井の中の蛙、カイラス山巡礼に挑む!

夢のカイラス巡礼を終え、登山を再開しました。山岳信仰の延長上に四国遍路、カイラス山巡礼があり、原点の登山に戻ります。

飯舘村へ除染に来てみた! その3

2013-06-09 10:46:22 | その他
 飯舘村の除染作業に入って4週間か経過しました。
両足首の湿疹もかなり回復してきました。

 ここで寮の生活を紹介したいと思います。

 寮は南相馬市鹿島区大内という場所にあります。
この場所は海にも近く当然ですが津波の被害を受けています。
   
   この通り周りには何もない場所に寮があります。

 寮のすぐ近くにある住宅ですが、1階部分は津波の被害受けています。
ブロック塀が倒され、一階部分の窓がブルーシートで覆われたままです。
   
    1階の窓にはブルーシート、痛々しい姿です。

 寮の周りは水田が広がっていますが、その水田は草ぼうぼうのまま放置されています。
寮から一番近いコンビニまで3キロはあるという超不便な場所ですので買い物一つとっても不便でしょうがありません。
普段の買い物は、飯舘村から帰ってくるときに近くのコンビニへ寄って済ませます。
食事は、日曜日以外用意されていますので主な買い物はタバコ、ビールなどの飲み物、食料品などです。

 寮は貨車を利用して作られています。
下請け企業の社員は、1両が6つに仕切られた個室となっています。
私たちのような作業員は、1両が4つに仕切られ、1室が間口4m、奥行き2mほどの広さを2人で使うようになっています。
   
   メインストリートです。
   この廊下の左右に居室やトイレに食堂などが配置されています。
   
   
    私の部屋です。
   作業員用の2人部屋です。

 左右に造り付けのベットがあるだけの簡単な部屋ですが、エアコンとテレビは備え付けです。

   
 食堂は、貨車3両をつないで造られています。
半分が調理室、半分が食堂となっています。
賄いは2人のお婆さんによって造られています。
約70人分の朝食と夕食を造っています。

 朝食は、バイキング形式で10種類ほどのおかずがあります。
スクランブルエッグ、もやしの炒め物、野菜サラダなど定番のおかずの他、決まり切った副食が10種類ほどあります。

私は、納豆と野菜を積極的に食べるようにしています。
もちろん、ご飯とみそ汁は食べ放題です。
 私が感心したことが一つあります。

   
それは、朝食をパン食にしている人がいるということです。
そのため、ハムエッグを造ることができるようにガステーブルが備え付けられています。
結構年齢の高い人でもパン食の人がいるのは意外でした。
もちろん、私は米食です。
しっかりご飯を食べてカロリーを補給します。

夕食は結構いいろいろなメニューが出てきます。
味はまあまあです。というか、好き嫌いのない私にとって十分な食事となっています。
唯一、固定されているメニューが金曜日のカレーです。
このカレーになぜかフライやトンカツが付きます。
   

 結構なボリュームがありますが、いつも残さず食べるようにしています。
まだ一度も出てこないメニューはお刺身でしょうか。
このような寮で一番怖いのが食中毒です。
そういった点から考えると生もののお刺身は無理なのでしょう。


 毎日汗だくとなって帰ってくるとまずはお風呂で汗を流せねば1日が終わったような気がしません。
お風呂は手足を伸ばして入れる広さがあります。
この広さのお風呂が2カ所あります。
   
 そして次に日課となるのが洗濯です。
毎日その日着た作業服を洗濯します。
   

   
   洗面台です。

 仕事を終えて寮に帰ってくるのが6時頃、すぐにご飯を食べて風呂に入り、洗濯機の空くのを待って洗濯を済ませると8時過ぎになります。
図書館から借りてきた本を読んで10時には就寝という健康的な生活です。

 夕食後の過ごし方はいろいろですが、飲んで騒ぐ人はほとんどいません。
皆さん思いの外大人しく、DVDで映画を見たり、ネットで遊んでいるなど、昔の飲んだくれや荒くれた男達というイメージから掛け離れた生活をおくっている人が多いです。

 さて、この寮の建っている南相馬市は海霧が発生するなど朝晩は結構寒い気候が続きます。
一方、飯舘村は内陸にあるため朝晩は涼しくても8時を過ぎるとグングン気温が上がります。
帰りのバスも最初はクーラーを入れてもらうのですが、汗でどっぷり濡れた身体はすぐに冷えてしまい、さらに、寮に帰ると寒いので風邪を引いている人が絶えません。

