見てきました
サントリー美術館
会期は2014年1月25日から2014年3月16日。
今回は「伊万里」
17世紀初頭、佐賀県の有田一帯で作られた日本で最初の磁器は、伊万里港から日本全国へ。
「伊万里」と呼ばれました。
17世紀中ごろからは、伊万里は、オランダ東インド会社によって世界各地にも輸出されます。
特にヨーロッパでは、高級実用品としてのみならず、宮殿や邸宅を彩る室内装飾として、王侯貴族の一つのステータスシンボルになるほど。
日本初公開となる大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の輸出伊万里を中心に約190作品が展示されています。
《1. IMARI、世界へ 1660~1670年代》
オランダ東インド会社によってヨーロッパに運ばれた最初の磁器は中国のものでした。
ですが、明・清王朝交代に伴う内乱により、清によって海禁政策が打ち出されます。
生産の中心であった景徳鎮からの磁器輸出は激減。
それに変わるものとして目を付けられたのが中国の技術を取り入れた有田の磁器。
有田は、オランダ東インド会社による厳しい品質基準の注文を受けてさらに技術を高め、景徳鎮磁器に勝るとも劣らない品質の磁器をつくり出しました。
そして1659年から、本格的にヨーロッパに向けた伊万里の輸出が始まります。
ここではそういった輸出初期の作品が展示されています。
ほとんどが染付でした。
18「染付芙蓉手花盆文皿」
見込みに花いっぱいの花盆や花かごが描かれています。
これは輸出品として人気のモチーフでした。
いわゆる"芙蓉手"とよばれるもの。
周囲の8つの区切りが芙蓉の花びらに見立てられ、そう呼ばれてるようになりました。
芙蓉手は元々中国製の磁器に描かれていた模様。
輸出が始まったころは景徳鎮の代替品としての出荷だったためその影響が明らかに見えます。
12「染付紅葉文瓶(一対)」
下にぎっしりもみじが描かれています。
ゆったり波に泳ぐかのようです。
40「色絵花卉文壺」
窓絵使いの意匠構成。
器の表面に赤で地文様が密に描き込こまれています。
これは輸出初期の色絵伊万里の特徴だそう。
赤い花があでやかです。
1「染付牡丹文瓶」
首が細長く、口は小さい洋なし型の瓶。
胴にはハイカイドウの木が大きく描かれています。
首には図案化された唐草文様が。
この模様、ちょっとかわいらしい。
10「塩釉貼花獅子文手付瓶」
ドイツ、ヴェスターヴァルト窯で1625-1640年代に作られた手付き瓶。
胴には紋章と獅子のレリーフがあしらわれています。
それを有田で写したものが、
9「染付貼花獅子文手付瓶」
オランダ東インド会社からの注文で作成されたもの。
客先の要望にも応えていたんですね。
獅子やレリーフなど江戸時代の日本に馴染みのないものですが、かなりの再現度です。
13「白磁瓶」
"ガリポット"と呼ばれる薬用瓶。
白磁ですが、ちょっと灰色っぽい感じです。
胴がまんまるでかわいらしい。
1653年、バタヴィア(現在のジャカルタ)の病院に輸出した記録が残っているそう。
27「染付色紙丸文稜花皿」
稜花形の平皿。
長方形の色紙文と小さな丸文で幾何学的なデザインとなっています。
日本国内向けの高級品でしたが、輸出にまわりました。
注文生産だけでまかないきれなかったときに、日本国内向けのものも輸出されたようです。
濃い藍色が素敵です。
33「染付兎文皿」
ダミ染めの施された2つの花形の文様にうさぎと唐草が描かれています。
こちらも日本国内向けの高級品。
かわいらしいです。
34「染付鳥籠文皿」
三脚の籠に小鳥とまり、その脇にはもみじ。
なんだかよくわからない組み合わせですが、もちろんモチーフがあります。
これは、雀を伏せ籠に飼っていた紫上、紫上にもみじを送った梅壷の女御を示し、全体で源氏物語の"少女"帖を表現しているのです。
これは輸出向けだとその内容までは伝わらなそうですね。
