RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

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買い物も大好き。
休日に全力で生きるOLの日記(笑)

花開く 江戸の園芸

2013-08-14 21:30:00 | 美術
見てきました

江戸東京博物館

会期は2013年7月30日から2013年9月1日。

さて。今回は江戸時代の植物事情。
今から約150年前、来日したイギリスの植物学者、ロバート・フォーチュンが驚いたこと。
それは日本人がみな花好きであるということ。
花や緑を愛する心、上手に育てるための技術。
そういったものは大名から町人、農民まで身分に関わらず大切にされていました。
今回は花や緑が描かれた浮世絵や屏風。
園芸書や鉢まで、江戸時代の園芸文化の展示です。

入口から入ると両側に提灯、そして園芸にまつわる浮世絵を引き伸ばしたパネル。花。
気分があがります。
ロバート・フォーチュンが賞賛した世界一の植木屋集中地帯、染井・巣鴨周辺、一大庭園と化していた向島などの江戸の景観が広がっていました。
日本人のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ
もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、
日本の低い階層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達にくらべると、ずっと優って見える

江戸では草花を育て、鉢植えで生活を飾る豊かな園芸文化が開花していたのです。

1章は"花と緑の行楽文化"ということで、花見の様子を描いたものがとても多かったです。

歌川国芳「隅田川花見」
着飾った女性たちが歩いています。
辺りは満開の桜の花。
華やかで美しい、春ののどかな日を感じさせます。

歌川広重「東都名所 上野不忍蓮池」
不忍池といえば蓮が有名ですが、江戸時代にはすでにあったんですね。
舟に乗った人が蓮根を掘り起こしています。
この蓮根は将軍へも献上されたそう。
上野は(美術館へ)よく行くし、今年は終わってしまいましたが、来年花が咲く頃に行ってみようかな。

歌川重宣「新吉原仲之町」
「仲之町」は新吉原の中央を通る大通りの名称。
この両脇には引手茶屋といわれるお茶屋が並んでいました。
桜の季節にはこの仲之町の真ん中に桜の木が植えられ、吉原の名物ともなっていました。
桜は根っこごと外から持ってきて植えるのです。
花が咲く短い期間のためだけに労力かかる作業を。。
花が如何に愛されていたかが分かります。

さて、東京には江戸時代からの桜の名所がいくつかあります。
それは主に、徳川吉宗が桜を植樹したことにはじまります。
これらの場所が人気の花見の名所へと発展。
また園芸植物の美しさを伝えるのに適したメディアの革新によって、名所廻りが活発になります。
そのうちに百花園のような美しい草花を備えた民間庭園が誕生。
各地に庭園ができるようになります。

花やしき その始まりは 花屋敷

今も浅草にある遊園地、花やしき。
この辺りは花やしきが描かれている浮世絵も多数ありました。

歌川芳玉「見立松竹梅の内 うゑ木売の梅」
2章は"普及する植木鉢と高まる園芸熱"
人々が販売するために植物を栽培したり、生活を飾るために植物を購入し始めたのは江戸時代のこと。
園芸植物が商品となると、栽培にも創意工夫を凝らし、より洗練された品種の生産が促進されていきました。
こうした変化と大きく関係していたのが植木鉢の普及。
植木鉢は植物を簡単に運べるようにしただけではなく、飾っても見た目のいいものがでてくるようになりました。
この作品は女性が植木鉢に植えられた梅の花を吟味しています。
梅の赤い花に対し、植木鉢は青色で爽やか。

本居清長「風俗東之錦 植木売り」
時代劇なんかで、肩から天秤担いだ男性がお魚とか豆腐を売っている光景を見たことがありますが。
植木だって売るんです。
若く爽やかな男性とその人の持っている植木を吟味する女性2人。
こんな風に町の中で手軽に買えたんですね。

歌川国芳「めでたいづゑ まけてもらひたい」
縁日の植木市の様子が描かれています。
女性は左右の手に1つずつ鉢を持っています。
どっちも欲しい、、まけてほしいな、と(笑)
なんだか可愛らしくていいな。

