庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

生ごみ処理機

2009-08-31 | 行事などいろいろなこと
市役所の貸出に往復ハガキで申込んで借りました。
2年間の貸出です。

バケツのような簡単なものですが、生ごみを入れて「ぼかし(発酵堆肥化材)」という米糠のようなものを入れて、発酵堆肥をつくり畑や植木に使います。
そうすると、家から出るゴミが減ります。
以前に、我家では生ゴミを畑に埋めると家庭ゴミが3分の1ぐらいに減ったことがあります。

そうです、「エコ」なのです。護美を減らすことは。

おまけに桃太郎パート2の小噺を・・・
お婆さんは、また、川上から流れて来た桃を拾い上げると、今度の桃は大きかったので力が入りすぎておならを「プ~」としました。そのときお爺さんは山で柴を刈らずに臭かった(草刈った)。

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ミステリーツアーに参加

2009-08-31 | 行事などいろいろなこと
お隣さんが旅行社でミステリーツアーを予約してくれました。
ご近所の交友会で知合った者三名で参加しました。これは全部で22名のツアーでした。
会社の旅行でもなく、近所の団体旅行でもない個人参加の団体ツアー旅行でした。

大阪を8時発のJR特急「雷鳥」とだけ知らされていて、後は何処へ行って何処で泊るかは未定のミステリーの参加でした。
前日インターネットで雷鳥の停車駅を調べ、ミステリーツアーのホテルは良いホテルなので、福井県あわら温泉だと予測し五つ星ホテルを探していました。
琵琶湖西岸の湖西線を通っている時、添乗員さんが「敦賀駅で降り、バスに乗り換えます。」と言いました。
「あわら温泉ではない。もっと手前、福井の東尋坊・越前海岸・永平寺か?」と友人3人とも予測をかえました。
雷鳥から乗り換えたバスは北陸自動車道を北へ走り福井を過ぎ、加賀を過ぎ、小松も過ぎました。
「山中・山代温泉ではない。能登半島の加賀屋か?」とまた予測をかえました。
雷鳥の狭い座席と違い、福井交通の大型バスのゆったりとした2名分座席は快適でした。
道路地図でこれから行く方面を考えていると、添乗員さんが「今から向かうヒントは、世界遺産です。」と言いました。金沢か白川郷?
わざと敦賀駅で降ろして予測を困難にさせる、ミステリーツアーを面白く思いました。
バスは富山方面に向かわず岐阜方面へと南下しました。白川郷や!

次に、泊まりは高山か?下呂温泉か?それとも、平湯温泉か?と考えました。ヒントは広い露天風呂温泉でした。
白川郷の合掌造りの見学もほどほどにして、観光案内所で聴込みをしました。「広い露天風温泉のあるホテルは何処?」
しかし、白川郷ではわかりませんでした。バスの中から進行方向の道路標識を見て予測することにしました。
白川郷から東海北陸自動車道で、恵那山トンネルを抜いて日本で2番目に長くなったトンネルを抜け(約11km)、清見ICで東へ進み高山で下呂方面に向かい土産店で休憩しました。
添乗員さんが「ここから今日泊まるホテルまで約1時間です。」と言いました。
そこで、また、土産屋さんに聴込み開始です。「約1時間で行ける温泉は下呂か平湯の奥の福地温泉です。店の駐車場を右へ回れば平湯方面、左へ出れば下呂方面です。」と教えてくれました。
そして、下呂温泉なら“水明館”だろうか?と思っていましたが、バスは右に回り平湯温泉・福地温泉・新平湯温泉・栃尾温泉をも通り過ぎ新穂高温泉に着きました。
なんと全てはずれて、奥飛騨新穂高温泉の“穂高荘山のホテル”が宿だったのです。
このホテルの窓から槍ガ岳が見えるようですが、残念ながら曇りで見えませんでした。
また、ホテルの下の河原の大きな混浴露天風呂からも槍ガ岳が見えことが色々と写真で紹介されています。昼間に槍ガ岳を見ながら是非浸かってみたい露天風呂でした。

二日目は、小京都の江戸時代徳川直轄地の陣屋があった高山市内見学と昼食でした。
そこでは、ヒトッちゃん夫婦とワンちゃんの三人と待合せして、甥のタク君の結婚式場神社とホテル・同ユウ君の新居などを車で回り終えて旅行団体に合流しました。
これは、ミステリーツアーの追加ミステリーのような出来事でした。