このあたりはデザインがかわいらしいものが多かったです。
《2. 世界を魅了したIMARI―柿右衛門様式 1670~1690年代》
この時期は伊万里の輸出の最盛期。
その中でも、オランダ東インド会社からの注文で、1670年代に温かみのある乳白色の型づくりの精緻な白磁「乳白手」に繊細な色絵を施した色絵磁器が柿右衛門窯でつくられました。
これが今日「柿右衛門様式」として知られているもの。
この柿右衛門様式は有田全体で流行し、ヨーロッパでも好評を博し、のちにドイツのマイセン窯やフランスのセーブル窯、イギリスのチェルシー窯などでも倣製品がつくられるほど。
ドイツ・ザクセン選帝侯アウグスト強王が伊万里を盛んに収集したのもこの時期。
ヨーロッパ王侯貴族の東洋趣味を背景に、室内装飾用の大型の壺と瓶の5点セットもこの時期です。
伊万里輸出の全盛の作品が並んでいます。
46「染付人物文耳付鉢・受皿」
透かし彫りの花の形の耳つきです。
スープ鉢には中国風の人物が描かれています。
デルフト製品を基にした注文生産品です。
59「色絵花鳥文六角壺」
小型の蓋付きの壺です。
牡丹や鳳凰、花文様が明るい赤色や緑色で描かれています。
柿右衛門様式のものになります。
マイセンなどでも写しが作られた人気のモデルです。
55「染付鳳凰文八角大壺」
かなり大きな壺です。
ろくろで成形後、八角を面取りしたもの。
こういった大きな作品がヨーロッパ貴族の邸宅を飾ることとなります。
鳳凰文を中心に牡丹などが描かれ、華やかです。
54「染付楼閣山水文広口大瓶」
山中の楼閣が描かれています。
この瓶の何が好きって描かれているものが私好み。笑
そびえたつ岩、細く高い木。
大型の花瓶で"ロールワゴン"と呼ばれ、輸出伊万里の代表的な器種とのこと。
60「色絵花卉文輪花鉢」
うすく花の形に作られた器です。
牡丹や柘榴、梅などが乳白手に鮮やかに描かれています。
繊細な印象もあり素敵です。
63「色絵菊桔梗文八角瓶(一対)」
細い首の角瓶。
口まわりの色彩がとてもきれい。
描かれたものの繊細です。
柿右衛門に準ずる作品、とのことですが、遜色なく見えます。
《3. 欧州王侯貴族の愛した絢爛豪華―金襴手様式 1690~1730年代》
1670年代、輸出用として一世を風靡した柿右衛門様式の磁器。
悲しいかな、1690年代には姿を消し、変わって登場したのが"金襴手様式"
金襴手様式は明の嘉靖・万暦に盛行した金襴手を手本とし、染付の釉上に金彩と赤絵を低火度で焼き付けたもの。
緑・黄・紫などの色絵が加えられたものも存在します。
この金襴手様式を用いた大型の壺や瓶の注文が増えていきます。
その華やかさの一方で、1684年に清の展海令によって海禁政策が解かれました。
景徳鎮などの中国磁器が再び輸出されるようになってくるのです。
伊万里は景徳鎮の代替品として輸出が始まりましたが、この時代には既にヨーロッパで一定の評価を得ていた伊万里を模倣した"チャイニーズ・イマリ(Chinese Imari)"と呼ばれる製品が景徳鎮窯でつくられるようになります。
伊万里、輸出競争に巻き込まれるのです。
ここでは貴族の宮殿を飾った大型の作品が目立ちます。
71「染付芙蓉手牡丹文大皿」
芙蓉手となっていますが、区画と区画の間が広く16分割されているように見えます。
抽象化された植物文様が描かれ、見込みには牡丹やコオロギが。
かわいらしいです。
73「染付花唐草文輪花大皿」
見込みから周縁までぎっしりと唐草文が描き込まれています。
これ、描いていたら途中でいやになりそう。。。
70「染付鳳凰文皿(「VOC」銘)
見込みの中央には"VOC"
Vereenigde Oostindishe Compagnieの略です。
オランダ東インド会社のオランダ語の社名。
鳳凰より存在感があります。。
101「色絵花盆文八角皿」
有田の金襴手をマイセンが写したもの。
華やかです。
有田の色使いや模様もよく再現されています。
