青く透明感のある陽射しを確認できるようになると、高くなった気温によって肌にうっすらと張り付く湿気、そこに吸い寄せられたような目に見えない細かい砂のようなもの、それらを感じる事が出来、「春」から「初夏」へ向かっているのだな、と思ってしまいます。つい最近まで残っていた「寒さ」は「涼しさ」という言葉に置き換えられ、その「涼しさ」は夜になると「心地良さ」になるのです。「寒さ」は立場が変わり「心地良さ」になる事を思うと、人間もそういう事ありますなぁ、と思えてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
ちょっと前まで厨房が寒く「寒いのは嫌だなぁ」と思っていたのに、現在の厨房温度が27℃超であることを確認してしまうと「もうちょっと寒くてもいいかな・・・」と思ってしまうのは私の、いや、人間のわがままであります。
少し前までイヤだったものを現在好きになってしまう、という現象の代表的な例は「食べ物」であります。
私は子供の頃、野菜のお浸しの「胡麻和え」や「白和え」といった野菜に微妙に甘いコーティングをする食べ物を敬遠していました、いや、オブラートに包まずに言わせていただければ「嫌い」だったのです。
その嫌いだった理由は判りやすく、「ご飯に合わないから」という一点だけだったような気がします。つまり、ご飯に合うものは「好き」で、ご飯に合わないものは「嫌い」のように。
判りやすく例えるなら、ご飯に合う「カレー」は「好き」、ご飯に合う「カツの卵とじ」は「好き」、ご飯に合う「魚の煮付け」は「好き」、ご飯に合わない「サラダ」は「嫌い」、ご飯に合わない「ところてん」は「嫌い」、ご飯に合わない「白和え」も「嫌い」、という感じです、子供でしたからね。
しかし、年を経て「サラダ」「ところてん」もそうですが、「白和え」が「美味しい!」と感じるようになったのは年齢もありますが、酒を飲むようになったから、というのが最大の原因でありましょう。
今では献立(メニュー)にあると率先して注文してしまうかも知れない一品であります。丁寧に茹でて下地に軽く漬けていたであろう野菜にセクシーなまでに絡んでいる白衣(しらごろも)は、微妙に鎖骨が見えている和服の女性を髣髴させ、それが伊万里焼風の小鉢に盛られていると、凛とした中に垣間見える艶やかさを感じ取る事が出来るのです。一口食べると野菜のほろ苦さの後に鰹出汁の香りが鼻をくすぐり、それらを押し上げるかのようにほんのり甘く、クリーミーな白衣(しらごろも)が頬の中を撫ぜるのです。それはまるで・・・この辺でやめときますか、飽きてきたでしょ。
まぁ、そんな理由で、昔嫌いだったものが好きになるのではないでしょうか。しかし、その反面、時間が経ち、酒を飲むようになっても、嫌いとまでは言えないが、それほど隙とも言い切れない、ビミョーな立ち位置の食べ物も存在します。(私の中に、ですよ)
以前も、当ブログにその話を載せ、一部の、ほんの一部の方から疑問の声が上がってしまった食べ物もあるわけです、勿論、私事で。
その話は数年前に載せたのですが、また新たにその食べ物話を書こうと思い思い返してみても自分的に好きになっていない、時が過ぎても好きになっていない、という事実を噛みしめたのです。(大げさ)
その「好きになれずにいられない」食べ物とは前回と変わらず3つあります。ひとつは「さつまいもの天ぷら」、もうひとつは「かぼちゃの煮つけ」、そして最後のひとつは「赤飯」であります。
「あんた!それらの本当に美味しいの食べた事ないからでしょ!“天ぷら近藤”に対して失礼極まりないわよ!」そのように罵られるかも知れない覚悟は最初から持っております、持っておりますよ!最初から!(逆ギレ)
私の母親が作ってくれた「ソレ」がトラウマになったのかも知れないが、口の中の水分を奪い去り、全編、中途半端な甘さで攻め込んでくる「さつまいもの天ぷら」、糖度が高く繊維質が豊富なのが食べるとすぐ判る種に近い部分は許せても皮に近い部分と醤油のマッチングがどうも許せない「かぼちゃの煮つけ」、小豆の旨さがもち米に全て吸収されているのはいいが、そのダシガラの小豆が前面に押し出ていて、且つ、あのもちもちした粘度ある食感がオカズとマリアージュするとは思えない「赤飯」、どうも苦手です。
