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2015 年 ヨーロッパへの旅 33 シュヴェリーンからウィスマールへ 

2015-12-27 01:03:43 | 2015年 ヨーロッパへの旅

9月21日(月)

Schwerin→Wismar
シュヴェリーンからウィスマールへ

ホテル・クエレの朝食も、特別豪華ではないが、
野菜も、果物も新鮮でおいしかった。

今日は世界遺産の街、元祖ハンザ都市のウィスマールへ。
シュベリーンからウィスマールまで電車で35分だが、
1時間に1本しかないので、これを逃すと大変。
10:45に間に合うように、早めにチェックアウトした。

ウィスマールはバルト海に面した小さな都市で、
2013年12月現在の人口は4,2万人、
1905年は約2、2万人だったので、100年間で2倍になったとのこと。

日本は一体この100年で何倍になったのだろう・・・

ハンザ同盟とは、通商、公益上の利益保護を
目的として結成された組織で、
王侯貴族の支配を受けない自由都市のネットワークを言い、
13世紀、バルト海の海賊から船と町を守るため、
リューベック、ロストック、ウィスマールの三つの都市が協定を
結んだことが、後のハンザ同盟の礎になったと言われている。


 
ウィスマールまでの車窓風景。

 

ウィスマール駅は驚くほど、小さな小さな駅だった。




駅から町の中心マルクト広場に向かう水路沿いの道、
橋の袂に不思議な像が・・・


 

何か「謂れ」があるのかもしれないが、観光客らしき人達が
必ず、豚のお腹をなでて、写真を撮っていたので、見習った。?


 すぐ傍の古い教会から、パイプオルガンの音が流れて来たので
覗いてみたら、入口に「2ユーロの寄付お願い」と書いてあり、
係りの人が「英語のパンフレットか。」と聞くので、
「ジャパニーズ」と答えると「おぅ、ヤーパン。」と言い、
日本語の説明書が1枚入ったA4判のファイルを見せて下さった。

そのパンフレットには、「1945年4月15日に爆撃を受け
ハンザ同盟の大教会聖マリエン、聖ゲオルゲンと並ぶこの教会は
確かに戦火を免れはしたが、近日中に行われる再修理の為に
かなりの資金を必要としています。」と書かれていた。
(この4ヵ月後、日本の広島、長崎にも原爆が投下されたのだ。)

1403年に建設が始まって以来、塔の沈下現象の為
ドームが崩れ落ちたり、爆薬庫の爆発によって街全体が破壊、
更に1703年のハリケーンによって 、あるいは第二次世界大戦によって、
中世の美しい多くの建物が絶滅、その後、
いろいろな再建が試みられているが、まだまだ道程は遠いという。

教会の前の道路には建物の破片も敷石として使われていた。

ここはドイツで4番目に大きな身廊を持つ教会で、
船乗りや漁師達の信仰を集めていたそうだ。


さて、マルクト広場に着くとそこは100m四方の広さで、
市庁舎や美しいレンガ造りの建物が並び、スウェーデン国旗を揚げた
「アルター・シュヴェーデ」は1380年に建てられたこの地最古の建物で
現在はレストランになっているそうだ。



旧市街はこじんまりとしていて、のんびりと散歩しながら楽しめた。

マルクト広場の右手前に見えるのは 
青銅製の屋根が付いた美しい給水塔で、
かつて、ビール醸造が盛んだったため、大量の水が必要で、
この給水塔や水路が造られたそうだ。

中央後側に見えるのは14世紀に建てられたマリエン教会で、
戦争で破壊され、この塔だけが残されているとのこと。

 美しい後期ゴシック様式の水門や、レンガのゴシック建築物は有名で
2002年に「シュトラールズントとウィスマールの歴史地区」として
世界遺産に登録されたとのこと。
今も、あちこちで家の改修や道路の工事が進んでいた。

(後期ゴシック様式の水門)

あっという間に2時半。
ガイドブックに載っていたお薦め、「魚屋が営むレストラン」に行くと、
たくさんのお客様で、私達は何をどうしたらよいか分からず、
とにかく本に書かれていたエビの燻製、
鮭の燻製、サラダとビールと水を頼んだ。



 

 他のお客様達を見ると、何やらおいしそうな魚のフライや、
マッシュポテト、茹でたジャガイモなどが大きなお皿に盛ってあるのに、
私達は何だかかわいそうだった。

しかも・・・エビの燻製は期待外れ。
「ここに来たら、絶対食べるべき」と言うほどの物でもなかった。

寂しい気持ちで外に出ると、船のレストランが5~6艘、
同じような食べ物を売っており、何人か傍のベンチに
腰かけおいしそうに食べていた。
「ああ、もっとちゃんと見てからにすれば良かった。」とは思ったものの、
「寒い戸外での食事も辛いかもしれない、
暖かくて良かった。」と自分を慰めた。

雨が降り出し、寒くてたまらないので
予定より一台早く電車に乗ろうと急いで駅に戻ったのだが、
尋ねた人が私達の思っていた電車ではない
「コトブス行き」の電車を指差し、
シュヴェリーンで乗り換えればよい、と言うので、
乗り込んで待っていると、出発時間になっても動かず、
「遅延か。」と問うと「いや。」と断定する。

結局、違うホームから電車は出て行き、私達の乗っていた電車は、
その後の電車だったので、途中駅のシュヴェリーンで
一時間も待つはめになった。

ドイツ語の話せない日本人と、英語の話せないドイツ人、
親切心はよく分かったが、残念だった・・・

この辺りは旧東ドイツなので、観光客も少なく、
観光地化していない分、とっても のどかだが、
やはり旧西ドイツ辺りとはかなり違うようだ。

ようやくハンブルグに帰り着き、
夕飯は先日のイタリアンレストランに入った。

野菜スープ、シーフードサラダ、シーフードスパゲッティ、白ワイン、
コーヒー、全部二人で一皿ずつ。
ところが、先日は「やはりイタリアン!」と思ったが、今日のシーフードは
全て塩辛く、とてもまずくて、泣く泣く残してしまった。

さて、いつもより帰りが遅くなった。
今まで昼間の内は気が付かなかったホテルまでの道、
途中にある広場にいかがわしい人達がたくさんたむろしていた。

とても怖い雰囲気の中、何をされる訳でもないのに、
二人で手をつないで、走るように急いだ。
すぐに穏やかな住宅街の中に入り、
そのギャップの大きさに驚いたが、
世界中、大都市には、裏通りに潜む闇があるのかもしれない。

昼間見れば、こんなに穏やかなきれいな公園なのに・・・・ 

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