お四国巡礼の次は、西国33カ所を巡ります。
西国のお寺は、四国に比べて優雅に見えました。
西国三十三箇所第8番札所
長谷寺は、観音信仰にあつい徳道上人が聖武天皇の勅願で、十一面観世音菩薩をまつり、西国三十三箇所巡拝の開祖であり、三十三カ所の根本霊場と呼ばれている。
真言宗豊山派総本山。
ご詠歌は、『いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ』である。
3つの「登廊(のぼりろう)」・「花の御寺」
春には桜と7,000株の牡丹、夏には紫陽花、秋には紅葉、冬には寒牡丹が咲く。
門前町を少し下がった南側にある番外法起院(ほうきいん)は、西国巡拝開基・徳道上人御廟所である。『極楽はよそにあらじわがこころ おなじ蓮のへだてやはある』(
徳道上人御詠歌)の意味は「極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。この世に咲く蓮の花と、あの世の蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うものではありません。 ゆえに自分をじっくりと見つめなさい。」
西国三十三箇所第7番札所 東光寺 龍蓋寺(岡寺)
岡寺は、天智天皇が岡宮を寺に改め義淵僧正に賜わったお寺で、如意輪観世音菩薩をまつっている。
この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいたのを、義淵僧正が法力で小池に封じ込めて大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺(りゅうがいじ)」の原点で、本堂前に「龍蓋池(りゅうがいいけ)」がある。観音信仰に、災を取り除く厄除け信仰が加わり、
日本最初の厄除け霊場となった。
観音信仰は、観音さまの御名を呼べば観音さまは三十三の化身により衆生を救済されるとの信仰である。
真言宗豊山派。
ご詠歌は、『けさみれば露岡寺の庭のこけ さながら瑠璃の光なりけり』である。
シャクナゲ、サツキが4月中旬から5月中旬
西国三十三箇所第6番札所
壷阪寺は、元興寺の弁基上人が壷阪の山で修行し愛用の水晶の壷を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んでまっったのが始まり。真言宗。
元正天皇より八角円堂が建てられ南法華寺の正式寺号を賜った。
ご本尊は、十一面千手観
世音菩薩。衆生救済、殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として広く信仰を集めてきた。
明治のころ、失明回復祈願にまつわる沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壷坂霊験記」が有名で、寺への信仰が広がった。お里・沢市の像がある。
山の斜面にはインド渡来の白い大観音像が建っている。またその下には大涅槃石像がある。平成19年秋に新たに天竺渡来の釈迦如来石像「壷阪大佛」がご招来された。
「壷坂霊験記」とは、
三百年以上昔、座頭の沢市と女房のお里が貧しいながら仲睦ましく暮らしていた。琴三味線を教えお里は内職というつつましい暮らしでした。お里が明け方になると床を抜け出しどこかへ出て行くのを沢市は不審に思っていた。聞けば沢市の目が治るよう3年間も壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。沢市は疑った自分を恥じた。・・・
沢市は死んだらお里が自由になると思い、自殺する。お里が後を追うが、観音様に二人とも助けられて、沢市の目も治った。
8月24日午前寺0時半頃に、世界文化遺産の醍醐寺観音堂が落雷で全焼してしまいました。本尊は准胝観音菩薩(坐像70cm)で西国33カ所観音霊場第11番札所。上醍醐寺の山路は下から3kmで歩いて1時間はかかり、西国霊所中、最も苦しいところである。
西国のお寺は、四国に比べて優雅に見えました。
西国三十三箇所第8番札所
長谷寺は、観音信仰にあつい徳道上人が聖武天皇の勅願で、十一面観世音菩薩をまつり、西国三十三箇所巡拝の開祖であり、三十三カ所の根本霊場と呼ばれている。
真言宗豊山派総本山。
ご詠歌は、『いくたびも まいるこころは はつせでら やまもちかいも ふかきたにがわ』である。
3つの「登廊(のぼりろう)」・「花の御寺」
春には桜と7,000株の牡丹、夏には紫陽花、秋には紅葉、冬には寒牡丹が咲く。
門前町を少し下がった南側にある番外法起院(ほうきいん)は、西国巡拝開基・徳道上人御廟所である。『極楽はよそにあらじわがこころ おなじ蓮のへだてやはある』(
徳道上人御詠歌)の意味は「極楽は遠くにあるものではありません。あなたの心の中に求めなさい。この世に咲く蓮の花と、あの世の蓮の花とはともに同じ蓮の花です。決して違うものではありません。 ゆえに自分をじっくりと見つめなさい。」
西国三十三箇所第7番札所 東光寺 龍蓋寺(岡寺)
岡寺は、天智天皇が岡宮を寺に改め義淵僧正に賜わったお寺で、如意輪観世音菩薩をまつっている。
この寺の近くに農地を荒らす悪龍がいたのを、義淵僧正が法力で小池に封じ込めて大石で蓋をした。この伝説が岡寺の正式名称「龍蓋寺(りゅうがいじ)」の原点で、本堂前に「龍蓋池(りゅうがいいけ)」がある。観音信仰に、災を取り除く厄除け信仰が加わり、
日本最初の厄除け霊場となった。
観音信仰は、観音さまの御名を呼べば観音さまは三十三の化身により衆生を救済されるとの信仰である。
真言宗豊山派。
ご詠歌は、『けさみれば露岡寺の庭のこけ さながら瑠璃の光なりけり』である。
シャクナゲ、サツキが4月中旬から5月中旬
西国三十三箇所第6番札所
壷阪寺は、元興寺の弁基上人が壷阪の山で修行し愛用の水晶の壷を坂の上の庵に納め、感得した像を刻んでまっったのが始まり。真言宗。
元正天皇より八角円堂が建てられ南法華寺の正式寺号を賜った。
ご本尊は、十一面千手観
世音菩薩。衆生救済、殊に眼病に霊験あらたかな観音様、目の観音様として広く信仰を集めてきた。
明治のころ、失明回復祈願にまつわる沢市お里の夫婦愛を描いた浄瑠璃「壷坂霊験記」が有名で、寺への信仰が広がった。お里・沢市の像がある。
山の斜面にはインド渡来の白い大観音像が建っている。またその下には大涅槃石像がある。平成19年秋に新たに天竺渡来の釈迦如来石像「壷阪大佛」がご招来された。
「壷坂霊験記」とは、
三百年以上昔、座頭の沢市と女房のお里が貧しいながら仲睦ましく暮らしていた。琴三味線を教えお里は内職というつつましい暮らしでした。お里が明け方になると床を抜け出しどこかへ出て行くのを沢市は不審に思っていた。聞けば沢市の目が治るよう3年間も壷阪寺の観音様に朝詣でをしていた。沢市は疑った自分を恥じた。・・・
沢市は死んだらお里が自由になると思い、自殺する。お里が後を追うが、観音様に二人とも助けられて、沢市の目も治った。
8月24日午前寺0時半頃に、世界文化遺産の醍醐寺観音堂が落雷で全焼してしまいました。本尊は准胝観音菩薩(坐像70cm)で西国33カ所観音霊場第11番札所。上醍醐寺の山路は下から3kmで歩いて1時間はかかり、西国霊所中、最も苦しいところである。