年末、大晦日を通り抜け、新しい年の扉を開けたわけですが、「今年は何かある」「今年こそは何かが起きる」と年頭に思い、結局、何も起きない1年を過ごすことになるのを毎年経験してしまう今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
当ブログをお読みの皆様、明けましておめでとうございます。2015年(平成27年)の本年も当店「フランス料理 マチルダベイ」をよろしくお願い申し上げます。ついでと言ったらなんですが、当ブログ「マチルダベイシェフのブログ ~言葉の錬金術~」も心の何処かに留めていただければ幸いです。
皆様におかれましては素敵な年末年始をお過ごしになられたのではないか、と思いますが、世の中には嫁子供がいるのに毎年、年末年始を一人で過ごしている孤独な男が居ると漏れ聞きました。悲しい男ですな、まったく・・・うぅぅぅ・・・私の事でございます・・・
年末は忙しいため、家には仮眠とシャワーをしに帰るからか、私以外の家族はクリスマスすぎには実家へ行ってしまう、という「置いてきぼりプレイ」を敢行されてしまいます。
しかし、それが何年か続いたからでしょうか?年末年始はむしろ一人が心地良い、いや、一人になりたい、そんな気持ちすら芽生えてきたのです。孤独の美学ってやつですな・・・うぅぅぅ・・・言い訳に聞こえますか?・・・
31日の大晦日、お節の引き渡しをして大掃除を終わらせると夕方の5時半前でした。マネージャーに今年1年のお礼を言って別れると、私は急いで買い物に走りました。
「大晦日は早めに閉めるんで早く買い物してください!」と言わんばかりの店員さんの冷たい視線を感じながら足早に店内を回り、買い物かごに品物を入れようとするのですが、残り物には福がない状態の品揃えで何を買えというのですか!(突然キレ)
早く片付けたくてウズウズしている店員さんを横目に店内を見渡すと、とりあえず大量に残っていたのは「豆腐」でありました。豆腐を買い物かごに入れると「という事は・・・今日は湯豆腐・・・か、な。」と今晩のメニューが決まります。
そうなると方向性が定まり買い物にも切れが出る、というものでしょう。湯豆腐と言えば「鱈」ですが、そのお店に置いてあった「塩鱈(うす塩)」はお世辞にも「状態が良い」とは言えず、鱈は却下。他の豆腐に合わせる淡白な食材を考えることにしたのです。
鮮魚コーナーには期待が持てないと判断した私は小声で「鮮魚コーナーから鮮の字を外してもらいたいものですな・・・」と呟きながら精肉コーナーに移動しました。すると、豆腐に合わせる、いや、湯豆腐に入れても遜色がない食材を発見したのです。
「鶏胸肉」。これしかないでしょう。鶏もも肉ではダメです。湯豆腐にした際、味が出すぎてしまいますし、脂臭さも目立ってしまう、そう考えた私は完全に「鍋ファシスト」と化していたのです。(「鍋ファシスト」とは、鍋物すべてを独断で決めて取り仕切る、鍋奉行の上を行く鍋独裁者の事です)
「ありがとうございました!来年もよろしくお願いします!」会計を済ませた私に「やっと閉めれる」といった安堵感からか勢いよく、且つ、満面の笑顔で挨拶してくれた店員さんに「こちらこそよろしくお願いします」と返した私はすぐさま、最近開店したワイン専門店に向かいました。
「湯豆腐の最初は、ソーヴィニョンブラン、その次に、ゲヴェルツトラミネール・・・そんな気分だ・・・」そんな事を勝手に決めながら他に客のいないワイン専門店で買い物をしたのですが、人けの少ない大晦日の夕方、女性店員一人しかいないワイン専門店のセキュリティーは大丈夫なのかな?、と余計な事を思った後、「山形だから大丈夫か」と訳の分からない安心感も持ちました、山形サイコー!(バカ)
自宅に帰るとすぐに台所に行き、アルミの鍋に水を張り、流水で洗い切り目を入れた昆布をその中に入れました。土鍋をチョイスしなかったのは微妙な温度調節に不向きであるからです。
水に入れた昆布を約30分放置している間に、鶏胸肉は斜め2センチにスライス、白菜は葉と茎に分けて葉は5センチにカット、茎は斜めにスライス、豆腐(木綿)は横に半分、縦に4つの8等分に切り準備をしておきます。
水と昆布を入れた鍋を火にかけ、沸騰したら一度火を止めて出汁パック(カツオやサバの節が袋に入っていて煮出すタイプ)を入れ蓋をして10分待ち、出汁パックを取り出し準備は完了です。
