優しく頬を撫ぜるような秋風はどこかへ消え去り、イタズラに頬をつねる様な冬の風を感じるようになると、寂しさよりも焦りに近いものが人々の心に湧き上がってきます。それは、「1年」という区切りが終焉を迎えようとする事実を認識してしまい、「何かしなければ!」と思うのだがその「何か」が何だか判らずに焦ってしまうような、表現しにくい「焦り」なのではないか、と思うわけです。そして、さらに1ヶ月経つとその「何か」が年を越す準備だと判り、さらに焦るのです・・・と少し焦りながら思ってしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
気が付くといつも月末になっていて、気が付くと10月も終わろうとしている・・・毎年同じ事の繰り返しのように思えても、微妙に何かが違う1年を過ごしているのだろう、と先日、とあるバーでジンリッキーを数杯飲んだ帰り、静寂に包まれた夜霧の街で思ってしまったのです。(ちょっと大げさ)
夜中の4時過ぎ、コツコツと自分の足音しかしない霧に包まれた街中は独特の湿度臭がし、霧の中に点々と浮かぶ信号機の灯りはぼんやりとした幻想的な色調で私を誘導するのです。
「芸術の秋・・・ですな。」何となくその状況を思ってしまったのですが、この芸術の秋に何かもっと心に残るものを観たいな、とその時、霧の中で思ったのです。(たぶん・・・)
そう考えたとき思い出したのは、今年の9月初めに遅い墓参りで実家へ帰った時、居間に鎮座してあるテレビから流れていたBSの映画特集で観た映画の事でありました。
モノクロで、しかも、内容も暗そうな映画を途中から何気に観ていたのですが、しばらくして主人公が「三國連太郎」である事に気が付きました。そのまま勢いで観入ると、左幸子、伴順三郎、高倉健、と錚々たるメンツがその映画を支えていたのです。
鬼気迫る左幸子の演技に押されながら新聞のテレビ欄でその映画をチェックしてみると映画名は「飢餓海峡」、監督は「内田吐夢(うちだとむ)」氏だったのです。
内田吐夢監督、ブラザートムを連想する人もいらっしゃるかと思いますが、「レインボーマン」の脚本を務め、森進一「おぶくろさん」の生みの親であります「川内康範(かわうちこうはん)」先生の師匠的な方であります。
その時、その映画は墓参りの用事もありましたので途中から観て途中で消して出かけなければならない、という非常にもどかしい状況で観終わってしまい、墓参りの最中も心の中でモヤモヤしてしまいました。そう、その後の霧の中を歩いて帰宅したときのように!(スミマセン、今考えました)そして、先日の休みの日、やっと念願の映画「飢餓海峡」を最初から最後までフルタイムで観る事が出来たのです!
最初にフルで観終わった感想から言わせていただきますと、素晴らしく完成度の高い映画で、しかも、怪優「三國連太郎」の観る者を引きこんでしまう演技、そして先ほども書きましたように、全く脱いでいないのにエロチシズムを放ち愛狂おしくも鬼気迫る「左幸子」の名演、朴訥としつつも隠然とした存在感を見せつける「伴順三郎」、後半からの出演にもかかわらず映画の中心に食い込む「高倉健」、と映画とは何なのか、演技とは何なのか、というのを「これでもか!」と見せつける骨太の日式サスペンス映画でありました。
軽く説明すると、
昭和22年、北海道を襲った台風で青函連絡船「層雲丸」が沈没した事件に乗じて函館から船で青森に向かった男3人は強盗殺人及び放火に関与していた。その後、青森に着いたのはその中のひとり「犬飼多吉(三國)」だけだった。
層雲丸転覆事件の身元確認に追われていた老刑事「弓坂(伴)」は引き取り手のない2体の遺体に疑問を馳せているうちに2人が強盗殺人事件との関連を見出す。そして、もう一人の犯人と思しき犬飼を追い青森へと渡る。
その頃、犬飼はひょんなことから娼婦の「杉戸八重(左)」と知り合い、つかの間の情事のあと、盗んだ大金の一部を八重に渡してしまう。
犬飼を追った弓坂は八重に接触するところまで行くが、八重は犬飼に対する大金の恩と愛情ともつかぬ想いによって弓坂にウソの証言をして犬飼を逃がすのだった。
その後、八重は身を置いていた置屋に借金を返し、上京し真面目に働こうとするが世の中はそううまくいかず、八重はまたしても置屋へ身を置く事になる。そして、八重は犬飼の恩を忘れず当時切ってあげた犬飼の爪と当時の新聞を肩身離さず持ちながら10年の月日が流れる。