「さつまいもの天ぷら」は天つゆに付けて食べると苦手指数はクールダウンしますが、実家の「さつまいもの天ぷら」には生醤油でした。「さつまいもの天ぷら」に生醤油はバッドフィーリングであります。あの「ポクポク」した食感、ビミョーな糖度、サラダ油を吸った衣、そこに唇がかゆくなるような生醤油、ん~、どうでしょう?(長嶋風)
かぼちゃもそれほど嫌いな食材ではないのですが、あの醤油風味との組み合わせが苦手指数を急上昇させてしまいます。そぼろ餡仕立てはもっと急上昇してしまいます。
「あのもちもち感がいいんでしょ!」と言われてしまう「赤飯」も、あのもちもち感が苦手です。「もちもち感が苦手なら・・・」と昔、「赤飯」をお茶漬けにして食べてみた事があったのですが、サラサラにしたからいい、というわけでもありませんでした。
その昔、タイ、イサーン地方の屋台で名物料理、というものを食べてみた事があったのですが、もち米を葉っぱで包み蒸し上げたものにビーフジャーキーのようなオカズが乗っていたものでした。
店主が見守る中、笑顔で食べ切る事が出来ましたが、帰り道、「オレは・・・もち米自体が苦手なのかもしれないな・・・」と少し落ち込んだ事がありました・・・
しかし、それらの3品、どなたかの家に招かれて出てきたら勿論、「美味しい!」と言って食べる自信はあります、基本的に「食べれない」というわけではありませんから。
ジャンルとしては「食べれるけれど、積極的に食べようとはしない」又は「食べたい物のリストには常に載ってない」というものです。
「私は3品とも好きですよ!」そのようにおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。それは素敵な事です、としか言いようがありません・・・
それでも、「いつか、きっと、好きになる時が来るだろう、白和えのように・・・」と思ってはいるのですよ、ほんのちょっとだけ・・・
しつこいようですが、この3品、嫌いじゃないんですよ!
ただ・・・、何と言いますか、ねぇ・・・
でも、嫌いじゃないんですよ!(うるさい!)
ちょっと前まで厨房が寒く「寒いのは嫌だなぁ」と思っていたのに、現在の厨房温度が27℃超であることを確認してしまうと「もうちょっと寒くてもいいかな・・・」と思ってしまうのは私の、いや、人間のわがままであります。
少し前までイヤだったものを現在好きになってしまう、という現象の代表的な例は「食べ物」であります。
私は子供の頃、野菜のお浸しの「胡麻和え」や「白和え」といった野菜に微妙に甘いコーティングをする食べ物を敬遠していました、いや、オブラートに包まずに言わせていただければ「嫌い」だったのです。
その嫌いだった理由は判りやすく、「ご飯に合わないから」という一点だけだったような気がします。つまり、ご飯に合うものは「好き」で、ご飯に合わないものは「嫌い」のように。
判りやすく例えるなら、ご飯に合う「カレー」は「好き」、ご飯に合う「カツの卵とじ」は「好き」、ご飯に合う「魚の煮付け」は「好き」、ご飯に合わない「サラダ」は「嫌い」、ご飯に合わない「ところてん」は「嫌い」、ご飯に合わない「白和え」も「嫌い」、という感じです、子供でしたからね。
しかし、年を経て「サラダ」「ところてん」もそうですが、「白和え」が「美味しい!」と感じるようになったのは年齢もありますが、酒を飲むようになったから、というのが最大の原因でありましょう。
