トロのエンジョイ! チャレンジライフ

「人生で重要なことはたった3つ。どれだけ愛したか。どれだけ優しかったか。どれだけ手放したか」ブッダ

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第13回

2018-06-20 19:43:24 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
「はじめまして」
 僕と芽衣は、応接間に通された。ラルフと美鈴が向かいに座った。
「ミスター・ガーラント……」
 芽衣は流暢な英語で、まずラルフに話しかけたが、
「日本語でだいじょうぶです」
 ラルフは手を振って、人なつこい笑みを見せた。
「あなたが知りたいことは、わたしたちが、なぜチェスをやめてしまったかということですね」
 芽衣は眼を丸くして、
「日本語、お上手なんですね。ええ、そうです」
 ラルフは傍らの美鈴を振り返ると、
「2人で話し合って決めたのです。ただ、わたしたちはチェスが嫌いになったわけではありません」
 ラルフが話し始めると、美鈴は席を立った。台所と思われる方から、物音が聞こえてきた。お茶でも淹れてくれるつもりなのだろう。
「チェスは素晴らしいコミュニケーション・ツールであり、単なるゲームを超えたものです。その道を求める者にとっては、学問でさえあります。その考えは変わっていません。わたしも、ミスズもです。ただ……」
 ラルフはいったん言葉を切った。
「なんと言うべきか……他のマスターたちとは、別な道を行こうと、わたしたちは決心したのです」
「それは、どういうことでしょう?」
「チェスは、勝負でもあります。いえチェスに限らず、日本のショウギや、イゴ、ジャンケンですらそうですが、誰かが勝てば誰かが負けます。それが当たり前だと思っていましたが……」
「……」
 芽衣は緊張した表情で、じっと聴き入っている。僕も、ラルフの口からこういうことを聞くのは初めてだ。
「わたしたちがそれに疑問を感じたのは、2人でオーストラリアに旅行したときでした。アボリジニの文化に触れる機会を、持つことができました」
 アボリジニ……オーストラリアの先住民か。
「彼らもゲームという文化を持ってはいます。でも、どちらかが勝ってどちらかが負けるということを好みません。いえ、そもそもそういう概念がない、とも言えます」
「……」
「勝負とは結局、文明の産物なのかもしれません。プレイヤーだったころのわたしは、勝つことがすべてでした。ミスズも、父親から、勝つ方法だけを教え込まれてきたのです。それを、わたしたちは捨てたのです。そして、わたしたちは今とても心穏やかです。誰にも勝たなくていいのだ、と思うとね。それに、ここはとてもいい環境です。銃もドラッグもない。わたしが生まれた街とは違いますね」
 さすがに、頂点を極めた人間の言うことには、重みがあった。
 美鈴が4人ぶんの紅茶を運んできた。いい香りが部屋を満たした。
「さあ、どうぞ」
 僕たち4人は、和やかで充実した時を過ごしたのだった。


(つづく)


コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第12回

2018-06-19 19:04:23 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
 やがて、約束の土曜日が来た。
 3年ぶりに会う芽衣は、だいぶ印象が変わっていた。
 長かった髪はショートになっていたし、以前、好んではいていた脚を見せつけるようなスカートではなく、グレーのタイトスカートに白のブラウスという、シンプルな服装だった。
 僕は、いつも会社へ着ていくものよりは、ちょっといい背広を着ていった。元カノとはいえビジネスで会うのだから、それが当然と思ったのだ。
「なんか固いわねえ。もっとラフな格好のほうが、あなたらしいのに」
「そんなことはいいから、本題に入ろう」
 芽衣は口を尖らせて、
「はいはい、つまんないの。久しぶりのデートなのに」
「何が訊きたいんだい?」
「まあその前に、なにか注文しましょうよ。ここのお薦めはね……」
 手短に済ませたかったが、まあ、食事くらいはいいだろう。

