筍というと大多喜町あたりの孟宗竹が思いうかぶ。孟宗竹の筍は派手さがあって、それはそれでいいけれど、あのガッツリおおきなのの皮をひたすらムキムキして、食べられる部分はほんの少しというのがどうも面倒で、しかもあく抜きなどの下処理もしなくてはならない場合が多い。
カミさんはコンビニ系なので、そもそもこういう自然のものには関心がないし、私一人だど、まだ面倒を楽しむ余裕より、面倒くささ先に立ち、孟宗竹の筍の旬はスーパーの半加工品に走ってしまうことが多い。
春の筍の話題が過ぎ去り、初夏のにおいがしてきたころ、地味にはちくの筍が出だす。
私の周りの土着の田舎人の中には、このはちくの筍が好きな人が多い。
「アク」や「えぐみ」がないので、柔らかいところはそのままザクッと切ってみそ汁の具などにすると、風味・歯ごたえがたまらない。
私もはちくの筍の味噌汁や煮物は大好きだ。
近所の先輩が竹藪でゴソゴソしていたので、「あにやってだけ?」って声をかけてみたら、ニコニコ顔で、「おっ、いいところに来た。手伝ってくれとは言わないけど、筍くってくれ」と数本手折ってくれた。
「雨後の筍とかはちくの勢いっていうだろ、この時期整理が追い付かないよ」とのこと。
最近感じてきたが、田舎生活にはまると、やることは事欠かないってことらしい。
いろいろ頂き物をするけれど、こういう頂き物にお礼はしない。感謝の気持ちだけだ。くれた方だって、いらないものをもらってもらい、相手がお金を使ってお礼をしてきたのでは、気が重い。
今度会ったとき、「こないだもらったたけんこ、うかまったよ」というのが、先輩も一番嬉しんだと思う。
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