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日暮しの種 

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手を遊ばせる暇のない5年目に入る

2015-03-14 20:30:00 | 編集手帳

3月11日 編集手帳

 

10年連用の日記帳を使って6年目になる。
1年分の幅が狭く、
執筆のテーマと飲食を記録したメモ書きにすぎない。
〈坂上二郎氏追悼。同期I君と神田、焼き鳥〉。
3月10日欄、
今年の4段上にある。

「われわれは後ろ向きに未来へ入ってゆく」とはフランスの詩人バレリーの言葉だが、
人はすぐ後ろに待ち受ける災厄に気づかない。
家族の団欒(だんらん)であったり、
友人との語らいであったり、
それぞれの“前夜”を思い起こしている人は多いはずである。

震災から4年たった。
天の高みで犠牲者が目にしたくない光景は二つだろう。

一つは被災地の再生が滞り、
この世に残した家族の生き惑う姿である。
もう一つは南海トラフ巨大地震などで災禍が繰り返されることである。
霊前に合わせる手。
復興へ、
政府と東京電力の尻を押す手。
すぐ後ろにいるかも知れぬ災厄に注意を怠るなと、
おのが頬を叩(たた)く手。
手を遊ばせる暇のない5年目に入る。

あの日の日記には、
ただ〈社泊〉とだけある。
会社のザコ寝など何ほどのこともない。
避難所の〈避泊〉。
仮設住宅の〈仮泊〉。
つらい二文字の1461回つづいた日記帳を思う。

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東京大空襲の記憶

2015-03-14 07:30:00 | 編集手帳

3月10日 編集手帳

 

9年前に87歳で亡くなった詩人の宗左近(そうさこん)さ んは、
罪の意識を十字架のように背負って生きた人である。
東京の空襲で炎の海を逃げまどい、
握った手を離して母を死なせた。

〈母よ呪ってください息子であるわたしを
 あなたを生きながら焼いたことをではなく
 あなたを生きながら焼いたのにもかかわらず
 そのことのために生きながら焼かれていないわたし を…〉
 (詩集『炎(も)える母』)

宗さんが母を亡くしたのは1945年(昭和20年)の5月25日、
数度にわたる東京大空襲のなかでは「山の手大空襲」として知られる。

約10万人の命を奪った下町一帯 の大空襲は同じ年の3月10日、
きょうで70年になる。
火炎をのがれて水辺に逃げた人たちの遺体からにじみ出た脂で、
隅田川が濁ったという。
親を、
子を、
弟や妹を救えなかった無念にみずからを責めつづけた、
数限りない宗さんがいることだろう。

〈墓一群「三月十日歿(ぼつ)」と雪に〉(加藤楸邨(しゅうそん))。
そこに眠る人々が忌日を同じくする墓碑ほど、
手を合わせて胸の痛むものはない。
三月十日歿。
三月十一日歿。
気がつけば、
普段より口数の少ない春の日がつづく。

 

 

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