庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

和太鼓鑑賞と運転免許証事件

2009-10-26 | ちょっとした話
日曜日に、リビエルホールへ和太鼓を聞きに行きました。

土曜日には、アキヤン姉と我夫婦の3人で近所の史跡巡りをし、18,000歩も山手を歩きました。
彼女にいつもの昼食を御馳走になり昼食代より高いシュウマイの土産を買ってもらった後、日本で一番売上のあるJAしらとり道の駅へ行って沢山の野菜と美味しいタケダハムを買ってもらいました。前回来た時は、駐車場まで1時間ほど待ちましたが、今回は午後4時前の遅い時間帯のため待ち時間なしでした。

さて、本題にもどります。
去年は田舎の法事でいけなかったのですが、日本ユニセフ協賛のチャリティ―の和太鼓演奏のチケットを家人の友人が取ってくれました。二年越しのこの和太鼓には、予約券を入場整理券に引換るため早目に行き駐車場を確保する必要がありました。この友人は予約券を忘れ、急いで家まで取りに帰り二階席になったと話していました。
我々夫婦の席は、運良く舞台から3列目で太鼓の迫力が満点でした。
始まる前に、戦争で学校へすら行けない子どもたちや貧困で食べ物がなく栄養失調の子どもそれに地震・津波被害で困っている子どもたちの映像紹介があり、ユニセフ役員の挨拶もありました。

太鼓演奏者の中には小学校低学年もいました。背が高く高校生に見える中学2年生の男の子が中心になって大太鼓を打ちまくっていました。その他に演奏者は高校生・大学生・教師・社会人・年配者2名の方ですが、男女交えて中学と高校生が中心のようでした。
演奏歴には、奈良燈火会オープニング、春日大社奉納演奏、ルワンダ救済チャリティ、アメリカ公演などがありました。

5曲の演奏で第1部が終わった時に吾輩のとある事件が勃発しました。
免許証をいれた財布がない!
第2部が始まりかけたがそれどころではなくなりました。
座席の下にもない!
トイレ・お茶を買った自動販売機・会場の催し案内パンフレット置場・・・・・ない、財布と免許が何処にもない!受付や座席案内の方々に聞いても、「忘れ物は届いていませんょ」の答えでした。駐車場の車の中まで走り回って探したが・・・ない。
後半の演奏中、頭の中では、運転免許証の再発行はどうしたらよいのか?クレジットカード会社へ早急に差止連絡をしないと?高齢者クラブ会員証を悪用されたら?携帯電話番号のメモを入れていたので番号チェンジをしないと?JAF会員証は再交付してくれるのか?現金の1万円札はあきらめなあかんやろう?など・・・・・
また、お茶を買っている時にすられたのか?トイレで手を拭くのにハンカチを出した時に一緒に落ちたのか?ここの会場案内パンフレットを貰いポケットから出した時に一緒に落ちたのか?後部座席の人が拾ってくれていたら良いのに?勝尾寺のおまもりを入れていたのになあ?など・・・・・
頭の中を色々な空想が空中ブランコのように回りっぱなしで、ステージ前から3番目の席で大太鼓の腹まで響く音はしていても、一生懸命汗だくで太鼓をたたいている人達を目では見ていても頭は違うことを思っている状態の中、迫力の太鼓演奏がいつの間にか終わりました。

そして、主催者の座席案内の方々が席回りを一緒に探してくれ、ホール事務所へ連れて行って遺失物届をしました。そのうえ帰る時にはみんなで「財布が見つかるといいのにねぇ」と言ってくれました。
その後に近くの交番所へも遺失物届をしました。そこの交番所のお巡りさんも「財布が見つかるといいのになぁ」と言ってくれました。
それからこのチケットを手配してくれた友達も、ホールの事務所で尋ねてくれたり交番の遺失物届が済むまで雨の中を外で1時間近く心配して待っていてくれました。そこでも彼女たちが「財布が見つかるといいのになぁ」と言ってくれました。