帰り道は、秘境の九頭竜湖を通り、恐竜の町を西へ抜け北陸道の福井まで行きました。
写真は、そこの湖での吊橋で、瀬戸大橋を架ける前に試しに造られ強度など実験されたという吊橋です。
最後まで知らされていなかった帰りに列車に乗る駅は、結局行く時バスに乗換えた敦賀駅でした。
そう言えば、とある小さな駅から列車に乗ります、とヒントに書かれていました。

列車では、3人の兄弟夫婦が毎年2回旅行に行くと話していました。若い頃に夫婦で頑張って働いたおかげで、時間もお金もある花の60歳代だとのことでした。
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古都の奈良での送り火

2009-08-19 | 行事などいろいろなこと
15日久し振りに、春日大社の万燈籠を見に行ってきました。

3,000基の境内の燈籠は、神様への感謝や祈りを捧げるものだそうです。
平安の昔より続いているそうです。
二月と八月の万燈籠には境内に入ることができるので、全国からの参拝者でいっぱいでした。
春日大社は藤原氏がまつったらしいです。

また、東大寺の大仏さん無料開放に30分ほど並んで訪れた時、お寺出口近くに、歌手だった河島英五菩提の燈籠が、彼の奥さんの名前で奉られているのをたまたま見つけました。

このように日本人の心の行事、お盆のお墓参りは、子どものころに会ったことがあるお祖父ちゃんやお祖母ちゃん、そのまた顔も知らない先祖に感謝することではないでしょうか?

仏教ではお盆12日に迎火を玄関で焚いて、お祖父ちゃんやお祖母ちゃん初め先祖をお迎えします。そしてお盆には家で先祖の魂と一緒に過ごします。それから15日夕方に送り火を家の前で焚いて、「今生きている家族を守ってやぁ~また来年も帰ってきてや!」と言ってさよならの手を振るかわりに炎でお送りするのが、日本のお盆の行事です。

だから、子どもの時からお墓参りや生家を訪れるのを体験をさせることが千年以上続いてきた、これからも続いていくお盆というものだと思います。
嫁さんの家でも送り火を行ってから、奈良へ行きました。

そうそう今年初めて、俳句をしているアキコ姉さんが万燈籠に一緒し、4句も詩が詠めたと喜んでいました。

こうして今年もお盆は、16日の京都大文字送り火で終わりました。

いにしえの ならの都は かがりびに うつる笑顔は 大仏さま
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プチ西瓜

2009-08-19 | 初心者のガーデニング
向かいの畑で採れたスイカ2個をウタ子さんから貰いました。
可愛いスイカです。
どちらが赤いのかどちらが黄色いのかは、切ってみるまでわかりません。

以前に貰ったスイカの種をミニ畑に種をまいていますが、芽が出てきた状態で、もう夏は残り少ないので今年のこの収穫は期待できません。

我家のミニ畑では、ミニトマトの収穫は十分終わったのですが。普通サイズのトマトの方は育ちません。
それにオクラも育ちません。無農薬なので、バッタに葉っぱを食べられてしまい、まるでボウズのようになったオクラを見て、悔しい思いをしています。

また、カボチャは育てたことがないので、来年は遥々とインドからやってきたカボチャに挑戦しょうと思っています。
このことは来年のことなので、笑われる恐れがあるので、赤鬼さんや青鬼さんには内緒にしておいてね・・・・・・
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お盆前のお墓掃除

2009-08-10 | 行事などいろいろなこと
田舎の村のお墓掃除が8月の日曜日にあるので行きましたが、先週の日曜日に、このお盆前の墓掃除は済んでいました。

今年の春にお墓のリフォームをしたので、みんなで掃除した後に飲んでもらうために、寄付する飲物を早くから準備していたのに、残念でした。
この日より先週のほうが、洪水警報が出ていて大変だったそうです。
また、村のお寺が火災で全焼したので、お寺の世話担当者などや総代の方たちの対策のための集まりも行われているようでした。この日にはお寺を再建することが確認されたそうでした。

そうそう、お墓の世話役を勤められた2人、マサアキちゃんとメグミちゃんの任期5年満期になったそうです。おかげさまで、我輩がよく知っている二人だったので、このリホームも順調にできました。
永い任期のお勤めご苦労様でした。
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NHKホールのマンドリン演奏会

