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RuN RiOt -marukoのお菓子な美術室-

お菓子好き。F1好き。
美術館行くの大好き。
買い物も大好き。
休日に全力で生きるOLの日記(笑)

ガウディ×井上雄彦 シンクロする創造の源泉

2014-08-30 21:30:00 | 美術
見てきました

森アーツセンターギャラリー

会期は2014年7月12日から2014年9月7日。

ガウディとはアントニ・ガウディ(1852-1926)
19世紀~20世紀にかけて、地中海沿いの美しい街バルセロナを中心に活動。
現在も造り続けられているサグラダ・ファミリアが有名ですが、グエル公園、カサ・ミラなど世界遺産にも登録されている独創的な作品を遺しました。
動きのある曲線、鮮やかな色彩、大胆な構図。
とても私好みなのです。笑
そんなガウディの建築は他のどの様式にも属することのない唯一無二の存在として知られ、世界中の人を魅了しています。
あぁ、一度は『スペイン・ガウディ建築を巡る旅』とかをしてみたい。。。

井上雄彦さんは国内発行部数が1億部を超える「SLAM DUNK」をはじめ「バガボンド」「リアル」といった人気作品を世に送り出している漫画家さん。
ごめんなさい、、私、井上さんの漫画読んだことないのです……
知っているのは京都・東本願寺に描いた親鸞の屏風絵。
写真で見ただけなのですが、「こんな作品が描けるのか」と驚いたのです。

基礎知識はこのぐらい。
ガウディと漫画家のコラボってどんな展示なのだろう、と気になって行った次第。
井上さんのファンだらけだったらどうしよう、と不安だったのは事実。笑
なお、井上さんは「日本スペイン交流400年」の親善大使だそう。
実際、この展覧会のためにバルセロナのカサ・ミラに滞在して作品を描いたそうです。

今回はガウディ自筆のスケッチや図面。
大型の建築模型やガウディがデザインした家具など貴重な資料約100点が展示されています。

最初は井上さんの作品が多くてガウディはおまけ程度に認識していたため、思っていたより多くて感激。
というか、ガウディ展としてとても興味深くおもしろいものでした。
井上さんのほうがおまけ的な印象に。。
ガウディの人生を漫画にしたものが数点あった程度なので。。
ごめんなさい、井上さんが必要だったのか分かりません。

では展示について簡単に。

まずは小さなシアタールームで4分ぐらいの映像を見ます。
井上さんが描いたガウディが登場。
段々若返り東京の街並み、そしてスペインの街並みへ。
ガウディが手掛けた作品が映し出されます。
内容は特にありませんでした。。。
なんかガウディの生涯について紹介でもあるのかと思った……
拍子抜けしたところで展示へ。
全部で3つの章から構成されていました。
年代順でその功績が分かるようになっています。

《1章 トネット少年、バルセロナのガウディへ》
トネットとはガウディの子どもの頃の愛称。
1852年6月25日、ガウディはバルセロナの南に位置するカタルーニャ州タラゴナ県で生まれました。
体が弱く、内気な少年で屋外で遊ぶより、自然をじっと観察している時間のほうが長いような子でした。
幼くしてリウマチを患ったことも影響していたようです。
その観察眼は、鋭く、授業で鳥の翼は飛ぶためにあると説明した教師に対し、鶏は翼を走るために使っている、と反論したそう。
幼いガウディが自らの周囲にある物をよく観察していたことを示すエピソード。
後年、ガウディは自然を"常に開かれて、努めて読むのに適切な偉大な書物"と語りました。
16歳で家族とともにバルセロナに移り住み、建築学校へ。
第1章では子ども時代と学生時代、卒業後、無名の建築家ガウディを辿るものとなっています。

ガウディというとたっぷりとひげを蓄えた肖像がを思い出しますが、建築家になる前の「1876年のアントニ・ガウディの肖像」(ジュアン・マタマラ)はひげもなくふっくらとしています。
その2年後1878年に建築家の免許をとるのですが、そのころにはやせてひげもたっぷり。
変貌ぶりにびっくり。
「大学講堂<卒業設計(建築家資格認定試験)>」といったものも見れてとてもおもしろい。
また設計図も多いのですが「カイ通りガウディ事務所用の自らデザインした机」などといったものも。
そうそう、ここは床が六角形のパネルで覆われていました。
色は青というか緑というか。
とてもさわやかな色。
これはガウディがデザインしたものでバルセロナのグラシア通りにも用いられているのだとか。

《2章 建築家ガウディ、誕生》
建築家としてデビュー間もない26歳のガウディに転機がおとずれます。
当時の新興ブルジョワ、アウゼビ・グエイ(グエル)との出会いです。
パリ万国博覧会に出展するクメーリャ手袋店のためにショーケースをデザインしたガウディ。
その作品を通じてガウディの才能を見初めたのです。
グエイは、その後40年あまりの間パトロンとしてガウディを支援。
グエイ邸、コロニア・グエル教会地下聖堂、グエル公園などの設計を依頼しました。
建築家ガウディの名を世に広めた作品が次々と作られるのです。
第2章では当時の建築界で名を馳せるようになった黄金期のガウディが建てた珠玉の代表作を図面やスケッチ、写真、模型、そして家具やデザイン・パーツなど多様な作品が展示されています。

この時期は円熟期。
グエル公園、カサ・ミラ、カサ・バトリョなどの代表作がずらり。
「カサ・ミラ、通称ラ・ペドレラ(石切場)石膏模型」なんかはその特徴的な曲線がどのように全体的に使われているのかとてもわかりやすい。
今回の展覧会の制作のために井上雄彦さんがアトリエを構えたのもこのカサ・ミラなんだそう。
すごいな、、、私も滞在してみたい。。。
またカサ・バトリョとカサ・ミラの扉や扉の取っ手とかも展示されていてどきどきです。
ここのあたりも床は六角形。
色は白。
おぉ、床が床って亀が泳いできた!!
これはプロジェクションマッピングの進化系「Mediarium(メディアリウム)」という技術だそう。
とっても素敵でした。
モノクロのモザイクタイルがぱぁっと花が咲いたように色づいていくのです。

《3章 ガウディの魂 -サグラダ・ファミリア》
建築家として名声を得たガウディ。
ガウディは後半生を熱心なカトリック教徒として過ごしました。
1914年以降、宗教関連以外の依頼を断り、サグラダ・ファミリアの建設に全精力を注ぎます。
その成功とは裏腹に、クライアントとの軋轢や創作への迷い、家族や友人の相次ぐ死などがガウディを襲います。
バルセロナ市の財政危機もあり、サグラダ・ファミリアの建築は進まず、同時に進めていたコロニア・グエル教会堂の建設工事は未完のまま中止に。
さらに1918年、40年来連れ添ったパトロンのエウゼビ・グエイが亡くなりました。
このころから、取材を受けたり、写真に撮られるのを嫌い、サグラダ・ファミリアの作業に集中するようになりました。
サグラダ・ファミリア内で生活し、身なりも気を使わないような状態となります。
ここではサグラダ・ファミリアに焦点を当てた展示となっています。

「サグラダ・ファミリア聖堂:受難の正面(ファサード)」などの設計図は見ていてこみ上げてくるものが。
いまだに完成しないサグラダ・ファミリア。
ガウディ自身もその完成が見えないことを知りながら、この制作に打ち込みました。
サグラダ・ファミリアにはファサードが3つありますがこの受難のファサードだけはガウディが生きているときに完成しました。
ほかの2つ、「誕生のファサード」は現在建築中、「栄光のファザード」は計画すらまだだとか。
「サグラダ・ファミリア聖堂:模型」で全体像を見れますが本当にこのように完成するのでしょうか……。
なお、ガウディはサグラダ・ファミリアの2代目建築家。
最初の(1代目の)設計図もありましたが、それはそれは普通の聖堂でした。

1926年6月7日、ガウディはミサに向かう途中に路面電車に轢かれました。
浮浪者と間違われて手当てが遅れ、事故の3日後に73歳で亡くなります。
遺体はサグラダ・ファミリアに埋葬されました。

