ほのかに立ち上がる土の香りが冬の別れを告げているようでありますが、これからその土の香りに新緑と桜の香りがプラスされると本格的に春の訪れを感じる事が出来るのです。そして、それに比例してマスク姿の人々が増えるのは花粉症の季節でもあるからです、とちょっとだけ不安を煽ってみたくなる今日この頃、皆様、如何お過ごしでしょうか。
いつの間に別れの季節である3月が終わり、新年度である4月がスタートしましたが、よく考えると4月1日の今日は「エイプリールフール」だった事を先ほど思い出しました。
私が子供の頃は一年に一度しか来ない「公にウソをついてもいい日」に想いを馳せ、「どんなウソをついてやろうか・・・」と考え抜いたものですが、今では4月1日に「真剣にウソを考える」という事を躊躇ってしまうのは「そんなこと考えて(又はウソをついて)何やってんだよ・・・」と失笑とも呆れともつかないビミョーな態度を取られてしまうのを恐れているからかもしれません。もうそんな歳ではない、と云われれば反論もできませんしね。
しかし、そんなに心に余裕が無くてどうするのでしょうか?ここで一度、「エイプリールフール」という日を再考し、そして、壮大な「ウソ」をついてみようではありませんか。
大体、「エイプリールフール」という「公にウソをついてもいい日」に小さな、どうでもいいウソをついてしまうから失笑されてしまうわけで、もっとグローバルでビッグなウソをつけば誰も文句は言わないでしょう。ただし、スルーされる恐れもありますが、いいんです、スケールが大きければスルーされても気持ちだけは昇華されるというものでしょう。
まず「こういうウソはダメ」という事例を挙げてみたいと思いますが、大きいウソならいいからと言って話を中東あたりに絞ってウソをついてしまうのは世界規模で危険です、気を付けたいものです。
ではどういうウソがダメなのか。
「実は夢のような細胞を発見したんです。」
これはダメです。確かにスケールは大きいかも知れませんが、とりあえずこれはダメな部類と言えるでしょう。
「熱海で釣りをしていて記憶を無くし、気が付いたら小田原で発見されました。」
これもダメな部類でしょう。「若人あきら(現・我修院達也)事件」を知らなければ全く分からず、ややもすると自分のホントの話で吹聴される恐れがあります、気を付けたいものです。
「実はアンジェリーナ・ジョリーと付き合っていた時期がある。」
これはウソというより願望です。この話はとりあえず胸に仕舞っておきましょう。
「実は泉ピン子と付き合っていた時期がある。」
ある意味スケールが大きくネタとしては面白いのですが、ウソの質としてはどうでもいいようなウソです。
では、どういうウソがスケールが大きく、グローバルなんでしょうか。基本的には(この場合の「基本」とは私が一方的に考える「基本」です)、世界の要人が登場しなければなりません。(あくまでも私個人の考えですよ)
ですから、話の始まりは
「30年来、親しくさせてもらっているオランド(*1)から先日連絡があって、たまにこっち(*2)で一緒に食事でもしないか、という事だったので合って来ました。」
というのが良いのではないでしょうか。(*1)フランスの現大統領です。 (*2)フランスの事ですな。
それからの流れとしては、
「彼が案内してくれたビストロ・シェ・ラミ・ルイ(*3)でランド産フォワグラとプーレ・ロティ(鶏の丸焼き)を食べていたら、マドンナ(*4)が来店してビックリしました。オランドにその事を聞くと、マドンナはフランスに来るとラミ・ルイで食事をするんだ、と教えてくれました。」
ここまで来ると「ウソ」というより「妄想」が入ってきますが「エイプリールフール」にそんな事は関係ありません。(*3)レピュブリック広場にほど近い、パリでもその名声の高さで一、二を争う伝説的なビストロ。 (*4)マドンナがラミ・ルイで食事する話は本当のようです。
まぁ、今回はフランス編でありましたが、「30年来の友人、バラクから先日連絡があり、妻のミシェルがそっちに行くからよろしく、と言われました。」というアメリカ編でもいいわけですよ。
もうすぐ「エイプリールフール」も終わりですが、「ウソをついてもいい」と言われても「つけるウソ」はそんなにありません。むしろ、日常にこそ「ウソ」が潜んでいるわけですからそっちの方を警戒した方がいいのではないでしょうか。
新年度の初日に人間の性善説を試すような「エイプリールフール」とは一体誰が考えたのでしょうか?
