TakaPの数学日記

数学を教えていて感じたことや日常の感想などを記録しました。

金八先生

2011年03月30日 10時22分25秒 | 日記
 金八先生の最終回が放映された。
 最後の体育館での場面、よく見ると、体育館は中学校の体育館ではなく小学校の体育館のようだった。なぜか・・・。。
体育館にあったバスケットのコートがミニバスのコート用にラインがあったのが見えた。体育館のサイドの所にあるゴールが小さくてミニバス用のものだったことだ。撮影も苦労があったろう。私の勤務先の中学校も、撮影に「都立高校」の試験会場として使われたことがある。

 物語だからいいけど、影浦という生徒が都立の2次試験を受験するとき、彼に殴られた理科の教師が、「入試問題に山をかけたから、渡してくれ」といって、金八先生にプリントを渡した場面があったが、都立の2次試験はだいぶ前から三教科、つまり国語、数学、英語の3科が試験科目で、理科はない。物語だから良いけど・・・。

 金八先生には思い出がある。始めのシリーズの頃は非行で、どの学校も大変だった時代。生徒たちは金八先生のような先生を求めていた。「先生も金八先生のようになってよ」と良く言われた。で、実際にテレビを見ると、「無理だな」となった。「君らも金八生徒のようになってよ」と言い返したことがある。物語はいいなと思った。現実はもっと大変なこともあり、容易には解決出来ない。
 あるときトイレのがつまっていたので、私が便器に手を突っ込んで直していたら、「わすごい、金八先生みたいだ」とほめられた。最近の回想シーンに金八がトイレを直す場面があったのを見て、このことを思い出した。あ、これか、と思った。生徒はテレビの場面と私の行動を重ね合わせていたのだ。

 金八先生の舞台である「桜中学校」のモデルになっている学校へはバスケの練習試合で何回か行ったことがある。ここが撮影に使われたのか・・・と思った。この中学校も統合され、廃校になった。そのときの閉校式典に海援隊がやってきたそうだ。私の属しているお囃子の会も演奏したそうだ。とお囃子の仲間から聞いた。まだお囃子に入る前のことだったが。
 私のように金八と同じ世代の教師の一時代が終わったのかな、と思った。




コメント
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