井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

カラパタールからアイランドピークへ ・ 雑感2

2011-12-30 19:54:41 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 トレッキング中はヒゲを伸ばし放題にしていました。
カトマンズへ戻ってきたらヒゲを剃ろうと思っていたのですが、泊まっているホテルはシャワーのみでバスタブがありません。

 そこで町の床屋へ行くことを思いつきました。
実は、ガイド会社のリラさんの家へ歩いていく途中に床屋さんを見つけていました。
私が泊まっているホテルから5分ほどの距離です。

 床屋さんを覗くと1人が髪を切ってもらってます。
私が入っていくと3席ある座席の一番入り口側に座るように言われます。
その席に座って待っています。

 先客のおじさんが終わり私の番になります。
床屋のおじさんがヒゲを剃るのかと言う仕草をするのでウンとうなずきます。
あとは会話なしにドンドン作業が進みます。
髪型をどうするかを聞かれることもありません。
もっとも、髪型をどうするか聞かれても英語が満足に話せない私が希望する髪型を説明できるはずがありません。

 作業はおじさんが一方的に進めます。
どうやらかなり短い髪になります。
首を右に曲げたりうつむいたりとその度におじさんが首を動かします。
私はその姿勢を維持します。

 15分ほどで髪の方は終わります。
次はヒゲの番です。
日本ですと熱いタオルで蒸してからヒゲを剃るのですが、何かクリームを塗られただけでドンドン剃られます。
約10分で終了。

 さて料金を聞きますが、幾らといわれたのかが分かりません。
100ルピーを出すと首を横に振られ、計算機を持ち出しキーを叩きます。
計算機には150という数字が打たれています。
500ルピーを渡しおつりをもらいます。

 日本円に換算すると150円で髪を切りヒゲを剃ってもらったことになります。
日本で床屋に行くと安いところでも1,500円はします。
そうすると、ネパールの物価は日本の10分の1ということになります。

 トレッキングで歩いていると本当の物価が分からなかったのですが、これで、日本とネパールの価格差の一端が見えたような気がします。

 貴重な体験でした!

大雪山(黒岳)へ初山スキーに!

2011-12-29 21:29:33 | 大雪山系の山
 年の瀬が間近になって来ましたが、今日は大雪山(黒岳)今シーズン初めての山スキーに行ってきました。
札幌から黒岳の麓にある層雲峡温泉までは250キロほどあります。
朝5時に自宅を出発して、いつも一緒のSz氏と彼の職場仲間のSg氏、Sd氏の4人で出掛けました。

 途中の高速道路を順調に走り、旭川から上川町へ入るあたりで大雪山がクッキリと姿を見せてくれました。
今日の天気は、午後から荒れるという予報です。

 8時40分のロープウェイで登り、そこからさらにリフトに乗り換えます。
リフトの終着駅が7合目となります。
ここから順調に歩ければ2時間ほどで山頂へ行くことが出来ます。

 高曇りの天気とはいえほぼ無風で山頂も見えています。
この天気はいうことのない天気です。
さっそく登山準備をします。
シールをスキーに貼り付けて登ります。

シールを付けて登るSg氏(左)とSd氏(右)です。

 雪質は少し重く、ウインドパックされているようです。
山頂へ向かうのは私達4人のようです。
岳カンバの疎林の中、ジグを切って登ります。

 45分ほど登ったところで一休みします。
石狩川を挟んだ対岸にニセイカウシュッペ山が真っ白な頂を見せてくれます。
北の方には天塩岳も見えます。
   

 傾斜が増してくるとクラストした斜面が多くなってきます。
私はスキーアイゼンを忘れてきたのでツボ足で登ることにします。
この辺りで、下から登ってくる人がいます。
どうやら外人さんが5人ほど登ってきます。
皆さんスノーシューで登ってきます。

 私以外の3人はスキーアイゼンを付けて登りますが、ちょっと不慣れなSd氏が遅れ気味になります。
どうも、スキーアイゼンを上手く使いこなせないようです。
直ぐにSz氏がSd氏の所へ行って登り方を教えます。
私は直登気味に登ります。
横を外人さんが登っていくのですが、スノーシューが帰って徒となって滑り気味です。
私はツボ足の方が歩きやすいことを教えます。

 ここから30分ほどでやっと山頂へ達しました。
山頂は風が強く、直ぐあとから登ってきた外人さんに写真を1枚写してもらって直ぐに下山します。
   

 まだまだ、山頂は雪が少ないです。
ここでスキーを付けてクラストした斜面に足を取られないように降ります。
下にいた3人と合流して雪が柔らかくなるところまで少し降ります。
そこでしばし休憩します。
12時を少し回ったところなのですが、風が強くなってきます。

