「はじめまして」
僕と芽衣は、応接間に通された。ラルフと美鈴が向かいに座った。
「ミスター・ガーラント……」
芽衣は流暢な英語で、まずラルフに話しかけたが、
「日本語でだいじょうぶです」
ラルフは手を振って、人なつこい笑みを見せた。
「あなたが知りたいことは、わたしたちが、なぜチェスをやめてしまったかということですね」
芽衣は眼を丸くして、
「日本語、お上手なんですね。ええ、そうです」
ラルフは傍らの美鈴を振り返ると、
「2人で話し合って決めたのです。ただ、わたしたちはチェスが嫌いになったわけではありません」
ラルフが話し始めると、美鈴は席を立った。台所と思われる方から、物音が聞こえてきた。お茶でも淹れてくれるつもりなのだろう。
「チェスは素晴らしいコミュニケーション・ツールであり、単なるゲームを超えたものです。その道を求める者にとっては、学問でさえあります。その考えは変わっていません。わたしも、ミスズもです。ただ……」
ラルフはいったん言葉を切った。
「なんと言うべきか……他のマスターたちとは、別な道を行こうと、わたしたちは決心したのです」
「それは、どういうことでしょう?」
「チェスは、勝負でもあります。いえチェスに限らず、日本のショウギや、イゴ、ジャンケンですらそうですが、誰かが勝てば誰かが負けます。それが当たり前だと思っていましたが……」
「……」
芽衣は緊張した表情で、じっと聴き入っている。僕も、ラルフの口からこういうことを聞くのは初めてだ。
「わたしたちがそれに疑問を感じたのは、2人でオーストラリアに旅行したときでした。アボリジニの文化に触れる機会を、持つことができました」
アボリジニ……オーストラリアの先住民か。
「彼らもゲームという文化を持ってはいます。でも、どちらかが勝ってどちらかが負けるということを好みません。いえ、そもそもそういう概念がない、とも言えます」
「……」
「勝負とは結局、文明の産物なのかもしれません。プレイヤーだったころのわたしは、勝つことがすべてでした。ミスズも、父親から、勝つ方法だけを教え込まれてきたのです。それを、わたしたちは捨てたのです。そして、わたしたちは今とても心穏やかです。誰にも勝たなくていいのだ、と思うとね。それに、ここはとてもいい環境です。銃もドラッグもない。わたしが生まれた街とは違いますね」
さすがに、頂点を極めた人間の言うことには、重みがあった。
美鈴が4人ぶんの紅茶を運んできた。いい香りが部屋を満たした。
「さあ、どうぞ」
僕たち4人は、和やかで充実した時を過ごしたのだった。
(つづく)
僕と芽衣は、応接間に通された。ラルフと美鈴が向かいに座った。
「ミスター・ガーラント……」
芽衣は流暢な英語で、まずラルフに話しかけたが、
「日本語でだいじょうぶです」
ラルフは手を振って、人なつこい笑みを見せた。
「あなたが知りたいことは、わたしたちが、なぜチェスをやめてしまったかということですね」
芽衣は眼を丸くして、
「日本語、お上手なんですね。ええ、そうです」
ラルフは傍らの美鈴を振り返ると、
「2人で話し合って決めたのです。ただ、わたしたちはチェスが嫌いになったわけではありません」
ラルフが話し始めると、美鈴は席を立った。台所と思われる方から、物音が聞こえてきた。お茶でも淹れてくれるつもりなのだろう。
「チェスは素晴らしいコミュニケーション・ツールであり、単なるゲームを超えたものです。その道を求める者にとっては、学問でさえあります。その考えは変わっていません。わたしも、ミスズもです。ただ……」
ラルフはいったん言葉を切った。
「なんと言うべきか……他のマスターたちとは、別な道を行こうと、わたしたちは決心したのです」
「それは、どういうことでしょう?」
「チェスは、勝負でもあります。いえチェスに限らず、日本のショウギや、イゴ、ジャンケンですらそうですが、誰かが勝てば誰かが負けます。それが当たり前だと思っていましたが……」
「……」
芽衣は緊張した表情で、じっと聴き入っている。僕も、ラルフの口からこういうことを聞くのは初めてだ。
「わたしたちがそれに疑問を感じたのは、2人でオーストラリアに旅行したときでした。アボリジニの文化に触れる機会を、持つことができました」
アボリジニ……オーストラリアの先住民か。
「彼らもゲームという文化を持ってはいます。でも、どちらかが勝ってどちらかが負けるということを好みません。いえ、そもそもそういう概念がない、とも言えます」
「……」
「勝負とは結局、文明の産物なのかもしれません。プレイヤーだったころのわたしは、勝つことがすべてでした。ミスズも、父親から、勝つ方法だけを教え込まれてきたのです。それを、わたしたちは捨てたのです。そして、わたしたちは今とても心穏やかです。誰にも勝たなくていいのだ、と思うとね。それに、ここはとてもいい環境です。銃もドラッグもない。わたしが生まれた街とは違いますね」
さすがに、頂点を極めた人間の言うことには、重みがあった。
美鈴が4人ぶんの紅茶を運んできた。いい香りが部屋を満たした。
「さあ、どうぞ」
僕たち4人は、和やかで充実した時を過ごしたのだった。
(つづく)