115「色絵邸宅文大皿」
とても大きな皿。
中国式邸宅の庭先を描いたもの。
華やかなタイルの敷き詰められた部屋に犬が2匹。
衝立は楼閣山水図。
お皿の中にこれだけの世界を詰め込めるんですね。
105「色絵美人文髭皿」
髭皿とはヨーロッパの理髪店で髭を剃るときにアゴの下に当てた皿。
17世紀から19世紀にかけて使用されました。
このお皿の絵柄は遊女の恋を主題としています。
見込みに枝を連ねる松と梅。寄り添う2羽の鳥。
縁側からうらやましそうに見上げる遊女。
また、周縁には恋文をしたためる遊女が施されています。
なんだかきゅんとするテーマです。
また、大きな写真が展示されていました。
ベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」の写真。
初代プロイセン王フリードリヒ1世が、1699年、妃ゾフィー・シャルロッテのために建てた離宮です。
世界遺産。
壁一面にぎっしり陶器が飾られ、圧倒されます。
本物見てみたい。。
76「色絵花卉人物文窓抜瓶」
胴部の両側に窓絵風のくぼみがあり、その中に片方には2人の人物、もう一方には対の鶏と3匹の雛。
なんだかほのぼのとしていてかわいらしい。
このような立体装飾は輸出伊万里にみられるそう。
77「色絵丸文瓶」
首の細長い瓶。
花唐草文を背景に円文様が散らされさまざまな文様の部分を配してあります。
おしゃれです。
107「色絵ケンタウロス文皿」
描かれているのはギリシャ神話のケンタウロス。
手には武器を持ち、戦いの場面かと思われます。
赤い花の咲く野での戦いです。
なんだかのどか。。
馴染みのない題材を描くのは大変だったでしょう。。
有田の絵師、ご苦労様です。
94「色絵花鳥文鉢」
蓋付きの鉢です。
蓋の上には柘榴とそのさらに上にうさぎ。
描かれているのは鳩を抑え込む鷹でしょうか。。
どういった意味なのかが分からないのが悲しい。。
89「色絵龍虎文大壺」
染付金彩の牡丹文の地に団扇状の枠内に虎、扇状の枠内に龍がそれぞれ迫力ある姿で描かれています。
蓋のつまみには鷹。
全体的に黒を基調とし、強い印象です。
87「染付蒔絵鳥籠装飾付広口大瓶」
とっても変わっています。
胴部に鳥かご上の装飾が施されているのです。
かごの中には鶯のような小鳥が2羽。
伊万里コレクターのザクセン選帝侯アウグスト強王のコレクションにも、類品があり、マイセンで写しも作られたそう。
91「色絵透彫楼閣人物文八角大壺」
つまみ、蓋の側面、身の方にそれぞれ金で彩った格子状の透かし彫りが施されています。
きらびやかです。
126「色絵花卉文注器」
ころんと丸い胴、太い取っ手と注ぎ口。
胴部は6画に区切り、各部分に菊や撫子などの秋草文。
かわいらしいティーポットです。
そして小コーナー、<IMARIとオランダ陶器>がありました。
17世紀から18世紀のオランダ・デルフト窯では景徳鎮や有田の影響を受けた陶器が盛んに作られました。
その東洋趣味のデルフトが展示されています。
157「色絵楼閣文瓢形瓶」
描かれているのは楼閣山水図。
色とりどりの花が咲き、大きな鳥が飛んでいます。
色彩がゴッホっぽいのです。
《4. 輸出時代の終焉》
1684年、景徳鎮がヨーロッパへの輸出を再開すると、伊万里は強烈な競争を強いられます。
さらに、伊万里のヨーロッパ輸出を扱ったオランダがイギリスとのアジア貿易で敗れたこと、
マイセンをはじめとしたヨーロッパ各地での磁器生産の発展も、伊万里輸出の衰退に影響します。
1733年には伊万里ファンのドイツ・ザクセン選帝侯のアウグスト強王が亡くなり、伊万里人気も下火となります。
1757年、伊万里のヨーロッパへの公式な輸出は終了。
ヨーロッパ輸出の立役者であるオランダ東インド会社も1799年に解散しました。
ここでは伊万里の輸出終焉までの作品が展示されています。
171「色絵鳳凰文注器」
