24年前の今日、阪神・淡路大震災が発生しましたね。
当時、僕は地元の企業で働いていたのですが、
会社に出入りしていた業者の方と、
「神戸のほうで大きな地震があったようですね」と、話していました。
当時はインターネットもなく、なかなか被災地の詳しい状況は、遠く離れた新潟まで伝わってきませんでした。
ただ、亡くなった方の数だけが、どんどん増えていったという記憶があります。
そして、しばらくしてこの地震に名前がつくことになりました。
さまざまな人間の、光と影が見られました。
店の売り物を、すべて無償提供していた八百屋さん。
がれきの山と化した街にわざわざ出向き、「記念写真」を撮っていた人。
これをお読みのあなたが、もし、あの震災を知っているなら、
あの頃自分は何をしていたかなあ、と思い出してみてください。
そして、今自分はどうしているのか、と考えてみてほしいのです。
それが、今生きている我々に、出来ることではないでしょうか。
当時、僕は地元の企業で働いていたのですが、
会社に出入りしていた業者の方と、
「神戸のほうで大きな地震があったようですね」と、話していました。
当時はインターネットもなく、なかなか被災地の詳しい状況は、遠く離れた新潟まで伝わってきませんでした。
ただ、亡くなった方の数だけが、どんどん増えていったという記憶があります。
そして、しばらくしてこの地震に名前がつくことになりました。
さまざまな人間の、光と影が見られました。
店の売り物を、すべて無償提供していた八百屋さん。
がれきの山と化した街にわざわざ出向き、「記念写真」を撮っていた人。
これをお読みのあなたが、もし、あの震災を知っているなら、
あの頃自分は何をしていたかなあ、と思い出してみてください。
そして、今自分はどうしているのか、と考えてみてほしいのです。
それが、今生きている我々に、出来ることではないでしょうか。