 休憩後はスキー場の上部まで3回ほどに分けてSz氏が写すビデオに向かって滑ります。
今年で山スキー3年目となります。
ようやく少し自分の重いとおりに滑られるようになってきました。
雪は重いのですが、何とか曲げることが出来ます。
3本を楽しむとスキー場に着きます。
心かロープウェイの駅まではスキー場の林間コースを滑り降ります。

 今年一番目の山スキーとしては上々の滑りが出来ました。

 ユーチューブに動画をアップしています。 
 よろしければ見てください。
 アドレスは、
  http://www.youtube.com/watchv=zFtYzdfViZU&feature=BFa&list=UUOxFW0SWYFmgN3DjDg2LfdA&lf=plcp  です。

カラパタールからアイランドピークへ ・ 雑感1

2011-12-24 22:55:50 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 今回のトレッキング&クライミングに出掛けた時期は乾期のはずです。
しかし、カラパタールに登った日は一面の雲海でした。
この雲海によりカトマンズからルクラ間の飛行機が欠航していることに気が付きませんでした。

 私は順調に日程を消化することが出来ましたが、アイランドピークに登ってナムチェに降った日まで天候が悪く、この間、飛行機が欠航していたようです。
このため、ルクラからナムチェあたりの宿までカトマンズに代えることが出来ないトレッカーで一杯だっといいます。

 乾期にもかかわらずこの天気はどうしたのでしょうか?
さらに、私がルクラからカトマンズへ戻ったあとも1週間ほど天候が悪く飛行機が欠航したようです。
どうも、乾期とはいえ雲が出て雨や雪になる日が増えているようです。

 トレッキングに出掛ける場合にはこういう事態も想定して日程に余裕を持たせる必要があります。
私は、コリアンエアーのFIXで予約をしていましたので3日ほどの予備日を持っていました。
でも、これでは足りないのかもしれません。

 ルクラの手前で会ったOn氏は、ルクラからの飛行機が欠航したためヘリをチャーターしてカトマンズへ戻ったといいます。
ヘリ1機のチャーター料は30万円といいます。
これを5人で割ったということで、6万円の負担でカトマンズへ戻ったようです。
最悪の場合には、このようにヘリのチャーターも考える必要があるようです。

 最後に、友人On氏のルクラ脱出行の詳細が記載されているブログを紹介します。

    http://shop.plaza.rakuten.co.jp/shugakuso/diary/detail/201112250000/?scid=we_blg_tw06

 興味のある方は、ぜひ、見てください。

カラパタールからアイランドピークへ ・ その17

2011-12-22 21:08:31 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月9日 バクディン→ルクラ

 今日も天気は良いようです。
谷間には陽が当たっていませんが、空は真っ青です。

 7時出発の予定がずれ込んで7:55分、やっと出発の運びとなる。
下の二人は今日は学校がないようなので入口でバイバイをしてくれる。
お姉さんの方は台所からなかなかでてこないので台所まで行ってバイバイをすると返してくれる。

 さあ、ルクラに向かって快晴の中気持ちよく歩く。
途中で日本人のとレッカーを追い抜く。
足取りに力無く、ちょっとふらつきながら歩いている。
話を聞くと、今回初めてゴーキョピークまでのトレッキングに来たが、高度順応がうまくいかず食欲もなくゴーキョまで行くのがヤットでそこから戻ってきたといいます。

 ここまで高度を落としても体調は戻ってこないようです。
ルクラまでは、この先1時間は登りが続くのですが、この体調で登れるか心配になるくらいです。
お先にといって私達は先へ進みます。

 ほどなく茶店がありここで休憩します。
今まで歩いてきた谷がよく見えています。
あと少しデコのトレッキングが終わってしまうかと思うとちょっとジーンと来るものがありました。

 さて、そろそろOn氏と会えるはずだと思ってルクラ方面から来る人に注意していました。
On氏というのは、私がここ2年ほど一緒に日高を歩いている人です。
2日前に札幌と立ち順調にいけば今朝カトマンズからルクラへ来て歩いているはずなのです。

 10ほど歩いたところでOn氏を見つけました。
ガイドの後ろを見慣れたフリースを来て歩いています。
「Onさん!」といって肩を叩きます。

それでOn氏も気が付いてくれて、再会することが出来ました。
少し戻ったところのロッジ前の石垣に座って話をしました。
彼は2週間の予定でトレッキングに来ていますのでそんなに奥へは行けません。
ガイドにどこまで行くか聞くと、パンボチェ付近からタウツェの方へ行って見るといいます。
この方面はエベレスト街道から少し外れるので人が少なく気持ちのいい場所が沢山あるといいます。

 久し振りに会った知人ですので、いつまでも話していたいのですがそう言うわけにもいきません。
30分ほどで話を打ち切り、私はルクラへ向かって歩きます。

 10:50分、ルクラに着きました。
飛行場の滑走路のすぐ上にあるロッジが今日の宿です。
ここでポーターさんとはお別れです。

 食堂で昼食を食べていると食堂の片隅でガイドがポーターさんへ賃金を支払っています。
それが終わったのを見はらかって私からのチップを渡します。
若いがポーターさんにはズボンとシャツを添えて、年寄りポーターさんには子供にあげるために持ってきた鉛筆や色鉛筆を上げました。

