庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

西国33ヵ所の始まり

2008-08-31 | 西国33所の旅
お四国巡礼の次は、西国33カ所を巡ります。
西国のお寺は、四国に比べて優雅に見えました。

西国三十三箇所第8番札所
長谷寺は、観音信仰にあつい徳道上人が聖武天皇の勅願で、十一面観世音菩薩をまつり、西国三十三箇所巡拝の開祖であり、三十三カ所の根本霊場と呼ばれている。
真言宗豊山派総本山。
ご詠歌は、『いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ』である。
3つの「登廊(のぼりろう)」・「花の御寺」
春には桜と7,000株の牡丹、夏には紫陽花、秋には紅葉、冬には寒牡丹が咲く。

門前町を少し下がった南側にある番外法起院(ほうきいん)は、西国巡拝開基・徳道上人御廟所である。『極楽はよそにあらじわがこころ おなじ蓮のへだてやはある』(
徳道上人御詠歌)の意味は「極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。この世に咲く蓮の花と、あの世の蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うものではありません。 ゆえに自分をじっくりと見つめなさい。」

西国三十三箇所第7番札所 東光寺 龍蓋寺(岡寺)
岡寺は、天智天皇が岡宮を寺に改め義淵僧正に賜わったお寺で、如意輪観世音菩薩をまつっている。
この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいたのを、義淵僧正が法力で小池に封じ込めて大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺(りゅうがいじ)」の原点で、本堂前に「龍蓋池(りゅうがいいけ)」がある。観音信仰に、災を取り除く厄除け信仰が加わり、
日本最初の厄除け霊場となった。
観音信仰は、観音さまの御名を呼べば観音さまは三十三の化身により衆生を救済されるとの信仰である。
真言宗豊山派。
ご詠歌は、『けさみれば露岡寺の庭のこけ さながら瑠璃の光なりけり』である。
シャクナゲ、サツキが4月中旬から5月中旬

西国三十三箇所第6番札所
壷阪寺は、元興寺の弁基上人が壷阪の山で修行し愛用の水晶の壷を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んでまっったのが始まり。真言宗。
元正天皇より八角円堂が建てられ南法華寺の正式寺号を賜った。
ご本尊は、十一面千手観
世音菩薩。衆生救済、殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として広く信仰を集めてきた。
明治のころ、失明回復祈願にまつわる沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壷坂霊験記」が有名で、寺への信仰が広がった。お里・沢市の像がある。
山の斜面にはインド渡来の白い大観音像が建っている。またその下には大涅槃石像がある。平成19年秋に新たに天竺渡来の釈迦如来石像「壷阪大佛」がご招来された。

「壷坂霊験記」とは、
三百年以上昔、座頭の沢市と女房のお里が貧しいながら仲睦ましく暮らしていた。琴三味線を教えお里は内職というつつましい暮らしでした。お里が明け方になると床を抜け出しどこかへ出て行くのを沢市は不審に思っていた。聞けば沢市の目が治るよう3年間も壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。沢市は疑った自分を恥じた。・・・
沢市は死んだらお里が自由になると思い、自殺する。お里が後を追うが、観音様に二人とも助けられて、沢市の目も治った。

8月24日午前寺0時半頃に、世界文化遺産の醍醐寺観音堂が落雷で全焼してしまいました。本尊は准胝観音菩薩(坐像70cm)で西国33カ所観音霊場第11番札所。上醍醐寺の山路は下から3kmで歩いて1時間はかかり、西国霊所中、最も苦しいところである。
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田舎のお墓掃除(2)

2008-08-19 | 行事などいろいろなこと
さて、墓掃除の後のことです。
ミチやんはまだ墓掃除から帰っていないので、先にウバラ村へ寄りました。先にタカギへ行くと、これまた、村の墓掃除が終わって、爺ちゃんのイクちゃんが孫のリコちゃんと帰ってくるところでした。祖母ちゃんのクミちゃんは世話役をしているので、後から帰ってきました。

そして、2歳の孫のリコちゃんは、2週間ほど親から離れても元気でしゃべりまくり、あばれまくっていました。彼女は、以前のおしとやかさがなくなりサンコになっていました。お祖父ちゃんがあまいから、両親から離れても平気で、わがままいっぱいで、海へ行ったりして夏休みを満喫しているようで、ウバラ村が大好きだと言っていました。
しかしながら、お祖母ちゃんのクミちゃんは、孫が悪さをした時には、ちゃんと正坐させて目をみて注意して納得させている様子は、さすが元教師だなぁと思いました。
小さい時からちゃんとしつけをしておかないと、困るのは子供自身だと思い、感心しながら見ていました。

それから、9月には浜松で、2人目が生まれるらしいです。今度はお姉ちゃんになったら、どう変わることでしょう?