ガウディは模型などを重視し、詳細な設計図は役所へ届け出る分などの最小限しか書きませんでした。
それはサグラダ・ファミリアでも同じ。
スペイン内戦でそれらの模型も破片となってしまい、ガウディの構想に基づいて弟子たちが作成した資料などは大部分が消失してしまいました。
ガウディの死後、もはや忠実にガウディの構想通りとはならないこの建築物の建造を続けるべきかという議論もありましたが、、職人による伝承や大まかな外観のデッサンなど残されたわずかな資料を元に、時代毎の建築家がガウディの設計構想を推測するといった形で建設が現在も進められています。

かつては完成まで300年かかると予想されていましたが、スペインの経済成長や入場料収入などに支えられて進捗は加速。
2013年には9代目設計責任者のジョルディ・ファウリが、ガウディの没後100年の2026年に完成予定と発表しました。
見に行きたい……
建築中も見てみたいけど。。。

そして、サグラダ・ファミリアといえば、外尾悦郎さんという方が主任彫刻家だったと思うのですが。。
一切触れられていませんでした。
ガウディの功績とは関係ないとはいえ、現在進行形のプロジェクトなのになぁ。。。

でも思っていたよりガウディの資料が多くて大興奮な展示でした。

今回、図録を買ってしまいました。
だってすごくかっこよかったから。笑



2冊で1組となっていて2800円。
ガウディ本と井上本となっています。

本当はガウディ本だけが欲しかったから購入かなり迷ったんだけどね……
ばら売りしてくれればいいのに。。。

あと、折り紙。

ガウディのデザインをモデルにしたものでカラフルでかわいい!!
これはアルバム作りなどに活用したい!!



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グレース・ケリー写真展

2014-08-29 21:30:00 | 美術
見てきました

西武渋谷

会期は2014年8月19日から2014年9月7日。

グレース・ケリー(1929-1982)
ハリウッドで活躍した女優でありながら、人気絶頂の最中にモナコ大公レーニエ3世妃と結婚し、引退。
今回は、永遠のファッションアイコンとして今なお人気のグレース・ケリーの写真展です。

1951年22歳のときにハリウッドデビュー。
ヒッチコック監督に見いだされ「裏窓」「泥棒成金」などに出演。
1954年の「喝采」で、アカデミー主演女優賞を受賞。
そしてカンヌ映画祭会場で出会ったモナコ公国のレニエ3世公に見初められ、1956年に結婚しモナコ公妃となりました。
1982年、不慮の交通事故により52歳で亡くなりました。

同時代の女優、マリリン・モンローの明るさとセクシーさを前面に出した美貌とは対照的で、気品に満ちたそたたずまいは「クール・ビューティー」と賛美されました。
そんな彼女を女優時代から撮り続けたフォトグラファーがハウエル・コナン。
仕事に対する思いで意気投合した2人。
特にグレースがハウエルの仕事でもっと惹かれたのは自分が納得写真しかメディアに出さない、嫌な写真は処分する徹底ぶりでした。
グレース・ケリーはハウエルを信頼し、仕事でもプライベートでも依頼をしました。
マンハッタンの私邸、名作の撮影風景、ウェディングの裏側など、ハウエルだけが撮影できた写真の数々が展示されています。

展示は小さいものですが、全5章で構成されています。
   
《第1章「運命の女」~アイコニック・スタイル~》
《第2章「素顔のグレース」~プライベート・スタイル~》
《第3章「恋に落ちて」~ロマンティック・スタイル~》
《第4章「伝説のウェディング」~ウェディング・スタイル~》
《第5章「世界で一番美しいママ」~マダム・スタイル~》

年代順の展示です。
第1章では女優時代のドレススタイルを。
そしてハウエル・コナンとの出会いの写真もありました。
2人がであったのは1955年、映画雑誌「フォトプレイ」の撮影。
このあたりの写真は息をのむほどに美しい。
とくに、ほぼメイクなしのグレース・ケリーが海から出てきてこちらを見つめる写真。
この写真は雑誌「コリアーズ」の表紙になったもの。
彼女の仕事が推して約束の雑誌撮影ができなかったため、プライベートの旅行先からここで撮影をしましょうと連絡をしたのです。
自然体で美しい。

ハウエル・コナンは、グレース・ケリーの写真を撮影したことでカメラマンとしての地位を確立したといわれています。
ハウエルの撮ったグレース・ケリーの写真を見てエリザベス・テーラーやオードリー・ヘプバーンなど当時の有名なハリウッド女優たちが、彼女のように撮って欲しいと依頼するようになった程。

第2章はリラックスした写真ばかり。
大きな口を開けて笑ったり、オレンジを食べたり。
男物のシャツをさらっと着て海辺にいたり。
あぁ、自然体できれいな人は何をしてもきれいなんだな、と実感させられます。

第3章はモナコ公と出会ってからのスタイル。
上品でとてもすてきなものばかり。
モナコ公とグレースはなかなか会うのも大変だったでしょう。
友人のハリウッド俳優の家で会うプライベート・ショットやアメリカのグレースの家でのモナコ公との2ショットなど貴重で、ハウエルだから撮影できたものばかり。
グレース・ケリーは結婚するにあたって、船でモナコへ向かいました。
その船上での写真も素敵です。
犬の散歩をしていたり、家族と楽しそうに笑っていたり。
この船旅、マスコミはグレースをどうにか撮ろうとしていたそうで、グレースはほとんど船内に引きこもっていたそうです。
一定の時間マスコミの前に出て撮影を許可しましたが、ハウエルはいかなるときも自由に撮影を許しました。

第4章はウェディング写真。
ハウエルだけが撮影をゆるされたもの。
これまたものすごく美しい。
ベールをかぶってこちらを見つめる様子などなんと形容したらいいものか。
輝くほど。

第5章ではママになったグレース。
グレースは結婚後もハウエルをモナコへ呼び、撮影をしていたのだそう。
子どもを抱いている写真など優しい表情ばかり。
年をとっても美しい。

1982年9月、ハウエルは家族の公式クリスマス肖像を撮影するため、モナコへの旅行を予定していました。
そこに入ってきたのはグレースの事故の連絡。
1982年9月13日、グレースは運転中に脳梗塞を発症。
そのまま急カーブの坂道でガードレールに激突し、道路横の崖から転落。
事故後すぐに病院へ搬送されたが意識が回復しないまま翌日に亡くなりました。

ハウエルが唯一カメラを持たずにグレースと会ったとき。
それはグレースの葬式でした。
その後、ハウエルはカメラから距離を置きます。
誰かを撮影することなく1999年に亡くなりました。

とても素敵な展示でした。
グレースとハウエルの信頼関係からなる写真は美しかった。
とてもおすすめです。



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ゴー・ビトウィーンズ展 こどもを通して見る世界

2014-08-27 21:30:00 | 美術
見てきました

森美術館

会期は2014年5月31日から2014年8月31日。

"こどもを通して見る世界"
とのことなので、森アーツミュージアムで開催されていた「子ども展」みたいな感じかな、と想像していました。
「子ども展」は画家が描いた子どもの絵を展示し、大人も子どもも絵画を楽しめる展示でした。
記事はこちら↓
子ども展 (その1)
子ども展 (その2)
子ども展 (その3)

「ゴー・ビトウィーンズ」とは
写真家ジェイコブ・A・リースの生み出した言葉。
19世紀後半のアメリカで、英語が不自由な両親に変わって、いろいろな用事をこなしていた移民のこどもたちのこと。
"媒介者"という意味なのだそう。
私が思っていた展示とはちょっと違ってきそうです。
移民が英語を取得するのはなかなか大変。
でもこどもはすぐに吸収していきます。
文化や言語など異なったものの境界線をひょいっと飛び越えられる、こどもらしい世界がありました。
なかなか説明するのが難しい展示でしたが、簡単に気になった作品を書いていきます。

《1.文化を超えて》
ジェイコブ・A・リース「街に眠る浮浪児たち(「我々以外のこの世のもう半分の人々はどう生きているか」シリーズより)」
ジェイコブ・A・リースは新聞記者として勤務しながら、スラム街の移民を撮影しました。
身を寄せ合うこどもたちなど、その生活がそのまま写されていました。
ほかにも児童労働をテーマにした写真などもありました。
こういった写真は社会的な注目を集めたそうです。
そして彼はフォトジャーナリズムの先駆者と呼ばれるように。
彼自身、デンマークからの移民でした。