「美鈴ちゃんとラルフは、どうしてチェスをやめちゃったのかしら」
 芽衣は世間話のような口調で言った。
「お前が知りたいのはそこだろうと、うすうす察してはいたけどね。残念ながら僕も知らないんだよ」
「そっか……他の雑誌社が取材を申し込んだけど、断られたっていう話だもんね」
「個人的に親しい僕からなら、なんとかなると思ったんだろうけど、あいにくだったな」
「なんとか聞き出せないかしら」
「まあ並大抵のことじゃないだろうな。あの2人の頭脳では、普通の人間が馬鹿に見えるのかもしれない」
 芽衣はミネラルウォーターを一口含んだ。
「あの2人、いま、一緒に暮らしてるの?」
「そうだよ」
「どこに住んでるの?」
「聞いてどうするんだよ」
「取材に行くわ」
「やめてくれないか、できれば」
「どうして?」
「あの2人は、どちらもあまり幸せな生い立ちとはいえない。チェスのためにあらゆるものを犠牲にしてきたんだから当然かもしれないが、そんな2人がようやく掴んだ幸せなんだ。そこへ土足で踏み込むようなことはしないでもらいたいんだ」
「……」
 芽衣は黙り込んでしまった。
「でも、まあ……」
 僕は言った。
「興味本位ではなく、ちゃんと人間どうしの礼儀をわきまえたうえで、話を聴きたいというなら、僕も協力しないこともない」
「取材ということは抜きで、ってこと?」
「そうだな」
「うーん……」
「出来ないのならあきらめるんだな」
 芽衣は考え込んでいたが、
「わかった」
「……うん?」
「あたし、2人に会いたい。仕事じゃなくて、個人的に」
 芽衣にしては珍しく、殊勝な態度を見せた。
 大人になった、ということか。

 芽衣と会ったその日の夜、僕は美鈴に電話をした。
「いいよー、受けるよ、取材」
 美鈴の答は、意外なほどあっけらかんとしていた。
「いいのかい。マスコミ嫌いかと思っていたけど」
「井上さんのお友達なら、信用できるよ」
 美鈴の性格からは、かつての跳ねっ返りの部分がなくなって、少々天然の入った気さくな少女になっていた。
 ろくすっぽ敬語が使えないのが、玉にキズだが。
「ところで、どうだい? 田舎暮らしは」
「うん、快適だよ。ちょっと退屈だけど」
「木下名人はどうしているんだい」
「ラルフがたびたび連絡とってるけど、ダメね。最近は、会いたくないなら会いたくないで、もういいやって」
「そうか」
 僕は苦笑した。
「じゃあ、取材オーケーってことで、伝えるよ」
「うん」

 僕は芽衣に連絡をとった。
「よかった。さすがマサヒロ」
「僕とお前の2人だけで訪問しよう」
「マサヒロがいれば、スムーズに話が進むわね」
「他の報道関係者には、内密に頼むぞ」
「わかってるって」

 そして、次の土曜日、僕と芽衣は新幹線に乗り込み、美鈴とラルフが住む山間の村へと向かった。
 無人駅に降り立ち、徒歩で2人の家に向かう。
「へえ、なんにもないところねー」
 芽衣が言った。都会育ちの彼女は確かに、少々場違いではあった。
 季節は晩秋で、やや肌寒い。空気が澄んでいるだけに、けっこう寒さが身に響くが、慣れれば心地よいかもしれない。少なくとも、都会のビルの谷間を吹き抜ける風の冷たさに比べれば、数段マシだろう。
 雪は降るのだろうか、と、豪雪地帯で生まれた僕は考えていた。
「ああ、あの家だ」
 梓にもらった地図を頼りに、僕らは2人の家にたどり着いた。


(つづく)