また、町営レストランで、昼食をご馳走になりました。
その後、タカギの畑で、かぼちゃ・きゅうり・とまと・おくら等を収穫し、野菜をたくさんもらいました。

そして、ジツエはんの親元へも寄りました。アサエちゃんだけが留守番でいました。
従兄のコウちゃん達は、子どもおじば帰りの天理旅行1泊2日に行っていました。おしゃまなコノハ姉ちゃんも、サンコな弟タイセイ君も留守でした。
なお、3年続きで3人目が生まれるようですが、サンコな男の子より女の子が生まれるよう、皆の期待が集まっているようでした。
今度は、教会の畑へアサエ伯母さんと行って、にがうりをたくさん収穫し、もらいました。

最後に立ち寄ったミチやんとこでは、天ぷらにして食べたらうまいミョウガが一杯できていたので、これまた、収穫して、もらって帰りました。
ミチやん一家は、後日、13日に大阪へ来るということです。

(追伸)
「サンコ」の意味について、
サンコとは、以前は、物を散らかして片付けていない状態を意味していた。「家がサンコや」などと使っていた。
この頃は、落ち着かない性格・あらくたい・ガチャガチャしている意味でも使うようです。
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田舎のお墓掃除(1)

2008-08-19 | 行事などいろいろなこと
田舎でお盆前に、村のいっせい墓掃除があり参加しました。
早朝3時に目を覚ましました。現地へ行くには、90km弱で2時間弱かかります。

前日にミチやんに個人スペースの草刈りを依頼していたので、助かりました。
共用部分を草刈り機で刈った草を燃やす所まで運びました。その時、苦手なウルシの木がありました。子供のころにウルシで被れたことがあったので、ヤバイと思いましたが後の祭りでした。帰ってから、早速皮膚科医院へ行きましたが、2週間たっても、左腕に被れた跡が消えません。

今までの8月7日の墓掃除日が、今年から、8月の第一日曜日に変更されました。
今までは老人ばかりが目立っていたが、勤め人が参加できるようになり、作業している人が若返りました。
いつもこの団体掃除はいけず日曜日にしていたので、いつもカンジュースを1箱寄付します。暑かったので皆さんに喜んでもらったようです。そして、年間管理費を支払った後に、昨年度の会計報告がきちんとなされました。いろんな事業でも、いつも役員さんは御苦労さんです。
作業終了後、よく知っているマサアキちゃんとメグミちゃんがこの世話役でしたので、先祖の墓の改修を話しておきました。気軽に声をかけてと快く言ってくれました。

長くなるので、「田舎のお墓掃除(2)」へ続きます。
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夏の高校野球決勝戦

2008-08-19 | 行事などいろいろなこと
今日は、大阪桐蔭と常葉菊川高校の決勝戦でした。暑い中見に行ってきました。

4月の選抜決勝線以来の野球観戦でした。この時には、沖縄尚学が9対0で埼玉県の聖望学園を破り優勝しました。

甲子園球場へ着いた時は5対0でしたが、追加点がドンドン入っていきました。
最終的には17対0でした。
私の予想では、10点ぐらいの点取り合戦だと思っていましたが。
まあ、これだけの点差なので、負けた常葉菊川も悔しさを通り越してスッキリしたことでしょう。

それはそうと、外野席の上の方は、満員であるにもかかわらず、甲子園浜風が吹いて、爽やかさが意外でした。

もっと前の気候は、この時期、決勝戦の頃には赤とんぼが飛んで秋の気配がしたのに、最近の暑さは、年々ひどくなるように思いながら、家へ帰りました。

そう言えば、台風が熱帯付近で発生していたのが、日本の九州南部で熱帯低気圧に変わることを、気象庁は気付いていないはずはないでしょう?
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マイ数珠ができた

2008-08-18 | 四国八十八ヵ所
四国八十八箇所を終えた記念に数珠を作りました。
人口60億人の世界広しといえども、マイネーム入りのものは他にはありません。

1年かけて巡った四国一周の成果です。この旅行は海外旅行が行けるほどの費用がかかりましたが、退職記念の旅行でした。

四国巡礼では、初めのうちは家内安全とか身近なことをお祈りしていましたが、半ば過ぎからは世界平和をお願いするようになりました。なんだか少しは人間が大きくなってきたような気がしてきたのは自己満足でしょうか?それとも世の中が殺伐として来ているからでしょうか?

まあ、人類は頭を打って、反省して、考えて、成長していくことでしょう。人間が考えることは、何でも、何時かは実現することができるものだと思っていますから。

とにかく記念の数珠ができて満足している今日この頃です。
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