今年もあと十日、師匠の「住所印」を最後に、頼まれた印はすべて彫り終わりました。
これから、失敗印・人の彫った印の印面をすり潰して再利用できるレベルに磨き、分別するという作業に掛かっております。
そうした印だけで千本以上あり、その半分は自分が彫った摸刻印であります。摸刻は、章法を学び篆刻の名人・作者の技法に倣って忠実に再現することで自分の目を肥やし、技を磨くのが目的であります。従って、彫ったものはとっておいても意味が無いので、よほど出来がいいものを除いて、「潰す」のであります。
また、過去2年に彫った自分用の印も、改めて見てみると未熟で粗末に見えるものばかりでした。これも彫り直し。ヤフオクで入手した刻有の印も、大半は書道や篆刻を齧った人の手になる自刻印で、見るべきものも無いのです。これらは死に石にしないで、彫り直すために一旦は「無」に戻してやるのです。
これとは別に、専門家の作品・篆刻家の依頼品が数百点ものコレクションになります。多くは書道家さんなどがお金を払って篆刻家に作印を依頼した「姓名印・雅印・遊印」で、石の側面に作者の「側款」があります。中には「酒井子遠」さんなど鬼籍に入っている名人作の文化的な価値が高いもの、帰海さん、 雨人さん、邦園さん、星卿さん、滔天さんなど現役で活躍している人の印も多数あります。下の写真が全部そうした専門家の印であります。
印面を見てほれぼれするようなものも含めて保存していて、いずれ似たような印を彫る時の参考にしよう、とか、もしかすると高値になるかなどと雑念も生じながら大事に所蔵していたのです。しかし、側款があってもちゃんとした篆刻家さんとは限らず、読み取れないものもあります。側款の無いものは、何年持っていても価値は上がりません。また、自分の篆刻の技量や「見る目」が少しづつ上がって来るに従って、これはとっとかなくていいか?という印も多くなってきました。
そこで、一年の終わりに差し掛かった今、思い切ってこうした印をすり潰し、印面を磨き来る年には、一段上の篆刻生活を送るために準備に入ろうというわけなのです。すでに、段ボールやプラスチックケースなどに無造作に詰め込んだ印材としての価値が低そうなものが500個ほどあるので、これと併せて片端から磨き始めています。
その最初の作業は、①保存版を全部見直してやはり保存すべきものは除く ②未刻印でも印面が磨かれていないものは磨く ③箱に詰め込んでいるのは、いちいち印面と側款の有無を確認する ④摸刻・練習用に彫ったもので出来のいいものは除く といったことが第一段階になります。潰して磨くものをまず分別しなければなりません。
作品展につかうような大きい印材(大体4㎝角以上)のものは、紙やすりで磨くのは、力が要り手間で時間もかかるので、電動のグラインダー扱いで後回しにします。
ワタシの仕事場にある台所は、二日前から「修羅場」化しております。
ここで水道水に浸しながら石を潰し磨くという「水研ぎ」をしているのです。最も大事なことは、印面が側面に対して垂直であることであります。これを斜めに磨くと「正方形」が長方形になり、真上から押せないので押印しにくくなります。また、4つの角が余計に減らないよう全面水平のきれいな面になるように磨くことであります。印を彫る時最終的には角を落として丸くするのですが、面自体がすり減っているものは印泥が付かないので、印字がそこだけ薄くなってしまいます。
そうならないために使う秘密兵器がこれ「篆刻バイス」です。
これに印を固定し濡れた「耐水ペーパー」を粗いものから順に3段階ほどで磨ると、水平で印面にひずみや凸凹の無いきれいな鏡面となります、というほど簡単ではありません。
硬い印材はいくら力を入れても容易に削れません。しっかり固定していても、動かす手が規則正しく印面に均等に力が加わるように丁寧に扱う必要があります。理屈では、1mmくらい出っ張った印の先の部分が無くなって、木の台座全体に及ぶまでやればいい、のでありますが、実際には木も削れるし微妙に斜めになっていたりするのです。
石印材は、腐りもせず酸化もせず風化もしません。保管すれば孫子の代までなんの変化も無いまま「仮死状態」でそこにある、でしょう。しかし、印は彫らなければただの石くれであります。死んだ状態の石に磨きをかけ、いつでも彫れる状態に再生させて初めて印材としての価値が生じます。石に命を吹き込むつもりで、心を無にし指先に神経を集中して磨く、これは篆刻そのもので、大事な基本的技術なのです。
それでは本日も石磨きに掛かりましょう。
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