ねぇさん日記

ねぇさんの「寝言は寝て言え!」的酔っ払いのつぶやき
<2004.10.29~>

強さと弱さ

2005-06-30 09:04:18 | 日記
夕方家に戻ってきて扇風機の前で涼んでいたら、電話が鳴った

最近は電話がかかってくると言うともっぱら携帯が多いので、
家の電話が、それもこんな時間にかかってくるとなると、だいたいの相手は予想がつく。

出てみるとそれはやはり母からの電話だった。
が、その様子は尋常ではない。
受話器の向こうから聞こえてくるのは私の名前を呼びながらすすり泣く母の声
 あぁ~、また鬱がぶりかえしてきたんだなぁ・・・そう思った

母は私が高校生のときに3年ほど、
 そして去年の夏以降から再び鬱病を患っている。

ここ数ヶ月でずいぶんとましになってきて、
こないだの日曜日も兄貴の家で一緒に食事をしたところだったのだが、
聞いてみると、父が留守でいなくて、1人きりで家にいたら不安になったらしい。

鬱病になるのは人それぞれの原因があるだろう。
(もしかしたらこれと言った原因なんてないのかもしれないが)
母の場合、若い時から「1人で大丈夫!」と頑張りすぎて、
そのピン!と張っていた糸がどこかでプツリと切れてしまったのではないかと思う。

そういう私も10数年前に同じように鬱の状態で
2年程社会から遠ざからざるを得ない状態になってしまったことがある。

そんな暗い過去は誰にも言うまい!とずっと隠して生きてきていたのだけれど、
ここんところいろいろ思うことがあって、
そういう私も自分自身なのだし、少しずつ晒すのもありかな~、と思っている。
予想を裏切って、いきなり晒される方はたまったもんじゃないのかも知れないが、
そんなことは知ったことじゃない(笑)

さて、話は戻って・・・
鬱というものが遺伝的なものなのかどうか、はわからないけれど、
性格的なものは確実に似てくるものなのだろう。

私もずーっと「1人で大丈夫」と強がって生きてきたし、
そういうキャラだと廻りの人も思っているだろう。

ホントは弱い人間なのに、廻りの人の期待に応えようとして無理をしたり、
がんばることを続けてくると、人間はどこかで清算しなきゃいけなくなっちゃうんだよね、きっと。

母の泣き声を聞きながら私はそんなことを思っていた。

泣きたいときは泣けばいいんだ。
我慢しようと無理しなくてもいい。
どれだけ堪えても、そうなることは運命で決まっているのだろうし。
自分を開放すること(解放なのかな)も必要なんだよ

そんな話をしていたら母も落ち着いてきたようで、「ごめんね」と何度も私に謝っていた。
 やっぱ気ぃ遣いなんだからなぁ、もう・・・

母が頼れるのは実の娘である私だけなのかもしれない。
私も親に頼られるような年になったのかとちょっと感慨深いものもあった。
自分が同じような病気を経験したからこそわかることもあるのだろう。

もし、今、あの経験を繰り返したいか?と聞かれたら
二度とゴメンだ、と答えるだろうけれど、私は今の自分が好きだ。
いろんなことがあって、ドロドロになりながらも乗り越えて、笑って振り返られる今の自分が。
泣いている母を黙って受け止めてあげられる余裕のある今の自分が・・・

自分の弱さを知ってこそ本当の意味で強くなれる。
こうやって日記を書きながら、
涙が溢れそうになる私はもしかしたらまだまだ弱いのかもしれないけれど、
前の弱さとはまったく違う強さをそれは含んでいる。

強がりで虚構のねぇさんキャラではなく、
今の私はホントにねぇさんなのだ。わはは

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