卓上コンロに鍋を乗せて火を付け一度軽く沸騰させた後、火力調整を超微力にし、鍋の出汁の温度を90度に設定しますが、これは結構難しいです。やっている途中、店までデジタル温度計を取りに行こうか本気で考えたほどですから。
そして、鍋の中に静かに豆腐ふた切れ、鶏肉ふた切れ、白菜少々を入れて待ちます。その時観ていたテレビはひかりTV(光回線放送)でやっていた「家政婦のミタ」でしたが、家族がいない家でひとり、家族愛を描くドラマを観るのはビミョーです。かと言って、お笑い物は湯豆腐に合いません。
最初のソーヴィニョンブラン2杯目を次いだ頃、豆腐がちょうど温まった頃合いであります。日本酒を飲んでいれば、湯豆腐に「削り節と生醤油」となるのでしょうが、飲んでいる物がワインですから塩で軽めに味を付けたいところです。しかし、だからと言って「ゲランドの塩」や「マルドンの塩」というのはいけません、塩がうますぎるからです。普通の食塩が豆腐の風味を邪魔せず、且つ、ストレートな塩味を補ってくれるのでそれでいいのです。過ぎたるは何とかって言ういじゃないですか。
90度のお湯でゆっくり温めた豆腐は大豆の香りが際立ち、中のふんわりとした触感と布漉しした表面のちょっと固い部分の食感のコントラストも楽しめます。
豆腐をふた切れ食べ終わる頃には鶏胸肉には絶妙な具合に火が通っています。これも沸騰させると固くなってしまいますから、やはり豆腐同様、90度の温度管理が必要なのです。
そして、白菜は火が通っているのにシャキシャキとした食感が残っている、という美味しさになっています。
これを4回、つまり、豆腐一丁分食べるとだいぶお腹も満たされ、あとはワインだけ飲む、という飲み専状態に突入です。
鍋に残った出し汁は捨ててはいけません。これをザルで濾して取り置いておきます。
ワイン2本目の半分まで来た頃、もうすぐ深夜12時、つまり、年越しとなるのですが、「ゆく年くる年」を観て凛とした気持ちで再び台所に立ち、お湯を沸かしながら先ほどの鍋も沸騰させ醤油で味付けします。もうひとつの鍋のお湯に蕎麦(乾麺)を入れて茹で上げ、かけそばとして食べれば無駄なく活用できるんですな。
ん~、この「鶏胸肉と白菜の低温湯豆腐」イケるな!と誰もいない自宅で喜んでいる私は、確実に寂しい男ナンバーワンでした・・・
今年は何かある!今年こそは何かが起きる!
そう思い続けるのは、誰にも迷惑かけませんよね・・・迷惑かけませんよね!(連呼が迷惑)
当ブログをお読みの皆様、明けましておめでとうございます。2015年(平成27年)の本年も当店「フランス料理 マチルダベイ」をよろしくお願い申し上げます。ついでと言ったらなんですが、当ブログ「マチルダベイシェフのブログ ~言葉の錬金術~」も心の何処かに留めていただければ幸いです。
皆様におかれましては素敵な年末年始をお過ごしになられたのではないか、と思いますが、世の中には嫁子供がいるのに毎年、年末年始を一人で過ごしている孤独な男が居ると漏れ聞きました。悲しい男ですな、まったく・・・うぅぅぅ・・・私の事でございます・・・
年末は忙しいため、家には仮眠とシャワーをしに帰るからか、私以外の家族はクリスマスすぎには実家へ行ってしまう、という「置いてきぼりプレイ」を敢行されてしまいます。
しかし、それが何年か続いたからでしょうか?年末年始はむしろ一人が心地良い、いや、一人になりたい、そんな気持ちすら芽生えてきたのです。孤独の美学ってやつですな・・・うぅぅぅ・・・言い訳に聞こえますか?・・・
31日の大晦日、お節の引き渡しをして大掃除を終わらせると夕方の5時半前でした。マネージャーに今年1年のお礼を言って別れると、私は急いで買い物に走りました。
「大晦日は早めに閉めるんで早く買い物してください!」と言わんばかりの店員さんの冷たい視線を感じながら足早に店内を回り、買い物かごに品物を入れようとするのですが、残り物には福がない状態の品揃えで何を買えというのですか!(突然キレ)
早く片付けたくてウズウズしている店員さんを横目に店内を見渡すと、とりあえず大量に残っていたのは「豆腐」でありました。豆腐を買い物かごに入れると「という事は・・・今日は湯豆腐・・・か、な。」と今晩のメニューが決まります。
そうなると方向性が定まり買い物にも切れが出る、というものでしょう。湯豆腐と言えば「鱈」ですが、そのお店に置いてあった「塩鱈(うす塩)」はお世辞にも「状態が良い」とは言えず、鱈は却下。他の豆腐に合わせる淡白な食材を考えることにしたのです。
