桜が咲き誇り始めたのは先週末からだったと記憶しておりますが、その桜ももう花びらが舞い散るようになり、その舞い散り落ちた花びらに昨日の雨が染みてアスファルトにへばりついている姿は泣き濡れた少女のようで、悲しくもありながら可愛くもある、そんな風に見えてしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
よく歌の歌詞の中に「桜舞い散る頃」という言葉が使われていたりしますが、それは卒業や入学時期を狙った歌詞作りなのではないか、と思われますが、「桜舞い散る頃」という言葉の響きも、哀愁漂う、と言いましょうか、切なくなる、と言いましょうか、そんな趣を感じさせるものです。
だからでしょうか?「桜舞い散る」という言葉が入っているだけで歌詞や文章的に「何かイイ!」と思わせる何かがあるような気がします。
例えば「桜舞い散る頃、君にフラれて・・・」という文章も、ただ単に「フラれて悲しい」というより「フラれたけど気持ち的に前に進もうとしている」という印象を与えるではないですか。
「桜舞い散る頃、前日の酒が抜けずにバッドフィーリング。水をがぶ飲み二日酔いからの卒業・・・」こんな歌詞をアコースティックギター片手に歌われたら「アレッ?結構イイ曲かも・・・」そう思ってしまうかも知れません、ただ具合が悪い事を歌詞にしているだけなんですけどね。
そのようにそれが入るだけで「アレッ?何かいいかも・・・」と思わせ、正常に判断させなくしてしまう事を「桜舞い散る頃現象」と呼び(ウソ)、世の中に浸透しているのです。(いつも注訳を書きますが、だいぶ大げさです。そして、そういうブログです。予めご了承ください。書いている本人もどういう結末になるか判らず書いておりますのでその辺もご理解ください)
その「桜舞い散る頃」的な四大調味料と言えば「めんつゆ」「ダシの素」「ポン酢」そして「固形スープの素」でありますが、普通のご家庭ではこの調味料をスリーカードもしくはフォーカード手にしていらっしゃると思われます。
ご家庭だけではなく、飲食店でもこの「桜舞い散る頃」調味料を使用している所があるそうですが、ダシの取り方やスープの取り方、ポン酢の作り方やめんつゆの作り方など知っていて敢えて使っている事を祈ります。(「桜舞い散る頃」調味料などとは呼びませんのでご注意を)
確かにこの「桜調味料(省略しすぎですか?)」は、使うと便利でありますが、それに慣れ過ぎてしまうと何にでも入れてしまい「アレッ?何かイイかも」を通り越して「あぁ!何かスゴイ!」になってしまいます。(その「スゴイ」はグッドなのかバッドなのかは人によって違いますので敢えて書きません)
よく「魚の煮付け」の作り方を聞いてみると魚の切り身を「水」と「めんつゆ」で煮付けている、という話を聞くのですが、魚を魚風味の汁で煮る行為は、何と言いますか、肉骨粉的なイメージを連想させてしまうのでどうか、「水」「酒」「みりん」「砂糖」だけでお願いしたいものです。
「ポトフ」にも固形スープの素を大量投入している方はいらっしゃらないでしょうな。少しだけなら「旨味補強」という考え方もありますが、大量投入しては逆に素材の風味を損ねることになりかねません。
「だって、ガツンとした旨み、欲しいじゃないですか・・・」判りますよ、その気持ち。そういう人は「ポトフ」じゃなく「とんこつラーメン」にしましょうね。
「ポン酢」も最近はダシ味が前面に出ているものが多く見受けられます。判るんですよ、その味、その気持ち。でも、何と言いますか、世の中「ダシ至上主義」になり過ぎている、と言いましょうか、とにかく「旨ければそれでいいんだ」的思想が蔓延していて「適度な旨味」が軽視されているような気がするのです。
数年前にもこの手の記事を書いた事があるのですが、それは「同業者」が「めんつゆ」を使っている、という話に触れ「ウマければ勝ち」的な考え方はどうなのか?と疑問を呈したのです。そして、それをアニメ「タイガーマスク」のエンディング曲「みなしごのバラード(現在はこのタイトルだけで放送禁止でしょうな)」になぞらえ、
「旨ければ それでいいんだ。 お金さえ そればいいんだ。 ひねくれて客をにらんだ 僕なのさ。 あぁ、だけど そんな僕でも あの頃は・・・」
と歌詞を変えてみたのでしたが、「あの頃は」の後は、「あの頃は、ちゃんと作っていたんだけど、ちゃんと料理を作っても誰も評価しないんだ。それだから、めんつゆやポン酢、固形スープの素、ダシの素を使っているんだ!それで何が悪いんだ!お客さんはそれを食べて評価してくれてるんだ!旨ければそれでいいんだよ!お金さえあればいいんだよ!」そのような叫びが聞こえてきそうでなりません。
最近、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」グループが、おでん居酒屋店「俺の出汁」なるお店を開店させた、という話を行かれた方からお聞ききしました。
「どうでした?」と聞いてみると、「ん~、何でもかんでもダシの味がして旨すぎるんだな・・・」と仰っておりました。
「俺の出汁」・・・恐るべし・・・しかも、俺のダシですよ・・・