宮武東洋「バトントワラーになるのを夢見て練習する少女たち。収容所の中であっても出来るかぎり、子供たちには普通の生活をおくらせる配慮がなされた。(「マンザナー収容所」シリーズより)」
宮武東洋はアメリカ移民の日系1世の写真家。
日米開戦により在米日系人が強制収容所送りとなります。
宮武もカリフォルニア州のロッキー山脈の山あいにあったマンザナー強制収容所に妻子とともに入れられます。
隠し持っていたレンズでカメラを自作し、撮影していたところ、写真に理解のある収容所所長のおかげで公認カメラマンとなりました。
この写真は3人の女の子がバトントワラーの恰好をしてポーズを決めている場面。
収容所内でも元気に過ごしているところを見るとほっとすると同時になんだか胸が痛みます。
他にも美容院で髪を切ったりパーマをかけたりしている写真。
こういったことは気分転換にもなったそう。

影山光洋「エリザベス・サンダース・ホーム 澤田美喜園長と最初に集められた子供たち」
景山光洋は、戦前から戦後にかけての日本の報道写真家。
この写真には一列に並んで座ったこどもとその後ろに笑顔の女性が写っています。
撮影された場所はエリザベス・サンダース・ホーム。
このホームには戦後、日本占領のためにやってきたアメリカ軍兵士を中心とした連合国軍兵士と日本人女性の間に強姦や売春、あるいは自由恋愛の結果生まれたものの、両親はおろか周囲からも見捨てられた混血孤児たちのための施設でした。
戦後、岩崎本家が財産税として大磯駅前の別邸を政府に物納しましたが、1948年に三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の孫娘である澤田美喜がこれを募金を集めて400万円で買い戻します。
そして孤児院として設立しました。
写真に収められているこどもたちは第1期生。
ママちゃまと呼ばれ親しまれた澤田の笑顔がとても素敵です。
また、当時はそういったこどもたちに偏見があったため敷地内に小学校と中学校も設立。
聖ステパノ学園小学校・中学校です。
他の写真を見てもこどもの表情が明るく、とても素敵ですが、一番素敵なのはこの澤田美喜でしょう。
たくましい女性です。

ジャン・オー「パパとわたし」
ジャン・オーはニューヨークを拠点に活動する中国生まれの写真家。
ここに写っているのは中国人の少女とアメリカ人の養父。
美しい緑を背景に写っています。
とても幸せそう。
ですが、気になるのは女の子ばかり、ということ。
養子にしたいという要望は女児に多いそうですが。。

《2.自由と孤独の世界》
奈良美智「おたふく風邪」「ミッシング・イン・アクション」「最後のマッチ」
いつもの目のつりあがった女の子。
「ミッシング・イン・アクション」は軍隊用語で"作戦 行動中行方不明"、"戦闘中行方不明"という意味。
ここではこどもの行方不明として使われています。
「最後のマッチ」はマッチを1本手にした少女。
このマッチが燃え尽きてしまったら……と考えずにはいられない。

テリーサ・ハバード / アレクサンダー・ビルヒラー「エイト」
映像作品。
雨のなか、びしょ濡れになりながら自分のバースデーケーキを切る少女。
パーティーのための料理やジュースは雨が入り台無しです。
なんだか切なく、でもなんとなく分かる。
心の中ってきっとこんな感じなんでしょう。

《3.痛みと葛藤の記憶》
クリスチャン・ボルタンスキー「シャス高校の祭壇」
1831年にシャス高校にいたユダヤ人高校生の写真です。
なんども撮影したためちょっとぼやけたようになっています。
この後の運命は、、と想像させるには十分です。

トレーシー・モファット「母の返事、1976年 (「一生の傷 II」シリーズより)」
トレイシー・モファットはアボリジニ出身のオーストラリアの写真家。
これまでの暴言やトラウマの経験を写真で表現したもの。
それには勇気がいたでしょう。
この作品に写っているのはちょっと太った着飾った女の子。
そこに母の返事がなかなか残酷。
こういった言葉、こどもなりに傷つき忘れないのでしょう。

《4.大人と子どものはざまで》
梅佳代「女子中学生」
うーん、文章にするのもちょっとな写真。
思春期特有の悪ふざけといったところ。
梅佳代自身も10代だから撮れたと言っていたようにその勢いを感じます。

フィオナ・タン「明日」
スウェーデンの高校生を1人1人映したもの。
笑ったり、澄ましたり、はにかんだり。
なんて大人っぽいんだ。。。

近藤聡乃「きやきや」
胸がむずむずするアニメ。
なんだか不思議で懐かしい気分になるような。。
少女が3つの時間を生きるようすなのですが、優しい絵と穏やかな流れがとても素敵な作品。

《5.異次元を往来する》
塩田千春「どうやってこの世にやってきたの?」
これはかなり興味深く面白い。
小さいこどもたちに生まれる前のことや生まれてきたときのことを聞いているのです。
そしてこどももたどたどしいながらにしっかりと答えているのです。
女の子が「生まれるのも大変なの」と。
なかなか衝撃的。
そして、あぁ、そうだよなぁ、と。

リネカ・ダイクストラ「女の人が泣いています(泣く女)」
これもおもしろかった。
映像作品。
リバプールの小学生たちが口々にしゃべっています。
"ひどい顔"
"怒っている"
"じつは幸せ"
これはピカソの「泣く女」を見ての感想なのです。
私たちが今この作品を見たらピカソということとタイトルから何が描いてあるのかわかってしまいます。
でも先入観なしでこどもの視点で見るとこう感じるのか、と。
新鮮でした。

以上になります。
なかなか興味深く面白いものでした。
そして人は大人になるにつれ、何かをどこかへ落としてきてしまうんですね。
いや、捨てているのかな。。
こどもを通して新しい発見のある展示でした。



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ミッション[宇宙×芸術] -コスモロジーを超えて

2014-08-26 21:30:00 | 美術
見てきました

東京都現代美術館

会期は2014年6月7日から2014年8月31日。

「2001年宇宙の旅」
なんて小説ありましたね。
一般人が宇宙に行くのはまだまだ難しいですが、以前よりもだいぶ身近になった宇宙。
幕張メッセでは「SPACE EXPO 宇宙博 2014 | NASA・JAXAの挑戦」が開催中ですが、東京都現代美術館でも宇宙の展示です。
それも芸術とのコラボレーションで。
……どうやって??
今回は、アートインスタレーション、人工衛星やロケットの部品(フェアリング)などの宇宙領域資料、宇宙にかかわる文学、マンガやアニメーションなどエンターテインメント領域などで、「拡張/集束する世界をとらえ、描写する」試みだそう。

参加アーティストはチームラボ、名和晃平、鈴木康広ら日本の現代アートの有名どころ。
ドイツのユリウス・フォン・ビスマルクもいるし、なんと大御所松本零士先生まで。
幅広い。。。
また、JAXA長期ビジョン/JAXA2025のためのイラストレーションやなつのロケット団といった、アート作品ではなく、ダイレクトに宇宙と関わりを持つ組織からの出展も。
なんかよく分からないけどすごい感じ!!??

とにかく行ってみなければ!!
一部撮影可能でしたので写真も一緒にご紹介します。

入って宇宙の歴史を見つつ、目を惹いたのは写真。
《NASA「宇宙への旅―25年の歴史」》です。
あの月に降り立った写真などが展示されているのです。
おぉ、、、なんか感激。
かっこいい。
そして宇宙で神秘的で美しい。

そのあとはなんだか暗い空間へ。。
天井には一面の星。
「SUPER MEGASTAR-Ⅱ」の体験展示です。
そう、日本が世界に誇るプラネタリウム・クリエーター大平貴之さんの「SUPER MEGASTAR-Ⅱ」
一度見てみたかったんだ~!!
今回は靴を脱いで絨毯の上に上がれます。
そして置かれているのはビーズクッション。
これを枕にごろんと寝転がって鑑賞できるのです。
おぉ、いい空間や。。。
途中、流れ星が現れたり、オーロラが現れたり。
外の暑さを忘れ、違う世界へ行ったかのよう。


チームラボ「Cold Life / 冷たい生命」(書:紫舟)
"生"の文字が、だんだんと花を咲かせていきます。

氷の樹のようにも見え、涼しげ。
"世"の木は回転しながら、変化していきます。

このあとは名和晃平の作品があったり、松本零士の原画があったり。


"なつのロケット団"とはSNS株式会社で液体燃料ロケットを開発している集団の名称。
これは2013年8月10日に打ち上げられた「すずかぜ」
初めて音速を超え、テレメトリーデータの採取も成功。
機体も無事回収されたものだそう。
すごい、すごいね。
夢があってかっこいい。
HPも見てみたけれど、宇宙の写真とかすごく素敵でした。
萌えキャラみたいなのがいて、一瞬色々迷いますが(笑)内容はすごく真面目。
打ち上げたものの報告などもしっかりあります。
かっこいいぞ!!