今では献立(メニュー)にあると率先して注文してしまうかも知れない一品であります。丁寧に茹でて下地に軽く漬けていたであろう野菜にセクシーなまでに絡んでいる白衣(しらごろも)は、微妙に鎖骨が見えている和服の女性を髣髴させ、それが伊万里焼風の小鉢に盛られていると、凛とした中に垣間見える艶やかさを感じ取る事が出来るのです。一口食べると野菜のほろ苦さの後に鰹出汁の香りが鼻をくすぐり、それらを押し上げるかのようにほんのり甘く、クリーミーな白衣(しらごろも)が頬の中を撫ぜるのです。それはまるで・・・この辺でやめときますか、飽きてきたでしょ。
まぁ、そんな理由で、昔嫌いだったものが好きになるのではないでしょうか。しかし、その反面、時間が経ち、酒を飲むようになっても、嫌いとまでは言えないが、それほど隙とも言い切れない、ビミョーな立ち位置の食べ物も存在します。(私の中に、ですよ)
以前も、当ブログにその話を載せ、一部の、ほんの一部の方から疑問の声が上がってしまった食べ物もあるわけです、勿論、私事で。
その話は数年前に載せたのですが、また新たにその食べ物話を書こうと思い思い返してみても自分的に好きになっていない、時が過ぎても好きになっていない、という事実を噛みしめたのです。(大げさ)
その「好きになれずにいられない」食べ物とは前回と変わらず3つあります。ひとつは「さつまいもの天ぷら」、もうひとつは「かぼちゃの煮つけ」、そして最後のひとつは「赤飯」であります。
「あんた!それらの本当に美味しいの食べた事ないからでしょ!“天ぷら近藤”に対して失礼極まりないわよ!」そのように罵られるかも知れない覚悟は最初から持っております、持っておりますよ!最初から!(逆ギレ)
私の母親が作ってくれた「ソレ」がトラウマになったのかも知れないが、口の中の水分を奪い去り、全編、中途半端な甘さで攻め込んでくる「さつまいもの天ぷら」、糖度が高く繊維質が豊富なのが食べるとすぐ判る種に近い部分は許せても皮に近い部分と醤油のマッチングがどうも許せない「かぼちゃの煮つけ」、小豆の旨さがもち米に全て吸収されているのはいいが、そのダシガラの小豆が前面に押し出ていて、且つ、あのもちもちした粘度ある食感がオカズとマリアージュするとは思えない「赤飯」、どうも苦手です。
「さつまいもの天ぷら」は天つゆに付けて食べると苦手指数はクールダウンしますが、実家の「さつまいもの天ぷら」には生醤油でした。「さつまいもの天ぷら」に生醤油はバッドフィーリングであります。あの「ポクポク」した食感、ビミョーな糖度、サラダ油を吸った衣、そこに唇がかゆくなるような生醤油、ん~、どうでしょう?(長嶋風)
かぼちゃもそれほど嫌いな食材ではないのですが、あの醤油風味との組み合わせが苦手指数を急上昇させてしまいます。そぼろ餡仕立てはもっと急上昇してしまいます。
「あのもちもち感がいいんでしょ!」と言われてしまう「赤飯」も、あのもちもち感が苦手です。「もちもち感が苦手なら・・・」と昔、「赤飯」をお茶漬けにして食べてみた事があったのですが、サラサラにしたからいい、というわけでもありませんでした。
その昔、タイ、イサーン地方の屋台で名物料理、というものを食べてみた事があったのですが、もち米を葉っぱで包み蒸し上げたものにビーフジャーキーのようなオカズが乗っていたものでした。
店主が見守る中、笑顔で食べ切る事が出来ましたが、帰り道、「オレは・・・もち米自体が苦手なのかもしれないな・・・」と少し落ち込んだ事がありました・・・
しかし、それらの3品、どなたかの家に招かれて出てきたら勿論、「美味しい!」と言って食べる自信はあります、基本的に「食べれない」というわけではありませんから。
ジャンルとしては「食べれるけれど、積極的に食べようとはしない」又は「食べたい物のリストには常に載ってない」というものです。
「私は3品とも好きですよ!」そのようにおっしゃる方もいらっしゃるでしょう。それは素敵な事です、としか言いようがありません・・・
それでも、「いつか、きっと、好きになる時が来るだろう、白和えのように・・・」と思ってはいるのですよ、ほんのちょっとだけ・・・
しつこいようですが、この3品、嫌いじゃないんですよ!
ただ・・・、何と言いますか、ねぇ・・・
でも、嫌いじゃないんですよ!(うるさい!)