「味の適度さってあるよな・・・」そんな事を、出勤途中の桜舞い散る頃に思ってしまったのです。
桜も薄い桃色だからキレイなんです。思いっきりピンクだったら・・・イヤらしいでしょ。
よく歌の歌詞の中に「桜舞い散る頃」という言葉が使われていたりしますが、それは卒業や入学時期を狙った歌詞作りなのではないか、と思われますが、「桜舞い散る頃」という言葉の響きも、哀愁漂う、と言いましょうか、切なくなる、と言いましょうか、そんな趣を感じさせるものです。
だからでしょうか?「桜舞い散る」という言葉が入っているだけで歌詞や文章的に「何かイイ!」と思わせる何かがあるような気がします。
例えば「桜舞い散る頃、君にフラれて・・・」という文章も、ただ単に「フラれて悲しい」というより「フラれたけど気持ち的に前に進もうとしている」という印象を与えるではないですか。
「桜舞い散る頃、前日の酒が抜けずにバッドフィーリング。水をがぶ飲み二日酔いからの卒業・・・」こんな歌詞をアコースティックギター片手に歌われたら「アレッ?結構イイ曲かも・・・」そう思ってしまうかも知れません、ただ具合が悪い事を歌詞にしているだけなんですけどね。
そのようにそれが入るだけで「アレッ?何かいいかも・・・」と思わせ、正常に判断させなくしてしまう事を「桜舞い散る頃現象」と呼び(ウソ)、世の中に浸透しているのです。(いつも注訳を書きますが、だいぶ大げさです。そして、そういうブログです。予めご了承ください。書いている本人もどういう結末になるか判らず書いておりますのでその辺もご理解ください)
その「桜舞い散る頃」的な四大調味料と言えば「めんつゆ」「ダシの素」「ポン酢」そして「固形スープの素」でありますが、普通のご家庭ではこの調味料をスリーカードもしくはフォーカード手にしていらっしゃると思われます。
ご家庭だけではなく、飲食店でもこの「桜舞い散る頃」調味料を使用している所があるそうですが、ダシの取り方やスープの取り方、ポン酢の作り方やめんつゆの作り方など知っていて敢えて使っている事を祈ります。(「桜舞い散る頃」調味料などとは呼びませんのでご注意を)
確かにこの「桜調味料(省略しすぎですか?)」は、使うと便利でありますが、それに慣れ過ぎてしまうと何にでも入れてしまい「アレッ?何かイイかも」を通り越して「あぁ!何かスゴイ!」になってしまいます。(その「スゴイ」はグッドなのかバッドなのかは人によって違いますので敢えて書きません)
よく「魚の煮付け」の作り方を聞いてみると魚の切り身を「水」と「めんつゆ」で煮付けている、という話を聞くのですが、魚を魚風味の汁で煮る行為は、何と言いますか、肉骨粉的なイメージを連想させてしまうのでどうか、「水」「酒」「みりん」「砂糖」だけでお願いしたいものです。
「ポトフ」にも固形スープの素を大量投入している方はいらっしゃらないでしょうな。少しだけなら「旨味補強」という考え方もありますが、大量投入しては逆に素材の風味を損ねることになりかねません。
「だって、ガツンとした旨み、欲しいじゃないですか・・・」判りますよ、その気持ち。そういう人は「ポトフ」じゃなく「とんこつラーメン」にしましょうね。
「ポン酢」も最近はダシ味が前面に出ているものが多く見受けられます。判るんですよ、その味、その気持ち。でも、何と言いますか、世の中「ダシ至上主義」になり過ぎている、と言いましょうか、とにかく「旨ければそれでいいんだ」的思想が蔓延していて「適度な旨味」が軽視されているような気がするのです。
数年前にもこの手の記事を書いた事があるのですが、それは「同業者」が「めんつゆ」を使っている、という話に触れ「ウマければ勝ち」的な考え方はどうなのか?と疑問を呈したのです。そして、それをアニメ「タイガーマスク」のエンディング曲「みなしごのバラード(現在はこのタイトルだけで放送禁止でしょうな)」になぞらえ、
「旨ければ それでいいんだ。 お金さえ そればいいんだ。 ひねくれて客をにらんだ 僕なのさ。 あぁ、だけど そんな僕でも あの頃は・・・」
と歌詞を変えてみたのでしたが、「あの頃は」の後は、「あの頃は、ちゃんと作っていたんだけど、ちゃんと料理を作っても誰も評価しないんだ。それだから、めんつゆやポン酢、固形スープの素、ダシの素を使っているんだ!それで何が悪いんだ!お客さんはそれを食べて評価してくれてるんだ!旨ければそれでいいんだよ!お金さえあればいいんだよ!」そのような叫びが聞こえてきそうでなりません。
最近、「俺のフレンチ」「俺のイタリアン」グループが、おでん居酒屋店「俺の出汁」なるお店を開店させた、という話を行かれた方からお聞ききしました。
「どうでした?」と聞いてみると、「ん~、何でもかんでもダシの味がして旨すぎるんだな・・・」と仰っておりました。
「俺の出汁」・・・恐るべし・・・しかも、俺のダシですよ・・・
「味の適度さってあるよな・・・」そんな事を、出勤途中の桜舞い散る頃に思ってしまったのです。
桜も薄い桃色だからキレイなんです。思いっきりピンクだったら・・・イヤらしいでしょ。
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