And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

You Go to My Head

2016-06-05 11:14:33 | 日記
ノーマン・メイラーを読み始めて埴谷雄高を中断。なんと本も音楽や映画と一緒で古いのばかり。ナタリー・サロートも読んでないのある。半世紀前の新しい小説。WOWOWが「沈まぬ太陽」ドラマ化記念で山崎豊子原作の映画何本もやっていて、どれも面白い。こういう小説こそあっという間に読んでしまうのだろうけど、「裸者と死者」を寝る間も惜しんでは読めない。「失われた時を求めて」全訳の続きもまだ出ないので、その前に読んでしまいたいのだけれど。ボルヘスの短編も何冊か買って何編か読んだのだけど、短編集は読み切らなくてもいいという安心感でやめてしまう場合が多い。しかも印象に残ることが少ない。ニューヨーカー短編集もいいのがいくつもあったのだが、今でも覚えているのは「夏服を着た女たち」くらい。そう書いて思い出した。カフカと魯迅好きだった。魯迅の「吶喊」には好きな作品がいっぱいある。カフカもいい。それでも「ユリシーズ」や「失われた時を求めて」好きだというレベルと比べると自分の中の過ぎ去り方が早いのか。小説は人との出会いと一緒で、巡り合う楽しみと過ぎ去っていく悲しさまではいかないのだけれど、一期一会で何十年の付き合いになる場合は少なく、ただ頭の中を通り過ぎていくだけ。そしてこういう文章を書いている時にカフカねと思い出す。特殊な短編といえる「火星年代記」今でも印象に残っている。人気のある短編集シェクリィの「人間の手がまだ触れない」なんかすっかり忘れてしまった。芥川もほぼ忘れている。マラマッドの「レンブラントの帽子」という短編集を学生の時読んで、そのときレンブラントを知った。レンブラントもそのときからの付き合いかと思う。ジョイスの「ダブリンの人々」フォークナーの短編集も面白くなかった。ウェーベルンは短い曲ばかり。作品番号とついた全作品がレコードで4枚、CDで3枚に収まってしまう。「マタイ受難曲」1曲と一緒。音楽の場合、長大な曲は寝るのでどれもいいと思ったことはない。ブルックナー、マーラー、R・シュトラウスと名前聞いただけで眠くなる。でもコルトレーンの「マイ・フェイヴァリット・シングス」1時間演奏は大丈夫。ビートルズは2分ですべてを表した。チャーリー・パーカーもそうだ。ほとんど3分以内。哲学書も短編とかあればいいのにと思う。20ページで完結するなら哲学書も読んでみるのだけれど、ミシェル・フーコーの「狂気の歴史」も最初の10ページで止まったまま。