そんな事を考えながら、ウソのない料理を作らなければならないな、と思った次第です。
意外と「ウソのある料理」ってありますからねぇ・・・
いつの間に別れの季節である3月が終わり、新年度である4月がスタートしましたが、よく考えると4月1日の今日は「エイプリールフール」だった事を先ほど思い出しました。
私が子供の頃は一年に一度しか来ない「公にウソをついてもいい日」に想いを馳せ、「どんなウソをついてやろうか・・・」と考え抜いたものですが、今では4月1日に「真剣にウソを考える」という事を躊躇ってしまうのは「そんなこと考えて(又はウソをついて)何やってんだよ・・・」と失笑とも呆れともつかないビミョーな態度を取られてしまうのを恐れているからかもしれません。もうそんな歳ではない、と云われれば反論もできませんしね。
しかし、そんなに心に余裕が無くてどうするのでしょうか?ここで一度、「エイプリールフール」という日を再考し、そして、壮大な「ウソ」をついてみようではありませんか。
大体、「エイプリールフール」という「公にウソをついてもいい日」に小さな、どうでもいいウソをついてしまうから失笑されてしまうわけで、もっとグローバルでビッグなウソをつけば誰も文句は言わないでしょう。ただし、スルーされる恐れもありますが、いいんです、スケールが大きければスルーされても気持ちだけは昇華されるというものでしょう。
まず「こういうウソはダメ」という事例を挙げてみたいと思いますが、大きいウソならいいからと言って話を中東あたりに絞ってウソをついてしまうのは世界規模で危険です、気を付けたいものです。
ではどういうウソがダメなのか。
「実は夢のような細胞を発見したんです。」
これはダメです。確かにスケールは大きいかも知れませんが、とりあえずこれはダメな部類と言えるでしょう。
「熱海で釣りをしていて記憶を無くし、気が付いたら小田原で発見されました。」
これもダメな部類でしょう。「若人あきら(現・我修院達也)事件」を知らなければ全く分からず、ややもすると自分のホントの話で吹聴される恐れがあります、気を付けたいものです。
「実はアンジェリーナ・ジョリーと付き合っていた時期がある。」
これはウソというより願望です。この話はとりあえず胸に仕舞っておきましょう。
「実は泉ピン子と付き合っていた時期がある。」
ある意味スケールが大きくネタとしては面白いのですが、ウソの質としてはどうでもいいようなウソです。
では、どういうウソがスケールが大きく、グローバルなんでしょうか。基本的には(この場合の「基本」とは私が一方的に考える「基本」です)、世界の要人が登場しなければなりません。(あくまでも私個人の考えですよ)
ですから、話の始まりは
「30年来、親しくさせてもらっているオランド(*1)から先日連絡があって、たまにこっち(*2)で一緒に食事でもしないか、という事だったので合って来ました。」
というのが良いのではないでしょうか。(*1)フランスの現大統領です。 (*2)フランスの事ですな。
それからの流れとしては、
「彼が案内してくれたビストロ・シェ・ラミ・ルイ(*3)でランド産フォワグラとプーレ・ロティ(鶏の丸焼き)を食べていたら、マドンナ(*4)が来店してビックリしました。オランドにその事を聞くと、マドンナはフランスに来るとラミ・ルイで食事をするんだ、と教えてくれました。」
ここまで来ると「ウソ」というより「妄想」が入ってきますが「エイプリールフール」にそんな事は関係ありません。(*3)レピュブリック広場にほど近い、パリでもその名声の高さで一、二を争う伝説的なビストロ。 (*4)マドンナがラミ・ルイで食事する話は本当のようです。
まぁ、今回はフランス編でありましたが、「30年来の友人、バラクから先日連絡があり、妻のミシェルがそっちに行くからよろしく、と言われました。」というアメリカ編でもいいわけですよ。
もうすぐ「エイプリールフール」も終わりですが、「ウソをついてもいい」と言われても「つけるウソ」はそんなにありません。むしろ、日常にこそ「ウソ」が潜んでいるわけですからそっちの方を警戒した方がいいのではないでしょうか。
新年度の初日に人間の性善説を試すような「エイプリールフール」とは一体誰が考えたのでしょうか?
そんな事を考えながら、ウソのない料理を作らなければならないな、と思った次第です。
意外と「ウソのある料理」ってありますからねぇ・・・