植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

コロナが教えるもの その4 欲を嘲笑うコロナ

2020年08月04日 | コロナ
テレビでは、早くコロナ以前の生活が戻って欲しい、という祈りに似た願いが老若男女問わずに出てきます。

 コロナ以前がみんなが幸せで住みよい社会であったならばそれでもよかろう、と思います。しかし、よく考えてみると、昨年までがみんながハッピーだったかというとそうではありません。清く正しい明るく健全な社会であったと言い切れましょうか?

 今回浮き彫りになった問題は、わが国では、非正規雇用者の生活不安、風俗店や深夜営業のサービス込みの飲食店営業の在り方、無軌道な若者の行動、無責任な大人の無分別さなど挙げればきりがありません。こらえ性の無い国民性、思考停止でお上頼みの判断。こんなことがコロナというフィルターで見えてきます。

 世界中で人間は贅沢と反自然的な快楽を覚えました。環境を破壊しあらゆる地下資源を掘り上げ利便性と利益を追求してきました。ほとんどの科学や知識・情報がお金を売るために使われ、地球全体の未来、人類全体の幸福のために用いようとしません。こうした、人類全体の拝金主義の愚かしさにコロナが警鐘を鳴らしているように思えます。便利・利便性・利益・・「利」のつく言葉にワタシはいつも警戒感を持ちます。利、のために地球全体の自然や環境が失われ、どれだけ多くの人が犠牲になったのかを思いやります。ワタシ達、もしかしたらそのためにかけがえのないものをいくつも失ってきたのではないかと。

 そのうちコロナが消えてなくなるかどうかはわかりません。畑全体を冒す赤錆病などのように、何年たっても地面の下に潜んであちこちに病気を広げるのかもしれません。さび病ならば、殺菌剤を撒き畑を休ませてよく耕して有機肥料を施せば防げます。

 しかし、コロナと欲に毒されたこの社会では、根絶する特効薬もなければ人間の動きを止め社会全体を休ませるわけにも参りません。出来ることがあるとすれば、土を耕すように、個々人の欲にまみれた行動や考え方を一旦掘り起こして陽光にあてて浄化し、周りの人たちを思いやるゆとりという肥料を施すことぐらいでしょうか。
 
 自分の利益しか考えない人たちを殺菌しなければ、いつまでたってもコロナの感染から解放されることはないような気がいたします。

 エピセンターと呼ばれる、コロナの吹き溜まりになるような業界や店舗(ホストクラブ、ショーパブ、深夜のカラオケ、接待を伴う飲食店、風俗営業、パチンコ)などは、今は徹底的な休業を強制すべきでしょうね。
 これらは人間の欲そのものであります。性欲・食欲・射幸性などを満たすために生まれた糜爛した文明のおとし子です。もしコロナが終息したら、そこには一定の制限を加えるべきでしょう。ごく限られた場所や地域に限定し、反社会勢力などを紛れ込ませない厳格な運営・衛生管理を義務付けして許可し、年中検査をしなければならないと思います。

 何でも私権や職業・営業の自由を放置すればいいというものではありません。日本では、世界で唯一ギャング(暴力団)事務所が堂々と看板を出し、その存在を知りながら社会や警察は手出しできません。この組織こそ、人間の欲に群がる害虫であります。新宿歌舞伎町・渋谷センター街などの繁華街で、性風俗店・売春・賭博・薬物などの餌に集まる人たちから生き血を吸っております。これがコロナの媒介・宿主ともなっているのです。

 冷静に考えてみると、欲に駆られて行動しなければコロナなど、どうということもありません。お姉さんにもてて、酒を飲みたい、発散してバカ騒ぎしたりカラオケしたい、旅先でいかがわしい店に行きたい、ギャンブルで楽しんで金を得たい、などみんな欲がらみであります。旅行に行ってのんびりお湯につかる、美味しいものを食べる、散策するくらいでは感染しませんね。欲を捨てれば、コロナはどんどん離れていくように思えます。

 経済を回す、と叫んでいる人の多くは欲と二人連れ、私欲にまみれているなと感じるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 政府・メディア 何を言おう... | トップ | 言うまいと思えど今日の暑さかな »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

コロナ」カテゴリの最新記事