金属製のコックを取り付けるための穴が開いているため、コーヒーポットかと思われます。
三脚付きで胴には大きく鳳凰が描かれています。
衰退していくとは思えない立派な作品です。
178「色絵傘美人文皿」
これは景徳鎮でつくられたもの。
アムステルダムの画家、コルネリス・プロンクが描いた原画をもとに景徳鎮に注文されたもの。
傘をさす人と女性が描かれ、女性は鳥に餌を与えています。
原画に忠実でインド人風となっています。
177「色絵傘美人文皿」
こちらは178と似ていますが、伊万里が模倣したもの。
描かれている女性が遊女になるなど日本風にアレンジされています。
輸出競争の厳しさが垣間見える作品です。。
普段、貿易業務をやっている身としてはなんだか胸が苦しくなります。笑
179「色絵竹梅菊鳳凰文角皿」
有田で作られた金襴手様式の角皿です。
染付の発色は暗いのですが、かえって金彩の装飾効果を高めています。
菊花文が大きく丁寧で緻密です。
菊梅竹と2羽の鳳凰。
裏面にも梅が描かれています。
180「色絵竹梅菊鳳凰文角皿」
こちらは景徳鎮で作られたもの。
179の模倣品です。
177-178の逆Ver.
チャイニーズイマリと呼ばれるものです。
うん、、市場競争の激しさを感じます。
186「染付紋章文皿」
あごひげを長く垂らした3人の人面が中央にあしらわれた、なんだか不気味な作品。
紋章が描かれ、周囲には唐草文。
謎の意匠です。
以上になります。
伊万里の輸出の始まりから終わりまでがとても分かりやすく面白い展示でした。
最初は代替え品から始まった輸出。
次第に技術力を付け、顧客からのニーズに応え、品質・デザインなど製品の価値を高めていきますが、価格競争に敗れ、衰退する。
近年の日本の輸出産業にも似た構図が江戸時代からあったことが興味深いです。
なんだか美術品を見ていたのに勉強した、という感覚も。
展示されている作品も素晴らしいものばかりでした。
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サントリー美術館
会期は2014年1月25日から2014年3月16日。
今回は「伊万里」
17世紀初頭、佐賀県の有田一帯で作られた日本で最初の磁器は、伊万里港から日本全国へ。
「伊万里」と呼ばれました。
17世紀中ごろからは、伊万里は、オランダ東インド会社によって世界各地にも輸出されます。
特にヨーロッパでは、高級実用品としてのみならず、宮殿や邸宅を彩る室内装飾として、王侯貴族の一つのステータスシンボルになるほど。
日本初公開となる大阪市立東洋陶磁美術館所蔵の輸出伊万里を中心に約190作品が展示されています。
《1. IMARI、世界へ 1660~1670年代》
オランダ東インド会社によってヨーロッパに運ばれた最初の磁器は中国のものでした。
ですが、明・清王朝交代に伴う内乱により、清によって海禁政策が打ち出されます。
生産の中心であった景徳鎮からの磁器輸出は激減。
それに変わるものとして目を付けられたのが中国の技術を取り入れた有田の磁器。
有田は、オランダ東インド会社による厳しい品質基準の注文を受けてさらに技術を高め、景徳鎮磁器に勝るとも劣らない品質の磁器をつくり出しました。
そして1659年から、本格的にヨーロッパに向けた伊万里の輸出が始まります。
ここではそういった輸出初期の作品が展示されています。
ほとんどが染付でした。
18「染付芙蓉手花盆文皿」
見込みに花いっぱいの花盆や花かごが描かれています。
これは輸出品として人気のモチーフでした。
いわゆる"芙蓉手"とよばれるもの。
周囲の8つの区切りが芙蓉の花びらに見立てられ、そう呼ばれてるようになりました。
芙蓉手は元々中国製の磁器に描かれていた模様。
輸出が始まったころは景徳鎮の代替品としての出荷だったためその影響が明らかに見えます。
12「染付紅葉文瓶(一対)」
下にぎっしりもみじが描かれています。