チームラボ「憑依する滝、人工衛星の重力」
チームラボによる巨大な滝。
といっても水が人工衛星に勢いよく落ちている感じはありますが、その逆で人工衛星が進んでいくかのようにも見える。
とっても大きくて見上げんばかり。

以上になります。
個人的にすごく好きなのはフェアリング。
打上げ用ロケットの積荷(人工衛星など)を熱などから保護する役割を果たし、大気圏離脱後に分離して落下する部分です。
これの実物が展示されているのです。
落下したものが、ってことです。
ちょっとめくれていて中がどうなっているかも見えたし……
かっこいいな~。
技術ってすごいな~と感心するばかり。
アートの面ももちろんおもしろいのですが、こういった普段分からない部分が見れたことがとにかく面白かった。
星空も見れるし、勉強にもなるし。
楽しい展示でした。


こんな写真が撮れるところもありました。
本物みたい~。すごく綺麗でした。

そして。

「キミも人工衛星になってみないか!!」
って。。。
JAXA……
おもしろくてこうゆうの好き。



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涼風献上

2014-08-24 21:30:00 | 美術
見てきました

根津美術館

会期は2014年7月26日から2014年9月7日。

暑い暑い暑い~。
毎日暑い!!!!
「土日は美術館行くぞ~!!」
って思っていても暑さにやられ、早々に帰るか家からなかなか出れない日々。。。
冷房の効いている部屋が一番だよ。
それでも展示はどんどん始まるし、会期末は迫ってくる……

今回は涼しげなポスターが印象的。
そして「涼風献上」
"涼やかな風をお届けします"
という意味の言葉で夏のあいさつなどに使われるのだそう。
なんて素敵な言葉なんだ!!

展示は「涼」を感じさせる作品、連想させる表現のある作品から構成されています。

《風》
虎巌浄伏賛「拾得図」
着物の裾がひらひらとなびいています。
なるほど、風を感じる。。。
これまで「拾得図」となるとその表情ばかりに注目していました。
テーマを変えると新しい場面が見えてきますね。

伝 夏珪筆「風雨山水図」
傘を差し前かがみの男性。
しなる枝。
これはかなり強い風。
涼しいとかではなく、うわってなりそうな感じです。

単庵智伝筆「柳燕図」
風を切って飛ぶ燕、風にそよぐ柳。
これは爽やかな風が感じられます。

海北友松筆 海山元珠賛「鍾離権図」
鍾離権は中国八仙の一人。
漢鍾離とも呼ばれています。
画面左から吹く風が剣に乗って浮遊している鍾離権の服、髭をなびかせています。
不思議な世界。

「染付雪柴垣文団扇形皿」
団扇の形という珍しいお皿。
柴垣に雪の積もる様子が描かれています。
暑い季節に使うお皿に真冬の光景とは、少しでも涼しくしたいという気持ちでしょう。
染付の青も鮮やかで涼しげ。
"鱧の梅肉添えの盛り付けなどを想像しても…"とキャプションにありました。
うん、いいなぁ。
鱧は爽やかでさっぱり食べられそう。
この時期、先付なんかで鱧そうめんが出てくると嬉しくなる私。笑

《水辺の生き物》
韓旭筆「藻魚図」
悠々と泳ぐ魚、エビ、カニ、そよぐ水草。。
涼しげです。
魚は鱗まで丁寧に描かれています。

「松鶴図屏風」
六曲一双の屏風。
水辺の景色です。
右隻には鶴が2羽とむくげらしき白い花。
左堰には鶴が1羽と泳ぐ鴨。
のんびりとしていて仲がよさそうな鴨が微笑ましい。

「染付白鷺文皿」
瑠璃地の丸いお皿。
2枚の大きな蓮の葉と3羽の鷺が配されています。
鷺の表情がユーモラス。
青いお皿はさわやかでいいですねぇ。

《水辺に憩う人々》
芸阿弥筆 月翁周鏡ほか2僧賛「観瀑図」
勢いよく流れ落ちる滝。
滝壺も水しぶきをあげ溢れんばかり。
音が山中に響き渡るようです。
うーん、ここに水滴を浴びに行きたい。

和玉楊月筆「太公望図」
池のふちでしゃがみこんで垂らした糸を見つめる太公望。
なんだか微笑ましい。
なにかいいものが釣れるといいなぁ。

伝 狩野正信筆「観瀑図」
靄のかかる山中。
岩場から水が流れ落ち、それを見つめる2人。
旅の途中か、山中の知人でも訪ねていくのか。
こういった景色を見れば、疲れも一時的にしのげそう。

長澤芦雪筆「赤壁図屏風」
六曲一双の屏風です。
右隻には舟を浮かべ、そこから月を愛でる人々を。
左隻には船ではなく、陸地から赤壁を眺めんとする人々を描いています。
打ち付ける波の音だけが響きそうな静かな場面。
"赤壁"というと歴史的な景勝地で雄大な作品のイメージ。
それを"涼"という観点から見るとは。。。
テーマが違うだけでこんなにも味方が変わるのか、とびっくり。

《夏から秋へ》
<伊年>印「夏秋草図屏風」
六曲一双の屏風です。
夏から秋にかけて見られる草が描かれています。
右隻には山百合、紫陽花、立葵、菊に撫子。
左隻にはすすき、石竹、朝顔、女郎花に桔梗、ほおずきなど。
空間がとられ、そこに風が吹いていそう。

狩野宗秀筆「粟に雀図」
うなだれる粟のぶつぶつがちょっぴり気持ち悪いほど。
3羽の雀がその周りを飛び交います。

《秋を迎えて》
土佐光成筆「粟に鶉図」
今度は雀ではなく鶉。
白く垂れ下がった粟を見上げる鶉。
これはかわいらしい。

野々村仁清作「色絵武蔵野図茶碗」
風になびく一面のすすきの原の中、埋もれるように月が表現されています。
いわゆる武蔵野の景色。
白い釉薬で月を表現しています。
華やかで美しい作品。
デザイン性もあって、この作品はかなり好き。

乾山銘「色絵紅葉文向付」
紅葉を大胆にあしらった作品。
根菜の炊いたのとか入れてほしい。笑
涼しくなるを通り越して、秋に食べたい温かくなるものが想像できました。

以上になります。
展示数が多くないため、ゆったりと鑑賞できました。
時々ソファに座って眺めて、また近づいて眺めて、とのんびり涼をとってきました。
さぁ、帰ろうと思ったら、外は大雨。。。
止むまで再度の鑑賞です。
これも夏らしい景色かな。



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泥象 鈴木治の世界 「使う陶」から「観る陶」、そして「詠む陶」へ

2014-08-23 21:30:00 | 美術
見てきました

東京ステーションギャラリー

会期は2014年726月日から2014年8月31日。

今回は鈴木治(1926-2001)の個展です。
千家十織の永樂善五郎の工房でろくろ職人を務めていた鈴木宇源治の三男として生まれます。
京都市立第二工業学校窯業科卒業。
海軍航空隊の整備兵として入隊。
戦後、本格的に陶芸家の道を歩みます。
1948年に八木一夫、山田光らとともに結成した前衛陶芸家集団「走泥社」の中心的存在。
"オブジェ"といわれるようなものではなく、あくまで土と火による表現を追求し、その思想を「泥象」という言葉に託しました。
馬や鳥などの動物、自然現象から着想を得、独自の作風を切り広げます。
その長年の功績から、1999年には陶芸界から初となる朝日賞を受賞。
今回は没後初めての大規模個展。
初期から晩年までの未発表作品を含む約140点の展示です。