 食堂の外で記念写真を写します。
    
    これがチーム「ミコ隊」の写真です。

 ポーターさんは英語が話せないためほとんど話をすることはなかったのですが、それでも2週間以上一緒にいると気持ちが通じ合うものです。
彼らを外で見送る時には涙が出てきます。
「ありがとう!」といって手を振ると、手を振って坂を下っていきます。

 この後は食堂で横になってウトウトします。
日差しが当たる席を探し横になっていると本当に気持ちよく寝ることが出来ました。


 夜になってから食堂で夕食も終えて部屋に帰ろうかと思っているとドヤドヤと入ってくる一団がいます。
私のガイドがその一団のガイドに呼び止められてなぜか私までその一団の夕食に付き合わされます。
ガイドに聞くとこの一団のガイドはカトマンズでも有名なガイドさんとのことです。
年齢は50歳を過ぎている男性です。

 話を聞いていると英語やフランス語ドイツ語とも違う言葉を話す人達です。
どうやらポーランド人の人達のようです。
女性3人、男性4人、いずれも50歳は過ぎている人達です。
ガイドさんの挨拶を聞いているとカラパタールへ行ってきたようです。

一人の脱落者を出すことなく全員がカラパタールに登ることが出来たなどと話しています。
そして、ここにいたエベレストに登頂したガイドとしてパサンを紹介して、その次は日本から来てカラパタールとアイランドピークを登った人といって私を紹介します。
彼らも一緒に私達のカラパタール登頂を祝ってくれます。
などと話しています。

 そして、乾杯に入ります。
飲める人にはお猪口のような小さな容器にお酒を注ぎ、飲めない人にはコーラーが振る舞われます。
ガイドやポーターもいますので20人近い人数となっています。

 各国の言葉で乾杯といってから飲み干しましたが、甘いお酒ですが強いお酒のようです。
ノドがカーッツとしてきます。
この宴会は非常に楽しいものでした。
言葉はあまり分からないのですが、軽妙な話をするガイドさんにつられ、皆さん笑顔が絶えません。

 マリアさんというポーランドの女性が一生懸命ガイドの英語を訳しています。
ガイドやポーター達にチップが渡され座が盛り上がります。
チップを渡す時も一人一人に言葉を添えて封筒を渡しています。
こういうやり方は洗練されていて、見ていてもとても気持ちの良いものでした。

 延々と続きそうな宴会を1時間ほどで抜け出し部屋へ戻ります。

 私のトレッキングは、今日で終わりました。
彼らと楽しく過ごした時間は一生の思い出です。
楽しい時間をありがとう!
 

カラパタールからアイランドピークへ ・ その16

2011-12-21 20:58:44 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月8日 完全休養日

 今日は完全休養日と決めていました。
ルクラからカトマンズへの飛行機は10日の朝に予約しています。
9日中にルクラへ行けばいいだけですので、ここかルクラで2泊しなければなりません。
どちらで宿泊するかはガイドに任せていました。

 ガイドがここで2泊しても良いかというので了解しました。
そんなわけで、今日は完全休養日としました。
ガイドは川の向こう岸の中腹にあるお寺で行かないかと誘いますが断ります。

 洗濯とシャワーを浴びて身体を綺麗にするつもりです。
なにせ2週間近くシャワーを浴びていないのです。
着たままのシャツやズボンなども洗濯をしたいので、どこにも出掛けずにノンビリすることにしました。

 幸いに朝から上々の天気です。
ロッジに陽の当たる時間を見はらかってまずは洗濯です。
シャツとズボン、下着だけでなく靴も洗います。

 ついでに寝袋も干してやります。
シャワーの調子をみに行ったのですがお湯は無理のようです。
ガイドが頭を洗うためのお湯を持ってきてくれたので、とりあえず頭だけ先に洗います。
イヤー、気持ちが良かったです。
頭が軽くなったような気がしました。

 今日は朝から下の兄妹は学校のようです。
ブルーのワイシャツを着て8時前にお出かけです。
一番下の女の子は5~6歳かと思っていたのですが、小学生だったのですね。
この子達が帰ってきたのは夕方5時を過ぎていました。
随分頑張って勉強したようです。
夕食後もしっかり復習していました。
この子達が大人になった時にこの国はどんな風になっているのでしょうか?
   