ゆったり波に泳ぐかのようです。
40「色絵花卉文壺」
窓絵使いの意匠構成。
器の表面に赤で地文様が密に描き込こまれています。
これは輸出初期の色絵伊万里の特徴だそう。
赤い花があでやかです。
1「染付牡丹文瓶」
首が細長く、口は小さい洋なし型の瓶。
胴にはハイカイドウの木が大きく描かれています。
首には図案化された唐草文様が。
この模様、ちょっとかわいらしい。
10「塩釉貼花獅子文手付瓶」
ドイツ、ヴェスターヴァルト窯で1625-1640年代に作られた手付き瓶。
胴には紋章と獅子のレリーフがあしらわれています。
それを有田で写したものが、
9「染付貼花獅子文手付瓶」
オランダ東インド会社からの注文で作成されたもの。
客先の要望にも応えていたんですね。
獅子やレリーフなど江戸時代の日本に馴染みのないものですが、かなりの再現度です。
13「白磁瓶」
"ガリポット"と呼ばれる薬用瓶。
白磁ですが、ちょっと灰色っぽい感じです。
胴がまんまるでかわいらしい。
1653年、バタヴィア(現在のジャカルタ)の病院に輸出した記録が残っているそう。
27「染付色紙丸文稜花皿」
稜花形の平皿。
長方形の色紙文と小さな丸文で幾何学的なデザインとなっています。
日本国内向けの高級品でしたが、輸出にまわりました。
注文生産だけでまかないきれなかったときに、日本国内向けのものも輸出されたようです。
濃い藍色が素敵です。
33「染付兎文皿」
ダミ染めの施された2つの花形の文様にうさぎと唐草が描かれています。
こちらも日本国内向けの高級品。
かわいらしいです。
34「染付鳥籠文皿」
三脚の籠に小鳥とまり、その脇にはもみじ。
なんだかよくわからない組み合わせですが、もちろんモチーフがあります。
これは、雀を伏せ籠に飼っていた紫上、紫上にもみじを送った梅壷の女御を示し、全体で源氏物語の"少女"帖を表現しているのです。
これは輸出向けだとその内容までは伝わらなそうですね。
このあたりはデザインがかわいらしいものが多かったです。
《2. 世界を魅了したIMARI―柿右衛門様式 1670~1690年代》
この時期は伊万里の輸出の最盛期。
その中でも、オランダ東インド会社からの注文で、1670年代に温かみのある乳白色の型づくりの精緻な白磁「乳白手」に繊細な色絵を施した色絵磁器が柿右衛門窯でつくられました。
これが今日「柿右衛門様式」として知られているもの。
この柿右衛門様式は有田全体で流行し、ヨーロッパでも好評を博し、のちにドイツのマイセン窯やフランスのセーブル窯、イギリスのチェルシー窯などでも倣製品がつくられるほど。
ドイツ・ザクセン選帝侯アウグスト強王が伊万里を盛んに収集したのもこの時期。
ヨーロッパ王侯貴族の東洋趣味を背景に、室内装飾用の大型の壺と瓶の5点セットもこの時期です。
伊万里輸出の全盛の作品が並んでいます。
46「染付人物文耳付鉢・受皿」
透かし彫りの花の形の耳つきです。
スープ鉢には中国風の人物が描かれています。
デルフト製品を基にした注文生産品です。
59「色絵花鳥文六角壺」
小型の蓋付きの壺です。
牡丹や鳳凰、花文様が明るい赤色や緑色で描かれています。
柿右衛門様式のものになります。
マイセンなどでも写しが作られた人気のモデルです。
55「染付鳳凰文八角大壺」
かなり大きな壺です。
ろくろで成形後、八角を面取りしたもの。
こういった大きな作品がヨーロッパ貴族の邸宅を飾ることとなります。
鳳凰文を中心に牡丹などが描かれ、華やかです。
54「染付楼閣山水文広口大瓶」
山中の楼閣が描かれています。
この瓶の何が好きって描かれているものが私好み。笑
そびえたつ岩、細く高い木。
大型の花瓶で"ロールワゴン"と呼ばれ、輸出伊万里の代表的な器種とのこと。
60「色絵花卉文輪花鉢」
うすく花の形に作られた器です。
牡丹や柘榴、梅などが乳白手に鮮やかに描かれています。
繊細な印象もあり素敵です。
63「色絵菊桔梗文八角瓶(一対)」
