植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

浅からず深からずが極意かもしれん

2021年03月14日 | 篆刻
 BSではほぼ毎日、昭和歌謡や演歌の歌番組が流れます。数十年前では、華やかなテレビの歌謡番組の花形だったオジサンやおばさん(じじばばも含め)が入れ代わり立ち代わり昔流行った曲を歌っております。

 その歌詞といえば、8割以上が恋愛・男女の仲をテーマにしております。好いた惚れたの演歌もどれもこれも似通っていてお気楽でたいして歌詞の意味も重要でないようなものが多いですね。昭和の時代、大衆文化としての歌謡曲ですから、広く浅いテーマや曲想が好まれたのでしょうか。

 そんな時代に降臨した女神が中島みゆきさんでした。今でいう人生応援歌みたいなものの元祖ですね。ワタシも、一時彼女の楽曲には夢中になりました。昨夜何気なく見ていたら「誕生」という曲が流れました。
「生まれたとき だれでも言われた筈
耳をすまして思い出して 最初に聞いた Welcome
Remember けれどもしも 思い出せないなら
わたし いつでもあなたに言う 生まれてくれて Welcome
という一節だけでもグッとくる言葉のチカラを感じます。恋歌の形をかりて切々と歌うこの曲は、聞き手側にいろんな思いを起こさせる深い意味があるように感じます。みゆきさんのCDはヤフオクで沢山入手しました。しばらくはじっくり聞きなおしてみようと思います。

 深いと言えば、先日知り合いの方に「篆刻は奥が深いのですね」という感想をうかがいました。刻む言葉の意味、そこに込めた思いなどは、単に印材を刻んでハンコ(飾り)として紙に押すだけではないのです。ここのところ初心者にありがちなマイブーム化して、憑かれたように毎日彫っていますが、そこまで深く考えているわけではないのですが。
 
 そもそもが、書道の作品作りに欠かせない落款印、これをお金を払ってるととても高いものにつくことが身に沁みて、自分で彫る、と決意したわけです。

 彫っているうちに、その魅力に引き込まれたのです。すべすべした平らな印面に、自分が考えた字句・字姿で石を刻むにつれどんどん形を成していく、その不思議、もの作りの面白さはやったものでないとわからないものですね。
 多分、拡大鏡で見ないと見えないような微細な作業が性に合っているのです。ひとりでこちょこちょ何かに没頭するのが一番心地いいのですね。

 書道は、奥深いものでもありますが、どちらかと言えば白い紙を無限の空間になぞらえ、墨文字で幽玄の世界を創出する、といった宇宙観のような広がりを表そうとするようです。(ワタシには、とうていそんな境地には達しえないのですが)。

 それに比べると、石は僅か数センチ角のスペースに、書と対比するかのような深みを演出します。掌に収まる小さな印材には「紐」の彫り、側款、あるいは漢詩や使い手に対する畏敬の念などを刻むこともあります。換言すれば、篆刻というのは書のアクセントのための朱印にとどまらず、一つの独立した芸術ジャンルであろうと感じるようになりました。

 篆刻に関しては、全くの独学で、師はおろか専門の書も読んでおりません。ただひたすら毎日彫る。多作主義、試行錯誤で「一日一印運動」を続けております。印材はネットで落札した刻印済みのものがたくさんあります。篆刻家による彫の美しいものはわかるようになってきました。書道家の人の手になるものもやはり見事なものが多いのです。

 逆にワタシのような、ど素人が彫ったと思しき印も多数あります。だいたいそういう印は「無駄に深く」彫られています。印材に、力任せに印刀を切りつけているのです。再利用のためにいくらサンドペーパーをかけても溝が残ります。

 そこにいくと、ワタシは浅学非力、歳の割には教養・経験も浅い身であります。怪我をするのも怖いし、指に力が無いので、浅く彫ります。失敗したり、後で彫りなおすことを念頭にしているので表面が薄く削れていれば良しとしております。
 プロの方が彫ったものは、適度に深く、しかも均一であります。おそらく、石に優しく、無駄な力を使わず印刀を当てているのではなかろうかと想像しております。

奥深く、石に優しい印を彫れるようになる日が来ることを希いつつ、本日も又浅いながらも心を込めて彫りたいと思います。



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