    下の二人です。この女の子は本当に可愛い子でした。

   
    そしてお姉さんです。
    この子がガイドの妹の友達です。年を聞くと19歳とのこと。
    母親の片腕としてロッジの食事などを作っています。

 ポーター達は裏の畑で草刈りなどの野良仕事をしている。
朝から夕方までビッシリと働いている。
ネパールは食糧自給率100%と聞いている。
この仕事ぶりを見ているとそれも頷けるものでした。
この間、ガイドはどこへ行ったのか姿が見えない。

 洗濯を終えると何もすることがないので、ロッジの前のベンチで読書です。
あとは、日向ぼっこで時間を潰します。
こんなにノンビリしたのはこのトレッキング中初めてでした。

明日ルクラへ着いたら、このトレッキングも終わりかと思うと寂しくなってきます。

カラパタールからアイランドピークへ ・ その15

2011-12-19 20:54:54 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月7日 ナムチェ→バクディン

 結局、昨夜の客は私ともう一人の2人だけでした。
人気のないロッジはガランとして寒さに拍車が掛かります。

 浅めを覚ますと目の前に青空が広がります。
    
    昨夜までの雨が山では雪となっていたようで眩しく輝いています。

 ようやく天気が回復しました。
やはりトレッキングはこういった天気でなければ歩く意欲も半減です。

 7:55分、今日の行程は約3時間ほどです。
朝もちょっとゆっくり目の出発です。
天気が良いので快調に飛ばします。
まずは吊り橋まで降り坂ですのでドンドン飛ばします。

 木漏れ日が射す松林はとても気持ちよく歩けます。
すると前方からポーターさんが大きな角材を背負って登ってきます。
   
 道一杯の長さの角材は、15センチ四方ほどの太さがあります。
それを4本の背負っているのです。
一体どれほどの重さがあるのでしょうか?
歩いている様子は重さを感じさせないくらいスタスタと登ってきます。

 ナムチェから1時間ほどで吊り橋まで降ります。
ここで少し休んでいると、何とルクラへ飛んで来る時に横に座っていたガイドさんにまた会いました。
このガイドさんと会うのはこれで3回目です。

 せっかくなので少し話をしながら歩きます。
彼らはゴーキョ方面にトレッキングで入っていたのですが、天気が悪いのでゴーキョピークも登らずに降りてきたようです。
そして、このガイドさんはガイド会社を1年以内に立ち上げたいなどと話しています。
せっかくですので名刺をもらいます。
 
 日本語が堪能ですので、よろしければ皆さんに紹介したいと思います。
個人的にトレッキングを考えていらっしゃる方がいましたら、ぜひ、使ってあげてください。
私が仲介役となってこのガイドさんを紹介します。

  
 いくつかの集落を抜けると本当に3時間でパクディンに到着です。
パクディンでは、来る時に泊まったプリンスオブエベレストに泊まります。
11:00分、丁度にロッジに着きました。

 今夜も一人かなと思っていたら夕方にドヤドヤと10数人のアメリカ人グループが宿泊です。
やはり人が増えると活気が違います。
しかし、夕食の準備が始まると直ぐに停電となってしまいました。
それが今夜は長い時間停電が続きます。

 私の憶測ですが、炊事には電気コンロを使っています。
最近の日本ではほとんど見かけなくなったニクロム線の電気コンロです。
このコンロは電気量を大量に使います。
各ロッジがドット来たお客の食事を同じ時間帯に作り出すと発電容量をオーバーして停電になっているのではないかと思います。

 発電は小電力用の発電機を使った水力発電機を使って行っているようです。
ですから、一度に発電量を超える使用量となると停電になってしまいます。

 停電になると、カマドを使って調理をするしかありません。
台所を見ると大変なことになっています。
奥さんや娘さんがケイタイや懐中電灯を口にくわえながら阿修羅のごとき様相で調理をしています。

 この集落が停電のない様な発電設備を持つのはいつのことになるでしょうか?
こういったインフラの整備は政府の責任で行われるべきですが、この国の政府といったら憲法一つ制定することが出来ない有様です。

 民は、自分達で生活を守っている。
政府を当てにはしていない。
日本の現状に当てはめてみて政治が果たしている役割においてネパールを後進国だなどとはいえない現状があります。
どちらの政府もどっこいどっこいですね。

 



 

カラパタールからアイランドピークへ ・ その14

2011-12-18 21:03:06 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月6日 テンボチェ→ナムチェ

 昨夜は上の階がガタガタとうるさく寝付かれませんでした。
それでも、疲れていたせいか朝方には短い時間でしたが前後不覚で寝たようです。
寒い食堂でさっつさと朝食を済ませて外へ出ます。

 外はどんよりとした曇り空です。
風も冷たく、これなら歩いた方が体が温まるというものです。

 7:45分、お寺の前から谷に向かって降ります。
その時、上を見て驚きました。
谷間の上は一面の雲ですが、その雲間から漏れた光のせいでしょうか。
上空が紫色に輝いているのです。
まるで海の底から上を見ているような不思議な光です。
   
