関東ふれあいの道(千葉7)伊藤左千夫のみちは、JR東金線(総武本線)成東駅を起点に、山武市歴史民俗資料館、伊藤左千夫の生家、成東・東金食虫植物群落、JR求名(ぐみょう)駅を経てJR東金駅に至る、15.6kmのコースである。
JR成東駅に降り立ち、まず目に入ったのが伊藤左千夫の短歌の碑。
『久々に 家帰り見て 故さとの 今見る目には 岡も河もよし』
家、故郷は出て(巣立って)いくものとの考え方もあるが、人の原点、原風景は故郷にある(帰ってくる場所)と思っている私の思いと同感の歌だ。
駅前は改修工事中で立て込んでおり、関東ふれあいのみち関連の看板等も見当たらなかったので、マップをたよりに山武市歴史民俗資料館、伊藤左千夫の生家方面を目指した。
2Kmほど歩いたところで案内板を見つけた。
あいにく山武市歴史民俗資料館は休館日で見学はできなかったが、伊藤左千夫の生家はゆっくり見学できた。
よく保存・整備されていた。
左千夫は次男で、ある程度の自由度があったのだろうが、生家は立派な作りで、裕福な家だったのではないかという印象を受けた。
生家を離れて成東・東金食虫植物群落に向かう途中に、伊藤家の墓所があった。
伊藤家のゆかり、父母のついての解説板には、父方は松尾藩武士、母方は中世の土気、酒井氏に仕えた武士の系統で、父は地元の教育者であったと顕彰されていた。
お父さんの辞世の句は、
『あら楽し 冥土の旅は 花盛り』
だそうだ。
そんな父親の生き方が、左千夫の作品に影響を与えたのは間違いない。
私も残された時間、そんなふうに時間を過ごしたい。
成東・東金食虫植物群落に着いた。
おバカな私は、虫をパクパク食っている植物の群生をイメージしてワクワクしてきたが、さにあらず(笑)。
オミナエシが群生している湿原だった。
よく観察すれば食虫植物も見つかるのだろうが、素人にさっぱり。
ボランティアガイドさんもいたので、同行説明を頼めばよかったかな。
ここからコースを離れ、”中高年、ウォーキングの星”、伊能忠敬の生家跡が公園整備されているというので、九十九里町小関まで片道6Kmの聖地巡礼、番外編に出た。
道標も詳細マップもないので、現地までナビを使った。
現地で、忠敬先生、思いっきり天を指さしていた。
先生の姿を仰ぎつつ、ここでおにぎりを食べ、しばし休憩。
すこし前から動悸が強くなっていたので、ラジオを聴きながら、小一時間ベンチで横になった。
ナビで、求名駅に着いた。
城西国際大学などができ、開発が進んでいるエリアなので、駅はきれいだが、ふれあいのみちのコースは分かりにくく、ここからのコース後半は大いに迷った。
ふれあいのみちマップで妙宣寺までなんとかたどり着けたが、この先に出てきた道標が『千葉県農業大学校』で、これに沿って歩いたら本コースが分からなくなってしまった(笑)。
マップで確認したら、農業大学校のある位置より、もう少し両総台地側に上った道なのだが、???の連続だった。
この辺りからコースから外れ、東金商業高校の下でいったん道標を見つけたものの、またしても迷子。
時刻も押してきて、もう無事帰れればいいやという気持ちになって、コースは無視。
東金駅をめざして伊藤左千夫のみちを締めくくった。
日が短くなった。
コース名:千葉7 伊藤左千夫のみち
スタート JR東金線(総武本線) 成東駅
ゴール JR東金線 東金駅 15.6km
実際に歩いた日 2017年9月13日(水)
本日の歩数 43,057歩
============
1902(明治35)年の今日、正岡子規が35歳で没しました。
伊藤左千夫とも親交があり、東京茅場町の左千夫の自宅を訪れた子規が、「さすが茶を好める人の庭 塵一つもない」と『無一塵』の額を送り、左千夫は、茶室を無一塵庵と命名、無一塵庵主人と号したとの解説が生家に移築された茶室脇に残されていました。
子規や左千夫の作品を青空文庫に見つけました。
昔の文書は難しいですが、野菊の墓あたりから読んでみようか、なんて思っています。