3月11日 編集手帳
10年連用の日記帳を使って6年目になる。
1年分の幅が狭く、
執筆のテーマと飲食を記録したメモ書きにすぎない。
〈坂上二郎氏追悼。同期I君と神田、焼き鳥〉。
3月10日欄、
今年の4段上にある。
「われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく」とはフランスの詩人バレリーの言葉だが、
人はすぐ後ろに待ち受ける災厄に気づかない。
家族の団欒(だんらん)であったり、
友人との語らいであったり、
それぞれの“前夜”を思い起こしている人は多いはずである。
震災から4年たった。
天の高みで犠牲者が目にしたくない光景は二つだろう。
一つは被災地の再生が滞り、
この世に残した家族の生き惑う姿である。
もう一つは南海トラフ巨大地震などで災禍が繰り返されることである。
霊前に合わせる手。
復興へ、
政府と東京電力の尻を押す手。
すぐ後ろにいるかも知れぬ災厄に注意を怠るなと、
おのが頬を叩(たた)く手。
手を遊ばせる暇のない5年目に入る。
あの日の日記には、
ただ〈社泊〉とだけある。
会社のザコ寝など何ほどのこともない。
避難所の〈避泊〉。
仮設住宅の〈仮泊〉。
つらい二文字の1461回つづいた日記帳を思う。