    写真では青くしか見えないのですが、実際には紫色です。
   

 この谷は、タムセルクとカンティガのコルに続いている谷です。
ここから谷底へ向かってひたすら降ります。
ガイドが親戚のロッジに呼ばれて遅れているので一人で降ります。
一人で歩くのは気持ちがいいです。

 8:40分、谷底にある軍隊の監視所まで来ました。
ここでチェックされるのかと思いガイドが来るのを待っていましたがなかなか来ません。
監視所を覗くと誰もいませんので、通り過ぎてしまいます。
するとその直ぐ先にある茶店からポーターさんが顔を出して茶店へ入るように手招きします。
茶店へはいるとガイドもいました。
どうやら、近道を飛ばして私を追い抜いていたようです。

 茶店でお茶を飲んでから吊り橋を渡ります。
そして今度は降った分を登らなければなりません。
ゆっくり登っていると畑が目に入ります。
よく見るとキャベツとニンジンが大きく育っています。
   
    この辺りは標高3,200mほどあります。
    それでも、立派な野菜が育っています。

 一度歩いた道は様子が分かっているだけに楽に歩けます。
   
 後ろを振り返るとテェンボチェが遠くに見えます。

 坂道を登りきるとゴーキョへの分岐点があります。
   
   ここを左手に進んでいくとゴーキョへ行けます。

 11:30分、ナムチェの町へ着きました。
空からポツポツと細かな雨が落ちてきます。
今日の宿は前回とは谷を挟んだ反対側にあるロッジです。
お客は私一人のようです。

 直ぐ下のストーパがある広場に市が開かれているようです。
   
 退屈なので市を見に行きます。
並べられている商品を見ると衣料品と靴が大半を占めています。
一渡り見た後、町の戻ろうとするとガイドとポーター達もやってきました。

 市からメインストリートに戻った所にカフェがあります。
ちょっと洒落たカフェでしたので入ってみました。
するとこのカフェにはストーブが焚かれていたので、一番ストーブに近い席に座ります。
カプチーノを頼みます。
250ルピーとなかなかの値段ですが、ストーブがあるので文句は言いません。
暖かい場所にいられるだけで幸せな気分です。

このカフェの真向かいにあるナイトクラブ風のお店の前にあるボードに映画の案内が書かれています。
「In to thin air」(日本の題名 空へ)という映画です。
この映画の翻訳本を読んだことを思い出しました。
上映時間まで1時間以上あるのでいったん宿へ戻ります。

 上映時間に会わせて店へ入るとストーブが良く燃えています。
これは良いところへ来たと思いました。
ホットココアを頼んでストーブの横へ陣取ります。
天井にプロジェクターがあるのでこれで上映するのかと思っていました。

 時間が来ても上映する気配がありません。
15分ほど経ったでしょうか。
カウンターにあるテレビをいじり出しました。
どうやらテレビを使ってDVDを上映するようです。
お客さんは、カップルが2組に私の5人です。

 英語版ですので私はセリフがほとんど理解できません。
でも、この映画は公募隊によるエベレスト登山ですので山を写している場面だけ見てもなかなかの迫力です。
登場人物の中に日本人女性が出てきます。
ここで話のあらましを思い出しました。

 この日本人女性は難波康子さんです。
日本人女性で田部井さんの次くらいに7サミットを達成した人です。
しかも、このエベレストで7サミッターになったのですが、下山中に吹雪のため死亡するという栄光と挫折に見舞われた人です。

 当時の私は、エベレストに登るには大規模な登山隊を組織しなければ登ることは出来ないと思っていました。
難波さんが使った公募隊という組織がどんなものを指しているのか興味があって翻訳本を買って読んだのです。
そして、いわゆるツァー登山でエベレストに登ったという事実を初めて知りました。
私が山に登っていない30年近くの間にツァー登山でエベレストに登るというところまで来ていたのです。
これは衝撃でした。
こんな方法でエベレストが登れるならお金さえあれば個人でも行けるはずです。

 映画の中での難波さんの描かれ方は最悪でした。
ちょっと気の毒なくらい登山というものが分かってないような描かれ方でした。

興味のある方は、DVDを借りてみてください。


  
   

 

カラパタールからアイランドピークへ ・ その13

2011-12-13 21:29:15 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月5日  チュクン(4,730m)→ディンボチェ(4,343m)→パンボチェ(3,901m)→ティンボチェ(3,820m)

 昨日の疲れも取れていませんが、チュクンから出発します。
今日はディンボチェまででも良いかなどとガイドと話していました。
天気は降り坂です。
空は厚い雲が覆い、風も出て気温も低いです。

 8:30分、歩き出しますが、思ったより身体が動きます。
それは道が降りのせいだからです。
足を前へ出すだけで進めるのはとても楽です。
30分ほど降ると、下から登ってくる人の出会います。

