トロのエンジョイ! チャレンジライフ

「人生で重要なことはたった3つ。どれだけ愛したか。どれだけ優しかったか。どれだけ手放したか」ブッダ

連載小説「あなたの騎士(ナイト)になりたい」第5回

2018-06-12 19:42:23 | 小説・あなたの騎士(ナイト)になりたい
 梓と美鈴の母が経営するというスナック『ポル・ファボール』は、わりと近くにあった。
 やや狭い店内は、カウンター席と、ボックス席が2つあるだけだった。
 経営者とおぼしき女性を見て、驚いた。雑誌に載っていた美鈴そっくりだ。ピンと張り詰めたような雰囲気まで似ている。もちろん化粧をしているせいもあるが、同じ親子でも、梓のまとっている雰囲気とは違っていた。
「いらっしゃいませ……あれ、梓、遅かったじゃないの」
 名前は鳴神洋子(なるがみようこ)というそうだ。洋子さんは営業用スマイルを引っ込め、僕と葵さんに遠慮のない視線を向けた。
「途中でちょっとトラブルがあって……この人たちが助けてくれたの」
 洋子さんは大して感謝するようすでもなく、
「それはどうも。娘がお世話に」
 梓は僕らにささやくように、
「ごめんなさい。私の友達には警戒心が強くて」
 片親だけの子育ての苦労が、ある種の他人との壁を造ってしまったのかもしれない。そんな感じだった。
 あまり歓迎されているという雰囲気ではなかったが、せっかくだから、ということで、僕と葵さんはカウンター席に座った。
 しばらくすると梓が、エプロンをして手伝いに出てきた。
 僕はほとんど梓と話していたが、葵さんは洋子さんにしきりに話しかけていた。洋子さんのほうは、いちおう客だから無視するわけにもいかない、という程度の反応しかしていなかったが。
 会話するうちにわかったのだが、梓は、美鈴の1歳年下の17歳。高校卒業後は、大学で心理学をやりたいという。
「へー、僕も心理学専攻だったよ」
「N大学ですか?」
「うん、そうだよ。臨床心理士の資格を取りたいの?」
「はい。でも、それには大学院まで行かないとダメですよね? それは、なかなか母には言いづらくて」
「いまは公認心理師っていう資格もあるから……」
 突然、カウンターの端から罵声が聞こえてきた。
「いい加減にしろよ、てめー!」
 葵さんだった。あちゃー、始まったか……
 イヤな予感はしていたのだ。
 葵さんは普段は癒やし系の温厚な女性だが、酔うとケンカっ早くなる。
 相手は、案の定、洋子さんだった。
「もういっぺん言ってみろよ。チェスのどこがくだらねえって? 人生を狂わす魔のゲームって、どういうことだよっ!」
 葵さんが怒鳴っても、洋子さんはひるむでもなく、超然と見返している。
「いいかい、チェスってのは平和の象徴なんだよ。世界中で7億人の競技人口があるんだ。国籍も人種も、政治も越えて、みんながわかり合えるためのゲームなんだ」
 葵さんがまくし立てると、洋子さんも負けじとやり返す。
「それは、趣味で楽しくやってる場合だけでしょう? プロのチェスの厳しさを知らない人に、何がわかるの?」
「あんたこそ、何がわかるってんだよ。チェスを馬鹿にするやつは、あたしが許さんぞ!」
「ご不満がおありでしたら構いません。どうぞお帰りを」
「いいや、決着がつくまで、あたしはここを動かん! へっ、シングルマザーだからなんだってんだ。あたしだってそうさ!」
 どうやら、チェスのことになるとムキになるのは、お互いさまらしい。
 梓は、どうしたらいいのかわからない様子で、うろたえていたが、僕は、案外気の合う2人なのかもしれない、と思った。葵さんは、本当に合わない相手とは、ケンカすらしないからだ。
 しかし、今日のところは、もう引きあげたほうがよさそうだ。
「はいはい、葵さん、帰るよ-」
「な、なに言ってんの。まだ決着が……」
 僕はやや強引に葵さんの腕をつかんで立たせた。洋子さんの顔に、安堵とも寂しさともつかない、微妙な色が浮かんだようにも見えた。
「いいか、今度チェスで勝負するぞー! 覚えとけよーっ!」
 僕らは、『ポル・ファボール』を後にした。



(つづく)


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