庭で座ってのいろんな思い

庭の四季で花や木との語らいを写真とともに思いついたら記載する

腰骨折っても元気な90歳

2010-09-29 | ちょっとした話
手術の翌日に、もう車椅子に座っている姿を見て、吾輩の目は点になり、時計が止まってしまいました。

早朝、89歳9カ月のジツエはんが、ベットのそばで座っていました。
「腰が痛くて立たれへん!起こしてくれ~」と言いました。
ベットから落ちたか、はたまた畳で滑ったのかはいまだに不明ですが・・・

便所へは、家にある車椅子で、「痛い!痛い!」と言いながらも、連れて行っていました。
月曜日に、いつもの月に一度の病院へ薬を貰いにいくので、診てもらおうと言っていました。
月に一度の来月ディーサービス計画を持って、ケアマネージャーが来てくれました。
そして、骨を折っているかも知れん?と言ってくれましたので、世話してもらった介護タクシーで病院へ行きましたら、大腿骨転子部骨折でした。

火曜日の手術は、全身麻酔か?腰椎麻酔での手術は当日までわかりませんでしたが、
結果は腰椎麻酔の方でした。
高齢だけでなく骨そ症なので、大丈夫ですが?とお医者さんに聞きました。
すると、そのことは通院しているデータでわかっているし、特に頭はしっかりしています。手術して早く治さんと寝たきりになるので、2時間ほどでできる手術をした方が良い、との説明でした。

次回に続く
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赤ちゃんを見に行く

2010-09-22 | 行事などいろいろなこと
甥ユウとワカナちゃんの赤ちゃんの“ゆう陽ちゃん”を見に、家族で飛騨へ行きました。

土曜日の歴史博物館ボランティア講習が終わった4時頃から、家を出発、300kmの高速道路を、4時間ほど走りました。
89歳9カ月のジツエはんも連れて行きましたので、飛騨の家へ着いた時、皆はビックリしていました。
「オ~オ~、ジツエはんも車の中に乗っとるでぇ~!」と言って・・・・

1週間ほど前には、ジツエはんも曾孫を見られるので喜んで行く気満々でしたが、前日から出発直前までは「行かへん!」と言って、いつもの我儘のダダをこねていました。
それで、「姉ちゃんも一緒の車で行くので、事故で皆死んだら、ジツエはん一人だけになるでぇ。それでも良いんかぁ?」と言う脅しが効いて、行く気になったようです。

同じ誕生日の父親ユウによく似ている生後50日の赤ちゃんは、よく笑う可愛い女の子でした。
テレビのコマーシャルに出演させたらよいのに・・・・・と家人が言うぐらいでした。
彼女の母ワカナちゃんは、寝ている赤ちゃんが少しでも動いたら、遠くからでもすぐに赤ちゃんの所へ様子を見に行きます。母親の愛情もたっぷりです。
また、親子兄弟の旅行は記憶にないので、浮き浮きした旅行気分のなかでの、初めての赤ちゃんとの対面ができました。

なお、甥タクのお嫁さんアヤちゃんの実家のリンゴ園に立ち寄ったり、姪ユカリのお婿さんヒロシ君の実家へも帰りに寄って、挨拶することができて充実した気持ちにもなりました。
結婚式で出会って親戚になったりするので、人の輪が広がり、それに伴って世界が広がってくるような気がします。
甥や姪の結婚相手の育ってきた環境や歴史を垣間見たような気がしたのは、今歴史博物館の講習を受けているのに関連するのかなぁ、と思いました。

それから、ホテルの温泉へ行ったり、お土産に飛騨の漬物などを地元の店で買込んだり、赤ちゃんのメリーゴーランドを探して買ったり、連休で焼肉屋が満員なので焼肉を店で買込んで家で焼肉パーティをしたりしての思い出一杯の赤ちゃんとの初対面旅行の2泊3日が終わりました。

追伸
帰宅すると、早速ご近所さん数軒へ飛騨の漬物などのお土産を配りました。いつも畑で採れる新鮮野菜などを貰っているので、日頃の感謝の気持ちを込めて。
そうなのです。また野菜を貰おうと思う下心がないと云えば嘘になりますが・・・・・・・
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経営Management

