植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

捨てる神があれば、拾う神あり

2019年04月03日 | 植物
 この朝は、温暖でなる当地でも3℃と、花冷えというには些か冷え過ぎの感がありました。今日を底にぐんと暖かくなるようではありますが。

義母の三回忌を昨秋行って以来、ようやく遺品やタンス、押し入れ・倉庫の片づけを始めました。
もっとも、園芸と書道にかまけて、不在が多いわたしなので、専ら家内が毎日コツコツ整理しているのですが。
義母は大正生まれ、太平洋戦争を経験し物のない時代を生き抜いた、尊敬すべきそしてしぶとい世代の人でした。
義母の人生を語るには、家内抜きではありえないので割愛しますが、この人達に共通する傾向の一つが、ものを大事にすることにありますな。

 何でも取っておく、「いつか使う時が来るかもしれない」という発想は、戦争を潜り抜けた人達の生きる術に由来しているのでしょう。倉庫には
廃材が山と積まれておりますが、災害やいざという時の「燃し木」になるとの考えからです。今は条例等で都市部では焚火や焼却炉の設置が厳しく
制限されています。戦前戦後には、風呂焚きやドラム缶の中で燃やされたであろう紙屑から剪定後の枝葉、木っ端まで細かくして生活ごみに
出すのです。地球温暖化、環境汚染、近所迷惑、失火等を防ぐためにはやむを得ない措置だとは思います。

許されているのは、農林エリアでの農業者による野焼きや野菜屑等の償却、さもなくば自宅の庭先で手紙程度のものを燃やすこと。

自宅や、河川敷、公園での屋外BBQはセーフになることが多いようです

(以下、家内談)

それにしても、おびただしい不用品の山です。例えば、台所周り、異様なほど押し入れ・納戸・収納スペースが存在し、その数30近く!それぞれのスペースにほとんど空きが無いほどの日用品(食器類)が残されておりました。残念ながら、この家は元々お百姓、先々代も先代も、貴金属・骨董品や書画には全く興味がなかったとみえ、どこを探しても金目のものはなく、使用済みのコップ・皿・茶碗ばかり。あとは、記念品やら結婚式なんかの引き出物。たまに安物の木箱に入った花瓶くらいしかありませんでしたな。ほぼ100%処分しましたが、片づけは、いまだに延々と続いております。業者さんにお願いすれば一挙に片付くのは承知していますが、お金がかかることでもありますし、別に急ぐことも無いのでのんびり片づけ、生活ごみ、資源ごみ、粗大ごみとぼつぼつ仕訳けてはごみ出ししていれば、そのうちさっぱりするでしょう。

 ところが、何の価値も見出し得ないガラクタの食器類を燃えないゴミに出すと、?、?、?、待っているのです。リサイクル業者と思しき人が複数、ゴミ出しを遠くから見張っているのですね。 何回かに分けてゴミ出しするのですが、行くたびにだんだんその人たちが近づいてきて「だるまさんが転んだ」みたいな感じになっています。

 勿論、ゴミ出しの「ごみ」は置き場に置いた時から、地方自治体の所有(管理)となりますので、これを持ち去ると違法なのですが。彼らも生活が懸かっているので売れそうなものを掠めていくのですね。
それからは、回収車が来る直前に出すようにしているそうな。
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