仏壇の埃とりをしていて、お彼岸にご住職がおいて行ってくれたと思われる『四十六億年の命(お墓参りと先祖供養)』という小冊子を見つけました。
少し前のあたしなら、迷わずゴミ箱直行でしたが、読んでみました。
あれ、いいこと書いてある!これ、解る!
自分でも驚きでした。
『千の風』(Do Not Stand at My Grave and Weep)という詩が紹介されていました。
死後は何もない。
骨、土という物質に戻るだけ。
もう一度人に生まれ変わるなんてまっぴらだし、そんなことはないというのが自分の現在(いま)の思いです。
最期が近づいてきたとき、その思いは変わるのかもしれませんが、葬儀も戒名もお墓も自分にとってはあまり必要性を感じません。それでも、田舎の風習のお付き合いをどっぷりしていますが。
多少は、世間体も気にしながら生きているということでしょか。
あたしの理解が詩の本旨とずれているのかもしれませんが、これを読んだとき、ああ、ほんと、これでいいんだ、とみょうに落ち着く自分がありました。
死後に物質的なことはなにもいらない。もし、私を好意的に思ってくれていたのなら、私は、いつも風や雪の冷たさ・輝き、太陽の温もりや小鳥たちのさえずり、夜空の星の瞬きという日常から感じるあなたのそばに、心の中にいつもいるよ!ということだと思います。
現在(いま)生きているあたしは、先祖やお世話になった先輩などをそんな形で感じています。
人並に稼いでいたときは時間がないという理由で、今の下流生活ではお金がないという理由で、亡くなった方のお墓参りもなかなかできません。でも、自分の中に生きていている人はたくさんいます。
自分の人生もそんなフェードアウトでいいと思います。
有名な詩のようなので、ご存じの方も多いと思いますが、冊子にのっていた詩を転用します。
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私の墓前で泣くのはやめてください
私はそこにはいません
眠ってなんかいません
私は千の風になって大空を駆けています
私はダイヤモンドのきらめきとなって雪に舞っています
私は陽の光となって熟した穀物にふりそそいでいます
私は優しい秋の雨となっているのです
朝の静けさの中、あなたが目覚めるとき湧き上がる雲となって、小鳥たちを輪に描いて回せます
私は夜に輝く静かな星となって、あなたを見守っています
だからどうか私の墓前で泣くのをやめてください
私はそこにいません。
私は死んでいないのです
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