2010-09-17 | ちょっとした話
松下幸之助さんのことを聞きました。

地主に家に生まれたが、父が投資で失敗して、9歳で大阪の自転車屋に奉公にだされました。
自転車を割引しすぎて叱られますが、泣いて主人に食い下がるのを客が知り、店のお得意様になります。
23歳で独立しました。
本を読む電燈とアイロンがけをしたい姉妹が、電源を奪い合うのを聞いて、二股ソケットを思いつきます。
また、1万個の自転車ランプを無料で配って、大量に売れます。
1923年関東大震災で、物価が高騰しても価格を据え置きにして、感謝されました。
1929年世界大恐慌で、幹部が従業員の半減を提案しますが、幸之助は「1人も解雇したらあかん、給料も下げたらあかん。」と言いました。それで、従業員は休日を返上して働いて、2ヶ月で在庫を売りつくしました。
戦後、家電製品が飽和状態になり会社が赤字になっても、幸之助は自ら指揮をとって、世界の有数企業へ発展しました。

感想としては、不況の時代にも係わらず解雇しなかったので、従業員たちもそれに応えて働いたのではないでしょうか。
幸之助さんの名言にあるように、相手の立場に立って物事を考えることが大切ではないでしょうか。今、一番欠けていることのように思えます。

松下幸之助の名言とは・・・
『事業の原点は どうしたら売れるかではなく、
どうしたら喜んで買ってもらえるかである。』
Business is not about what you have to do to sell product, but about what you can do to give customers satisfaction and joy.

その他経営者の名言

企業のトップは、昔は“えらい人”で務まっていたが、今は“プロ”でなければ務まらない。
In the old days, so-called great men became corporate leaders, but now only real pros are up to the task. (飯田陽太郎)

会社の社長は、もっとも問題を抱えているところにいなければなりません。
The top of the company need to always be where the most problems exist.  (カルロス・ゴーン)

信頼できる経営者は、一に誠実、二に先見性、三に健康。
Trustworthy managers should possess: first, honesty; second, foresight; third, health. (伊夫伎一雄)

アタマは低く、アンテナは高く。
Keep your head low and your antenna high. (鈴木三郎助)


企業は三十年、十年で金を残せ、次の十年で仕事を残せ、次の十年で人材を残せ。
Give a business undertaking 30 years; 10 years to leave behind money; the next 10 to leave behind work; and the next 10 to leave behind capable and talented people. (牛尾治朗)


事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなくて、老人の跋扈(ばっこ)である。
The great damage done to the positive development of a venture is caused not by the errors of the young but by the domination of the old. (伊庭貞剛)


以上 わからない単語がありますが、英語の時間でした。
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値上げ対策

2010-09-10 | ちょっとした話
10月からタバコが値上げされます。
タバコ屋さんが、その対応策におわれています。

そこで家族会議を開いて、1年分のタバコ買いだめを実行することになりました。
その結果、タバコ屋さんから大量のタバコが届きました。
このため、9月に買っておくと、差し引き1万3千円の節約になります。

今まで見たこともないほど、タバコ屋さんができるのではないか?と思われるほどのタバコが、家の中にたくさんあります。
調子に乗って吸いすぎないようにと、家人から言われているところであります。
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ピンク(桃色)の朝食

2010-09-10 | ちょっとした話
我家の朝食はピンクの朝食です。

いつもは、パンにとろけるチーズをのせてトーストを焼きます。
玉子は、スクランブルが多いですが、たまにはボイルします。
野菜は、キャベツの薄切りかレタスを、薄切りハムといっしょに、パンの上へのせて食べます。
それから、マーガリンにジャムで、イチゴ・ブルーベリー・マーマレードに時々バターピーナツをぬります。
果物は、季節のもので、夏はスイカかブドウでしたが、オレンジも食べます。ただ、グレープフルーツは、朝食後の薬に悪いので、残念ながら食べられません。

それに、飲物ですが、トマトジュース(赤)と牛乳(白)を飲みます。
そうなんです。
赤いトマトジュースと白い牛乳を飲むと、お腹の中で混じって、ピンク(桃色)になっているのです。
だから、わが家の朝食を「ピンク(桃色)の朝食」と呼んでいます。