鈴木の作品は赤い化粧土を施した焼締めと、清らかな青白磁のふたつの技法を主軸としています。

3「白釉肩壺花生」4「黒絵細瓶」
細いとっくりのような形。
白地に黒で葉を文様化したものが施されています。
洗練されていて、おしゃれ。

8「作品」
立方体を斜めにし、三本脚で支えているもの。
謎です。
どこに飾ったらいいのでしょう。

42「兄と弟」
黒い目と思わしき点が2つ。
鼻と思わしき凸が2つ。
上下どちらから見ても顔に見える……
これ、絵画などではよく見るけれど、陶器では初めてかなぁ。。

19「假名文字壺」
白い壺で、上部には「ひらがな」が散らされています。
面白いデザイン。
ほかにも18「数の土面」のように数字を散らした円盤などがありました。

16・17「土偶」
土偶……
ずいぶん前衛的です。
と思いつつも本来の土偶のデザインだってある意味前衛的だよな……とよく分からないことを考え始めました……

22「泥像」
ここから赤い化粧土を施した焼締めのものがしばらく続きます。
もう、なんと形容したらいいのか分かりません。
4つの石のかたまり、それぞれに丸が書いてあります。
うん。。

52「魚」
牛乳パックかと思ったら魚。
うん、そういわれるとそう見えてきます。

32「馬」
これは馬って分かりました。
でもぱっと見たら神社なんかの鳥居かと思うかも……

49「雪の中の馬」
こちらも馬。
首を曲げたかたち、、下を向いたような状態です。
体に雪の結晶の模様が施されています。
赤い色に白い結晶。
きれいです。

87「花の馬」
ここから青磁。
これはとてもかわいらしい。
小さな花がいっぱい敷き詰められています。
これまでの作品と一味違いちょっと驚き。

76「花入」
斬新。
試験管のように細い瓶が4×4並べられ、束ねられています。
面白い。。

92「走れ三角」
ピラミッドみたいな形のオブジェ。
そこから足みたいなものが6本生えています。
内4本が下についていて2本はくねっと曲がっています。
なにこのかわいいオブジェ。
こんな短い足じゃ走れるわけないじゃん、って言いたくなる。
でも、なんだかえっちらおっちら一生懸命走る姿が想像できるのです。
これ欲しい。。。

65「輪花 夏草の皿」
爽やかな大皿。
料理を盛り付けるならフグ刺しでしょう。
透けて見えるところがいいんだから。

116「泥象 三十八景」
これは手のひらサイズの作品。
これまでは抱きかかえるような大きな作品ばかりでした。
1つ1つに名前がついているのですが、それがとても素敵です。
「雲ノすきま」「太陽のブランコ」「雲ノ化石」「風ノ通り路」「雲ノ鏡」「風のカーテン」
この発想がいいな。
作品もそれっぽく見えてくるのです、不思議。

115「泥象 百種」
先ほどの「泥象 三十八景」と似ています。
手のひらサイズの青磁の置物。
こちらも名前が素敵。
「月のえくぼ」「冬の花火」「最初の星」「夢境」「星の化石」「風の妃」
どうゆうときにこのフレーズが浮かんでくるのでしょうか。。
これは名前も作品も本当に素敵で家に欲しいぐらい。

129「秋日の章」
〈使う陶〉から〈観る陶〉へ、〈観る陶〉から〈詠む陶〉へ
鈴木がある作品のシリーズとともに発表したこのフレーズ。
ここではその作品が展示されています。
一つ一つの作品を見て、その流れを見て……
物語が出来てくる。。。
なんだろう。。胸にこみ上げてくるこの感じ。
夕日が照らすススキの原を眺めているような、夕日の輝く海を見るような、そんな感覚。

77「爈 虎児」
かわいい。
ちょっとずれた目にぽかんと開けた口。
こうゆう作品もあるんだなぁ、と。

63「爈 阿吽」
阿吽といえばにらみをきかせて恐いイメージですが、恐くない。
ゆるゆるです。

25「白い皿」26「白い向付」
普通の器。
本当に普通。
ここまで普通じゃないものがならんでいたので、いきなり拍子抜けな感じも……
でも普通にキレイで素敵です。

86「徳利」
おしゃれすぎるよー。
欲しい。
日本酒飲まないので床の間に飾りたい。
それぐらい素敵な造詣。
1人暮らしで部屋に床の間なんてないけど。

85「香盒 十二支」
十二支それぞれ並べられています。
どの動物も特徴とらえていて分かりやすい。
それでいて脱力系。

80「寿盃(ジュッパイ)」
青磁の盃。
大きさが少しずつ違う盃を一番大きな盃を中心にしてだんだん小さいものへとぐるりと螺旋を描くようにならべてあります。
大きさが少しずつ違って、いっぱいある……
マトリョーシカ!?
とてもとても素敵で洗練された雰囲気がありました。

154「「蘖」展出品予定作品」
2000年制作ですから亡くなる前の年となります。
それでもなお次の展示のための作品を作っていたんですね。
作品の上には葉っぱが1枚のっています。
不思議な詩情のある作品。

以上になります。
とてもおもしろくて、とても素敵な展示でした。
簡潔で、でも温かみのある造形が、観ていてとても楽しい気持ちにさせてくれるのです。
また詩情を感じるところも素敵でした。
とてもとてもおすすめの展示です。



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江戸妖怪大図鑑 第二部【幽霊】

2014-08-21 21:30:00 | 美術
見てきました

太田記念美術館

会期は2014年7月1日から2014年9月25日。
3部構成となっていて、
第一部は【化け物】7月1日から7月27日。
第二部は【幽霊】8月1日から8月26日。
第三部は【妖術使い】8月30日から9月25日。
今回は第二部の【幽霊】を見てきました。

第一部の記事はこちら→「江戸妖怪大図鑑 第一部【化け物】

さて。
夏です。
暑い暑い夏です。
幽霊や妖怪たちも元気になる(!?)夏です。

鬼や天狗、土蜘蛛などの【化け物】
お菊やお岩などの【幽霊】
蝦蟇や蛇を操る【妖術使い】
本当に怖いものから、笑ってしまうものまでさまざまなものが描かれています。
今回はそれぞれをカテゴリーで分け、葛飾北斎や歌川国芳、菱川師宣から月岡芳年まで、総展示数は約270点。
まさに妖怪大集合な展示となっています。

さらっと見てきた中で印象に残ったものを数点書いておきます。

まずは靴を脱いで畳の上へ。

99.葛飾北斎「百物語 お岩さん」
とっても有名な作品。
左目のところが崩れてしまったお岩さん。
この作品では提灯に顔が映し出されています。
提灯の破れたところがちょうど口になっています。
怖いはずなのに、なんとなくユーモラス。

116.葛飾北斎「百物語 こはだ小平二」
描かれているのは後頭部を残してすべての皮をはがされた骸骨。
男女の眠る蚊帳を上から覗き込んでいます。
ちょっと、、かなり怖い。
この幽霊は幽霊役を得意としていた歌舞伎役者小平次。
旅先で、妻とその密通相手に殺されてしまい、この2人のもとへ幽霊となって戻ってきた場面です。

148.葛飾北斎「百物語 しうねん」
位牌の前に水の入った器、まとわりつくように蛇。
幽霊は描かれていませんが、逆にこの世への執着を感じさせ怖いです。
位牌に書かれている北斎オリジナル梵字が人間の横顔のように見えるのがちょっとおもしろい。

147.葛飾北斎「百物語 笑ひはんにや」
角と牙を生やした鬼のような女が、子供の生首をつかんで笑顔を浮かべた恐ろしい作品。
手にした子どもの首の切り口はぶつぶつしていて気味が悪い。。
「百物語」シリーズですから、ベースの話があるかと思いますが、調べたところそのような話は見つかっていないよう。
笑般若はこの北斎の作品と長野県の伝承に見られるようで、他の情報が少ないのです。
なお、この北斎の「百物語」
百物語ですから100あるはずなのに、現在5点しか確認されていません。
最初にその4点が見れちゃいます。

この先は幽霊別(!?)に展示されていました。

《累》
累(かさね)は四谷怪談のお岩さん、皿屋敷のお菊さんと並ぶ江戸時代の三代幽霊スター。(→!!??)