 
コメント (12)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第11回

2018-06-18 19:23:55 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
「井上くん、電話だよ。友談社の人だって」
 友談社? どこかで聞いたような気もするが、思い当たらなかった。
「君に訊きたいことがあるって。なんか、女の人だよ」
 葵さんはそう言って、電話を回した。
 僕のデスクの電話が鳴る。いったい何だろう。
「お電話代わりました。井上です」
「マサヒロ……」
「は?」
「久しぶり、マサヒロ……」
「あの、どちら様です?」
「えー、マサヒロってば冷たいんだあ。あたしのこと、忘れちゃったの?」
 マサヒロ、って……僕のことをそう呼ぶのは、両親と、あとは……
 まさか……
「芽衣だよーん。元気だった?」
「なんでここがわかったんだよ!」
 思わず、大きな声が出ていた。
 どうして芽衣(めい)がここに電話してくるんだ? 頭が混乱してくる。
 葵さんをはじめ、みんなの訝るような視線を感じた。
「な、なんの用だい。いまは仕事中なんだよ」
「あたしもだよ、マサヒロ」
「もう関係ないはずだろ? お前とは」
 僕は声を思いっきり小さくして言った。
「あー、そーゆーこと言うんだ」
「とにかく用事を言えよ、用事を!」
「3年前、あなたに捨てられて、あたし泣いたんだからね。一晩中。目が腫れるくらい。おかげで次の日、仕事に遅刻しちゃったんだから。責任とってほしいわね」
「責任って……ちょ、ちょっと待てよ!」
「それなのにあなたは、あたしと別れてすぐに、職場の人と酔った勢いでエッチしちゃうなんて、サイテーだわ」
「なっ……」
 なんで知ってるんだ……?

 友談社とは、中堅どころの出版社だ。芽衣はそこに勤めていたのだ。
「チェス・エイリアンの鳴神美鈴のことを調べていたの。あなたと関係があることがわかったのでね……」
 最初からそう言えよ、まったく……。
「こんなことで、あなたと再会するとはねー、驚いちゃった」
 こっちこそだ。
「チェスの天才少女。グランドマスター級の実力を持ちながら、突如、現役引退を表明。もっと情報が集まれば、面白い記事が書けそうなのよ」
「あのな、悪いけどあんまり面白い情報はないぜ」
「えー、でも、友達なんでしょ?」
「そんなに頻繁には、会ってないからな」
「でも梓ちゃんとは会ってるんでしょ? 妹の」
 げっ、いったいどこから情報が漏れているんだ?
「2人のお母さんが経営してるスナック、ポル・ファボールっていうんだよね。スペイン語で、どうぞよろしく、って意味よね」
 そう言うと芽衣はけらけらと笑った。
 ほんと、昔のまんまだな……。
「近いうちにどこかで会えないかな? いろいろ、積もる話もあるし」
「え? そ、それは……」
「イヤなの? 元カノだから? どうせ気兼ねするような彼女もいないんでしょ?」
「うっ……」
 まずい。完全に芽衣のペースだ……。
「わかったわかった。会えばいいんだろ」
 ここでそっけなく拒否したりしたら、どんな情報を暴露されるか、わかったものではない。
「よかったー、すっごくおしゃれなイタリア料理のお店があるの」
「あのな、あくまで仕事で会うんだからな」
「はいはい。わかってるって。じゃあ今度の土曜日はどう?」
 結局、会う約束をしてしまった。
 電話を切ると、葵さんがニヤニヤしながらこっちを見ていた。
「なんか訳ありのようですなあ、井上氏?」
「そ、そんなんじゃないっす」

 美鈴が突然チェスをやめると言った理由は、いまだにわからない。
 それだけではない。美鈴の恋人、ラルフも、ほどなくしてチャンピオンの座を譲り、引退してしまったのだ。
 まだまだこれから、という頃だったのだが。
 おそらく芽衣も、そのへんの事を僕から聞き出そうとするつもりなのだろう。
 正直、あまり気は進まなかった。きっと2人でよくよく考えたすえ決めたことなのだろう。できることなら、そっとしておいてやりたい。
 しかし、あのマイペース女の芽衣と話していると、どうも調子が狂う。
 確かに、昔はそこが魅力的ではあったのだが。


(つづく)


コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

お知らせ

2018-06-18 05:17:50 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
「あなたの騎士(ナイト)になりたい」を読んでいただき、ありがとうございます。