運転免許証がないため交番で不携帯になると言われたので、家人の運転で家へ帰りました。
すると、家に着いた途端に吾輩の免許証がでてきました。
それから警察や友達や会場等に電話をかけ続けました。
また同時に、家から持参していたお茶も発見しました。

みんなが「財布が見つかるといいのにねぇ」と言ってくれたおかげだと思い、大太鼓演奏というよりも、人の親切さが身にしみた一日でした。
蛇足ですが、勝尾寺のお守りも効いたようです。

芸術の秋、きんもくせいの花が散り山茶花の蕾が膨らみかけた、とある一日の出来事でした。

追伸
家に到着した時には、ジツエはんが「ボヶーとしてるからや!」とか「もう認知症とちがうんか!」とかの悪口云い放題であったことを付け加えておきます。
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命と事故報告書

2009-10-26 | ちょっとした話
106名もの人間の命が05年4月にJR福知山線で失われて、もはや4年半が経過した。
呆れたことに事故報告書の案で、その幹部が接触していたとの報道がある。

幹部には遺族の気持ちがわかっていない。それには、遺族を自分自身に置き換えてみれば理解できると思う。
もし、例えいくらお金を積んだとしても、四国全土を差し上げますといっても、私なら納得しないだろう。なぜならその犠牲者の命は帰ってこないからだ。
幹部・社員一丸となって、気持ちを込めて、遺族に対しない限り、解決はしないと思うのは私だけでしょうか。

事故報告書に係わる運輸安全委員会委員(旧国鉄OB)の介入(裏取引)には言分けはできない。またしても、天下りに起因するように感じるのが、昨今の新聞報道を読んでの感想です。
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地域の運動会

2009-10-19 | 高齢クラブ
この前の体育の日に、地区の市民スポーツ祭を観に行きました。

前日は、父親の命日(15日)の墓参りでした。移植の榊のところにアジサイ3本を植えました。周りの砂利の間から根の深い草が生えていたので、その草引きに時間がかかりました。今回は、昼前の出発なのでどこの家も寄らずに帰りました。姉は、翌日に墓参りしたようです。

さて、運動会は、高齢者クラブ会長さんが声をかけてくれましたので、開会式に間に合うように朝早くから出かけました。
地区委員長・市長・地元議員さんの挨拶後、参加者全員でラジオ体操第一を中学校の体育の先生のもとで、始まりました。

自治会を9ブロックに分けて、子供会やブロックの対抗リレーや綱引きが盛り上がります。
地区対抗人生リレーは小学校・中学校と年齢別の男女組合せで走ります。このレースでは45歳ぐらいの走る距離は100mではなく50mと配慮されていました。地域代表レースは応援も賑やかでしたが、バトンを落としたり転んだりは、やはり運動会の定番だと思いました。

私達夫婦は、小学生低学年と組んで大玉ころがしにでました。私の運動会は、45年ぶりの参加でした。そしてキッチリ参加賞もいただきました。
昼に家へ帰ったら、弁当を高齢者クラブからいただきましたので、幸か不幸か、午後からもこの運動会を見にいくことになりました。

子ども達はいろいろな競技に参加してお菓子などの参加賞をもらい、喜んだり、コロコンだり、しています。
議員先生も運動会の会場周りで走り回ります。
そして幼稚園から小・中学校の校長先生たちは来賓でこの時期日曜日はありません。
役員さんたちは準備や段取りで多忙です。
これ等のつながりで、地域のつながりが拡がるように思った体育の日の運動会でした。
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環境フェスティバルときんもくせい

2009-10-19 | 行事などいろいろなこと
きんもくせいの蕾ができていると思っていると、いつのまにか満開になりました。

市役所へ行った時に環境フェスティバルが近所の大学で開催されるとのパンフレットをもらったので、家から歩いて見にいきました。
ニガウリなどでグリーンカーテンをしている幼稚園や小学校などの表彰式は終わっていましたが、家人は顔が広いので知り合いの園長先生にも会ったと言っていました。それに新鮮野菜の即売会は既に売り切れて跡形もありませんでした。