細い首の角瓶。
口まわりの色彩がとてもきれい。
描かれたものの繊細です。
柿右衛門に準ずる作品、とのことですが、遜色なく見えます。
《3. 欧州王侯貴族の愛した絢爛豪華―金襴手様式 1690~1730年代》
1670年代、輸出用として一世を風靡した柿右衛門様式の磁器。
悲しいかな、1690年代には姿を消し、変わって登場したのが"金襴手様式"
金襴手様式は明の嘉靖・万暦に盛行した金襴手を手本とし、染付の釉上に金彩と赤絵を低火度で焼き付けたもの。
緑・黄・紫などの色絵が加えられたものも存在します。
この金襴手様式を用いた大型の壺や瓶の注文が増えていきます。
その華やかさの一方で、1684年に清の展海令によって海禁政策が解かれました。
景徳鎮などの中国磁器が再び輸出されるようになってくるのです。
伊万里は景徳鎮の代替品として輸出が始まりましたが、この時代には既にヨーロッパで一定の評価を得ていた伊万里を模倣した"チャイニーズ・イマリ(Chinese Imari)"と呼ばれる製品が景徳鎮窯でつくられるようになります。
伊万里、輸出競争に巻き込まれるのです。
ここでは貴族の宮殿を飾った大型の作品が目立ちます。
71「染付芙蓉手牡丹文大皿」
芙蓉手となっていますが、区画と区画の間が広く16分割されているように見えます。
抽象化された植物文様が描かれ、見込みには牡丹やコオロギが。
かわいらしいです。
73「染付花唐草文輪花大皿」
見込みから周縁までぎっしりと唐草文が描き込まれています。
これ、描いていたら途中でいやになりそう。。。
70「染付鳳凰文皿(「VOC」銘)
見込みの中央には"VOC"
Vereenigde Oostindishe Compagnieの略です。
オランダ東インド会社のオランダ語の社名。
鳳凰より存在感があります。。
101「色絵花盆文八角皿」
有田の金襴手をマイセンが写したもの。
華やかです。
有田の色使いや模様もよく再現されています。
115「色絵邸宅文大皿」
とても大きな皿。
中国式邸宅の庭先を描いたもの。
華やかなタイルの敷き詰められた部屋に犬が2匹。
衝立は楼閣山水図。
お皿の中にこれだけの世界を詰め込めるんですね。
105「色絵美人文髭皿」
髭皿とはヨーロッパの理髪店で髭を剃るときにアゴの下に当てた皿。
17世紀から19世紀にかけて使用されました。
このお皿の絵柄は遊女の恋を主題としています。
見込みに枝を連ねる松と梅。寄り添う2羽の鳥。
縁側からうらやましそうに見上げる遊女。
また、周縁には恋文をしたためる遊女が施されています。
なんだかきゅんとするテーマです。
また、大きな写真が展示されていました。
ベルリンにあるシャルロッテンブルク宮殿の「磁器の間」の写真。
初代プロイセン王フリードリヒ1世が、1699年、妃ゾフィー・シャルロッテのために建てた離宮です。
世界遺産。
壁一面にぎっしり陶器が飾られ、圧倒されます。
本物見てみたい。。
76「色絵花卉人物文窓抜瓶」
胴部の両側に窓絵風のくぼみがあり、その中に片方には2人の人物、もう一方には対の鶏と3匹の雛。
なんだかほのぼのとしていてかわいらしい。
このような立体装飾は輸出伊万里にみられるそう。
77「色絵丸文瓶」
首の細長い瓶。
花唐草文を背景に円文様が散らされさまざまな文様の部分を配してあります。
おしゃれです。
107「色絵ケンタウロス文皿」
描かれているのはギリシャ神話のケンタウロス。
手には武器を持ち、戦いの場面かと思われます。
赤い花の咲く野での戦いです。
なんだかのどか。。
馴染みのない題材を描くのは大変だったでしょう。。
有田の絵師、ご苦労様です。
94「色絵花鳥文鉢」
蓋付きの鉢です。
蓋の上には柘榴とそのさらに上にうさぎ。
描かれているのは鳩を抑え込む鷹でしょうか。。
どういった意味なのかが分からないのが悲しい。。
89「色絵龍虎文大壺」
染付金彩の牡丹文の地に団扇状の枠内に虎、扇状の枠内に龍がそれぞれ迫力ある姿で描かれています。