3章は"武士の愛した不思議な植物たち"
鉢植えの植物のなかでも、とても美しくかつ珍しい植物は“奇品”と呼ばれて珍重されました。
武士たちが愛情を注いで育てた奇品は、花の美しさを基準とすると、う~ん。。となっていますようなものばかり。
にもかかわらず一部の武士たちに大流行。
手間と時間を惜しまず、葉の形や斑の入り方・色などが他に類をみない奇品を育てることに熱中しました。

関根雲停画「小不老草名寄」
天保3年、幕臣水野忠暁が選者となって開催された品評会に出品されたコオモト90点を植物画の名手関根雲停が15点ずつに分けて描いて版行したもの。
オモト(万年青)とは中国から日本の暖かい山地に自生する スズラン亜科の常緑多年草。
それの小型品で葉形の変化を愉しんだものがコオモト(小万年青、小不老草)。
様々なものが描かれています。
ちょっと変わった、、不気味な形のものまで(笑)
植木鉢もハデハデしくって目立ちます。

4章は"江戸園芸三花 -朝顔・花菖蒲・菊-"
花菖蒲、朝顔、菊は江戸時代の園芸のなかでも特に愛され、発展しました。
この3つに関する浮世絵や資料です。

歌川国芳「加賀の国 千代女」
朝顔に つるべとられて もらい水
加賀千代女の句。
これって今まで何の気なしに覚えていたけれど。
優しいよね、これ。
朝、井戸へ水を汲みに行くと、朝顔がつるべに捲きついていた。
切ってしまうのもかわいそうなので、近所へ水をもらいにいく。

そんな意味。
野に咲くような小さな花でも慈しむ。
そういったことが江戸時代には日常だったのかもしれません。

朝咲いて、すぐに萎えてしまう朝顔は、その儚さからか人気があったそう。
また、突然変異が葉や花に変化をもたらす変化朝顔を栽培することも盛んになったとか。

松平定朝画「花菖蒲画讃」
松平定朝は京都町奉行など幕府の要職を歴任した旗本。
"菖翁"とも"花菖蒲中興の祖"などとも言われます。
花菖蒲の品種改良に生涯をささげました。
花菖蒲に関するもっとも完成度の高い園芸書「花菖培養録」を著し、生涯に作り出した花菖蒲の品種は300に及んだといわれます。
定朝は自ら作り出した品種を、同好の士に分かち与え、花菖蒲栽培の普及に努めました。
その結果、菖蒲園が誕生することになります。
描かれているのは、本当に花菖蒲なの!?と聞きたくなるような見た目の花。
私の知っている花菖蒲とはだいぶ違う。。
うーん、菖翁すごい。

終章は"園芸文化の明治維新"
時代は江戸から東京へ。
西欧から輸入された洋薔薇の美しさは文明開化の日本において急速に受け入れられていきました。
これと対極的に奇品栽培家の姿は次第に影を潜めていきました。
植物に注がれる審美の基準は、近代化の過程で逆転。
そしてそのまま現代へ。

勝川春好(二代)「薔薇図」
赤いバラが描かれています。
バラを単独で描いたものは珍しいそう。
日本でのバラの歴史は古く、万葉集には「うまら(茨)」の名前で登場するそう。
バラは日本にも自生していましたが、なぜか人気を博した痕跡がないそうです。
文明開化で明治に入り人気となりました。
やっぱりバラは華やかさがありますね

身分の垣根を越えて草花の栽培に喜びを見いだし、鉢植えの草花を持ち寄ってその美しさや珍しさを競い合う独自の園芸文化が展開していた。
そんな世の中なかなかないのでは。
文化や芸術は平和でないと発展しない、といいます。
これほどまでに園芸文化が発展したのは江戸時代の平和と自然環境のよさ、そして心の豊かさがあったこそ。
花や草から泰平の世について考えるとは思いもしませんでした。
時代の資料としても貴重なものばかり。
おすすめです。

そして江戸東京博物館は今年で20周年。
ということで、20歳の方に朗報です!!
なんと、「花開く 江戸の園芸」展の期間中、企画展・常設展ともに20円で入館できちゃいます。
江戸博をじっくり楽しむチャンスです。
外は暑いし。
たまにはこうゆうのもいいんじゃないでしょうか。
というか羨ましい~!!!!!
20歳ということを証明できるものを忘れずに!!



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