リサイクルなどのバザーを太陽がサンサンとふりそそぐ好天気の中、子どもや大人が群がっていました。
大学広場の舞台では、大学生の司会で、環境等に関する活動をしている各種団体代表がマイクを握って、かわるがわる各自説明をしていました。
大学食堂も解放されており、メニューを見ると、値段は市場の3分の一ぐらいで、味はどうか知りませんがカレーライス200円ほどで格安だったと思います。
仕事をしている時、国家試験会場にこの大学を借用しようと訪ねたことがあったので、校舎の配置をほぼ覚えていました。

ここの図書館では、市の江戸時代の古い地図が保管されていました。地域の庄屋さんなどから寄贈されたと学生さんが説明してくれました。
この経済法科大学は山の中腹にあるのに、自転車や車だけでなく、ふもとの駅から通学用バスのピストン輸送で多くの人が見学にきていました。
何事も、催しをするにはお金がかかるなぁと思いましたが、学生が減少する昨今に地域との関係も大切に考えている大学なんだなぁと思いました。

仕事卒業後は、地域と密着した生活に浸る毎日が続いています。
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隣の建売住宅と塀

2009-10-19 | 行事などいろいろなこと
北隣に建売住宅がせまってきました。完成したら窓と庭が密着します。
どんな人が引越して来るか楽しみですが・・・

対策でどんな塀をするか?3回も業者の方に見に来てもらいました。隣が入居する前に完成しようと、ほぼ決まりました。
それに塀とともに、植木も1本は植えようと思い植木屋さんにも見に来てもらっています。
散歩で他所の家を参考に見ながら考えているところですが、建売住宅の壁の吹付けが終わり足場を撤去してからそれぞれの工事にした方が良いので、まだ少し先になると思います。
年金生活ですが、けっこう予想しない所に物入りです。
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手品と高齢者クラブ

2009-10-15 | 高齢クラブ
恒例の高齢者クラブの定例会がありました。
3度目ですが、今回早めに行くと、早く来て地域の会館の草引きや掃除をされていました。担当者の方々御苦労さまでした。

9月からの行事報告、介護福祉士さんの認知症予防の説明となぞなぞの後に吾輩の出番がありました。
最初に関西話芸の「鳩が何かを落として行ったで~、フーン」と「隣に囲いが出来たで~、へぇー」と言うと、皆は知っていました。
それならと思い、面白い話をしますと言って「頭の先から足の先まで真白い犬」と言いましたが、吾輩独自の話なので皆はキョトンとしました。やったぁ~と思い、「尾も白いでしょう」と言うと「なぁんや~ぁ」という反応がありました。
そして、シルバーリーダー講習会で習った手品をしました。
一つ目に、「春夏冬二升五合」と漢字の読み方なぞなぞをすると、分かる人がいたのには驚きでした。答えは“秋ない、升々、半升(商い益々繁昌)”です。
二つ目に、用意しておいた紙テープの輪を切ると2ツの輪につながるものと倍の長さになるものができるのを会長さんたちに切ってもらいました。すると30名の出席者全員が驚きました。
三つ目に、トランプの一の数字が三になるものと四の数字が六になる手品をしました。すると30名の出席者全員はまたまた驚きました。続けて三枚のトランプの❤7・8・9続き番号の真ん中を抜いてもらい❤8が♠Kに変わる手品をしました。すると出席者全員はまたまたまた驚きました。また続いて三枚のトランプが全て松になったり・竹になったり・梅になったりする手品をしました。すると出席者全員はまた驚きました。そして吾輩は手品師の快感が分かるような気がしました。

帰りに「手品上手やなぁ~」と褒めてくれる人がいました。それで、喜んで家人に電話をしました。
家に着いたら、途中でたばこを落として帰っていました。
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今度はダブル歴史講演会

