9月8日(日) (アテネ2日目)
昨夜遅く、テレビで2020年・オリンピックの開催地が
東京に決定したとの報道があった。
毎日のように、「福島」のニュースが流れ
数日前には竜巻の様子が映っていたので、
こんなに遠くにいても日本のことがよく分かり、
ますます世界は狭くなっていると感じ、
「福島」がオリンピックに影響しなければいいのだが、
と危惧していた。
決定の瞬間、日本応援メンバー達が抱き合って泣いている姿に、
私も もらい泣きをしてしまった。
もちろん、東京オリンピックまで生きていて、
毎日テレビにかじりついていることだろう・・・と思いたい。
今朝は、昨夜遅く到着した正一郎君と合流し、
アクロポリスに向かう。
彼は一昨年EU旅行で一緒にヨーロッパを回った青年で、
今年は大学4年生。
とてもしっかりした好青年で、
着々と自分の夢に向かって進んでいる様子だ。
まず、彼のお薦めで、毎週日曜日の10:50~11:10に
行われるという無名戦士墓前の交代式を見に行った。
シンタグマ駅のすぐ側にあるこの墓は大きな横長の碑で、
約400年間に渡るトルコ支配に終止符を打った
1823年からの独立戦争での戦死者や、
それ以降に起こった数々の戦争で犠牲となった兵士達の
霊を慰めるために造られたという。
どう見てもコスプレにしか見えないのは僕だけかな・・・・
と正一郎君。
週に一度、20分だけのチャンスに巡りあえて、
本当にラッキーだった。
その後、アテネ観光の拠点シンタグマ駅から
隣の駅アクロポリスまで地下鉄に乗った。
駅のあちこちに彫刻が配され「正にギリシャ」という雰囲気だ。
アクロポリスとは 「高い丘の上の都市」という意味で、
外部の侵略を防ぐ要塞として機能していたが、
紀元前8世紀頃から次々と神殿が建てられ、
聖域として人々の信仰を集めるようになったそうだ。
入口を間違えて住宅街に入り込んでしまったが、
その美しい真っ白な小路にびっくり!
このような美しい小路がずっと続いている様を、皆想像出来るだろうか。
結局、回り道をしながら元に戻って来たが、
途中で出遭った人達との話も楽しい思い出となっている。
さて、大昔、世界史で学んだアクロポリスは、
パルテノン神殿の柱の写真だけが遠い記憶の中に残っているが、
やはり行って 見て その大きさを実感出来た。
すぐ近くでは柱の先だけしか写すことが出来ない。
少しずつ修復工事も進んでいるようだが、
紀元前8世紀にどのようにして
これだけの建造物を作ることが出来たのだろうか。
丘の上から眼下に広がる屋根の波を見ると、白っぽく、
太陽の光で目を開けていられないほどのまぶしさだった。
そして「ああ、これだ!」と思ったのは、
16~7年前に
アメリカのフィラデルフィアの友人イワンさんリディアさん宅で
DVDを見せてもらったイロド・アティコス音楽堂だった。
アッティカの大富豪イロド・アティコスがアテネ市に寄贈した物で、
161年に建築され、6000ほどある観客席は最近修復されたそうだ。
この音楽堂で日本の鼓童の演奏があり、
その友人夫妻が大感激をして、
私達にそのDVDを見せて下さったのだ。
その頃、私達は「佐渡の鼓童」のことについて全く知らず、
ずっと観たいと思っていたが、
ついに横浜でその機会を持つことが出来た。
(私のブログ2012・7・22鼓童 DADAN で取り上げている)
長年の思いが叶って、その感激はひとしおだったが、
今回、そのDVDに収録されていた会場を直に見たことで、
その感激は倍増した。
ただ一つ残念だったことは、
夜の舞台でその照明のすばらしさを体感出来なかったことだ。
続く