最近、近所の図書館の日本語セクションから「武術体操」という本を見かけたのでなんとなく借りた。去年柏書房から出版された新しい本で、著者は生島裕。この人は、今はフリーランスのライターをしているが、以前は中国武術や空手雑誌の編集長をしていたらしい。そして、本人も太極拳・合気柔術・馬貴派八卦掌などを学んだ。
ほんの趣旨はこれらの伝統武術の中の立ち方や動きや呼吸法でストレス・肩こり・腰痛に効くものを実際にわかりやすく理論も説明しながら主に紹介している。空手でも使う立ち方(四股立ち)とか専門用語(丹田)とかも結構出てくるので私には割りと理解しやすかったが、そうでなければ実際ビデオでも見ない限りちょっと実践するのは難しいかもしれない。
この本の中で一番大切だと思った箇所は最後の、「武術の心を知る」という最終章。色んな武道家の例を紹介して武術の究極の目的を模索している。
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いつも道場で先生は生徒たちに「空手を何のためにしているか考えることは大切だ。」と言っている。人それぞれ、ただやりたいから、強くなりたいから、黒帯を取りたいから、美容・健康のために、など色々理由はあるだろう。
私はもともと運動は大の苦手で、運動会とか体力測定はもう恥ずかしい思い出しかない。ほら、短距離走とか、いつもビリでしかもビリから二番目よりさらに数秒送れてゴールインする奴、こんなとろい生徒がいつもクラスに1人や2人はいる。私はいつもこのとろい生徒だった。ソフトボールを投げれば10メートルくらいしか飛ばない、握力計を握れば計器がほとんど動かない、前屈すれば、地面から遥か上方に指先が止まったまま(つまり身体が恐ろしいほど硬い)…。そして、空手に出会うまでは武道というものをあまり知らなかった。こんな人間が普通、自分から空手をはじめようとは思わないだろう。まあ始めるにしても、それ相当のきっかけは必要だろう。私にとってきっかけは、看護学生と医学生の先輩たちの練習を一目見て、「魅かれた」だけ。まあ、一目ぼれってやつ?あの練習稽古の空気に…。
そんな私が空手というものをはじめたのだから最初はもうそれは毎日大変だった。毎日一時間半の部活以外に、練習から寮(全寮制だった)に戻ったらさらに毎日最低30分から1時間自主練と柔軟体操とジョギング。練習らしい練習が出来るまで3ヶ月くらいはかかった。それからは空手の基本的な個々の技や形、組手を基本に忠実に練習していき、練習すればするほどどんどん上達していくのが単純に嬉しかったし、練習自体が楽しかった。それだけ練習すれば黒帯もわりとすぐに取れる。初段を取得したときはそれはそれは嬉しかった。
それから14年たった今、仕事・出産・子育てがひと段落し、今年のはじめからまた真剣に練習をするようになった。そして、現在の短期目標は自分の納得できる形を試合で演武すること。試合に最近出場して、それには自分には絶対的に欠けているものがあると発見した。そして同時に、形を練習するたびに良く日本で空手を教えて下さった大先輩達の形を思い出す。それは相手と戦っているという想定で方を演武しているにもかかわらず負の感情(殺気)とかはなく、絶対的な平常心・自信をもち、全宇宙とその人が繋がっているのが見える。それはもう、技術レベルより数段高い精神レベルの力だろう。
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この本に引用されている合気道開祖の上芝盛平先生の言葉にふっと心に落ちるものを感じた。
「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、原子兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、守り育てることであると、私は悟った」(p.152)
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始めたきっかけは「魅かれた」から。
続けている理由は「楽しいから・上達(自分を向上)したいから」。
ではここから自分は空手を通して最終的にどこへ向かいたいのだろう?その答えに最近、少しだけ近付いたような気がする…。
ほんの趣旨はこれらの伝統武術の中の立ち方や動きや呼吸法でストレス・肩こり・腰痛に効くものを実際にわかりやすく理論も説明しながら主に紹介している。空手でも使う立ち方(四股立ち)とか専門用語(丹田)とかも結構出てくるので私には割りと理解しやすかったが、そうでなければ実際ビデオでも見ない限りちょっと実践するのは難しいかもしれない。
この本の中で一番大切だと思った箇所は最後の、「武術の心を知る」という最終章。色んな武道家の例を紹介して武術の究極の目的を模索している。
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いつも道場で先生は生徒たちに「空手を何のためにしているか考えることは大切だ。」と言っている。人それぞれ、ただやりたいから、強くなりたいから、黒帯を取りたいから、美容・健康のために、など色々理由はあるだろう。
私はもともと運動は大の苦手で、運動会とか体力測定はもう恥ずかしい思い出しかない。ほら、短距離走とか、いつもビリでしかもビリから二番目よりさらに数秒送れてゴールインする奴、こんなとろい生徒がいつもクラスに1人や2人はいる。私はいつもこのとろい生徒だった。ソフトボールを投げれば10メートルくらいしか飛ばない、握力計を握れば計器がほとんど動かない、前屈すれば、地面から遥か上方に指先が止まったまま(つまり身体が恐ろしいほど硬い)…。そして、空手に出会うまでは武道というものをあまり知らなかった。こんな人間が普通、自分から空手をはじめようとは思わないだろう。まあ始めるにしても、それ相当のきっかけは必要だろう。私にとってきっかけは、看護学生と医学生の先輩たちの練習を一目見て、「魅かれた」だけ。まあ、一目ぼれってやつ?あの練習稽古の空気に…。
そんな私が空手というものをはじめたのだから最初はもうそれは毎日大変だった。毎日一時間半の部活以外に、練習から寮(全寮制だった)に戻ったらさらに毎日最低30分から1時間自主練と柔軟体操とジョギング。練習らしい練習が出来るまで3ヶ月くらいはかかった。それからは空手の基本的な個々の技や形、組手を基本に忠実に練習していき、練習すればするほどどんどん上達していくのが単純に嬉しかったし、練習自体が楽しかった。それだけ練習すれば黒帯もわりとすぐに取れる。初段を取得したときはそれはそれは嬉しかった。
それから14年たった今、仕事・出産・子育てがひと段落し、今年のはじめからまた真剣に練習をするようになった。そして、現在の短期目標は自分の納得できる形を試合で演武すること。試合に最近出場して、それには自分には絶対的に欠けているものがあると発見した。そして同時に、形を練習するたびに良く日本で空手を教えて下さった大先輩達の形を思い出す。それは相手と戦っているという想定で方を演武しているにもかかわらず負の感情(殺気)とかはなく、絶対的な平常心・自信をもち、全宇宙とその人が繋がっているのが見える。それはもう、技術レベルより数段高い精神レベルの力だろう。
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この本に引用されている合気道開祖の上芝盛平先生の言葉にふっと心に落ちるものを感じた。
「武道とは、腕力や凶器をふるって相手の人間を倒したり、原子兵器などで世界を破壊に導くことではない。真の武道とは、宇宙の気をととのえ、世界の平和をまもり、森羅万象を正しく生産し、守り育てることであると、私は悟った」(p.152)
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始めたきっかけは「魅かれた」から。
続けている理由は「楽しいから・上達(自分を向上)したいから」。
ではここから自分は空手を通して最終的にどこへ向かいたいのだろう?その答えに最近、少しだけ近付いたような気がする…。