 その中に日本人で同世代と思われる単独の女性がいました。
声を掛けると外国人との混成グループで歩いているようでした。
彼女からの情報によると、この5日くらい前から天気が崩れ彼女たちがルクラに着いた日以後、飛行機が欠航しているとのことです。
ですから、「私達のあとから登ってくる人はいないですよ」と教えてくれます。

 私が、雲海だといって見ていた雲が原因で飛行機が飛べないようです。
カトマンズ→ルクラ間の飛行機は有視界飛行で飛んでいるので雲が出たら飛べないのでしょう。
そうすると、逆にルクラからカトマンズへも行けないことになります。
これは困ったと思いましたが、私達がルクラからカトマンズへ飛ぶ予定は10日です。
まだ5日もあるのですからそのうち天気は回復するでしょう。
焦る必要はありません。

 などと考えて降っていると、約1時間でディンボチェに着いてしまいます。
ロッジでお茶をご馳走になります。
私はこのロッジで泊まるつもりでいました。
時間的には早いのですが、先を急ぐ必要はないと思い、2階の食堂で時折指してくる日差しを楽しみながらお茶を飲んでいました。

 ところが30分ほど休んでいるとガイドが出発するといいます。
どこまで行くか聞くとティンボチェまで行くといいます。
「おいおい、そんなに急いでどうするの?」と思いましたが、飛行機の欠航などもあり先を急ぐ必要があるのかと思いガイドの指示に従うことにしました。

 ディンボチェから降っていると天気がいよいよ怪しくなってきます。
気温が下がり風が強く吹いてきます。
こんな天気は初めてです。
それでも、下りばかりの道ですので疲れたからでも進みます。

 12:00分、パクディンに到着です。
ここで昼食を取るのですが、連れて行かれたロッジはガイドの実家のようです。
食堂に飾ってある写真の中にガイドのパサンと両親が一緒に写っているモノがあります。
それで、ここまで降ってきたのかと納得したのです。

 昼食を済ませましたが、ガイドはどこへ行っているのか戻ってきません。
1時間30分も寒い食堂で時間を潰していました。

 13:30分にやっと出発です。
ここから少し降ってツリ橋を渡るとティンボチェまで緩い登りとなります。
寒いのでモノも言わずにひたすら歩きます。
さすがに登りになると足が動かなくなります。
それを騙し騙し歩くのですが、標高が落ちてきているせいかそれなりに歩けます。
そうこうしているうちに14:55分、ティンボチェに着いてしまいました。

 前回泊まった宿は満員で断られてしまいます。
次にいった宿も満員です。
おいおい、飛行機の欠航でルクラからナムチェ、この辺りの宿まで満員となっているのかと心配しましたが3軒目の宿で泊まることが出来ました。

 飛行機が欠航することはある程度予想していました。
今回はそれを考えてカトマンズから日本へ帰国する便の確保について数日の余裕を取って予約してあります。
でも、1週間もルクラからカトマンズへ帰れないことは想定しておりません。
どうなるか心配でしたが、為るようにしかならないと開き直っていました。

カラパタールからアイランドピークへ ・ その12

2011-12-11 18:41:05 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月3日 ハイキャンプ→アイランド・ピーク(6,189m)→ハイキャンプ→BC→チュクン(4,730m)

 今日はいよいよ登頂日です。
出発は、午前3時といわれています。
隣のテントがゴソゴソと起き出したようです。
時計を見るとまだ1時20分くらいです。
もう少し寝ていてもいいかと思い寝袋の中でウトウトしてました。

 午前2時、私は起きましたがガイドはまだ寝ています。
私の気配を察したのかガイドも起きました。
朝食はレトルトを暖めるだけですのでお湯を沸かせば直ぐに食べられます。
慌ただしく朝食を済ませ出発の準備をします。
ザックは昨夜の内に必要なものは全て詰めてあるので、ズボンをフリース付きのものに替えてダウンも着ていきます。
ハーネスも付けることにしました。

 冬用の靴を履きスパッツを付けてテントの外へでると満天の星空が広がっています。
オリオン座の三つ星が明るく輝き、銀河も白く川のように見えます。
隣のテントも用意が出来たようですので声を掛けて、さあ、いよいよ出発です。

 上を見るとすでに数人が登っているようです。

 『ここから降ってくる時に写した写真を登る順番に置き換えてお見せします。』

  
  コース全体を見てください。正面の白く見える沢を登り詰め、
  右手の稜線を登り最奥部の白い部分に向かって登ります。

  
   ハイキャンプに張った私達のテントです。
   5~6mの岩棚の上に張っています。

  
   ハイキャンプから浅い谷を登り岩稜に達したところです。
   私の右耳の直ぐ左手にハイキャンプのテントが見えています。

 ここまで登ってくるのは、真っ暗な中、ヘッドライトを頼りに登りましたが、コースが良く分かりませんでした。
まさに、ガイドがいなければ登れないと感じました。
岩場の上にタルチョンがはためいています。
この先は狭い稜線となっており固定ザイルが張られています。
ここまで約2時間ほどでしょうか。
  
