。
マルハの町は、壁が白く塗られており通りが明るく綺麗だ。
     

マルハの町にはぜひ行ってみたいところがありました。
それは、川口慧海が修行をした家です。
川口慧海は日本の僧侶でチベットが外国人の入国を認めない時代にチベットへ潜入しチベット仏教を勉強した人なのです。
カイラス山の巡礼も行っています。
そんなことで、ぜひ、マルハに行ったら川口慧海の家を見てみたいと思っていました。

その家は宿から直ぐ近い所にありました。
      
     看板には「慧海川口ハウス」と書かれています。
入り口の扉を開けて中へ入りましたが、誰もいません。
扉の中は中庭になっておりいろいろなものが雑然と置かれ、記念館といった造りにはなっていません。
声を掛けましたが誰もでてこないので仕方なく建物の入り口の写真を撮って帰ります。    
    
宿の向かいにあるお店で水を売っていましたので買います。
セイフ・ドリンキングウォーター1リットルが35ルピーと随分安くなっています。
やはり水が豊富な場所では売っている水も安くなります。

夕食の時間に食堂へ行くとあの白人老女が静かに本を読んでいます。
そして熱心に書き物をしています。
この女性には何か惹かれるものを感じます。
たった一人で歩いている姿は巡礼者のようです。
トレッキングといった遊びではない、何か思うものがあってこの道を歩いているように見えます。
それが何かは分かりません。
私の語学力ではそれを聞き出すことは叶いません。

今回のトレッキングで一番心に残る女性だったのです。


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    今日の行動
      7:40分 カグベニの宿を出発
      9:50分 ジョムソン着
     11:45分 マルハ着