2009-08-10 | 行事などいろいろなこと
マンションの小母さんから切符をいただいて、明治大のマンドリン倶楽部の演奏会をNHKホールへ聴きに行きました。

有名だった作曲家の古賀政男さんが所属していた、マンドリン倶楽部でした。今年亡くなった作詞家の阿久悠さんや元総理大臣の村山さんも明大出身だそうです。
指揮者は古賀先生とそっくりな優しそうな方でした。
それから、ゲストは声も良く出てスタイルも衰えていない、歌手の雪村いずみさんでした。

幕が開くと、そこには40人ほどの学生服姿のまま演奏が始まりました。司会者も現役4回生の素朴な女子学生でした。
今時、このようなシンプルな東京の大学生がいるのか?と目を疑うほどのすがすがしい学生たちの演奏でした。
もしも私たち夫婦に子どもがいたなら、きっと明大マンドリン部に入れたでしょう。関西の明大入学が多い高等学校を調べて、その高校へはいるように、幼稚園から小学・中学校と順番に計画したに違いないでしょう。

さて演奏会ですが、第1部は古賀メロディーと阿久悠作曲集などでした。
休憩を挟んで、学生服からユニファームに着替えて、第2部は歌手も登場しての軽音楽風に変わりました。
マンドリンを津軽三味線のように演奏する場面もあり、本当に楽しい演奏会でした。
演奏会が終了すると同時に、出演した学生たちは学生服に着替え、出口でお礼の挨拶をしていたことも好感がもてました。
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隣接の住宅と塀

2009-08-10 | 行事などいろいろなこと
引っ越してから6年を経過する我家の周りにも去年の春から土地造成工事・建築工事が始まりトントントントンと毎日騒がしいことです。そしてついに我家の北面に接して建売住宅工事が始まります。

そこで、以前に知り合った工事業者に家の北側の今ある塀のやり直しを依頼することにしました。住宅販売会社へ図面を見せてもらって、その建売住宅ができる前に完成させようと思い急いで見積書を取りましたが、けっこう高額なので別の安価な塀へと再度調整をすることにしました。
なお、その業者に現場を見てもらっているので、隣の住宅が完成してからでも我家の塀の工事は可能なので慌てる事はないと言われています。垣根のレッドロビンの木の葉が隣に落ちてトラブルにならないように気を使います。

東側に貸ガレージはあるものの360度の眺望だった我家でしたが、ついに北側が封鎖されることになります。
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花火と祭り

2009-08-10 | 行事などいろいろなこと
恩智神社の祭はと同じ日にありました。8月1日でした。
この前に家の前を神輿が通った村祭よりはるかに多い見物人でした。

7月25日の天神祭りの花火を車で登った裏山から見ると、手の親指と人差し指を丸めた7cmほどの大きさに見えました。
一方、8月1日のPLの花火は10年ほど前には家のベランダからバスケットボールほどの大きさに見えていました。しかしながら、建売住宅などがたくさんできてほとんど見ることが出来なくなり、花火の音だけがポ~ンポ~ンと遠くから聞こえます。
この花火を見ようと思い、山側へ歩いて恩智神社の祭へ行きましたが、花火はうまく見えませんでした。

この神社の約300の階段は、四国や西国のお寺参り階段のようにキツイところです。
そこを太鼓のだんじりと神輿が駆け上がるのが、ここのお祭りのクライマックスです。
太鼓だんじりがこの階段を登る時、右側の担ぎ手が弱いため大きく右に傾きました。
それを見ている幼稚園ぐらいの男の子が、あたかも自分が神輿を担いでいるかのごとく掛け声をかけ、一生懸命右肩を持ち上げる姿が、大変ほほえましく思いました。
家人がおもわずその男の子に、「早く大人になって神輿を担ぎたいやろぅ?」と聞きました。するとその男の子は「うん!早よ、神輿を担ぎたい!」と力強く応えました。

1,000年ほども歴史のあるこの祭りが続いていく原点を見るような気持ちで、雨の中を濡れながら家へと帰りました。

昔の歴史に、織田信長がこの地を攻撃し一度は退散したのに腹を立て、再度の攻撃で神社を焼却したことがあったそうです。
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