ところで、吾輩には桃色の思い出があります。
それは、今から56年前の話で恐縮ですが、吾輩が小学1年生の時のことです。
担任の黒川悦子先生に、初めて褒めてもらったのが、桃色だったのです。
どういうことかと申しますと、図画の授業で、クラスの誰かが「桜の花に塗るクレパスの桃色がない、どうしょう。」と聞いたので、小学1年の吾輩は、すかさず、「赤色と白色を混ぜたら、桃色になるよ~」と言いました。すると、それを聞いていた黒川先生が「よく知っているねぇ。」と言って、頭をなでながら褒めてくれました。
その時から、小学校の1・2年の担任だった先生が好きになり、褒めてもらいたくて一生懸命勉強したことを憶えています。
その先生は、牛乳瓶の底のようなメガネをかけていました。3年生になった時に、小学校をやめました。そして、本屋さんをしていました。その本屋さんの前を通ると、彼女はいつも本を読んでいましたので、本が大好きで目が悪くなったんだなぁ、と子どもながら思っていました。

もとへ戻って、桃色のクレパスのことです。
当時の我家は貧乏で、12色のサクラクレパスが買えなかったように思います。
「あか・ももいろ・うすだいだい・だいだいいろ・きいろ・きみどり・みどり・みずいろ・あお・むらさき・ちゃいろ・くろ」の12色が。
そのため、色々な工夫をして、その結果先生に褒めてもらったので、貧乏も良かったのかなぁと思い出しています。
物が無いから頭を使い工夫し、子どもは褒めて成長するものかなあ・・・・・・
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ウソのような話

2010-09-07 | ちょっとした話
老婆とその息子の会話を、紹介します。

お婆さんは、1階にいました。そして、その息子は、2階にいました。
お婆さんは、用事を頼もうとして、息子が2階にいるだろうと思い、階段の下から90歳とは思えないほどの大きな声で叫びました。

ジツエ婆さん;「マアちゃ~ん!二階におるんかぁ~!」
その息子:「二階には、誰もおらへんでぇ~。」
と答えました。

すると、お婆さんは、“2階には誰も居ないんだ”と思い、用事を頼むのをあきらめました。
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観劇に行きました

2010-09-06 | 行事などいろいろなこと
先月末に、 “つかこうへい”作の「広島に原爆を落とす日」という劇を観てきました。
7月10日に亡くなった彼の追悼公演でした。
この劇は、東京渋谷の劇場で、広島原爆投下の8月6日のから公演されていた。
1979年にパルコ劇場で、風間杜夫主演の上演から、30猶予年もたつ作品と紹介されていた。

「人類が、ヒロシマ・ナガサキに続いて3度目の投下ボタンに手をかけないために」と書いてあった。
また、日本人が語り継がなければならない、とも書いてあった。

この劇は、2時間弱の休憩なしの芝居で、長いセリフを早口でしゃべるのは、さすがプロ俳優(筧俊夫)だなぁと思った。これが、“つか節”の台詞の洪水、といわれるものらしい。

2010年の現代と、1941年の広島を舞台に、この劇は展開していった。
事前にそのこと知らないと、主役が二役でもあるので、何が何だか解らない。

昨年に、佐藤栄作総理とニクソン大統領との間に、核機密文書の発見があった。
このことからか、外務省の機密文書の絡みで、海軍少佐のことが全記録から消された。
それは、真珠湾攻撃を企てた責任で、広島に原爆を落とさせた少佐だった。
この機密文書を嗅ぎつけた新聞記者が、7年前に投獄されて広島刑務所から釈放された。
主役が、この少佐と新聞記者の二役であった。

なぜ2発の原爆を落としたか? それは、2発だけしか完成していなかったから。
なぜ原爆を落としたか? どれほどの人間を殺せるかを知りたかったので、実験したかったから。(広島人口40万人うち14万人が死亡)
ドイツではなく、なぜ日本に原爆を落としたか? アメリカ人にとって白人(ドイツ人)の命は日本人より重いから。

真珠湾攻撃を考案した朝鮮人の少佐が、その責任をとらすため、彼の住んでいた広島への原爆ぼたんを押すようにしむけられた。
その後、機密文書でその人物とともに事実を抹消させた。

このような劇の内容は、真実かどうかわからないけれど、本当のことだと云われても「歴史はそうだったのか!」と思われるような劇だった。
劇中で、日本はアメリカの“51番目の星だ”というセリフがありましたが、私もそう思っているので、できるだけ早く日本が独立国になるように願っています。
この私の願いは、沖縄那覇の米軍嘉手納基地を見れば必ずわかります。

とにかく、生の観劇だから、感激しました。(笑)
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陶芸教室たより