下総国岡田郡羽生村(現在の茨城県常総市)の累ヶ淵に伝わる伝承を題材にしたもの。
百姓・与右衛門と、その後妻・お杉の夫婦には、お杉の連れ子である娘・助(すけ)がいました。
助は生まれつき顔が醜く、足が不自由であったため、与右衛門は助を嫌っていました。
助が邪魔になった与右衛門は、助を川に投げ捨てて殺してしまうのです。
あくる年に与右衛門とお杉は女児をもうけ、累(るい)と名づけますが、累は助に生き写しでした。
村人は助の祟りと噂し、「助がかさねて生まれてきたのだ」と「るい」ではなく「かさね」と呼ばれました。
両親が相次いで亡くなり一人になった累。
病気で苦しんでいた流れ者の谷五郎を看病し、二代目与右衛門として婿に迎えます。
しかし谷五郎は容姿の醜い累を疎ましく思うようになり、累を殺して別の女と一緒になる計画を立てるのです。
正保4(1647)年8月11日、谷五郎は累を川に突き落とし殺害しました。
その後、谷五郎は幾人もの後妻を娶りましたが、死んでしまいます。
6人目の後妻・きよとの間にようやく菊という名の娘が生まれますが、菊に累の怨霊がとり憑き、菊の口を借りて谷五郎の非道を語ります。
そして、供養を求めて菊の体を苦しめました。
近隣の飯沼にある弘経寺遊獄庵に所化として滞在していた祐天上人はこのことを聞きつけ、累の解脱に成功。
しかし再び菊に何者かがとり憑きました。
祐天上人が問いただしたところ、助という子供の霊。
古老の話から累と助の経緯が明らかになり、祐天上人は助にも十念を授け戒名を与えて解脱させました。
とい伝承。
なんだか怖いというより悲しいお話なのです。
これを基にした歌舞伎や落語により話は広まります。
設定は作品によって若干違いますが、「累」という名の女性が「与右衛門」という名の夫に殺害され、怨霊となる、という筋立てです。

94.歌川国芳「三代目尾上菊五郎のかさねぼうこん」
描かれているのは幽霊となった累。
暗い背景に白く描かれています。
鬼火が浮かぶ不気味な景色。
この鬼火の色彩がとてもきれいなグラデーションです。

《お岩》
お岩さんは解説いらないでしょう。
とても有名で現代でもなんども映像化されています。
基本的には「貞女・岩が、夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というもの。
怪談の定番で歌舞伎・落語、舞台、映画など様々なVer.があります。

102.歌川国芳「四代目市川小団次の於岩ぼうこん」
これはとにかく美しい。
幽霊で美しいはおかしいかもしれませんが、美しい。
蛇山庵室での夢の場面。
美しい娘に折り重なって抜け出たかのようにお岩の幽霊が登場しています。
この演出がすごい。

106.歌川国貞(三代歌川豊国)「三代目関三十郎の直助権兵衛 八代目片岡仁左衛門の民谷伊右衛門 五代目坂東彦三郎のお岩の亡霊/小仏小平亡霊 五代目坂東費お三郎の佐藤与茂七」
3枚つづりの大きなもの。
この作品の見せ場でもある、戸板返しの場面です。
お岩と小平を両面に釘付けした戸板が、自分の前に漂着して驚く伊右衛門。
左には与茂七、右には直助が描かれています。
この作品の面白いところは戸板の部分に紙が貼ってあること。
折り返すとお岩と小平が交互に現れるのです。

107.楊洲周延「三代目片岡我童の田宮伊右衛門 五代目尾上菊五郎のお岩ノ霊」
こちらも3枚もの。
真ん中には大きな提灯。
これも紙がついていて、めくるとお岩の顔が出るようになっています。
周りに描かれた唐茄子も怖い顔をしています。

《お菊》
お菊さんも有名過ぎて解説不要かな。
主人が大事にしていたお皿、10枚のうち1枚を割ってしまい、古井戸に身を投げてしまいます。
そして夜な夜な1枚ずつ数えている、、、というお話。

113.豊原国周「歌舞伎座中満久 皿屋敷化粧姿鏡」
縦に3枚という長細い構図。
珍しい。
上には五代目尾上菊五郎演じるお菊。
下には九代目市川団十郎演じる浅山鉄山。
お菊の背後がぼかされていて、怪しい雰囲気を出しています。

《小幡小平次》
114.豊原国周「初代尾上松助の小はだ小平次/同女房」
先ほども出てきましたが、小平次は幽霊役を得意としていた歌舞伎役者。
こちらも妻お塚と密通相手の左九郎の夢枕に立つ場面です。
なんだか切ない。
さぞかし無念だっただろうなぁ。

《朝倉当吾》
朝倉当吾は藩主の過酷な年貢取り立てを将軍家綱に直訴し、死罪となった佐倉の名主、佐倉惣五郎のこと。
手に書簡を持った状態をよく描かれています。

119.歌川国芳「四代目市川小団次の浅倉当吾亡霊」
将軍に直訴し磔刑となった当吾。
髪はざんばらで首は真っ赤。
青白い顔をしています。
人々の生活を思い直訴したのに無念でしょう……

121.歌川国芳「四代目市川小団次の茶道印馬実ハ当吾ノ霊/浅倉当吾の霊/こし元小桜実ハ当吾霊 三代目岩井条三郎の如桂木 四代目坂東彦三郎の織越大領」
嘉永4(1851)年、中村座で上演されたものに取材しています。
右手に願書をもつ浅倉の幽霊は画面上部から登場。
左側には骸骨も描かれています。
3枚の大きな作品です。

125.歌川国芳「木曽海道六十九次 細久手 堀越大領」
当吾の幽霊は領主織越大領を悩ませます。
ここでは当吾の姿は細い煙で描かれています。
背景の木々の妖しさ、雲の模様も骸骨のように見えてきます。

《崇徳院》
崇徳天皇は第75代天皇。
鎌倉初期の『保元物語』によると、怨念の為に、経文に血で呪文を記し、生きながら天狗となった、とされています。
日本史上最大の怨霊としても有名です。
この天皇の人生も詳しくしればなかなか悲しいもの。
難しいのです。

127.歌川国芳「百人一首之内 崇徳院」
稲妻が走り、波が渦巻く中、伸びた髪を振り乱し、青い顔をした崇徳院。
なかなか迫力あります。
そして、右上には"瀬を早み…"との歌。
百人一首を取り上げたシリーズものなので、その歌が書かれているのですが、歌とのイメージが違いすぎる。。
そして私はこの歌が好き。
学生時代は百人一首、ほぼすべて覚えていたのですが、今ではすっかり忘れてしまいました。
でも、今でも覚えている数少ない歌。

128.歌川芳艶「為朝誉十傑 白縫姫 崇徳院」
沸き立つ雲と荒れる波が画面を覆います。
平家滅亡を願い天狗となった崇徳院。
怨霊と恐れられただけあり、かなり怖い顔つきです。

《平清盛と亡霊》
129.歌川芳房「清盛布引滝遊覧義平霊難波討図」
源義朝の長男、義平は悪源太とも呼ばれていました。
この場合の悪は悪人の意味ではなく、"強い"、"猛々しい"という意味だそう。
平治の乱に敗れ処刑されるのですが、その後、雷となって自身を処刑した経房を焼き殺した、という伝承があります。
描かれているのは雷となった義平が経房を殺す場面。
稲妻が鋭く走り、迫力あります。

130.葛飾北斎「福原殿舎怪異之図」
1180年、平清盛は京都から福原へ都を遷します。
そんななか、ある朝、庭を眺めると無数の骸骨が。
睨みつけたら消えてしまったそうですが、その光景は異様。
庭の植木、灯籠など骸骨の山。
清盛の周りには一族郎党が集まっていますがさぞびっくりしたことでしょう。

《平家の亡霊たち》
138.歌川芳員「大物浦難風之図」
平知盛が1人船の先頭に立っています。
波の形が人の顔や手のようになっていて怪しげな雰囲気。
波の下から顔を出すのは幽霊たちですが、その表情がちょっと間抜けです。

140.月岡芳年「つきの百姿 大物海上月 弁慶」
月明かりの下、波に一人向かう弁慶。
幽霊など直接的なものは描かれていませんが、怪しい波の動きがその状況を示しています。
ドラマチックでかっこいい作品。