物語はようやく終盤となり、15回で完結の予定です。

ここで、物語の登場人物を簡単にご紹介します。

よろしくお願いいたします。


井上マサヒロ……この物語の「僕」。チェス好きのサラリーマン。

大滝葵……井上の先輩。シングルマザー。チェス愛好会の会長。

賢一……葵の1人息子。

坂口清文……井上の先輩。

鳴神美鈴……「エイリアン」の異名をとるスーパーチェスプレイヤー。

鳴神梓……美鈴の妹。高校生。

鳴神洋子……美鈴と梓の母親。スナック『ポル・ファボール』の経営者。

木下礼治……美鈴と梓の父親。チェスの元日本チャンピオン。木下名人。

尾崎……スナック『アンパッサン』のマスター。

ラルフ・ガーラント……チェスの世界王者。美鈴の恋人。

(実在の人物とはまったく関係ありません)


トロ
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第10回

2018-06-17 19:03:39 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
「井上くん、やけ酒かい?」
「……違いますよっ」
 葵さんは笑いながら、
「まーいいじゃないの。しょせん、生きてる世界が違うんだよ。それより、梓ちゃんもいいよー。あと2年もしたらすっごくいい女になるかも」
「そ、そんなことないですよ」
 梓は顔を真っ赤にしていた。
 尾崎マスターは、
「それで、美鈴ちゃんは、ほんとにチェスやめちゃうのかい?」
「たぶんね」
「もったいないね……十分チャンピオンを目指せる実力なのに」
「まあ、本人が決めることだからね」
 僕はいつもより酔いが回って、少しぼーっとしていたが、葵さんは、どこか遠くを見るような眼をしていた。
「もう、8年になるんだなあ……」
「……」
「あの人が、余命半年だって宣告されて……毎日、病室にチェス盤を持ち込んで、対戦したっけ。死にそうな病人のくせに、こっちが手加減してやると怒るんだよ。チェスが好きな人だったから」
「そうだったね」
「そのうち駒を持つ力もなくなっちゃったけど、それでも口がきければチェスはできる、なんて言ってた。チェスがあの人の最期の支えだったんだね」
「チェスは、人を幸せにするのか、それとも洋子さんが言ったみたいに、人生を狂わす魔のゲームなのかな」
「それは、その人次第だよ、きっとね」
 葵さんが言った。
「あたしは、チェスのおかげで幸せだよ。あっちの世界であの人に会ったら、またチェスやりたいもんだね。まあ、その時はこっちは婆さんで、とても勝てないかもしれないけどさ」
 僕には、チェスを通じて、葵さんと亡くなった旦那さんが、繋がっているように思えた。

 それから、約半年後……

「くたびれちゃった。もうやめようよ」
 美鈴が大きな欠伸をしながら言った。
「ま、待て……待ってくれよ」
 葵さんは、まだ粘っている。
 美鈴のチェスの実力は、想像を絶するものだった。
 本当に考えて打っているのかと思うほど早いのだが、攻撃も守りも、一分の隙もない。あれよあれよという間に、主導権を握られ、こちらの陣地は丸裸にされてしまう。
 3人同時に美鈴と対戦したが、僕と坂口さんはあっという間にチェックメイトされてしまった。
 もっとも美鈴は100人と対戦したこともあるのだから、実力の1割も発揮していないに違いない。
 これが「エイリアン」の実力というわけか。
 美鈴の恋人、ラルフは、賢一くんとトランプで遊んでいた。初めて会ったとき、日本語がうまいので驚いた。当然といえば当然なのだが。
 梓は、みんなの様子をどこか嬉しそうに眺めている。
 僕らは葵さんの部屋にいた。今日は日曜日。昼間にこうして集まるのは久しぶりだ。
「そういえば、木下名人は?」
 僕は梓に訊いてみた。
「お父さんですか? まだ納得いかないみたいです。ラルフとも会おうとしません」
「頑固だねえ」
「そのうちあきらめると思います、きっと」
「そうそう、ちょっと訊きたいことが」
「なんですか?」
「どうして木下名人は、美鈴にお母さんの名字を名乗らせてるのかな? 自分がチェスを教えたんなら、木下美鈴、って名乗らせればいいと思うけど」
 梓は首をかしげて、
「さあ……鳴神のほうが木下より強そうだからかな」
「そんなもんかな?」
「案外、お母さんとよりを戻したいのかも」
 僕らは、顔を見合わせた。
 そして2人のどちらからともなく、ぷっと吹き出し、大声で笑いあった。


(つづく)



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする