昨夜遅く帰宅いたしました。気の置けない仲間と出かけた故郷大分への「食べ歩き旅行」でありました。
初日は、まっすぐ「天領日田」に向かい、豆田町というとても美しく古い街並みを残した街道沿いのお店を回ったのです。お宿は「ホテル風早」わずか6室しかないこじんまりとした旅館でしたが、凝った食事は素晴らしくさすがに料理が売りの宿でありました。
ここを翌日後にして向かった先が九州でも指折りの観光地由布院です。
由布院については昨日のブログで紹介しましたので割愛させていただきます。
由布院を散策し、スイーツをちょい食いし、美味しいおそばをいただいて、次なる目的地が「湯平温泉」でありました。この湯平に関しては丁度年前の今日、本ブログで紹介しました。↓
その時に湯平温泉の行く末をとても不安に思ったのです。
今回も郷愁の念に駆られ、高校の2年先輩がご主人である「志美津旅館」を予約して宿泊しました。
しかし、わずか1年でこんなに変わって(寂れて)しまうのかと驚くほどの変容でありました。ブログで書いたように毎年といっていいほどの集中豪雨や台風で山崩れが起き、里の中心を駆け下る花合野川が氾濫し、多くの家を流し何人もの里人が命を落としたのです。そこで、その河川の改修や護岸工事が本格化して流域全体が大工事に入っていました。片側一車線の主要道も規制されて交互通行で、長く信号待ちでした。その時に「嫌な予感」がしたのです。
石畳の急な道の両側に最盛期は60以上の温泉宿があったそうです。戦前は近在の農家の方たちが冬場農閑期にここを訪れ、一か月くらい自炊しながら逗留して湯治したのだと聞きました。それがいまや17軒ほどに減ったそうです。
この下の写真、中央は道ではなく以前は急流の川であったのです。
早朝散歩してこの温泉場の坂道を降りて戻った20分ほどでたった一人の人にしか会いませんでした。
いつもここが目的だった地元原木乾燥シイタケのお店「金子商店」は、昨年のブログに書いたようにもう閉めたいとこぼしていたのですが。
悪い予感が当たってしまいました。店主の奥さんがいたのですが、肝心の乾燥シイタケはすべてなくなり、記念に絵葉書などを買い求めました。
自分の人生で「物心ついた」最初の記憶がここ、ワタシのふるさとであります。教員の両親が共働きで、幼稚園に行くのも帰るのも石畳を一人で歩き、母親が帰宅するまで独りぼっちの時間を4歳から6歳まで過ごしたのでした。
予定稿に達したので、続きは明日とさせていただきます
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