《清姫》
143.歌川国芳「真子庄司愛女 喜代姫」
能などでおなじみの清姫。
美形の僧、安珍に一目ぼれした清姫。
逃げた安珍を追いかけ、蛇となった清姫は安珍の隠れた道成寺の梵鐘に絡みつき焼き殺してしまうという恐ろしい話。
描かれているのはちょうど鐘に絡みついている場面。
髪が乱れ、清姫の帯が蛇に変身しています。

144.月岡芳年「和漢百物語 清姫」
安珍を追いかけ、日高川を渡り終えた清姫。
濡れた髪が顔にまとわりついています。
視線も前かがみとなり、これから蛇になるという様子が見て取れます。
桜の花びらがひらひらと舞っています。

《姑獲鳥》
146.月岡芳年「和漢百物語 主馬介卜部季武」
あれ、うぶめって産女って書くんじゃ……と思い調べました。
姑獲鳥は"うぶめ"と"こかくちょう"と読む場合があるそうです。
"こかくちょう"は中国の伝承上の鳥。
鬼神の一種であって、よく人間の生命を奪うそう。
夜間に飛行して幼児を害する怪鳥で、鳴く声は幼児。
子どもや夜干しされた着物を見つけると血で印をつけます。
付けられた子どもはたちまち魂を奪われてしまう……
中国の古典で様々な伝承がありますが、姑獲鳥は出産で死んだ妊婦が化けたもの、という説があるそうです。
日本でも茨城県で似た伝承があり、夜に子供の着物を干すと"ウバメトリ"という妖怪が自分の子供の着物だと思って、その着物に目印として自分の乳を搾り、その乳には毒があるのだとか。
これは中国の姑獲鳥が由来とされています。
江戸時代初期の日本では、日本の伝承上の妖怪"産女"が中国の妖怪である姑獲鳥と同一視され、"姑獲鳥"と書いて"うぶめ"と読むようになったそう。
これは産婦にまつわる伝承において、産女が姑獲鳥と混同され、同一視されたためだとか。
なるほどなるほど~。
で描かれているのは"産女"のほう。
腰から下が血まみれの青白い女が抱いているのは赤ちゃん。
この赤ちゃんは肌の色から生きているかのようです。

《その他》
152.歌川国貞(三代歌川豊国)「見立三十六歌撰之内 在原業平朝臣 清玄」
世の中に絶へて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
この歌は三十六歌仙のひとり、在原業平が詠んだもの。
この世の中に、桜というものがなかったら、春をのどかな気持ちを過ごせるだろうなぁ
という意味。
さて、描かれいているのは桜姫に恋い焦がれた清玄。
目は金色に輝き、既にこの世のものではないようです。
桜(桜姫)がなかったら、穏やかに過ごせたのでしょうか。。。

155.歌川芳員「新田義興の霊怒て警を報ふ図」
新田義興は南北朝時代の武将。
28歳のときに謀殺されました。
その後、怨霊になった、というよくある話。
連銭葦毛の馬に乗った義興の周りには黒雲がもくもくと。
雷様となったんですね。
迫力あります。

157.月岡芳年「英名二十八衆句 姐妃の於百」
お百は殺人、強盗、御家騒動など様々な悪事をはたらいた女性。
行燈に青白い幽霊がいますが、お百は驚きません。
さすが、肝が据わっています。

159.月岡芳年「芳年戯画 応挙の幽霊 雪舟活画」
上下で違う作品ですが、今回取り上げるのは上の作品。
"応挙の幽霊"
応挙とは四条丸山派の祖、丸山応挙。
応挙は幽霊画でも有名でした。
一説によると足のない幽霊を描いたのは丸山応挙が最初とされています。
その応挙が自身の描いた幽霊画から幽霊が飛び出してきて驚く場面。
なるほど、描いた本人もびっくりの出来なのかぁ。。
面白い作品です。

160.月岡芳年「月百姿 源氏夕顔巻」
源氏物語の夕顔を描いたもの。
夕顔は六条御息所の怨念で亡くなります。
夕顔の花と月が描かれ、繊細で美しい作品。

166.三代歌川国輝「本所七不思議之内 置行堀」
釣りの大好きな男。
"錦糸町のとある堀で釣りをすると化け物が出る"とのうわさを耳にします。
化け物が出る、だけならきっと興味を持たなかったでしょうが、釣りが関係するのなら……
と早速出かけます。
すると釣れる釣れる。
男は笑いが止まりません。
"化け物も出ないし、こんなに釣れたし、帰るか"
と釣果の入った籠を持ち岐路につこうとしたところ。
"おいてけ~、おいてけ~"と恐ろしい声が。
男はびっくり。一目散に帰りました。
そして籠を見てみると空っぽ……
そんなお話。
現代でも一人取り残されたりすることを「おいてきぼり」とか言いますが、これが語源です。
作品のなかでは白抜きの幽霊に驚く男性が描かれています。

168.三代歌川国輝「本所七不思議之内 片葉の芦」
これは恐ろしく悲しい話。
江戸時代、本所にお駒という美しい娘がいました。
近所に住む留蔵という男が恋心を抱き幾度も迫ったものの、お駒は一向になびきません。
遂に留蔵は、隅田川からの入り堀にかかる駒止橋付近でお駒を襲い、片手片足を切り落とし殺した挙げ句に堀に投げ込んでしまうのです。
それ以降、駒止橋付近の堀の周囲に生い茂る葦は、何故か片方だけの葉しか付けなくなった……
想像しただけでも恐ろしい話。
作品は今まさに切りかかろうとしている場面。
今も昔も恐ろしいのは人間かな。

169.小林清親「清親放痴 東京谷中天王地」
明治時代には、西洋諸国に対して恥ずかしくないように、明治5(1872)年に人前で裸になることを禁止する法令が出されました。
腰布を巻いた骸骨を注意するという風刺画です。

《地獄》
170.歌川国芳「地獄変相図」
剣の山に灼熱地獄、釜ゆでや火の車へ投げ込むなど地獄の様子が描かれています。
泣く亡霊たち。
この世で恐れられている亡霊たちも地獄の恐怖があるのですね。

171.歌川芳艶「どうけじごくごくらくのず」
閻魔大王や獄卒たちを歌舞伎のヒーローが倒すという場面。
亡霊も恐れる閻魔大王たちをやっつける歌舞伎のヒーロー。
迫力ある場面です。

173「ゑんまの子」
安政の大地震のあと、地獄へ来る人が急増ってことで悩む閻魔大王が描かれています。
これって、、どうなの??
今なら確実に不謹慎!!ってたたかれますね。。。

174.歌川芳豊「柳川豊後大掾 浅草奥山にて興行仕候」
柳川豊後大掾は江戸で活躍した手品師。
その興行の様子が描かれています。
大きな骸骨と炎が描かれ、不思議な雰囲気。

《驚く人々》
178.歌川広重「東海道五十三対 二川」
弥次さんと喜多さんが縁側に干してある手ぬぐいをお化けだと勘違いしてびっくり仰天している場面。
話の中では浜松でのエピソードだそうですが、ここでは二川になっています。
ひらひらとなびく様子はたしかに幽霊にも見えてきます。

以上になります。
今回は前回よりもすいていました。
残りは9月の第3部。
【妖術使い】がテーマとなると、歌川国芳や月岡芳年らが大活躍しそうですね。
楽しみです。



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不思議な動き キネティック・アート展 ~動く・光る・目の錯覚~

2014-08-20 21:30:00 | 美術
見てきました

損保ジャパン東郷青児美術館

会期は2014年7月8日から2014年8月24日。

今回は「キネティック・アート」
……ってなんですか??