このような朝晩が寒い天気は梅雨明けまで続き、本格的な暑さは梅雨明けになるということです。
しかし、北国育ちの私にとって猛暑の中で土方作業は過酷です。
原発での作業に異動できないようであれば除染作業から一時撤退することを考えています。

 こんな朝晩は寒く、日中は30度を超える日もあるという過酷な条件下において体調を崩すことなく、健康に過ごせるのは本当にありがたいことです。

  

飯舘村へ除染に来てみた! その2

2013-06-02 11:19:24 | その他
 除染作業に携わって3週間が経過しました。
そこで、実際の除染作業がどんな風に行われているか全体像が分かってきましたので紹介したいと思います。


実際の除染作業は、次のような手順で行われています。

1 まず、三菱マテリアルの人たちが除染対象者の土地家屋の放射線量を計測します。

 そして、線量の高い場所(屋根の雨が集まる縦樋の下)には赤いコンポストを立てて注意を促します。

2 家屋をはじめとする生活圏の周りの山林(生活圏から21m)の落ち葉を除去します。

枯れ葉を除去すると放射性物質が飛散したときの地面が現れますので一時的に放射線量が高くなります。
次に枯れ葉の下の地面を箒などで木の根が現れるくらい軽く土を剥ぎ取ります。
  こうすると放射線量が低下します。

3 周囲の除染が終わったところで高い場所から下に向かって順次作業を行います。

4 家屋は、屋根の除染から行います。

  高所作業車などを使い紙製の四つ折りされたキムタオルを水に浸したもので屋根のトタン板を拭きます。
  このときの作業も細かく決められていて、キムタオルは上から下へ一方向に拭きます。
  上から下、下から上への往復拭きはしないようにします。
  一度拭いた面を変えて拭き取りの作業を行います。
  
  このとき大変なのがこのキムタオルを剥がして新しい面を出す作業です。
  3重の手袋をしている指で薄い紙製のキムタオルを剥がすのは神経の疲れる作業です。
  下手をすると拭いている時間よりキムタオルを剥がす作業の方が時間が掛かるくらいです。

  屋根が終わると壁を同じようにしてキムタオルで拭いていきます。

5 家屋が終わると周辺の土を5センチほど剥ぎ取りそこへ砂や砂利を入れます。

6 ホットスポットは、15センチほど土を剥ぎ取ります。

  ホットスポットでの作業にはタイベックスという例の白い防護服を着て作業を行います。
  この服は通気性がないので汗や熱気がこもってしまいます。
  そのため直射日光の当たる場所での作業は汗だくになり大変です。

7 住宅周辺の草なども刈り取ってしまいます。

8 最後に除染効果を測定します。

  測定結果が良好であれば除染作業は終了となります。


 こんな具合に作業は進みますが、作業の大半は細かな作業が主体ですので手作業がほとんどとなります。
バックホーなどの建設用機械が使えるのは住宅周りなどのほんの一部になります。

 私が除染作業に携わっているお宅は数頭の肉牛を飼っている農家さんです。
そのため広い敷地と母屋のほかに納屋や畜舎など数棟の家屋を持っています。
必然的に作業面積も広く作業量も膨大になっています。

 4月中旬からこのお宅の除染作業に掛かり、5月が終わろうという今でもまだ作業が続いています。


さて、こうやって除染作業は進んでいきますが、この結果大量の土砂と枯れ葉などの廃棄物が出てきます。
これらの廃棄物は汚染物質ですので簡単に処理することはできません。
仮仮置場という場所に集められ一時的な保管を行っています。

 除染作業が進んでもいろいろな問題が解決されたわけではありません。
一番の問題は、こうやって除染作業が進んだ結果として村民の人達が戻ってきて住めるかということです。

 私が除染作業を行っていたお宅のご夫婦は時々帰ってきていました。
聞くところによると村には5百人ほどの人が自主的に戻ってきて住んでいるようだといいます。
しかし、村にはお店などはありません。
工事関係車への給油をするガソリンスタンドも一日2回朝と夕方に店を開くだけです。
この状態では、日常的な買い物などはすべて近隣の町で行わなければなりません。

 また、村民の方々すべてが除染作業に同意しているわけではありません。
まだ気持ちの整理がついていない方も多いのだと思います。
除染作業が終わったからといって東電や国としての責任を果たしたような顔をされては困ると考える人がいても不思議はありません。

 休憩場所に藤棚があります。
   
   真っ白い藤が何事もなかったように咲いています。

 飯舘村の住民に方々は何時になったらこの藤を楽しむことができるようになるのでしょうか?