2日間ミュージカル・ネタが続いたのですが、ついでにもうひとつだけ。昨日書いた内容からふたりの音楽家のことを思い出しました。ひとりはポール・サイモン、もうひとりは都倉俊一さんです。
ふたりともある年代以上の人には馴染みのある名前だと思います。ポール・サイモンは“サイモンとガーファンクル”時代のみならず、ソロになってからも名曲を残し、史上最多の13のグラミー賞を取っています。また都倉さんもかつて作詞家の阿久悠とのコンビでピンクレディや山口百恵といったアイドルの曲を作る大ヒット・メーカーでした。
このふたりが同じ頃にかたやNYで、かたやロンドンでミュージカルを制作して、そしてどちらとも興行的には失敗しているのです。
ポール・サイモンは1997年に『ケープマンThe Capeman』を制作しましたが、短期間の上演に終わりました。しかし同時に発売したサウンド・トラックは(特に音楽評論家の間で)高い評価を受けています。
余談ですが、この時Martin社からポール・サイモンのシグニチャー・モデル・ギターOM-42PSが発売されました。即日完売だったエリック・クラプトン・モデルのような成功を期待されましたが、それほどの売れ行きではなかった記憶があります。きっとこの年は彼にとってあまり運の良い年ではなかったのでしょう。
さて、都倉俊一さん、日本人の作曲家としては初めてとなるオリジナル・ミュージカル『Out Of The Blue』をロンドンのシャフツベリー劇場Shaftesbury Theatreで立ち上げました。僕のロンドン赴任の最初の年1994年のことです。
当時たまたまそのミュージカルの関係者に知り合いがいたので、上演してすぐに招待していただきました。その時感じたイヤな予感、一昨日書いた『ロード・オブ・ザ・リング』にも通じるものがあるのですが、“ミュージカル”としては面白くないのが気にかかりました。
もう随分と昔のことなので、おぼろげな記憶をもとに書くことになりますが、まずテーマが重すぎました。原爆を取り上げているのですが、ミュージカルのテーマとしては難しい処理を迫られるでしょう。
そして、ミスキャスト。日本が舞台で日本人が想定なのですが、主人公を演じるのが黒人の女優でした。それなりの狙いがあったのでしょうが、当時流行っていた『ミス・サイゴン』の主役がアジア系で固められていたことを思うと、リアリティに欠けました。
曲は正直言って良かったのです。さすがに都倉さんのセンスで綺麗なメロディでした。ところがそれを聴き終えて、さぁ拍手しようとすると、その間を与えることなく次のメロディあるいはシーンの展開へ立て続けに移っていくのです。したがって心に感動を刻む余裕のないまま、何だか気持ちが取り残されたような気分になってしまいます。
同じ総合芸術だとしても、例えば映画と演劇とでは当然客席で受け取る感動のリズム感が異なります。このあたりの作り込み方にもう少し配慮があってもよかったのではないかと感じました。
さて、その“イヤな予感”が当たって、『Out Of The Blue』は結局2週間足らずで幕を閉じることになります。昨日書いた『風と共に去りぬ』の2ヶ月よりもっと短い記録なわけです。
でも、都倉さんがミュージカルをやりたかったのは、決して金のためではないでしょうし、ポール・サイモンにしたってそうです。ふたりとも音楽家としては十分な地位を成していて、それでももうひとつ違う高みに挑戦したいという心意気は嬉しく感じます。
クラシックの作曲家が死ぬまでに何曲かお気に入りのオペラを完成させたいと思うのと同じような気持ちなのでしょうか。それほどミュージカルというのはポピュラーの作曲家にとって興味のある挑戦材料なのかもしれません。
さて、次はどんな人がこの世界に挑んでくるでしょう?