  
 この辺りで、ヘッドライトが消えてしまいます。
電池が消耗してしまったようです。
このようなことがないように新しい電池に入れ替えた来たのですが、百均の電池でしたので餅が悪かったのでしょうか。
予備の電池に換えましたが、それは今まで使っていた電池でしたので、これもそれほど持たなかったのです。
でも、幸いに岩場から雪の上を歩くようになっていましたので前後のライトに助けられ何とか歩くことが出来ました。

   
    眼下にイムジャ湖が見えてきます。

   
    これイムジャ湖の全景です。

   
    この氷河の上を歩くのですが、氷河に踏み跡が付いているので迷う心配はありません。

   
    初めて間近に見る氷河です。綺麗でした。

   
    ナイフリッジから氷河になった部分を写しています。

 この辺りでは、ゆっくる歩いているとそれほど苦しくはないのですが、休むタイミングが分からず苦労しました。
私は、呼吸が苦しくならないように数を2百くらい数えたところで立ち止まり数呼吸入れて歩くのですが、すでに、後ろも詰まっているのでこの休むタイミングが難しいのです。

 前方に稜線に続く壁が見えてきました。
   
 この辺りでやっと明るくなってきました。
ここまで約3時間ほど掛かったでしょうか。
正面やや左手にある溝のようなところに固定ザイルが張られています。
これを登ります。
 
   
    こんな感じでユマールを使って登ります。
   
    登るにしたがって傾斜が増してきますが、それほど大変ではなかったのです。

 しかし、稜線まで6~7mというところにオーバーハング状にえぐれたところがあり、これを越えるのに苦労しました。
正面に向かった状態では登れなかったので、身体を横にして背中と足を利用して登りました。
このほんの数メートルを越えるのに全身の力を振り絞ったせいなのでしょうか、稜線に上がった時に目が白く汚れたように感じました。

 稜線上で息を整えるために横に座り目を拭きましたが、その白く曇ったモノが取れないのです。
ちょっと眩しく薄目にして進みます。
   
    稜線は狭いのですが風がないのでなんとか歩けます。

 しかし、息が荒くなっているので、1,2,3,4と数えながら4で1歩進むような有様です。
そうこうしているとピークが見えてきました。
   
    ここまで来れば、あとは何としても山頂へ行くだけです。

 8時丁度、ハイキャンプから約5時間で山頂に到着です。
感激する間もなく狭い山頂に座り込んで写真を写してもらいます。
次々と登頂者が登ってきます。
直ぐに場所を空けてやらないといけません。
慌ただしい山頂でしたが、天気に恵まれ生涯最高点を極めました。

 下山は慎重におります。
目の調子が悪いのは高度障害だと思っていました。
下山すれば良くなるだろうと思っていましたが、心配なのは岩場の降りです。
氷河の上はそれほど問題なく降れます。
写真を撮りながらゆっくり降ります。

 ハイキャンプまで戻ってきた時は相当疲れていました。
ここまでろくに食事も取らず水もほとんど飲まずに降ってきたのでまずはお茶を飲みます。
そしてゴロリと横になります。

 ポーターさん達がBCから登ってきておりテント周辺の荷物を片づけています。
20分ほど横になって休んでいるとガイドが行きますよと声を掛けてきます。
渋々といった感じで身体を起こします。

 靴を履き替えて降ります。
ハイキャンプからの降りも岩場ですので慎重に降ります。
それでも登りに較べると楽です。
約1時間ほどでBCまで降ってしまいます。

 BCでは、ガイドの親戚がやっている大きなテントの中でお茶をもらいます。
少し砂糖を多めに入れて飲みます。
食事が思うように取れていないのでこの砂糖も大事なカロリー源なのです。

 30分ほど休んでからチュクンに向けて出発します。
ここからが長かった。
疲れたからですでに9時間近く歩いています。
歩くスピードは疲労のため完全に落ちているのですが、休むと歩けなくなってしまうような気がしてチュクンまで休まないで歩き通すと心に誓って歩きます。

 2時間30分ほど掛かってやっとチュクンのロッジに到着です。
今日は、朝3時に歩き出してチュクンのロッジに着いたのは15:30分でした。
正直、自分をほめてやりたいと思いました。
この高度で12時間を超える行動時間を歩き通せたのは、日高で歩いた14時間があった成果だと思いました。

 ロッジでは、部屋に荷物を置いたら食堂のストーブの前で体を温めます。
ミルクティーを飲むと少し気持ちが落ち着いてきました。
20分くらい目を瞑っていると目に掛かっていた白い曇りも取れました。
やはり高度障害だったようです。

