ねぇさん日記

ねぇさんの「寝言は寝て言え!」的酔っ払いのつぶやき
<2004.10.29~>

あの頃の就活

2007-12-14 09:57:35 | 日記
いまおかれている状況を考えると、
つくづく「生活」の為だけに働いてきたのではないことを改めて実感する。

環境的に恵まれていたという事実をどこかで認めたくなかったし、
父が昔から「(ワタシが)贅沢をすることによって特別扱いされる」ことを
危惧していたこともあって、
彼らの貨幣価値とはまた違う環境の中で生きようとしてきた。

が、なんぼ自分が贅沢な生活せぇへんから、と言っても
実家に帰って2つある冷蔵庫を開ければいつも食材で満タンやし、
冬は床暖で家中が暖かいし、夏はエアコンで家中が涼しいし、
土曜は寿司の日やし、夫婦でゴルフして、ビジネスクラスで海外旅行...

そんな生活をしている両親をなんの違和感もなく受け入れ、
その恩恵を享受している私自身が「贅沢」そのものなのかもしれない。

 ◆

私立の女子高を卒業して、そのままエスカレーターで大学に進学する際、
当時「就職に有利だ」と言われていた短大ではなく
四年制の大学の方に行くように、と両親から指示されたことに対して、
最初はほんの少し違和感を感じたが、結局それを受け入れた。

別にやりたいことがあったわけじゃないし、
どうしても働きたいなんて思ってなかったし。

ただなんとなく大学に行って「女子大生」というのを満喫しながらも、
両親の敷いた「卒業後は見合いして結婚」という
今から考えるとありえへんような道を進むべく
ガラにもなく華道や茶道、料理教室にも通ったりして。

が、現実はそないに予定通りすすむものじゃーない。

就職活動もなーんもしなかったため、
大学卒業後はしばらく「家事手伝い」なんて体裁のいいフリをしていたが、
親が敷いたレール上にあったはずの「見合い結婚」という駅は見事に通過。

その後1年くらいは友達のやってたスポーツ企画の事務所で
バイトしたりしていたのだけれど、
そこに予想外の展開など起こるわけもなく、
みんなよりずいぶん遅れてようやく真面目に仕事を探すことに。

なんもできへん癖にやたらプライドだけ高かったワタシは
今さら父に頼んで仕事を紹介してもらうのだけはどうしてもイヤで、
リクルート情報誌で仕事を探して
勝手に決めてから父に報告したらやたら怒られたっけ。

計算機なんて満足に使ったこともない英米文学部出身のワタシが
配属されたのは大手ファミレスチェーン店の経理部。
それもいきなり決算期。

毎晩10時過ぎまでの残業が続いた。
当時はまだパソコンや便利な経理ソフトなんてなかったし、
借方貸方なんてさっぱりわからん素人だったので、
先輩にいろいろ教えてもらいながらノートに書き込んで必死に覚えた。

で、みんなより1年半ほど遅れて「社会人一年生」になった。

失敗も当然あったし、辛いこともあったけど、
「これはワタシに向いてる!」って直感した。

「遣り甲斐」ってーのかな。
こないだまでわからんことがわかるようになったり、
他人に聞かないとできなかったことが、自分で処理できるようになったり、
より良い方法を考えられる余裕が出てきたり。

そんなこんなの今。

働く場所は変わったにせよ、
「仕事が楽しい」とまでは思わないにせよ、
自分を活かせる職場であるかどうか、は大きな問題である。

なにができるのか?と問われてその選択肢はたくさんはない。

が、大学のときちゃんと就職活動をしていたら、なんて思ったりしたくはない。
って言ってる時点でちょっと思ったりしてるのかもしれんが(可能性の面で、ね)。

一つ言えるのは、いま歩いているのは親の敷いたレールの上ではない、ということである。
人のせいにはできない。
自分の止まる駅は自分で決めなきゃ。

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