植物園「 槐松亭 」

バラと蘭とその他もろもろの植物に囲まれ、メダカと野鳥と甲斐犬すみれと暮らす

何も棲んで居ない水槽

2021年02月12日 | 雑感
 やれやれ😥森さんが辞任でひと段落だそうです。こういう人を、ワタシの住んでいる地域のお年寄りは「騒動起こし」と呼びます。言わなくて済むことを口にし、人と違う意見を言いたがる。周りの人から受けを狙って、下らぬ冗談を飛ばすという輩で、大して意味もないのに無用の波風を立てることになりますな。案外身の回りにもいます。あの二階さんもご同類と見えて、相変わらず無神経な発言を繰り返しています。この手の人は、死ぬまで治らないというようです。

 先日家内の従兄弟が亡くなりました。変わり者で一見豪放、みんなを驚かすのが楽しいのか明るくひょうきんで「奇矯」なふるまいも上げるときりがなかった人でした。悪気はなく、決して人を傷つけるつもりのないのですが、天然でドキッとするようなことを口にするのです。それでも、クリスマスには親戚にローストチキンを配って回るような善人でした。

 昨日お悔やみに行ってまいりました。全く予想もしない出来事で奥さんは動揺と悲しみのせいで、何も手につかない様子でした。雑然とした部屋で、ポツンと仏壇の前に座って呆然としている奥さんの姿が印象的でした。がらんとした居間には二つ水槽がおかれていました。水もガラスも汚れて黒くなっているので水槽内は見えませんでした。奥さんによると、何もいないのだそうです。なのに、古い濾過装置は電源が入っていて、小さな穴から水が流れ出ておりました。
 聞けば、長く糖尿病と高血圧の持病があったのに、2年ほど前から病院にもいかなくなり薬も飲まなかったそうです。入浴後に倒れて2週間意識が戻らないまま息を引き取りました。大動脈解離から脳梗塞、肺炎と進んだようですが、血糖値が700mg/dl もあり、内臓は合併症でボロボロだった由。

 家族に言われても、なぜ病院に行かなかったのか、今となってはわかりません。家内の親戚筋の共通点「人の言うことを聞かない」が仇となったか、あるいは自分の死期をすでに悟っていたのか。豪放磊落に見えた彼も、実は人には優しく細やかな神経の人物でした。案外小心者で、自分の病気に正面から向き合うのが怖かったのかもしれませんが、医者にかかってちゃんと治療していれば、まだ生きていたはずなのにと悔やまれます。

 何も生き物がいないのに、濾過器をつけたままの水槽が、彼の晩年を象徴しているように思えました。前向きな考えが消えて、あるがままで思考停止し、一日中パジャマから着替えることもない亡くなるまでの半年間だったようです。家族に特段迷惑をかけることもなく、2週間入院して旅立ったのは、本人も家族もある意味では、理想的な最期だったのかもしれませんが。

 そうであったとしても、釈然としないのです。前日知らせを聞いて泣いた家内は、従兄弟の生前の不養生を聞いて、憤慨しきりでありました。
 
 実は何も棲んでいないのに、水を濾過し続けているというようなことは、今の時代であちこちあることなのかもしれません。澱んだ水が入った古い水槽を捨て、新しい水槽に、清らかな水を湛えて魚を飼ってみようか、などと思わない「思考停止」の大人が増えたように思いますね。

 

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