And Li Po also died drunk

勝手に好きな音楽、映画、本を書き連ねる。

匿名の説話

2015-04-09 08:59:36 | 日記
李白を読むきっかけになったのがエズラ・パウンド。パウンドの英訳を日本語に訳したのを読んだ。でもこれ日本人としておかしくない?イマジズムも要するに俳句だからパウンド読むより一茶読んだ方が早い。俳句は日本語で読まないとわからないと言ってしまうのなら、シェイクスピアはイギリス人でないとドストエフスキーはロシア人でないととなってしまう。聖書はヘブライ語とギリシャ語で読まないと。でも俳句の感覚は絶対西洋人にはわからないだろうと思うとやはり西洋文学はいくら勉強しようと芯になるところはわからないのかなと思ってしまう。いくら熱心でなくても教会に行っていなくても根本にあるキリスト教。それくらいちょっと教会行けばわかるかもしれない、聖書を調べればわかるかもしれないというものではない。しかし信者でなくても「マタイ受難曲」のよさはわかる。話を元に戻して、当然のことながらパウンドは李白の紹介のために英訳したのではないだろう。パウンドの詩として出してる。それはW・C・ウイリアムズが「パターソン」で手紙や新聞記事をも詩の中に入れてしまってるのと同じかもしれない。同じ系統でいけばケージが「クレド・イン・アス」でクラシックのレコード使っているとか。デュシャンのレディメイドもそうか。それぞれ思想は違うが新しいエネルギーを持っているというのは同じ。対極にあるのがエリオット、シェーンベルク。デュシャンの対極は何だろう。芸術すべてか。パウンドは読まれないが新書サイズ程度のパウンド詩集は2種類ほど出たことがある。その前に新倉俊一訳のパウンド詩集が単行で出たが、とっくに絶版。何度も書くがそれに比べてウォレス・スティーブンスの詩集は自分の知る限り見たことない。自分が読んだのは新潮から出てた世界詩人全集の中の現代詩集。「日曜日の朝」とか読んでアメリカ詩人なのに何だろうこれはと驚いた。原書で読むしかないがアマゾンなどで簡単に手に入る。昔は時間がかかっても丸善行って注文した。フランス語はわからないので訳だけで楽しんだのがポンジュ。アポリネールの「ミラボー橋」くらいなら辞書引きながら何とかなりそうな気がするが、ヴァレリーなんて日本語で読んでもわからん。オペラなんて字幕付いたDVDなら何とか楽しめるが、レコードやCDで聴いて何面白いんだろう。