10年後、八重はふとした拍子に見た新聞記事に目が留まる。舞鶴で食品会社を経営する事業家、樽見京一郎なる人物が犯罪者更生事業に多額の寄付をした記事が写真付きで載っていたのだが、その写真の男こそ八重が恩に感じ、そして、探していた「犬飼多吉」だったからである。
早速、樽見京一郎に会いに行く八重だが、樽見は「人違いでしょう」と突っぱねる。しかし、八重は以前怪我をした親指を見て犬飼である事を確信、しつこく問い詰めると樽見京一郎は勢い余って首を絞めて八重を殺してしまうのだった。そして、その現場を見た書生もその勢いで殺し、二人が海で無理心中したように偽装工作をする。
やがて死体が上がり、捜査を進めるうちに事件性を感じ取った若き刑事「味村(高倉)」は調べていくうちに昭和22年の層雲丸沈没事件、函館強盗殺人放火事件との関連に行き着き、リタイアしていた老刑事「弓坂」も巻き込んで事件解決に向かおうとするが・・・(説明が全く軽くない)
上映時間が3時間チョイ、という長編であるため公開当時は配給元の東映の意向でカットされて上映されたそうですが、今回私が観たのはタップリ3時間チョイ、だいぶ「飢餓海峡エキス」を注入された気分でありました。
見どころは何と言っても「左幸子」扮する「杉戸八重」が樽見京一郎と会い、犬飼多吉である事を聞き出そうとするシーンであります。
バリバリの東北訛りで
「あんだ、犬飼さんだろ!あだしわがるんだ!からだがおぼえでっがら!犬飼さん!犬飼さん!!!やっばす、犬飼さんだ!」
と迫るセリフは頭から離れなくなること必至であります。(男性限定)
そんな事、言われるくらい想われたいものですな・・・
「あんだ!藤原さんだろ!あだしわがるんだ!からだがおぼえでっがら!藤原さん!」
「誰かとお間違えではないですかな・・・私は藤原ではなく、〝町瑠田”と言いますが・・・」
「いや、藤原さんだ!あだしのごと、わかるっべ!そのどぎのごどはわすれね!藤原さん!」
「はっはっはっ、その藤原さんとやらによほどお世話になったんだねぇ、あなたは。でもね、人違いですよ、なぜなら、私は〝町瑠田”ですから。」
「ん~ん、わだしにはわがるんだ、だって、藤原さんはブサイクだもの!ほら、やっばし、藤原さんだ!」
「コラッ!お前バカにしてんのか!首絞めてやろうか!」
「ほら、やっばし藤原さんだ!」
「ウルサイ!」
ん~、しばらく「飢餓海峡」が頭から離れないな・・・
皆様も機会がありましたら映画「飢餓海峡」をご覧になってください。
ご覧になった暁には・・・「飢餓海峡 飲み会」を企画してその話で大いに盛り上がりたいものです。
気が付くといつも月末になっていて、気が付くと10月も終わろうとしている・・・毎年同じ事の繰り返しのように思えても、微妙に何かが違う1年を過ごしているのだろう、と先日、とあるバーでジンリッキーを数杯飲んだ帰り、静寂に包まれた夜霧の街で思ってしまったのです。(ちょっと大げさ)
夜中の4時過ぎ、コツコツと自分の足音しかしない霧に包まれた街中は独特の湿度臭がし、霧の中に点々と浮かぶ信号機の灯りはぼんやりとした幻想的な色調で私を誘導するのです。
「芸術の秋・・・ですな。」何となくその状況を思ってしまったのですが、この芸術の秋に何かもっと心に残るものを観たいな、とその時、霧の中で思ったのです。(たぶん・・・)
そう考えたとき思い出したのは、今年の9月初めに遅い墓参りで実家へ帰った時、居間に鎮座してあるテレビから流れていたBSの映画特集で観た映画の事でありました。
モノクロで、しかも、内容も暗そうな映画を途中から何気に観ていたのですが、しばらくして主人公が「三國連太郎」である事に気が付きました。そのまま勢いで観入ると、左幸子、伴順三郎、高倉健、と錚々たるメンツがその映画を支えていたのです。
鬼気迫る左幸子の演技に押されながら新聞のテレビ欄でその映画をチェックしてみると映画名は「飢餓海峡」、監督は「内田吐夢(うちだとむ)」氏だったのです。
内田吐夢監督、ブラザートムを連想する人もいらっしゃるかと思いますが、「レインボーマン」の脚本を務め、森進一「おぶくろさん」の生みの親であります「川内康範(かわうちこうはん)」先生の師匠的な方であります。
その時、その映画は墓参りの用事もありましたので途中から観て途中で消して出かけなければならない、という非常にもどかしい状況で観終わってしまい、墓参りの最中も心の中でモヤモヤしてしまいました。そう、その後の霧の中を歩いて帰宅したときのように!(スミマセン、今考えました)そして、先日の休みの日、やっと念願の映画「飢餓海峡」を最初から最後までフルタイムで観る事が出来たのです!