2009-10-06 | 行事などいろいろなこと
先週土曜に歴史講演会を二つ聞きに行きました。

一つは、創立60周年記念公演で商工会議所にハガキで申込みました。
「その時歴史が動いた」を9年間していた元NHKアナウンサー松平定和氏の“歴史とどう向きあうか”というテーマの講演でした。
さすがにアナウンサーで話し上手で時間も予定どうりピタリと終わりました。同じような歴史番組をしていた鈴木健二アナウンサーの部下だったようです。お辞儀で頭を下げてから頭を上げる際にゆっくりと上げると丁寧なお辞儀になること・自分のことを“わたし”でなく“わたくし”と言う方が丁寧な言い方になることの二点を彼に教えてもらったと話していました。
おりしも、自民党の中川昭一元議員が急に亡くなったインタビューで、麻生氏がわたしは残念に思うと言っていたのに対し、谷垣氏がわたくしは残念でございますと言ったので、なるほどなぁと思いました。

彼の番組が長期間続いたのは、歴史上の主人公より陰で支える人の見た歴史放映にスポットライトが当てたこと等にもよるようでした。
また、織田信長の美人の妹お市は本当は妹でない説がある等の裏話があったりしました。

その直後、同会場で郷土の歴史で能の話などの講演があり続けて観にいきました。
能の舞台衣装を着る役が市長だったので、その写真を撮って、火曜日のシルバー講習会での市長との懇談会で渡したら喜んでいました。「自分で衣装をつけていたら自分の姿がわかりませんやろぅ」と云いながら渡しました。

能の舞台を真近で見るのは初めてだったのと、昔に郷土で演じられていた「弱法師(俊徳丸)」の近親感もあり時間のたつのを忘れるほどでした。
今度の11月文化の日に、古墳を背景にした芝生舞台で演じられるようです。
写真は、能の蜘蛛の糸も客席まで飛んで来て迫力満点の様子です。
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家人の9月の日記から

2009-10-06 | ちょっとした話
ここしばらくジツエはんが、足が痛いとかいってデーサービスをお休みしている。
お医者さんにも行ったがなかなか要領が得ない。歳もとしなので無理せず動かしながら過ごすしかないようであるが、実の娘からの電話のついでに話すと彼女は看護師でもあるが、「足の痛いのもえらいで、血液からくるのかぁ?いっぺんお医者さん変わってもいいねんけど。」と心配して言っていた。それを聞いて私はやっぱり実の娘だなぁと思った。母親が痛いと言えばなんかしたげようと思う、私も思うが強さが違う。小さいときから一緒に暮らしていたものへのいたわりは強いなぁと思った。でも夫君にお姉さんの電話の言葉など話すと。「いつも一緒に住んでへんから言うねん」と一言ですましていた。
ジツエはんは、しあわせ者でデーサービスのお友達からお見舞いの電話が何度もかかってくる。そのたびにそれぞれの家族構成や前の職業を私に聞かせてくれる。もう何回も聞いているのにと私は心のなかで思うようにしているが、初めて聞いたことではないので興味は持たないのできっと顔には出ていると思う。でも88歳で電話もふつうに話す。
いつも私たち夫婦で話しているどんなことでも聞いてくるジツエはんも入れて3人の会話にしなければいけない。一度私がしつこく聞くので「そんな、何でもかんでも、いちから十まで知らなくても、いいやん。」と言った事でぷーとふくれて自分の部屋にいった。
いつまでも元気でありがたいとは私は思う。先日敬老の日があったが私たちには子どもがいないので本来なら孫がおばあちゃんにねぎらいの言葉などかけて欲しいが、いつも家の周りを歩くときサロンまえかけが大好きでおきにいりの染みのいっぱいついたまいかけをするので買いにいったが、まえかけはいろんな模様がなくしかたなく、気に入らないかもしれないが黒色のまえかけをささやかなプレゼントにした。
日本には100歳以上高齢者がいっぱいいるらしい。ジツエはんも100歳までがんばってもらって大きなケーキに100本のロウソクを立ててお祝いしたいと私は思っている。
頑張れジツエはん。
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