 夕食をゆっくり食べて7時過ぎに部屋へ戻ります。
今夜はお湯をペットボトルに詰めて湯たんぽを作りましたので暖かく寝ることが出来ます。
寝袋に中で、今日一日の行程を思い出しながらウトウトしていました。

 すると、ドアをノックする音が聞こえてきました。
「イエース」と答えていると、何とドアを開けて入ってくる人がいます。
このロッジはプラスチック製の立派なドアでしたので鍵を掛けずに寝ていたのです。
ヘッドライトを付けてドアを開けられているので逆光で相手の顔が見えません。
「アーユージャパニーズ」という声が聞こえます。
どうやら若い女性のようです。
「イエース」など答えていると、彼女が部屋の電灯のスイッチを付けたので明るくなりました。

 ドアのところに若い女性がカメラを持ってたっています。
その女性が、カメラの調子が悪いので見てほしいといっているようです。
オイ、オイ、またですか!
そういえばカイラスに行った時にも動かない日本製のカメラを日本人だから直せるのでないかと持ってこられたことがありました。
そんなことを思い出しながら、その女性を部屋に入れてカメラを受け取ります。

 カメラは何とキャノンのカメラでした。
しかも私が持っているカメラの旧型のカメラだったのです。
受け取ったカメラを見るとSDカードがおかしいようです。
彼女のカメラからSDカードを抜き取り私のカメラに入れてみると「認識されない形式のカードです」とメッセージが出ます。

 SDカードを初期化しようと思ったのですが、もし、彼女がこのカードで写していたあとにおかしくなってのなら初期化してしまうとそのデータが消えてしまうことに気が付きました。
そのため、仕方がないので私が予備に持ってるSDカードを彼女にやることにします。

 彼女に今まで使っていたSDカードを使わないようにいってから、私のカードを見せて、プレゼントすることを伝えます。
ちょっとビックリしていましたが、私がいっていることは通じたようです。
新しいSDカードを入れた彼女のカメラで彼女を写してきちんと作動していることを確認します。

 彼女はお礼を言って部屋から出ていきました。
やれ、やれ、これで寝られると思って電灯を消して寝袋に潜り込みます。

 10分ほども経ったでしょうか。
コン、コンとドアをノックする音が聞こえます。
「イエース」というとドアが開きます。
そこに、彼女が立っています。
オイ、オイ今度は何ですか?

  

カラパタールからアイランドピークへ ・ その11

2011-12-09 19:58:41 | エベレスト街道を歩きカラパタールからアイランドピークへ
 11月3日 BC(5,080m)→ハイキャンプ(5,600m)

 今日はハイキャンプまで登ります。
ガイドが何か言っています。
英語で話しかけてくるのですが、要領を得ません。
どうやらポーターはハイキャンプには泊まらないと行っているようです。
荷物はどうするか聞くと登攀に必要なものは持っていくといいます。
そして、登頂に不必要なものはBCに置いていくので自分の荷物から選別してほしいといいます。

 自分の荷物から登頂に不必要なものを選別して袋に詰めます。
それ以外はバックに詰めてポーターに渡します。

 10:00分、ベースキャンプを出発します。
天気は上々、ダラダラした登りが続きます。
しばらく登ると右手にイムジャ湖が見えてきます。
緑色の水色が白く濁った不思議な色で光っています。

 30分ほど歩いたところで、突然、ガイドが左手を指します。
ここからいきなりの急登が続きます。
この急登の上部がハイキャンプのようです。

 つづら折りの急登を喘ぎながら登ります。
しばらく登るとアマダブラムとイムジャ湖が見えてきます。
   
   
 さらに小1時間ほど登るとやっとハイキャンプが見えてきました。
   
    岩だらけでどこにテントを張るのか思わずキョロキョロしてしまいます。

 結局、一番上にある岩棚にテントを張ることになりました。
   
    右手奥に続く谷の左手に黒く見える岩の上にテントを張ります。

 このテン場までBCから1時間45分ほどでした。
11:45分、テン場到着です。

 テントを張っている間、私はアマダブラムとイムジャ湖の不思議な色を楽しみます。
時々、雷の様な音が聞こえてきます。
正面の氷河が崩壊している音のようです。

 テントの中は熱いので両側を開け放して昼寝します。
とても気持ちよく、ウトウト出来ました。

 ガイドが隣のテントのガイドと話をしています。
隣は40代のコリアンが単独で来ています。
明日はこの人達と一緒に登ることになりました。

 水場がどこにあるか気になっていたのですが、若い方のポーターがポリタンクに半分ほど水を汲んできました。
その場所に水晶があるようです。
ガイドが水晶を取ってきました。
完全な6角形で細い針のようなものもあります。
その中から少しもらいましたので、石好きな孫のお土産にします。

 今日は、こんな具合でノンビリしています。
3時頃になるとポーターが下山します。
BCまで降りてしまうようです。
そのためにBCにテントを1張り残したのです。

 今夜は、ガイドと二人で1泊します。