最初にフルで観終わった感想から言わせていただきますと、素晴らしく完成度の高い映画で、しかも、怪優「三國連太郎」の観る者を引きこんでしまう演技、そして先ほども書きましたように、全く脱いでいないのにエロチシズムを放ち愛狂おしくも鬼気迫る「左幸子」の名演、朴訥としつつも隠然とした存在感を見せつける「伴順三郎」、後半からの出演にもかかわらず映画の中心に食い込む「高倉健」、と映画とは何なのか、演技とは何なのか、というのを「これでもか!」と見せつける骨太の日式サスペンス映画でありました。
軽く説明すると、
昭和22年、北海道を襲った台風で青函連絡船「層雲丸」が沈没した事件に乗じて函館から船で青森に向かった男3人は強盗殺人及び放火に関与していた。その後、青森に着いたのはその中のひとり「犬飼多吉(三國)」だけだった。
層雲丸転覆事件の身元確認に追われていた老刑事「弓坂(伴)」は引き取り手のない2体の遺体に疑問を馳せているうちに2人が強盗殺人事件との関連を見出す。そして、もう一人の犯人と思しき犬飼を追い青森へと渡る。
その頃、犬飼はひょんなことから娼婦の「杉戸八重(左)」と知り合い、つかの間の情事のあと、盗んだ大金の一部を八重に渡してしまう。
犬飼を追った弓坂は八重に接触するところまで行くが、八重は犬飼に対する大金の恩と愛情ともつかぬ想いによって弓坂にウソの証言をして犬飼を逃がすのだった。
その後、八重は身を置いていた置屋に借金を返し、上京し真面目に働こうとするが世の中はそううまくいかず、八重はまたしても置屋へ身を置く事になる。そして、八重は犬飼の恩を忘れず当時切ってあげた犬飼の爪と当時の新聞を肩身離さず持ちながら10年の月日が流れる。
10年後、八重はふとした拍子に見た新聞記事に目が留まる。舞鶴で食品会社を経営する事業家、樽見京一郎なる人物が犯罪者更生事業に多額の寄付をした記事が写真付きで載っていたのだが、その写真の男こそ八重が恩に感じ、そして、探していた「犬飼多吉」だったからである。
早速、樽見京一郎に会いに行く八重だが、樽見は「人違いでしょう」と突っぱねる。しかし、八重は以前怪我をした親指を見て犬飼である事を確信、しつこく問い詰めると樽見京一郎は勢い余って首を絞めて八重を殺してしまうのだった。そして、その現場を見た書生もその勢いで殺し、二人が海で無理心中したように偽装工作をする。
やがて死体が上がり、捜査を進めるうちに事件性を感じ取った若き刑事「味村(高倉)」は調べていくうちに昭和22年の層雲丸沈没事件、函館強盗殺人放火事件との関連に行き着き、リタイアしていた老刑事「弓坂」も巻き込んで事件解決に向かおうとするが・・・(説明が全く軽くない)
上映時間が3時間チョイ、という長編であるため公開当時は配給元の東映の意向でカットされて上映されたそうですが、今回私が観たのはタップリ3時間チョイ、だいぶ「飢餓海峡エキス」を注入された気分でありました。
見どころは何と言っても「左幸子」扮する「杉戸八重」が樽見京一郎と会い、犬飼多吉である事を聞き出そうとするシーンであります。
バリバリの東北訛りで
「あんだ、犬飼さんだろ!あだしわがるんだ!からだがおぼえでっがら!犬飼さん!犬飼さん!!!やっばす、犬飼さんだ!」
と迫るセリフは頭から離れなくなること必至であります。(男性限定)
そんな事、言われるくらい想われたいものですな・・・
「あんだ!藤原さんだろ!あだしわがるんだ!からだがおぼえでっがら!藤原さん!」
「誰かとお間違えではないですかな・・・私は藤原ではなく、〝町瑠田”と言いますが・・・」
「いや、藤原さんだ!あだしのごと、わかるっべ!そのどぎのごどはわすれね!藤原さん!」
「はっはっはっ、その藤原さんとやらによほどお世話になったんだねぇ、あなたは。でもね、人違いですよ、なぜなら、私は〝町瑠田”ですから。」
「ん~ん、わだしにはわがるんだ、だって、藤原さんはブサイクだもの!ほら、やっばし、藤原さんだ!」
「コラッ!お前バカにしてんのか!首絞めてやろうか!」
「ほら、やっばし藤原さんだ!」
「ウルサイ!」
ん~、しばらく「飢餓海峡」が頭から離れないな・・・
皆様も機会がありましたら映画「飢餓海峡」をご覧になってください。
ご覧になった暁には・・・「飢餓海峡 飲み会」を企画してその話で大いに盛り上がりたいものです。