蓋のつまみには鷹。
全体的に黒を基調とし、強い印象です。
87「染付蒔絵鳥籠装飾付広口大瓶」
とっても変わっています。
胴部に鳥かご上の装飾が施されているのです。
かごの中には鶯のような小鳥が2羽。
伊万里コレクターのザクセン選帝侯アウグスト強王のコレクションにも、類品があり、マイセンで写しも作られたそう。
91「色絵透彫楼閣人物文八角大壺」
つまみ、蓋の側面、身の方にそれぞれ金で彩った格子状の透かし彫りが施されています。
きらびやかです。
126「色絵花卉文注器」
ころんと丸い胴、太い取っ手と注ぎ口。
胴部は6画に区切り、各部分に菊や撫子などの秋草文。
かわいらしいティーポットです。
そして小コーナー、<IMARIとオランダ陶器>がありました。
17世紀から18世紀のオランダ・デルフト窯では景徳鎮や有田の影響を受けた陶器が盛んに作られました。
その東洋趣味のデルフトが展示されています。
157「色絵楼閣文瓢形瓶」
描かれているのは楼閣山水図。
色とりどりの花が咲き、大きな鳥が飛んでいます。
色彩がゴッホっぽいのです。
《4. 輸出時代の終焉》
1684年、景徳鎮がヨーロッパへの輸出を再開すると、伊万里は強烈な競争を強いられます。
さらに、伊万里のヨーロッパ輸出を扱ったオランダがイギリスとのアジア貿易で敗れたこと、
マイセンをはじめとしたヨーロッパ各地での磁器生産の発展も、伊万里輸出の衰退に影響します。
1733年には伊万里ファンのドイツ・ザクセン選帝侯のアウグスト強王が亡くなり、伊万里人気も下火となります。
1757年、伊万里のヨーロッパへの公式な輸出は終了。
ヨーロッパ輸出の立役者であるオランダ東インド会社も1799年に解散しました。
ここでは伊万里の輸出終焉までの作品が展示されています。
171「色絵鳳凰文注器」
金属製のコックを取り付けるための穴が開いているため、コーヒーポットかと思われます。
三脚付きで胴には大きく鳳凰が描かれています。
衰退していくとは思えない立派な作品です。
178「色絵傘美人文皿」
これは景徳鎮でつくられたもの。
アムステルダムの画家、コルネリス・プロンクが描いた原画をもとに景徳鎮に注文されたもの。
傘をさす人と女性が描かれ、女性は鳥に餌を与えています。
原画に忠実でインド人風となっています。
177「色絵傘美人文皿」
こちらは178と似ていますが、伊万里が模倣したもの。
描かれている女性が遊女になるなど日本風にアレンジされています。
輸出競争の厳しさが垣間見える作品です。。
普段、貿易業務をやっている身としてはなんだか胸が苦しくなります。笑
179「色絵竹梅菊鳳凰文角皿」
有田で作られた金襴手様式の角皿です。
染付の発色は暗いのですが、かえって金彩の装飾効果を高めています。
菊花文が大きく丁寧で緻密です。
菊梅竹と2羽の鳳凰。
裏面にも梅が描かれています。
180「色絵竹梅菊鳳凰文角皿」
こちらは景徳鎮で作られたもの。
179の模倣品です。
177-178の逆Ver.
チャイニーズイマリと呼ばれるものです。
うん、、市場競争の激しさを感じます。
186「染付紋章文皿」
あごひげを長く垂らした3人の人面が中央にあしらわれた、なんだか不気味な作品。
紋章が描かれ、周囲には唐草文。
謎の意匠です。
以上になります。
伊万里の輸出の始まりから終わりまでがとても分かりやすく面白い展示でした。
最初は代替え品から始まった輸出。
次第に技術力を付け、顧客からのニーズに応え、品質・デザインなど製品の価値を高めていきますが、価格競争に敗れ、衰退する。
近年の日本の輸出産業にも似た構図が江戸時代からあったことが興味深いです。
なんだか美術品を見ていたのに勉強した、という感覚も。
展示されている作品も素晴らしいものばかりでした。
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