ねぇさん日記

ねぇさんの「寝言は寝て言え!」的酔っ払いのつぶやき
<2004.10.29~>

祖父の思い出

2008-01-08 10:00:09 | 日記
冬休みの宿題が入っているのだろうか、
大きな袋を引きずるようにして通学する小学生の群れを久々に目にして
これでホンマに日常が戻ってきたのだな、となんだかホッとする火曜の朝である。

ワタシには子供がいないせいもあってか、
甥っ子や姪っ子とはかなり友達チックな付き合いをしているのだが、
それでも彼らにとってみればワタシはある意味「こわい」存在であるようで、
父(彼らにとっては祖父)についでナンバー2というハナシを聞いたことがある。

ここんところ、あちらこちらで躾がなってない子供の姿を目にすることが多いが、
それは核家族化によって、まわりの血縁者達との関わりが少なくなったせいだろう。

物心ついた頃から、ワタシの記憶の中でずーっと寝たきりであった父方の祖父は
その病気のせいからか、昔ながらの気質のせいかいつもしかめっ面であった。

祖父が寝ているベッドは絨毯を敷いた和室にあり、
壁にはさらに厳めしい顔をした祖父の自画像が飾ってあったのだが、
そのあまりもの迫力にワタシはとても目線をあわせることができなかった。

機嫌の悪いときは杖を振り回して怒鳴ったりする祖父のいる
あの微妙に湿気を帯びた古い家に行くことが
子供心にはなんとも言えないプレッシャーであったのだけれど、
「イヤだ」などとはとても言える雰囲気ではなく、
半ば「行」のようにしょっちゅう母に連れて行かれていた。

(今から思えば母も一人で行くのがイヤだったのではなかろうか?)

そこには昔っから住み込みで働いている「主」のようなお手伝いさんがいて、
なぜかわからないが、その人は血縁者である私たちよりも数倍大きな顔をして
台所の片隅で睨みをきかせていた。

記憶は曖昧ではあるが、キセルを吸うてはったような気がする。
それもなんだか怖い存在だった。

船場の御寮人さん(ごりょんさん)である祖母は
いつも背筋をピンと伸ばして座敷の定位置に座っており、
私たちが行くとおもむろに玉露のお茶を入れ、
襖の棚の奥から「たまご煎餅」を出してくれたのだが、
それはとてもくつろげるような雰囲気ではなく、
「早く帰ろうよビーム」を母に向かって送っていたのを覚えている。

祖父が亡くなったとき、ワタシは小学校5年生だった。
一番最初に体験した身内の死だったのだが、
お葬式に参列しても、「悲しい」という気持ちは湧いてこなかった。

そんな和やかとはとてもいえない祖父母との関係。

やってはいけないこと。
やらなくてはいけないこと。

いろんなことを好むと好まざるに関わらず叩き込まれた幼少時代。
それは今のワタシの中で間違いなく生き続けている。

祖父の厳格さは父に受け継がれ
甥っ子や姪っ子は「恐れ」というものを知っていくのだろう。

ワタシからも、か?(爆)

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