2010-09-06 | 素人の陶芸教室
ビアカップができましたが、焼き上がりは思った以上に縮んで、小さくなりました。
窯で焼く費用には、素焼きを含めて、1,400円を支払でした。
前回の初めて製作した湯呑の焼き代金は、小さかったので500円でした。

取手のところが、素焼きでうまくくっついていなかったので、先生の助言で、釉薬の濃い色(緑色)にしました。
底が抜けて粘土をくっつけたので、安定性に欠けるため、ビールを入れてテーブルに置いた時、ひっくり返るのではないかと心配しています。
だから、今のところ、使わずに飾っているだけにしようと思っています。

そうそう、高台(コウダイ・陶器の底で釉薬を塗っていない部分)を作る時に、ろくろの中心に置いて円形にしなかったので、その上に乗せ重ねる粘土が円筒のように丸くならないことが、今回、わかりました。
このため、ろくろを回すと製作物が波打って、目がまわり気分が悪くなることの理由が、わかりました。
高台(コウダイ)を作る時には、粘土を切る針みたいな道具を、ろくろの時計4時20分のところに、30度ぐらいの角度で軽く触ると、丸い円が浅く描けることを知りました。

このことがわかれば、次回はバッチリだ!
ろくろ回しは、こわくない!
と思いながら、今日のところはこのぐらいにして、帰りました。
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博物館サポーター

2010-09-05 | 行事などいろいろなこと
9月から講習が一つ増えました。
歴史民俗資料館のお手伝いのための講習を、4カ月間(計8回)受けることになりました。

1回目の講義は、ガイダンスで、当館の説明みたいなことでした。
常設展示の説明・特集展示会の準備や説明・遺跡めぐりに着いて行っての説明や案内などを、サポートするらしいです。
資料に、館報と研究紀要という厚い冊子をもらいました。
それには、昨年度の活動報告や、学芸員の特別展示会などのレポートが記載されているようです。

博物館法というのがあって、登録博物館と博物館相当施設・その他施設にわかれるそうです。
当資料館は、博物館相当施設に該当すると、館長より説明がありました。
教育基本法かなんかで、図書館は充実しているが、博物館は遅れているようです。

景気の良い時代には、様々な会社からの後援も多かったでしょうが、不景気になると、カットされやすいところではないでしょうか?
文化財保護法による埋蔵文化財調査費の収入関連はあるでしょうが・・・・
郷土の歴史や遺跡散策などの講習終了後、ボランティア登録をするそうですが、正直なところ、内容などまだよくわかりません。
『金力はないが、筋力・時間はある!』をモットーに、退職後は清貧の暮らしをしょうと思っていました。

写真は、今年夏2回目の街路樹苅込ボランティア
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亜熱帯気候と高齢者

2010-09-05 | ちょっとした話
バナナの木を植えた家の垣根に、食べても食べても食べきれないほど、黄色い美味そうなバナナがいっぱい実った。
ついにバナナを食べ過ぎて、お腹がパンクしたところで、目が覚めた。
夢だった!

夏の甲子園が終りに近づく、高校野球決勝戦ごろになると涼しくなり、赤とんぼが飛んでいたように思う。
今年は、9月になっても、35度を超える猛暑日が続いている。25度以上の熱帯夜も。
気象観測で113年、一番暑い8月だったそうだ。
それに、平均気温が1.6度近く上昇したらしい。
この気温1度の上昇で、100kmほど赤道方向の南へ地図(位置)が移動することになるらしい。
この計算によると、大阪は、100km真南である九州の宮崎と同地点へ移動したことになるらしい。


さて、高温のほか、全国の高齢者所在不明が問題になっている。
100歳以上だけでも、297人の人々の居所が分からないらしい。
80%(241人)を役所の職権で削除した。このうち、死亡届33人も判明した。
縦割り行政など、こんなお役所仕事では、世界に誇る長寿国が、泣いている。
厚生労働省発表、昨年の日本人の平均寿命は、男性79.59歳(世界5位)・女性86.44歳(世界1位)で、4年連続で過去最高を更新している。
役所の3年ほどでの勤務移動は責任逃れなので、役人は少なくとも10年ぐらいは同仕事につくべきだ、と私は思っている。

なお、洋酒オールドパーは、150歳の生存最長者を記念して名付けられているが。
亜熱帯気候のなか、我が母親は、89歳7カ月と、彼女の親元・家系の長寿記録を更新中である。
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