千葉日報社のサイトで『幼児や妊婦ら9人殺害 99年目の墓参会、命日に祈り 来年は慰霊式開催も 関東大震災後の福田村事件』という記事を読んだ。
99年前、関東大震災直後の混乱の中、香川県からやってきていた被差別部落出身の薬の行商団が福田村(現在の野田市)で、そのなまりなどから「朝鮮人ではないか」などの声を浴びせられた末、自警団によって、幼児や妊婦を含む9人が竹やりや農具で殺された事件だという。
こんな事件が、そう遠くない過去に実際にあったことに驚かされた。
人は、自分可愛さから、自分が正しいと思い込み、声の大きな他へはすぐに同調する。
ことが良い方向に転がっているときはこれでいいのだけれど、時代の流れがネガティブスパイラルに向かうときは、とても危険なことである。
一方で、相手を先入観のない素直な心で観て、そして自分の立ち位置でもう一度考えて行動するということは、できそうでなかなかできない。
だから、自分たちとは姿形が少し違う、言葉使いが少し違うというだけで、多数に任せて徒党を組み、撲殺してしまうなんてことも起こるのだろう。
日々の自分を省みて、反省の記事だった。
先日のシルバーバイトで、こんなことがあった。
まだ真夏の暑い時期だったので、作業中はマスクを外していた。それをすっかり失念し、マスクをポケットにいれたままコンビニでお弁当を物色。
背中から、「おじさん、おじさん。マスクをしろよ。マスクをしないやつは外へ出ろよ」ととがった声。
振り向くと、私より年上とみえるオヤジどんが、顎マスクで、大声で怒鳴っていた。
おもむろにポケットからマスクを取り出して着用。
無視して終わりにしたのだけれど、私がこのオヤジどんのようなタイプだったら、ブチ切れて暴力沙汰なんてことになっていたかもしれない。
確かにマスクは付け忘れたけれど、入り口で手指消毒し、入店後も話をして飛沫を撒き散らしていたわけでもない。
ワクチンも接種し、毎朝検温。
帰宅時は、うがい、手洗いの励行をして異常の把握にも努めている。
コンビニ管理者や店員さんに、「すみません。マスクの着用にご協力ください」と注意されるなら「あっ、こめんなさい」と人間関係も角がたたない。
この一件、顎マスクで飛沫を撒き散らしているオヤジどんにとっては、自分が正義で、マスクをしていなかった非常識な私を注意してくれたということなのだろう。
大正の頃なら、一歩間違えば、竹やりや農具で殺されてたってことかな。
人ほどあたたかいものはないけれど、人ほど怖いものもない。