20世紀のヨーロッパで誕生したキネティック・アート。
キネとはKine,cine ギリシア語の「動く、変化」という意味です。
"動く芸術"と訳されています。
作品そのものに"動き"が取り入れられているのが特徴。
モーターを装備していて電気で動いたり、電灯を使用したり。
時間の経過とともに変化する作品や、目の錯覚を利用したり、見る人の視点の移動に応じて動いて見えるものも。

キネティック・アートの理念は、20世紀初めの未来派や、1920年の"レアリスム宣言"の流れを継ぐもの。
しかし、キネティック・アートが本格的に盛んになるのは、1950年代後半から60年代にかけて。
1960年代よりヨーロッパ各地やアメリカの展覧会で紹介され、新しい芸術分野として確立しました。
その後、キネティック・アートはデジタル技術と融合し、現代のメディア・アートへつながっていくのです。
今回は1960年代にイタリアを中心に展開したキネティック・アートを日本で初めて総合的に紹介する展示です。
先駆的なブルーノ・ムナーリをはじめとするイタリアの作家を中心に、フランスやドイツで活動した作家たちをあわせた30余名による平面・立体作品約90点が展示。
いずれの作品も日本初公開です。

さて、いつものように気になった作品一つ一つについて書いていきたいところですが。
錯覚や動きを利用しているので、文章にするのが難しい……
簡単に数点だけ書いておきます。

フランコ・グリニャーニ「波の接合 33」
四角い平面なのに、波打っているように見える~。
黒と赤の縞模様の曲線がうねうねと。
目がちかちかしてきます。。。
名前もいいよね。笑

ダダマイーノ「ダイナミックな視覚のオブジェ」
小さな黒い四角の集合体。
そこを見ていると4つの半球が見えてきます。
あら不思議。
本当に不思議。

ダヴィデ・ボリアーニ「磁力の表面」
この展示のおもしろいところはスイッチを入れて動かすことができること。
この作品もスイッチがあるので押してみると。
あら、不思議。
砂鉄がまるで生きているように動く。
って、小学生のときの実験を思い出させる作品。

エドアルド・ランディ「視覚の構造」
ないものがあるように見える作品。
白いカンバスに十字がいっぱい。
縦と横の線が交わるところに"白い丸"があるように見えてくるのです。
おぉ、、本当はないのに、あるように見えてくる!!
不思議……
そしてこれ、描いてあるものではなかったようです。
キャプションには、着色した木、ゴム紐、と。
おぉぉ、すごくおもしろい。

トニー・コスタ「交錯」
白い帯が捻って並べられています。
動くと背景の青い色が波打つように動く!!
作品の前をふらふらして見ていました。

以上になります。
あっちからこっちから、いろいろなところから見て楽しい展示でした。
ただ。
酔います。笑
ふらふらします。
この暑さもありますから。
休み休みのんびり見ることをおすすめします。



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思い出のマーニー×種田陽平展

2014-08-18 21:30:00 | 美術
見てきました

江戸東京博物館

会期は2014年7月27日から2014年9月15日。

2014年7月19日(土)公開のスタジオジブリ最新作「思い出のマーニー」(米林宏昌監督)
この作品で美術監督を務めるのが種田陽平。
以前にも展示を見てきています。

記事はこちら→「種田陽平による三谷幸喜映画の世界観-『清須会議』までの映画美術の軌跡、そして…

日本のみならず世界の監督からも絶大な信頼を得る映画美術監督。
2010年には米林監督のデビュー作「借りぐらしのアリエッティ」公開時に東京都現代美術館などで開催した「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」で全国で70万人を動員。
小人の住む世界を巨大な展示作品として作り上げました。
そして今回、「思い出のマーニー」で初めてアニメーション映画の美術監督に挑戦。
今回の展示では、自身が美術監督を務めるアニメーション作品の世界を、自らが実写映画セットのように表現。
体験型の展示です。

さて。
映画、見ていません。。。
テレビや映画との連動した展示はその内容を知らなくても大丈夫ってことが多々あったので、今回も見ていなくても大丈夫だろう、と行ってきました。

……いや、うん。
セットがすごいことはわかったけど、厳しいかな~。
その世界に入り込むためには映画を見てから行ったほうがいいと思います!!

さてさて。
この映画。
マーニーと杏奈という2人が主人公。
この2人が出会う重要な舞台が"湿っ地屋敷"
この屋敷をメインに展示は構成されています。
この模型がすごい。
細部まで凝っていて、夜になると明かりがついたり。
後ろからも見ることができて一切手を抜いていないことがわかります。

また、室内の再現も素晴らしかった。
室内の小物、机の上の日記。
部屋の壁紙は物語の舞台、北海道の植物をモチーフに特別に作ったものだそう。

またそういった図面や映画で使用した美術資料なども展示。
これはなかなか興味深く面白い。
そして当たり前っていえば当たり前なんだけど、やっぱりこうゆう仕事をする人って絵がみんな上手いのね。
小道具の油絵とかすごいな~って。

で、見ていて思ったんだけど、マーニーって幽霊なの!??

ミュージアムショップはジブリグッズが盛りだくさん。
にぎわっていました。

会場外にはこのようなパネルも。




壮大なセットの中を体験できて、なかなか面白い展示でした。
嵐のシーン(!?)の再現では子供が「あっち恐い~」って言っていたぐらいの迫力。
私は足元がぬかるんでいるかと思ってゆっくり歩いてしまうほど。
(ぬかるんだように見せかけ、実はぜんぜん平気)
ぜひぜひ夏の思い出に。
映画とセットでいかがでしょう。



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たよりない現実、この世界の在りか

2014-08-17 21:30:00 | 美術
見てきました

SHISEIDO GALLERY

会期は2014年7月18日から2014年8月22日。

なんとも不思議なタイトルの展示。
今回は若手アーティスト荒神明香さんと参加者とともにアート作品のアイデアを実現する活動を行うwah document(南川憲二、増井宏文)によって組織された現代芸術活動チーム 目【め】の東京での初めての個展。

一部撮影可能でしたので、一部だけ、写真を使いながらご紹介します。
先に書いておくと、これとても楽しい展示でした。
そしてこの先はネタバレを含みます。



ふふ~。
楽しみ、と行くと、いつもの階段がない!!
その代わり、「点検口」って書かれたドアが。
ここから下がっていいそうなので、この階段を使います。
階段も作品の一部なのですが、足元暗く、狭いため、不安な方はエレベーターを、と書いてありました。
今日の私はヒール。
階段+ヒール=落ちる
いやいや、ここは階段を意地でも使わねば!!!!!

って、すごい。。
階段怖い……
工事中のようになっているのです。
手すりもないのでゆっくりゆ~っくり降りていきます。
壁のベースがむき出しだったり、仮組みの単管だったり。
いつものキレイな階段はどこに行ったのさ。。。

そんなこんなで時間をかけて階段下りると、そこは雪国でした
ってことはありませんが、予想外の光景でした。


えっ!?
ホテル?????
客室のとびらがずらり。


このようなパンフレット。


館内案内図です。

ここはホテルTG.
(TG=たよりない現実、かな。)
不思議な不思議なホテルです。


角を曲がっても客室。


まだ清掃中なんでしょうか。


カードの自販機などもあり、かなり本格的。

そしてその先には客室。
シングルの部屋。
ベッドはきれいにされ、担当した係員の名前が書かれたカード。
机の上にはお茶などのホテルの備品。
本当にそっくりです。
ホテルです。
宿泊者のものと思われる服も置かれていました。
へ~、すごいな、おもしろいな。
とひとつひとつゆっくり観察。
入り口近くに全身鏡があるのもホテルっぽ~い。
って!!!!!
人が!!
人が鏡から出てきた!!!!!
ギャー、なになに???

この鏡、鏡ではなかったのです。
鏡(と思っていたもの)の向こうにもうひとつ部屋があったのです。
反転させて鏡に映っているかのように、そっくりそのままに。
鏡は実は枠のみ。
そこを通じて隣の部屋に行くことができるのです。
で、戻ってきた人が鏡から出てきたかのようになり、私はびっくりした、ということ。笑
出てきた男性がちょっと笑っていたのは私のリアクションがよかったからでしょう!!
……本当にびっくりしたのよ。。。
反転した室内。
すべて反転していました。
ベッドの挨拶カードもリネン系の刺繍もすべて。
凝ってる!!すごい。

ぞわぞわする展示でした。
ちょっとした迷宮のよう。
鏡に映るべき自分がなく、反転した世界だけがあったあの客室はなんともいえない強烈なものを心に置いていきました。

帰りはエレベーターで。
というのも、階段は細く狭いためか一方通行のようです。
うん、確かにすれ違えないわ。。

ぜひ、不思議体験してきて下さい。
なお、私は見逃したところがあるので、近々もう一度行きます!!



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