鮮魚コーナーには期待が持てないと判断した私は小声で「鮮魚コーナーから鮮の字を外してもらいたいものですな・・・」と呟きながら精肉コーナーに移動しました。すると、豆腐に合わせる、いや、湯豆腐に入れても遜色がない食材を発見したのです。
「鶏胸肉」。これしかないでしょう。鶏もも肉ではダメです。湯豆腐にした際、味が出すぎてしまいますし、脂臭さも目立ってしまう、そう考えた私は完全に「鍋ファシスト」と化していたのです。(「鍋ファシスト」とは、鍋物すべてを独断で決めて取り仕切る、鍋奉行の上を行く鍋独裁者の事です)
「ありがとうございました!来年もよろしくお願いします!」会計を済ませた私に「やっと閉めれる」といった安堵感からか勢いよく、且つ、満面の笑顔で挨拶してくれた店員さんに「こちらこそよろしくお願いします」と返した私はすぐさま、最近開店したワイン専門店に向かいました。
「湯豆腐の最初は、ソーヴィニョンブラン、その次に、ゲヴェルツトラミネール・・・そんな気分だ・・・」そんな事を勝手に決めながら他に客のいないワイン専門店で買い物をしたのですが、人けの少ない大晦日の夕方、女性店員一人しかいないワイン専門店のセキュリティーは大丈夫なのかな?、と余計な事を思った後、「山形だから大丈夫か」と訳の分からない安心感も持ちました、山形サイコー!(バカ)
自宅に帰るとすぐに台所に行き、アルミの鍋に水を張り、流水で洗い切り目を入れた昆布をその中に入れました。土鍋をチョイスしなかったのは微妙な温度調節に不向きであるからです。
水に入れた昆布を約30分放置している間に、鶏胸肉は斜め2センチにスライス、白菜は葉と茎に分けて葉は5センチにカット、茎は斜めにスライス、豆腐(木綿)は横に半分、縦に4つの8等分に切り準備をしておきます。
水と昆布を入れた鍋を火にかけ、沸騰したら一度火を止めて出汁パック(カツオやサバの節が袋に入っていて煮出すタイプ)を入れ蓋をして10分待ち、出汁パックを取り出し準備は完了です。
卓上コンロに鍋を乗せて火を付け一度軽く沸騰させた後、火力調整を超微力にし、鍋の出汁の温度を90度に設定しますが、これは結構難しいです。やっている途中、店までデジタル温度計を取りに行こうか本気で考えたほどですから。
そして、鍋の中に静かに豆腐ふた切れ、鶏肉ふた切れ、白菜少々を入れて待ちます。その時観ていたテレビはひかりTV(光回線放送)でやっていた「家政婦のミタ」でしたが、家族がいない家でひとり、家族愛を描くドラマを観るのはビミョーです。かと言って、お笑い物は湯豆腐に合いません。
最初のソーヴィニョンブラン2杯目を次いだ頃、豆腐がちょうど温まった頃合いであります。日本酒を飲んでいれば、湯豆腐に「削り節と生醤油」となるのでしょうが、飲んでいる物がワインですから塩で軽めに味を付けたいところです。しかし、だからと言って「ゲランドの塩」や「マルドンの塩」というのはいけません、塩がうますぎるからです。普通の食塩が豆腐の風味を邪魔せず、且つ、ストレートな塩味を補ってくれるのでそれでいいのです。過ぎたるは何とかって言ういじゃないですか。
90度のお湯でゆっくり温めた豆腐は大豆の香りが際立ち、中のふんわりとした触感と布漉しした表面のちょっと固い部分の食感のコントラストも楽しめます。
豆腐をふた切れ食べ終わる頃には鶏胸肉には絶妙な具合に火が通っています。これも沸騰させると固くなってしまいますから、やはり豆腐同様、90度の温度管理が必要なのです。
そして、白菜は火が通っているのにシャキシャキとした食感が残っている、という美味しさになっています。
これを4回、つまり、豆腐一丁分食べるとだいぶお腹も満たされ、あとはワインだけ飲む、という飲み専状態に突入です。
鍋に残った出し汁は捨ててはいけません。これをザルで濾して取り置いておきます。
ワイン2本目の半分まで来た頃、もうすぐ深夜12時、つまり、年越しとなるのですが、「ゆく年くる年」を観て凛とした気持ちで再び台所に立ち、お湯を沸かしながら先ほどの鍋も沸騰させ醤油で味付けします。もうひとつの鍋のお湯に蕎麦(乾麺)を入れて茹で上げ、かけそばとして食べれば無駄なく活用できるんですな。
ん~、この「鶏胸肉と白菜の低温湯豆腐」イケるな!と誰もいない自宅で喜んでいる私は、確実に寂しい男ナンバーワンでした・・・
今年は何かある!今年こそは何かが起きる!
そう思い続けるのは、誰にも迷惑かけませんよね・・・迷惑かけませんよね!(連呼が迷惑)